エルサレム会議と、パウロの第二回宣教旅行前半(フィリピまで)。
15章1~35節。救いに割礼が必要かどうかの論争を解決した、エルサレム会議(49年頃)。
15章36節~18章22節。(バルナバと決別して)パウロの第二回宣教旅行(50~52年頃)。
16章。ルステラでのテモテ同行。アジア地区での宣教を聖霊によって禁じられ、マケドニアに渡って来て欲しいという幻をトロアスで見て、そこから船出してマケドニアへ渡る。フィリピでルデア家に、占いの悪霊に付かれた下女、そして投獄されて地震が起き牢番の家に。
15章。
1,2,5,24節。アンティオキア会衆で割礼の問題が起きたのは、ユダヤから来た人たちが「割礼を受けないと救われないよ」と言ったからで、もともとは割礼の問題なんてなかった。(パウロはガラテア2:4で「忍び込んで来た偽兄弟が、イエスによる自由をつけねらって奴隷化するため」と言ってる)
エルサレム会衆では、元パリサイ派の人たちが異邦人にも割礼と律法を強いようとしてた。だから、エルサレム会衆できっちりとこの問題に片を付ける必要があった。(組織が言うように、重要な問題を統治体が扱って答えを出した、ということとは違う)
ガラテア2:1~10には、パウロ目線でのこの時の出来事が記されている。
啓示によって、バルナバとともにテトスを伴ってエルサレムに上った。主だった人たちに個人的に、異邦人の間で伝えている福音を提示した。ギリシャ人だったテトスも割礼を強制されなかった。福音の真理がとどまり続けるために、屈服して譲歩など一時もしなかった。主だった人たちは、私には無割礼の(ペテロには割礼の)福音が託されているのだと認識した。などなど。
続く11~14には、後にアンティオキアで、ヤコブから送られてきた割礼組への恐れのために、ペテロが、ユダヤ人が、またバルナバまでが偽善に加わったとある。ってことは、この会議の後もまだ、エルサレム会衆の割礼組は、分裂をもたらす原因になっていたんだねぇ。(統治体が送った人たちが各会衆を分裂させてる、というのは今に当てはまってるかもw)
3節。新世界訳の「転向」。他の訳は、ほぼ「改宗」。
14節。新世界訳の「ご自分のみ名のための民を」。他の訳は「御名を負ふべき(御名に、彼自身に)民を」「御名を負う民を」「御自分のために一つの民を」「ひとつの民をおん自らの名へと」「御自分の名を信じる民を」「彼の名に適う民を」など。
20,29節。「偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避ける」。これは、今でも有効なクリスチャンが避けるべき4つの明文化された規則だと思ってたんだけど・・・・・違うことが判明。(組織が輸血に関してこの聖句使ってたから、そう思い込んじゃったのかも)。
これは、この会議がユダヤ人側の完敗にならないように、(本当は割礼も律法もいらないことは分かってるんだけど)異邦人にも守って欲しい律法を4つ、これだけを守ってもらえれば、週ごとに律法の朗読を聞いたり律法を宣べ伝えたりしているユダヤ人(21節)を躓かせないですむだろう、という配慮であり、ユダヤ人と異邦人の分裂を防ぐ役割もあった(割礼は受けてないけど律法は守って、いわばユダヤ人化してるよという)のではないかと。だからパウロはこの決定を、第二回宣教旅行で行く先々の会衆に伝えた(16:4)んだろうと(本音は不本意だったんじゃないかなぁ)。
考えてみれば、後にパウロは、偶像に犠牲としてささげられた物など食べることに関して、良心の問題としてる(ローマ14章、コリント①8章、10章など)。もし、絞め殺されたものや血抜きされてない肉も普通に売ってたのだとしたら、淫行以外は良心の問題ってことだよね。
エルサレム会議は、結局のところ、一時的に割礼の論争を解決しただけなんだよね。それは、ガラテアで割礼(律法)の問題がまた浮上してることからもわかる。(組織は、これは「統治体の決定」だ、と言ってありがたがらせようとしてるけどw、言うほど重要な会議でも決定でもなかったということかなw)
24節。「わたしたちが何の指示も与えなかったにもかかわらず」。言い訳? 責任逃れ? こういうところは統治体っぽいw。
29節。新世界訳の「あなた方は栄えるでしょう」。他の訳は「善し」「それでよろしい」「よろしい」「よいのです」「よろしいのである」など。(印象がだいぶ変わる)
34節。新世界訳は無し。「シラスは留まることに決めた」という文が、40節とのつじつま合わせのために付け加えられていたらしい。
35節。ガラテア2:11~14の出来事(ペテロの偽善)は、この期間に起きたのだろうと思われる。
(追記)
36~41節。第二回宣教旅行もパウロが言いだしたこと。使徒や年長者(エルサレムの統治体)が指示したのではない。彼らは諸会衆を強めたりはしてるけど、宣教に積極的に出かけることはしてない。(ところで・・・エルサレムの統治体って言うけど、メンバーは誰だったんだろ? パウロやバルナバやシラスはメンバーじゃなかったのかな?)
バルナバはマルコとキプロス島へ。パウロはシラスと陸路でキリキア(タルソスがある)へ。それぞれまずは故郷へ。バルナバが出てくるのはこれが最後なので、神はパウロを祝福されたとする見方もあるけど、書いてるのがルカだからパウロを追うことにしただけかも。
16章。
1~3節。デルベからルステラへ。パウロはテモテに割礼を施させる。パウロにとっては割礼も無割礼も関係なく、福音を受け入れ易くすることが最も大事なことだったから。
4,5節。ここだけ読むと、組織の言うように「統治体からの指示に従ったとき、諸会衆は繁栄した」、だからどんな指示であっても従順に従おう、って勘違いしちゃうけど、上記のように会議の流れをちゃんと把握した上で読むなら、出された決定が、異邦人を割礼主義から守るものであり、ユダヤ人への和解策でもあるので、会衆にとって良い働きをしたんだということがわかる。
文脈を無視して都合よく解釈するのは、この組織の悪い癖。
パウロたちは、アジア地区での宣教を聖霊によって禁じられ、トロアスへ。
10節。「わたしたち」表記になったので、ルカが加わったことが分かる。17章では、また「彼ら」表記に戻っているので、ルカはフィリピに残ったのかもしれない。
トロアスから出帆してマケドニアに渡り、フィリピへ。
13~15節。会堂が無かったことから、ユダヤ人が少なかった(ユダヤ人への蔑視があった?)ことが分かる。
ルデアと家の者たちの改宗。
19~24節。異邦人からの最初の迫害。宗教の妬みでなく利害が絡んでた。パウロとシラスの殴打と投獄。
25~34節。地震。牢番と家の者たちの改宗。
35~40節。釈放される時、パウロは自分たちがローマ人であることを明かす。改宗したルデアや牢番たちが、不当な扱いを受けないように。ローマ市民権を、迫害から逃れるためではなく、仲間の無事のために使った。
当初パウロは、諸会衆を回った後、アジアに宣教にいくつもりだった。でも聖霊によりマケドニアに導かれた。そして、異邦人の地で最初の、異邦人によるフィリピ会衆設立。迫害と共に。後にフィリピ会衆が示した愛と寛大さ。パウロにとって愛すべき会衆になった。最初に信者となったルデアの寛大な霊の影響力も大きかったんだろうなぁ。(文章ヘタですみません)
15章1~35節。救いに割礼が必要かどうかの論争を解決した、エルサレム会議(49年頃)。
15章36節~18章22節。(バルナバと決別して)パウロの第二回宣教旅行(50~52年頃)。
16章。ルステラでのテモテ同行。アジア地区での宣教を聖霊によって禁じられ、マケドニアに渡って来て欲しいという幻をトロアスで見て、そこから船出してマケドニアへ渡る。フィリピでルデア家に、占いの悪霊に付かれた下女、そして投獄されて地震が起き牢番の家に。
15章。
1,2,5,24節。アンティオキア会衆で割礼の問題が起きたのは、ユダヤから来た人たちが「割礼を受けないと救われないよ」と言ったからで、もともとは割礼の問題なんてなかった。(パウロはガラテア2:4で「忍び込んで来た偽兄弟が、イエスによる自由をつけねらって奴隷化するため」と言ってる)
エルサレム会衆では、元パリサイ派の人たちが異邦人にも割礼と律法を強いようとしてた。だから、エルサレム会衆できっちりとこの問題に片を付ける必要があった。(組織が言うように、重要な問題を統治体が扱って答えを出した、ということとは違う)
ガラテア2:1~10には、パウロ目線でのこの時の出来事が記されている。
啓示によって、バルナバとともにテトスを伴ってエルサレムに上った。主だった人たちに個人的に、異邦人の間で伝えている福音を提示した。ギリシャ人だったテトスも割礼を強制されなかった。福音の真理がとどまり続けるために、屈服して譲歩など一時もしなかった。主だった人たちは、私には無割礼の(ペテロには割礼の)福音が託されているのだと認識した。などなど。
続く11~14には、後にアンティオキアで、ヤコブから送られてきた割礼組への恐れのために、ペテロが、ユダヤ人が、またバルナバまでが偽善に加わったとある。ってことは、この会議の後もまだ、エルサレム会衆の割礼組は、分裂をもたらす原因になっていたんだねぇ。(統治体が送った人たちが各会衆を分裂させてる、というのは今に当てはまってるかもw)
3節。新世界訳の「転向」。他の訳は、ほぼ「改宗」。
14節。新世界訳の「ご自分のみ名のための民を」。他の訳は「御名を負ふべき(御名に、彼自身に)民を」「御名を負う民を」「御自分のために一つの民を」「ひとつの民をおん自らの名へと」「御自分の名を信じる民を」「彼の名に適う民を」など。
20,29節。「偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避ける」。これは、今でも有効なクリスチャンが避けるべき4つの明文化された規則だと思ってたんだけど・・・・・違うことが判明。(組織が輸血に関してこの聖句使ってたから、そう思い込んじゃったのかも)。
これは、この会議がユダヤ人側の完敗にならないように、(本当は割礼も律法もいらないことは分かってるんだけど)異邦人にも守って欲しい律法を4つ、これだけを守ってもらえれば、週ごとに律法の朗読を聞いたり律法を宣べ伝えたりしているユダヤ人(21節)を躓かせないですむだろう、という配慮であり、ユダヤ人と異邦人の分裂を防ぐ役割もあった(割礼は受けてないけど律法は守って、いわばユダヤ人化してるよという)のではないかと。だからパウロはこの決定を、第二回宣教旅行で行く先々の会衆に伝えた(16:4)んだろうと(本音は不本意だったんじゃないかなぁ)。
考えてみれば、後にパウロは、偶像に犠牲としてささげられた物など食べることに関して、良心の問題としてる(ローマ14章、コリント①8章、10章など)。もし、絞め殺されたものや血抜きされてない肉も普通に売ってたのだとしたら、淫行以外は良心の問題ってことだよね。
エルサレム会議は、結局のところ、一時的に割礼の論争を解決しただけなんだよね。それは、ガラテアで割礼(律法)の問題がまた浮上してることからもわかる。(組織は、これは「統治体の決定」だ、と言ってありがたがらせようとしてるけどw、言うほど重要な会議でも決定でもなかったということかなw)
24節。「わたしたちが何の指示も与えなかったにもかかわらず」。言い訳? 責任逃れ? こういうところは統治体っぽいw。
29節。新世界訳の「あなた方は栄えるでしょう」。他の訳は「善し」「それでよろしい」「よろしい」「よいのです」「よろしいのである」など。(印象がだいぶ変わる)
34節。新世界訳は無し。「シラスは留まることに決めた」という文が、40節とのつじつま合わせのために付け加えられていたらしい。
35節。ガラテア2:11~14の出来事(ペテロの偽善)は、この期間に起きたのだろうと思われる。
(追記)
36~41節。第二回宣教旅行もパウロが言いだしたこと。使徒や年長者(エルサレムの統治体)が指示したのではない。彼らは諸会衆を強めたりはしてるけど、宣教に積極的に出かけることはしてない。(ところで・・・エルサレムの統治体って言うけど、メンバーは誰だったんだろ? パウロやバルナバやシラスはメンバーじゃなかったのかな?)
バルナバはマルコとキプロス島へ。パウロはシラスと陸路でキリキア(タルソスがある)へ。それぞれまずは故郷へ。バルナバが出てくるのはこれが最後なので、神はパウロを祝福されたとする見方もあるけど、書いてるのがルカだからパウロを追うことにしただけかも。
16章。
1~3節。デルベからルステラへ。パウロはテモテに割礼を施させる。パウロにとっては割礼も無割礼も関係なく、福音を受け入れ易くすることが最も大事なことだったから。
4,5節。ここだけ読むと、組織の言うように「統治体からの指示に従ったとき、諸会衆は繁栄した」、だからどんな指示であっても従順に従おう、って勘違いしちゃうけど、上記のように会議の流れをちゃんと把握した上で読むなら、出された決定が、異邦人を割礼主義から守るものであり、ユダヤ人への和解策でもあるので、会衆にとって良い働きをしたんだということがわかる。
文脈を無視して都合よく解釈するのは、この組織の悪い癖。
パウロたちは、アジア地区での宣教を聖霊によって禁じられ、トロアスへ。
10節。「わたしたち」表記になったので、ルカが加わったことが分かる。17章では、また「彼ら」表記に戻っているので、ルカはフィリピに残ったのかもしれない。
トロアスから出帆してマケドニアに渡り、フィリピへ。
13~15節。会堂が無かったことから、ユダヤ人が少なかった(ユダヤ人への蔑視があった?)ことが分かる。
ルデアと家の者たちの改宗。
19~24節。異邦人からの最初の迫害。宗教の妬みでなく利害が絡んでた。パウロとシラスの殴打と投獄。
25~34節。地震。牢番と家の者たちの改宗。
35~40節。釈放される時、パウロは自分たちがローマ人であることを明かす。改宗したルデアや牢番たちが、不当な扱いを受けないように。ローマ市民権を、迫害から逃れるためではなく、仲間の無事のために使った。
当初パウロは、諸会衆を回った後、アジアに宣教にいくつもりだった。でも聖霊によりマケドニアに導かれた。そして、異邦人の地で最初の、異邦人によるフィリピ会衆設立。迫害と共に。後にフィリピ会衆が示した愛と寛大さ。パウロにとって愛すべき会衆になった。最初に信者となったルデアの寛大な霊の影響力も大きかったんだろうなぁ。(文章ヘタですみません)