キリスト教の聖書。
特にイエス様が行われた奇蹟が、
その新約聖書に多く載っている。
有名なものでは
「5つのパンと二匹の魚」がある。
イエス様の説教を聴きにきた人達に、
たったこれだけの食料を配り、
それをなんと五千人の人に食べさせたというもの。
食べて余ったクズをかごに集めると、
12のかごにいっぱいになったという。
あとは死人を甦らせたとか、
病気を癒したとか、
数え上げるとキリがない。
もちろん最も大きな不思議は、
イエス様が処女マリアからお生まれになった。
そのこと自体だと思う。
処女懐妊なんて科学的にはあり得ないじゃん。
そしてイエス様は十字架にかかり、
3日目に自ら甦られた。
この事も日本人的には受け入れられないだろう。
そんなふうにキリスト教の聖書には、
「ウソやん?それ!」ってことが山のようにある。
私たちクリスチャンだって100%信じられるかって、
そんなに都合よくはいかない。
常識も持っているし科学の力も信じているからだ。
だけど聖書の最初の最初にはこう書いてある。
「創世記」と題された1章1節からだ。
はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、
神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。
すると光があった。
なんともすごいことじゃない?
この世界を、宇宙を、光を、時間を・・
全てを創られた方が神さまなんだってこと。
お釈迦様は初めは人間だった。
しかも王子様。
それが人間の虚しさを知って苦行をされ、
悟りを開いてブッダとなられた。
そう、お釈迦様はすでに人間だったんだよー。
この世界に存在する物質だった。
キリスト教はそうじゃない。
この全てを創られた方が神さまだと・・。
それってもうどの奇蹟を信じるとかじゃないやん。
光を創られる方が、
たった一人の女性を懐妊させることなんて簡単だ。
そして自分のひとり子イエス様を、
人間の形で世に送ってくださるなんて、
それも簡単なことさー。
だから奇蹟なんて取るに足らないことなんだよね。
そんなこと出来て当たり前なんよ。
私は少なくともそう思ってる。
この世を創ったんかぁ〜。
時間も光も神さまが創られたんや〜。
じゃぁ、私たち人間を創るなんて簡単やな・・って。
キリスト教を科学で解明しようとか、
理屈でやっつけようとか、
そんなじゃなくて、
「そうなんだなぁ〜」って思っておく。
そして明日のことも、
主の御手に委ねておくと、
おのずと生きていくのがふんわりと楽になる。
そうなんだよね〜〜〜。
最近忘れてるかなぁ・・・そういう気持ち。
くぅ