どうだろうか?
絶望してるかもしれない。
体がしんどいかもしれない。
生きる意味を見失って途方に暮れてるかもしれない。
思い詰めて下を向いてるかもしれない。
過去の呪縛に今日もまた縛られているかもしれない。
先が開いてるのではなく、閉じていく一方かもしれない。
悲しいかもしれない。
仕事がきつく、ろくに寝れず、体力の限界かもしれない。
誰にも理解さえず、邪魔者扱いされて、蔑みを食らい、怒りに震える手が理性を失いそうかもしれない。
相変わらず私はギリギリのところにいるが、最近地球の創造を想像するようになったのは明るい話題だ。
ヤフートピックスに載せて欲しい笑
「都内にお住いの男性が相変わらずの絶望の境地で、地球の創造を想像するようになりました!」と地域ニュースでもいいから載せて欲しい笑
あることに気づいたんだ。
地球が始まったからこそ、今の全てはある。
地球の創造がなかったら、絶望もクソもないんである。
始まりは終わりでもある、でもその言葉も、地球の創造が起きたからこその言葉なんでござる。
今のもろもろの絶望の類も、地球の創造があったからこそある。
ならば、地球の創造を想像しよう。
ガスが固まったり、
衝突したり、
はがれたり、
空間が歪んだり、
膨張したり、
引っ張られたり、
くっついたり、
熱くなったり冷えたり、
化学反応?が起きたり、
創造の過程を想像してみると、そのとてつもないスケールの大きさに気絶しそうになるけど、
それは前向きな気絶だと私は捉えている。
なぜなら、創造の過程だからだ。
絶望というのはもしかしたら、地球の創造のなかの1つの現象を模倣した結果なのかもしれない。
地球の創造の過程には、きっと絶望の原型になるような現象があったに違いない。