石橋克彦(神戸大学)が耐震指針検討分科会の進め方に疑問を表明し辞任。こんな重大なニュースが、ほとんどマスコミでは流されていません。
石橋さんは日本の地震学を発展させてきた人であり、阪神・淡路大震災の被害状況を見て、原発震災(とくに東海地震による浜岡原発の危険性)を指摘されてきた方です。
詳しくは、以下の国会での参考人発言をどうぞ。
http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html
阪神・淡路大震災のあと、日本では鳥取での地震や新潟中部地震なども発生、それまでの耐震設計の考えは覆され、建物は以前に増した耐震補強が求められています。
原発の耐震指針は、原発が作られるようになった1960年代から実はほとんど変えられていません。すでに、阪神・淡路大震災の前から、これでよいのか!という指摘が行われていたのです。
しかし、指針が変わるということは、古い原発の中には止めなきゃいけないものも当然出てくるということですし、原子力安全委員会はのろのろと対処を渋っていたのです。阪神・淡路が起こり、そのあとの重大な地震が続き、その自然の警告に突き動かされるように、原発の耐震指針見直しの検討会も作られました。やっと4年ほど前のことです。
ところが、この検討会、長い審議を経て、結局実質は何も変えませんでした。M8クラスの耐震強度が必要なのに、設計のために想定する地震の大きさをM6.5からM6.8にしただけ。
審議の終盤には、この結論に警告を発するかのように、島根原発の近くの活断層が耐震設計で想定した10キロよりはるかに大きなものだという事実が明らかになりましたが、それも特殊事例と片付け委員会の結論は動きませんでした。
石橋さんを除く、他の委員全員は電力会社や原子力関連企業の関係する「原子力村の学者・文化人」だからです。この人たちに、日本を救おうとか、人々の命を守ろうという真摯な気持ちなどないのです。ここが、日本の原子力の不幸でしょう。そういう人たちは、少なくとも委員になってはいけないという法律でも作るべきだろうと思います。
しかも、このようなひどい結論に対して、一般市民から680ものパブリックコメントが寄せられました。これまでの委員会審議では最大の数といわれています。多くの人たちが、この流れに危機感をいだいているのです。
審議会はこれも無視。結論に反映させませんでした。
このような審議の進め方に、良心的な石橋さんは怒り、検討会の結論には同意できないとして、最終日の採決の前に委員を辞任されました。
検索をかけても、石橋さんの辞任に触れているのは日経新聞の記事に1行ついているだけでした。他のマスコミは、怒って辞任した学者がいたことすら報じていません。しかも、その人は、委員の中で唯一の地震学の権威でした。
これが、今の日本の原子力の現状です。
考えさせられます。