もう8月10日になりました。8月は広島、長崎の原爆の日、8月15日の敗戦の日などなど、平和を考え、太平洋戦争の犠牲者の思いに心を馳せる月です。私は広島出身でもあり、8月6日はできるだけ「広島にいよう」という思いで、毎年この日はなんとか都合をつけて、広島に戻ります。今年も戻りました。
今年の広島行きは、仕事(営業)も半分、事業経費で行けた代わりに、仕事の合間を縫っての顔見世興行のようになってしまいました。広島の知人友人とゆっくり話をする間もなく、いろいろ行われている平和、脱原発などの催し物もほとんど出ることはできませんでした。
それでも8月6日の朝には原爆ドームの前に行き、その後の定例の中国電力前座り込みに参加、午後は劣化ウラン問題の国際交流会に参加しました。原爆ドーム前では、毎年8時15分に「ダイイン」が行われます。黙祷の声と同時に、集まった人たちが寝転がるのですが、私は個人的に、この「死んだふり」が好きではないので、一緒に寝転がったことがありません。マスコミの映像的には良いのかもしれませんが、いつも木陰に腰をおろして、皆さんが寝転がるのを見ています。
今年はその腰をおろした隣に、原爆紙芝居の方がおられ、しばし話し込むことになりました。
原爆紙芝居とは勝手に私が名づけたのですが、被爆体験を伝えるための紙芝居で、テレビや巨大スクリーンでの映像よりも、子供たちと直に接する紙芝居の方が、本当に伝えることができると、そのスタイルを何十年も続けていらっしゃる方です。
お名前は「ひげ六」と言うらしく、顎にたくわえられたヒゲが人なつっこさを醸し出しているような方でした。通常は仙人のような風貌・・となるのでしょうが、重々しくなく、いかにも子供が好きという感じの方でした。
1年の間に何回も原爆ドーム前に来られて紙芝居をされているということでしたが、8月6日に来たのは実ははじめてということでした。奥さんが難病で十数年苦しんでおられ、朝早くに置いて出てくることはできなかったと。その奥さんが、最近亡くなられたということで、「おとうちゃん、好きなようにやんなさい」と言ってくれていると感じて、今年はじめて8月6日にやってきたそうです。
何種類もの紙芝居をつくっておられるようでしたが、最初に演じられたのは原爆の瞬間を描いた紙芝居でした。絵は丸木位里さんの「原爆の図」をパーツに分けた感じで、絵巻物を全体で見るのでなく、一つ一つのシーンにスポットを当てて、その物語を語られる・・という手法でした。
私と話していたときには静かに穏やかに喋られていたのですが、紙芝居になると、朗々とした大きな声で、一声であっという間に人を集めてしまわれました。組織もなく、事前の呼びかけ配布もなく、紙芝居に人が集まるのかな・・と心の中にあった私の心配は吹き飛ばされてしまいました。
「ヒゲ六」さんと話し込んでいて、中国電力本社へのパレードに出遅れてしまったため、紙芝居をそこそこに本社前に向かいました。すでに座り込みははじまり、いろいろな方からの報告が行われるところでした。今年の中国電力管内の最大の問題は上関原発建設にむけた工事(公有水面の埋め立て)の開始です。
上関町は山口県の柳井から瀬戸内海に突き出した半島の先端にあります。原発予定地はその先端のまさに先っちょ、瀬戸内海の中でも唯一と言ってよいほど、昔のままの自然が残されているところです。この地域にしかいない独特の貝や昆虫、植物もあり、スナメリの生息地としても知られています。
半島の先端の向こう側には祝島があります。小さな島ですが、この島の人々の反対運動によって40年間も原発建設を阻んできました。半島先端の海域は、この島の人々が漁業権を持っているところで、原発ができてこの海域が汚染されるということは島の人が生きて行く術を失うことだからです。ところが、祝島漁協を含む広域の漁協連合会が、多数決でこの漁場の漁業権放棄を決めてしまいました。当事者の意向を無視しての暴挙ですし、決議した「漁民」のかなりは実際には漁業をやっていない名目組合員です。漁民でもない人が、豊かな漁場を破壊することに、わずかな保証金目当てに賛成する・・という、本当に情けないほどに「日本的な」構図が、いまだに息づいているのです。
放射能汚染と放射性廃棄物というつけは、この「偽漁民」の人たちの上にもふりかかることになるのですが、そのころは孫子の代で知ったことではないという感覚なのでしょうか?
ついこの間の山口県知事選で、原発建設に合意している二井知事が再選され、誰もが原発なんかダメとわかっている、この時代に、原発建設にむけ工事がはじまろうとしています。いきなり中国電力が倒産するとか、経済最優先の外資(そうすれば原発なんかに投資はしません)に買い取られるとか、そんな神風は吹かないものかと思います。
午後の劣化ウラン問題での国際交流会では、久しぶりに鎌仲ひとみ監督に会いました。いきなり頼みごとをされました。九州でタケチップを作り、タケボイラーで熱供給をする仕組みを開発した会社があるが商業生産になってなくて、それを事業化できるよう手伝って・・みたいな、いつも軽いのりで結局手伝わされてしまうのです。
さて、8月には福田新内閣の発足と衆院選、北京オリンピックと人権問題、グルジアでの内戦の行方、グリーン電力と1億人のグリーンパワーその後・・などなど、課題がめじろ押しです。もう少し、ブログに向かうよう心がけます。

今年の広島行きは、仕事(営業)も半分、事業経費で行けた代わりに、仕事の合間を縫っての顔見世興行のようになってしまいました。広島の知人友人とゆっくり話をする間もなく、いろいろ行われている平和、脱原発などの催し物もほとんど出ることはできませんでした。
それでも8月6日の朝には原爆ドームの前に行き、その後の定例の中国電力前座り込みに参加、午後は劣化ウラン問題の国際交流会に参加しました。原爆ドーム前では、毎年8時15分に「ダイイン」が行われます。黙祷の声と同時に、集まった人たちが寝転がるのですが、私は個人的に、この「死んだふり」が好きではないので、一緒に寝転がったことがありません。マスコミの映像的には良いのかもしれませんが、いつも木陰に腰をおろして、皆さんが寝転がるのを見ています。
今年はその腰をおろした隣に、原爆紙芝居の方がおられ、しばし話し込むことになりました。
原爆紙芝居とは勝手に私が名づけたのですが、被爆体験を伝えるための紙芝居で、テレビや巨大スクリーンでの映像よりも、子供たちと直に接する紙芝居の方が、本当に伝えることができると、そのスタイルを何十年も続けていらっしゃる方です。
お名前は「ひげ六」と言うらしく、顎にたくわえられたヒゲが人なつっこさを醸し出しているような方でした。通常は仙人のような風貌・・となるのでしょうが、重々しくなく、いかにも子供が好きという感じの方でした。
1年の間に何回も原爆ドーム前に来られて紙芝居をされているということでしたが、8月6日に来たのは実ははじめてということでした。奥さんが難病で十数年苦しんでおられ、朝早くに置いて出てくることはできなかったと。その奥さんが、最近亡くなられたということで、「おとうちゃん、好きなようにやんなさい」と言ってくれていると感じて、今年はじめて8月6日にやってきたそうです。
何種類もの紙芝居をつくっておられるようでしたが、最初に演じられたのは原爆の瞬間を描いた紙芝居でした。絵は丸木位里さんの「原爆の図」をパーツに分けた感じで、絵巻物を全体で見るのでなく、一つ一つのシーンにスポットを当てて、その物語を語られる・・という手法でした。
私と話していたときには静かに穏やかに喋られていたのですが、紙芝居になると、朗々とした大きな声で、一声であっという間に人を集めてしまわれました。組織もなく、事前の呼びかけ配布もなく、紙芝居に人が集まるのかな・・と心の中にあった私の心配は吹き飛ばされてしまいました。
「ヒゲ六」さんと話し込んでいて、中国電力本社へのパレードに出遅れてしまったため、紙芝居をそこそこに本社前に向かいました。すでに座り込みははじまり、いろいろな方からの報告が行われるところでした。今年の中国電力管内の最大の問題は上関原発建設にむけた工事(公有水面の埋め立て)の開始です。
上関町は山口県の柳井から瀬戸内海に突き出した半島の先端にあります。原発予定地はその先端のまさに先っちょ、瀬戸内海の中でも唯一と言ってよいほど、昔のままの自然が残されているところです。この地域にしかいない独特の貝や昆虫、植物もあり、スナメリの生息地としても知られています。
半島の先端の向こう側には祝島があります。小さな島ですが、この島の人々の反対運動によって40年間も原発建設を阻んできました。半島先端の海域は、この島の人々が漁業権を持っているところで、原発ができてこの海域が汚染されるということは島の人が生きて行く術を失うことだからです。ところが、祝島漁協を含む広域の漁協連合会が、多数決でこの漁場の漁業権放棄を決めてしまいました。当事者の意向を無視しての暴挙ですし、決議した「漁民」のかなりは実際には漁業をやっていない名目組合員です。漁民でもない人が、豊かな漁場を破壊することに、わずかな保証金目当てに賛成する・・という、本当に情けないほどに「日本的な」構図が、いまだに息づいているのです。
放射能汚染と放射性廃棄物というつけは、この「偽漁民」の人たちの上にもふりかかることになるのですが、そのころは孫子の代で知ったことではないという感覚なのでしょうか?
ついこの間の山口県知事選で、原発建設に合意している二井知事が再選され、誰もが原発なんかダメとわかっている、この時代に、原発建設にむけ工事がはじまろうとしています。いきなり中国電力が倒産するとか、経済最優先の外資(そうすれば原発なんかに投資はしません)に買い取られるとか、そんな神風は吹かないものかと思います。
午後の劣化ウラン問題での国際交流会では、久しぶりに鎌仲ひとみ監督に会いました。いきなり頼みごとをされました。九州でタケチップを作り、タケボイラーで熱供給をする仕組みを開発した会社があるが商業生産になってなくて、それを事業化できるよう手伝って・・みたいな、いつも軽いのりで結局手伝わされてしまうのです。
さて、8月には福田新内閣の発足と衆院選、北京オリンピックと人権問題、グルジアでの内戦の行方、グリーン電力と1億人のグリーンパワーその後・・などなど、課題がめじろ押しです。もう少し、ブログに向かうよう心がけます。

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