駒澤大学「情報言語学研究室」

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「消えて」から「失われて」―川端康成『雪国抄』―

2023-05-01 16:07:08 | 日日昰記録

消えて失われて」川端康成『雪国』

 自筆の墨書き原稿の雪国抄の「消えて」に削除線が引かれ、その下に「失われて」と書き改めたことば表現部分に着目した。(パワーポイント資料8枚目のスライド・12行目)

「色を失う」という表現には『衝撃を受けて、顔色が変わる(青ざめる)』ことを意味し、対象は人となる。しかし、この文章では、対象が人ではなく、窓ガラス越しに見る風景に用いている。 前の行で、「消えて」という表現を使っていて、同じ言葉を使うことを避けるために「失われて」に書き換えたということも考えられるのだが、作者にとって、この風景がどこか身近で、特別なものであったため、この「失われて」という表現方法をとったのではないかと推考した。

○遙かの山の空は、まだ夕焼の色がほのかだつたから、窓ガラス越しに見る風景は遠くの方までものの形が消えてはゐなかつた。しかし色はもう消えて失はれてしまつてゐて、どこまで行つても平凡な野山の姿が尚更平凡に見え、なにものも際立つて注意を惹きやうがないゆゑに、反つてなにかほうつと大きい感情の流れであつた。


げつよ【月夜】兎の肉名〔報告書から〕

2023-05-01 15:16:39 | 日日昰記録

「月夜」の読み方

    げつよ【月夜】

「肉に花の名前」ことば探しの旅

③兎肉
•月夜(げつよ)→庶民は食用に関する禁忌ではなかったが、仏教徒(僧侶など)は別であり、ひそかに僧侶たちが兎肉を肉食するようになり、月の兎とのつながりから「月夜」と呼ぶようになった。
{補足}
 日本ではウサギを「一羽、二羽・・・・・・」と数えるが、これは獣肉食を禁じられていた仏教徒が密かにウサギ肉を食べるためにウサギを鳥として扱っていたことに由来しているとされている。
引用ホームページ↓http://www.worldfolksong.com/calendar/japan/meat-another-name.html
世界の民謡・童謡>年中行事・季節のイベント>日本文化の意味・由来

僧侶もひそかに肉食をするようになり、特にウサギは鳥と同様の扱いになって、『嘉元記』の一三六一(正平一六/康安元)年の饗宴記録にもウサギ肉について記載されている。〈引用:ウィキペディアより〉

 日本ではウサギ類を「一羽二羽・・・・・・」と数えるが、これは獣肉食を禁じられていた仏教徒が密かにウサギ肉を食べるためにウサギを鳥として扱っていたことに由来している。
 ちなみに、ネットで検索すると、ウサギの肉を「月夜(げつよ)」と呼ぶことがあるようだ。月のウサギつながりだが、いつ頃からこの呼び方が始まったのか、古い文献や歴史書に記載があるのかどうか等、詳細は不明

評価寸言
「さくら」「ぼたん」「もみじ」などのように読み方を添えておくと良いのではないでしょうか。唯一、動物名「うさぎ【兎】」を「げつよ【月夜】」としたことを評価します。
 ただし、この「げつよ」の読み方について、あなた自身の調査結果の言及が一切なされていないのが補正すべき所でしょうか。なぜならば、標記語「月夜」は「つくよ」、「つきよ」、「ゲツヤ」の読み方は、小学館『日本国語大辞典』第二版に所載されていますが、この「げつよ」という読み方は国語辞典の見出語には未記載の語だからです。それ故、「げつよ」の読み方について検証し、報告いただければよろしいと考えます。萩原義雄識

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
つき-よ【月夜】
〔名〕(1)月や月の光。また、月のあかるい夜。月の照りわたった夜。あるいは月の光に照らし出された夜の景色なども含めていう。つくよ。*古今和歌集〔九〇五(延喜五)~九一四(延喜一四)〕恋四・六九二「月夜よしよよしと人につげやらばこてふににたりまたずしもあらず〈よみ人しらず〉」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕楼上下「夜いたう更けたる月よの遙かに澄みたるに」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「弟子どもにあはめられて、月夜に出でて、行道するものは、遣水に倒れ入りにけり」*天草本平家物語〔一五九二(文禄元)〕一・一二「Tçuqiyo(ツキヨ)、ヤミ ノ ヨ ノ カワリ ユク ヲ ミテ、サンジュウ ニチ ヲ ワキマエ」*人情本・春色梅児誉美〔一八三二(天保三)~三三〕初・四齣「されど月夜(ヨ)にぞっとする、素顔の意気な中年増」*吾輩は猫である〔一九〇五(明治三八)~〇六〕〈夏目漱石〉一一「ランプはいつの間にか消えて居るが、月夜(ツキヨ)と思はれて窓から影がさす」(2)特に、秋の明月の夜。また、秋の月。《季・秋》*俳諧・武蔵曲〔一六八二(天和二)〕秋「闇の夜は吉原ばかり月夜哉〈其角〉」*山廬集〔一九三二(昭和七)〕〈飯田蛇笏〉大正二年「砧一つ小夜中山の月夜かな」(3)飯鮨(いいずし)をいう女房詞。*御湯殿上日記‐延宝四年〔一六七六(延宝四)〕三月一六日「にし本くゎん寺より藤のはな、月夜しん上」*女重宝記(元祿五年)〔一六九二(元禄五)〕一・五「いひずしは、月(ツキ)よ」*譬喩尽〔一七八六(天明六)〕三「月夜(ツキヨ)とは掬飯(にぎりめし)をいへり」【補注】上代の用例は「つきよ」と読む確例がないので、「つくよ」の項にまとめた。【発音】〈なまり〉ツッキョ〔福島・紀州〕ツッキヨ〔福島・播磨・鳥取〕〈標ア〉[キ]〈京ア〉[ツ]【辞書】日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【月夜】書言・ヘボン・言海
げつ-や【月夜】〔名〕月の照り輝いている夜。つきよ。*懐風藻〔七五一〕「月夜坐二河浜一〈葛井広成〉」*凌雲集〔八一四(弘仁五)〕河陽駅経宿有懐京邑〈嵯峨天皇〉「河陽亭子経二数宿一、月夜松風悩二旅人一」*海潮音〔一九〇五(明治三八)〕〈上田敏訳〉象「あるは月夜(ゲツヤ)の清光に白みしからだ、うちのばし」*廃園〔一九〇九(明治四二)〕〈三木露風〉廃園・月夜の悲しみ「うるはしく黒き馬車ただひとつ 都はづれの近郊の月夜(ゲツヤ)の路を」*旧唐書-銭徽伝「常於二客舎一、月夜独吟」【発音】〈標ア〉[ゲ]【辞書】ヘボン・言海【表記】【月夜】ヘボン・言海
つく-よ【月夜】〔名〕「つきよ(月夜)(1)」に同じ。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕雄略九年七月(前田本訓)「伯孫女児(をのこ)を産(うまは)りせりと聞きて往きて聟(むこ)の家を賀(よろこ)ひて月夜(ツクよ)に蓬蔂(いちひこ)の丘の誉田(おふた)の陵(みささき)の下に還る」*万葉集〔八C後〕一八・四〇五四「ほととぎすこよ鳴き渡れ燈火(ともしび)を都久欲(ツクヨ)になそへその影も見む〈大伴家持〉」*万葉集〔八C後〕二〇・四四八九「うちなびく春を近みかぬばたまの今夜(こよひ)の都久欲(ツクヨ)霞みたるらむ〈甘南備伊香〉」【発音】〈標ア〉[ク]【上代特殊仮名遣い】ツクヨ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】言海【表記】【月夜】言海

『日本方言大辞典』
けっちゃ【月夜】(「げつや」の転)月夜。山形県庄内139


ゲッカビジン【月下美人】花語彙

2023-05-01 15:00:14 | 日日昰記録

jk1234萩原義雄

「げっかびじん【月下美人】」歳時記のことば

 「月下氷人」を字音読みした語例では、太宰治『人間失格』〔一九四八(昭和二三)〕第三の手記「自分の更生の大恩人か、月下氷人のやうに振舞ひ」と見えている。この意味は、「縁結び」=仲人の意です。古くは平安時代末の『梁塵秘抄』日本古典文学全集〔306頁〕に、
  449 月も月立つ月ごとに若きかなつくづく老いをするわが身何(なに)なるらむ
 その頭注記に、「婚姻の仲介を業とする女か。㈡未詳。→398注。㈣近江の野路の玉川とする説があるが、未詳。㈤中国の故事にも「月下氷人」「月下翁」などの語があって、結婚と月との関係は深い。」と記載している。
 では、花の名前として「月下氷人」〈a matchmaker; a go-between〉ならぬ「月下美人」〈a Queen of the Night〉の名として、いつどのように命名されたのか?先ず、此の花の原産地がメキシコで、西欧を交いして日本国に近代明治時代に渡来したサボテン科の多年草。クジャクサボテンの仲間で、茎は平たく、葉状。夏の夜、白色で香りのある大花を開き、夜七時ころから開き始め、朝までにはしぼむ。別名「白孔雀。学名はEpiphyllum oxypetalum」と云います。山口誓子『方位』〔一九六七(昭和四二)年〕に昭和三三年刋「今宵咲き月下美人の今宵萎ゆ」という句が知られる。「ヒャウジン」と「ビジン」の聲音が近いこともあってか、此の花が白く優雅で芳香性も加味されて「月下」+「美人」と合成語化されたと見ている。また、花が閉じた後は、天ぷらやおひたしなどにして食べることができ。渡来当時から薬膳花としても利用されていたようで、今も台湾では薬膳料理として食している。

【鑑賞寸言】昨夜から今朝にかけて家で育ててきている「月下美人」の花が咲き始め、朝方萎んだと駒澤大学日曜公開講座ランニング健康教室〈今季中止〉の生徒さん三條正人さんから写真付きでいただいた。これを機に此の花について書きとめてみたものである。リモート講義演習で取り上げた牧野富太郎『原色牧野植物大圖鑑』に、仙人掌科の「月下美人」について紹介されています。この時季ということもあり、執り上げさせていただいている。この最後に書いたのだが薬膳の花ということであり、免疫力を高めていくとき、少しでも参考になればという思いもあって紹介しました。萩原義雄識
◆牧野富太郎植物館では、このような催しの記事がありましたので取り込んで紹介しておきます。 

人にもいろいろな性格の人がいるように、植物にもいろんな暮らしぶりがあります。植物はおしべの花粉が他の花のめしべに到達して子供を授かるんです。赤ちゃんとしての種を授かるんです。夜咲く花は夜活動する昆虫に受粉を手伝ってもらうために夜に花を咲かせるんです。
 虫を呼ぶためいい香りを放つ植物もあります。で、だいたい夜目立つように白い花が多いです。ツキミソウ・カラスウリ・月下美人やパラグアイオニバスなどどの花も幻想的です。それらの花をガイドが案内していきます。20日(土)27日(土)にやります。
高知県立牧野植物園学芸職員展示デザイナーの里見和彦さん「夏のイベント 夜の植物園」より所収。

 


ゑつ【鱭魚】魚名

2023-05-01 14:43:27 | 日日昰記録

魚名:えつ【鮆魚】

九州有明の魚、五月から六月の川漁で知られるという魚名「えつ」について、本日(2015年5月26日)のNHKの朝一で実況中継しつつ地元から取り上げ ていた。刺身としていただくための調理法では骨が多いので骨切りの庖丁さばきで三〇〇箇所くらい細かに庖丁を入れていくのは印象的であった。
国語辞典では、近代の国語辞典である大槻文彦編『言海』を所載初出とする魚名でもある。
 そこで、『言海』を繙いてみるに、

ゑつ〔名〕【鱭魚】魚の名、筑後、肥前、の海に産ず、後に川に上ること、鮎の如し、一年にて死す、大なるは一二尺、體、銀色にして、狹く長く、刀刃の如し、背の方、少し厚く、腹の方、漸く薄く、首より次第に狹くして、尾尖る、上唇の堅骨、兩吻に餘りて出で、左右の鰭、皆細そく分れて麥の芒の如し。〔第三巻ゑ四左~五右685頁〕

と記載する。「海から川へ上ることは鮎(あゆ)と同じで、一年にて死す」という指摘は、小学館『日国』の意味説明には見えない。ただし、大槻文彦が引用した江戸時代の『重訂本草綱目啓蒙』〔一八四七(弘化四)〕四〇・魚「身魚、ゑつ、うばゑつ 筑後小者〈略〉ゑつは筑後柳川及肥前寺江〈今は寺井と云〉にあり。海より河にのぼるもの故に河海の間にて取る。香魚(あゆ)のごとく一年にして死す」を用例として示すことでこの意義説明の文解説が生まれていることを示唆するに留まっている。
となれば、小野蘭山口授、岡部長慎(おかべながちか)(和泉岸和田藩主)復刊『重訂本草綱目啓蒙』の引用箇所についてこの魚について最初の説明を記述した資料と云う事から検証しておく必要がある。『本草綱目』の注記に負うこと大ということか。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
えつ【鱭魚】〔名〕カタクチイワシ科の魚。全長二〇〜三〇センチメートル。体の背部は青く、腹部は銀白色。尾部が細長く延長し、しりびれは尾びれに連なる。日本では有明海とそれに注ぐ川にすむ。また、中国大陸の沿岸汽水域にも生息する。四〜六月頃、産卵のため川をさかのぼる。初夏に美味とされる。学名はCoilia nasus*重訂本草綱目啓蒙〔一八四七(弘化四)〕四〇・魚「鱭魚、ゑつ、うばゑつ 筑後小者〈略〉ゑつは筑後柳川及肥前寺江〈今は寺井と云〉にあり。海より河にのぼるもの故に河海の間にて取る。香魚(あゆ)のごとく一年にして死す」【語源説】ヱツボの略〔名言通〕。【発音】〈標ア〉[エ]【辞書】言海【表記】【鱭魚】言海
『康煕字典』[広韻]徂礼切[集韻]在礼切並音薺与漉同。
『大漢和辞典』46570番 12巻 776頁 『玉篇』音「シ・セイ」訓「えつ すざかな つけうお みじか・い」
『日本百科全書』
etsuえつJapanese tapertail anchovy [学]Coilia nasus硬骨魚綱ニシン目カタクチイワシ科に属する海水魚。南日本、朝鮮半島、東シナ海に分布し、日本では九州の有明(ありあけ)海の湾奥部と、これに注ぐ河川の下流部に生息する。体は著しく側扁(そくへん)し、尾部は細長く、全長二〇〜三〇センチメートルになる。外形はアシの葉に似ており、朝鮮半島では「葦魚」、中国では「刀魚」と書く。体の腹縁は鋭く、ここに稜鱗(りようりん)を備え、このほかの部位の鱗(うろこ)は大形の円鱗で、剥(は)がれやすく、上あごの前骨は長くて鰓蓋(さいがい)の後方に達している。体の背側は暗青色、側面および腹面は銀白色である。成魚は六〜七月ごろに主として九州の筑後(ちくご)川を遡上(そじよう)し、河口から約15キロメートル上流の城島(じようじま)付 近を中心に産卵が行われる。卵は直径一ミリメートルぐらいで、川底に沈下する。しかし、粘着力がないので潮の干満の影響を受け、川の流れとともに上げ下げ を繰り返し、すこしずつ川を下りながら孵化(ふか)する。成魚の漁獲はこの地方の風物詩で、流し網や刺網でとる。これが季節の魚として賞味される筑後川名 物のエツ料理で、てんぷら、塩焼き、煮つけ、刺身などにされ美味である。筑後川の産地には、弘法(こうぼう)大師が諸国行脚(あんぎや)の途中、川を渡れずに困っていたとき、親切な漁師に助けられ、そのお礼に、岸辺のアシをむしって川に投げたらエツに変身したという伝説が残っている。[浅見忠彦]
『本草綱目』巻二十四「鱭魚」音劑○食療
釋名 鮆魚音剤鮤魚音列雛刀音暸魛魚音刀鰽魚廣韻音遒亦作魛望魚【時珍曰】魚形如剤物裂暸之刀故有諸名魏武食制謂之望魚集解時珍曰鱭生江湖中常以三月始出狀狹而長薄如削木片亦如長薄尖刀形細鱗白色吻上有二硬鬚腮下有長鬣如麥芒腹下有硬角刺快利若刀腹後近尾有短鬣肉中多細刺煎炙或作鮓鱐食皆美烹煮不如淮南子云鮆魚飲而不食鱣鮪食而不飲又異物志云鰽魚初夏從海中泝流而上長尺餘腹下如刀肉中細骨如毛云是鰽烏所化故腹内尚有鳥耕二枚其鳥白色如鷖羣飛至夏鳥藏魚出變化無疑然今鱭魚亦自生子未必盡鳥化也
肉(氣味)甘温無毒(詵曰)發疥不可多食源曰助火動痰發疾

かなきりごゑ【金切聲】―川端康成『雪国抄』―

2023-05-01 12:30:04 | 日日昰記録

かなきりごゑ【金切聲】川端康成著『雪国抄』
 『伊豆の踊子』〔一九二六(昭和元)年刊〕第二章で、「女の金切声(カナキリゴヱ)が時々稲妻のやうに闇夜に鋭く通った」と稲妻の音のようにと比喩し用いている。そして、ここでも女の声であった。

○しかし宿屋中に響き渡るにちがひない金切聲だつたから、當惑して立ち上ると、女は障子紙に指をつつこんで棧をつかみ、そのまま島村の體へぐらりと倒れた。
  
 「金切り声」の語用例の文探し
○ざわめき、饒舌り、罵りあい、大げさな表情と三角の髯がフェルトの上履きのままおもてを歩き、灯の明るい酒場から呶鳴るバリトンが洩れ、それに縋って金切り声のソプラノが絡み〔谷譲次(著)『踊る地平線』:06「ノウトルダムの妖怪」 (新字新仮名)〕

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
かなきり-ごえ[‥ごゑ]【金切声】〔名〕(「かなぎりごえ」とも)金属を切るとき出る音のように鋭くかん高い声。黄色い声。*洒落本・郭中掃除雑編〔一七七七(安永六)〕「百会から出るやうな金ぎり声でいけぬめりやす」*人情本・恩愛二葉草〔一八三四(天保五)〕初・二章「折柄長松が金切り声、『ハイ、若旦那様え、お駕籠が参りました』」*伊豆の踊子〔一九二六(昭和元)〕〈川端康成〉二「女の金切声(カナキリゴヱ)が時々稲妻のやうに闇夜に鋭く通った」【発音】カナキリゴエ〈標ア〉[コ゜]〈京ア〉[ゴ]【辞書】

『言海』
[親見出し]きいろ-・い【黄色】→「きいろい 声(こえ)」甲(かん)高い声。甲ばしった声。黄色な声。きいな声。*安愚楽鍋〔一八七一(明治四)〜七二〕〈仮名垣魯文〉初「つれとふたりさしつおさへつのみかけ目のふちをあかくして、きいろいこゑをたかてうし」*坊っちゃん〔一九〇六(明治三九)〕〈夏目漱石〉八「野だでなくては、あんな黄色い声を出して、こんな芸人じみた下駄を穿くものはない」