駒澤大学「情報言語学研究室」

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リンヱ【輪廻】→「リンクワイ」「リンネ」

2023-11-20 13:51:47 | 日記
2012.04.11~2023/11/20 更新
リンヱ【輪廻】
                             萩原義雄識

0224-46「輪廻(リンヱ)」(069-2012.04.11)⇒「廻文歌」(069-2000.084.09)
 室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「利」部に、
 輪廻(リンエ) 。〔元亀二年本・利部七一5〕
 輪廻(リンエ) 。〔静嘉堂本・利部八六6〕
 輪廽(  ヱ) 。〔天正十七年本・利部上四三オ1〕
 輪廽 。〔西來寺(天正十五年)本一三〇頁1〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みは上記の如く諸本それぞれやや異なっているが訓みを「リンヱ」とし、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』二月廿四日返状に、
和歌者雖仰人丸赤人古風未究長歌短哥旋頭混本折句沓冠風情輪廻傍題打越落題之躰詩聯句者乍汲菅家江家之舊流忘序表賦題傍絶韻聲質如猿猴之似人。〔至徳三年本〕
和哥者雖仰人丸赤人之古風未究長哥短哥旋頭混本折句沓冠風情輪廻傍題打越落題之躰。詩聯句者乍汲菅家江家之舊流更忘序表賦題傍絶韻聲之資([質])。頗如猿猴之似人。〔宝徳三年本〕
和歌者雖仰人丸赤人古風未究長歌短哥旋頭混本折句沓冠之風情輪廻傍題打越落題之躰。詩聯句者乍汲菅家江家之旧流更忘序表賦題傍絶韻聲之質。頗如猿猴之似人。〔建部傳内本〕
倭歌者(ハ)雖仰クト人丸赤人之(ノ)古風ヲ未タス長歌短哥旋頭混本折句沓冠之(ノ)風情輪廻傍題打越落題之(ノ)躰ヲ詩聯句者(ハ)乍ラ菅家江家之(ノ)舊流ヲ更ニ忘ル序表賦題傍絶韻聲之(ノ)質(スカタ)ヲ。頗ル如ク猿猴(エンコウ)ノ似タルガ人ニ。〔山田俊雄藏本〕
和歌者(ハ)雖モ仰グト人丸赤人之古風ヲ究メ長歌短歌旋頭混本折句沓冠風情輪廻傍題打越落題之躰ヲ詩聯句者(ハ)乍ラ汲ミ菅家江家之旧流ヲ更ニ忘ル序表賦題傍絶韵聲之質(スカタ)ヲ。頗ル如シ猿猴ノ似タルガ人ニ。〔経覺筆本〕
和歌(ワカ)者(ハ)雖(イヘトモ)仰(アヲク)ト人丸(ヒトマル)赤人(アカヒト)之(ノ)古風(コフウ)ニ未(イマタ)ス究(キワメ)長歌(チヤウカ)短哥(タンカ)旋頭(せントウ)混本(コンホン)折句(ヲリク)沓(クツカムリ)冠(カンムリ)之(ノ)風情(フせイ)輪廻(リンエ)傍題(ハウタイ)打越(ウチコシ)落題(ラクタイ)之(ノ)躰(テイ)ヲ詩(シ)聯(レン)句(ク)者(ハ)乍(ナカラ)レ汲(クミ)菅家(カンケ)江家(カウケ)之(ノ)旧流(キウリウ)ヲ更(サラ)ニ忘(ワス)ル序表(シヨヘヨウ)賦題(フタイ)傍絶(ハウせツ)韻聲(インシヤウ)ノ質(スカタ)ヲ。頗(スコフ)ル如(コト)シ猿猴(エンコウ)之(ノ)似(ニタル)カ乍(ナカラ)人(ヒト)ニ。〔文明十四年本〕
と見え、標記語「輪廻」に、訓みは文明十四年本に「輪廻(リンエ)」と記載する。
 古辞書では、院政時代の三卷本『色葉字類抄』(一一七七-八一年)・鎌倉時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「輪廻」の語を未収載にする。仏教語「輪廻」の語としての所載は、降って室町時代以降を俟たねばならない。次に示す。
 古辞書、『下學集』〔(一四四四年成立・元和三年(一六一七年)版)〕に、
 輪回(リンエ)〔元和本疊字門一五九頁1〕
とあって、「輪廻」の語を収載する。
 増刊『下學集』(文明頃、飛鳥井榮雅編)に、
 輪廽(リンエ) 。〔利部・言語門十九ウ6〕
とあって、「輪廻」の語を収載する。
 広本『節用集』(一四七六(文明六)年頃成立)には、
 (リン)()[平軽]マワス、クワイ・メグル 。〔利部・態藝門一九八頁6〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みは「リンヱ」と記載する。
 印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・堯空本・両足院本『節用集』に、
 輪廽(リンエ) 。〔弘治二年本・五八3〕
 輪廽(リンエ) 。〔永祿二年本・五九2〕
 輪廽 。〔堯空二年本・五三7〕
 輪廽(リンヱ) 。〔両足院本・六一8〕
とあって、標記語「輪廽」「輪廻」の語を収載する。
 次に易林本『節用集』に、
 輪轉(リンテン) 。輪廻( ヱ) 。輪番(バン) 。〔利部・言語門五七5〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載する。
 饅頭屋本『節用集』に、
 輪廽(リンエ) 。〔利部・雜用門九ウ4〕
とあって、標記語「輪廽」の語を収載する。
 江戸時代の『書言字考節用集』に、
 輪囘(リンエ) 生―。死―。〔平楽寺板六八九頁7・10-51-5〕
とあって、標記語「輪囘」の語を収載し、訓みを「リンエ」とし、語注記には「生―。死―」とだけ記載して仏教語本意の注記内容と見て取れる。
 このように上記、当代(室町時代)の古辞書においては、『下學集』、広本『節用集』、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・堯空本『節用集』、易林本『節用集』『運歩色葉集』には、標記語「輪廻」の語を収載する。だが、語注記の内容としては、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見える「輪廻」の註記文の内容は引用哥の表記と末部「此ノ躰ノ事也」と「杜若を句の上に置き讀み給ふなり」とあって、連歌俳諧の専門用語に用いる特異な注記内容として記述することがあるに過ぎない。此れが上記、古辞書類の標記語の訓みだけを記載する内容と果たして合意するものかは明らかにできない。そして、江戸時代の『書言字考節用集』の注記は、仏教語の本意に繋がる「生―。死―。」にのみ伝えてるという意義のギャップを此を以て知らねばなるまい。
 真名本『庭訓徃來註』二月廿四日返状に、
 069 輪廻 哥ニ云、長キ夜ノ十ノ眠(ネムリ)ノ皆目醒波乗リ舟ノ音トノ善哉。此ノ哥ハ順逆ニ読哥也。云々。〔謙堂文庫藏十一右2〕
※静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來抄』には、「輪廽(クワイ)」とし、その頭冠書込みには「△輪廽ノ哥ニ云ク、キシヒコソマツカミキワニコトノネノトコニハキミカツマソコヒシキ」と記載し、尾沓書込みには「●輪廻/おしめどもついにいつもと行春ハくゆともついにいつもとめじをいふこと也」と記載する。
とあって、標記語「輪廻」とし、訓みは漢音「リンクワイ」、語注記は「哥に云く、長き夜の十の眠(ネムリ)の皆目醒め波乗り舟の音(おと)の善き哉。此の哥は順逆に読む哥なり。云々」と記載する。
 古版『庭訓徃来註』では、
 輪廻(リンエ)ハ前ニ有事也。〔上8オ五〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みは「リンエ」と記載し、語注記は「前に有る事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年〔一八〇〇〕版)に、
未(いま)だ長歌(ちやうか)短哥(たんか)旋頭(せんどう)混本(こんぼん)折句(をりく)沓冠(くつかむり)之(の)風情(ふぜい)輪廻(りんゑ)傍題(ほうだい)打越(うちこし)落題(らくだい)之(の)躰(てい)を究(きわ)め未(ず)/未タ究長歌。短歌。旋頭。混本。折句。沓冠。之風情。輪廻。傍題。打越。落題。之躰。是は皆和歌乃よみ方ときすとなり。風情と云躰と云ミなそのすかたなり。〔9ウ四~七〕
とあって、この標記語「輪廻」の語を収載し、訓みを「りんゑ」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
 和哥(わか)者(ハ)、雖仰人丸(ひとまる)赤人(あかひと)之(の)古風(こふう)を仰(あふ)ぐと雖(いへども)、長歌(ちやうか)短哥(たんか)旋頭(せんどう)混本(こんぼん)折句(をりく)沓冠(くつかむり)之(の)風情(ふぜい)輪廻(りんゑ)傍題(ほうだい)打越(うちこし)落題(らくだい)之(の)體(てい)を/和哥者。雖レ仰人丸。赤人。之古風。長歌。短歌。旋頭。混本。折句。沓冠。之風情。輪廻。傍題。打越。落題之躰。▲輪廻ハ廻文(くわいぶん)ともいふさかさまによみても同(おなじ)き哥なり。√仁和帝(にんわてい)の合薫(あハせたきもの)すといふことを詠み給ふ御哥√あふさかも(六)は(二)てハゆきゝのせきもいず(八)た(四)つねてとひし(九)き(五)みハかへさじ(十)。
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みを「りんゑ」とし、語注記は、「輪廻ハ廻文(くわいぶん)ともいふさかさまによみても同(おなじ)き哥なり。√仁和帝(にんわてい)の合薫(あハせたきもの)すといふことを詠み給ふ御哥√あふさかも(六)は(二)てハゆきゝのせきもいず(八)た(四)つねてとひし(九)き(五)みハかへさじ(十)。」と記載していて、連歌俳諧の「廻文」との聯関性について記述する。『庭訓往来』での「輪廻」に関わる注解では、凡て仏教語本来の意義とはかけ離れた連歌俳諧の用語説明が主流とし、仏教語「輪廻」とは異なるものへと展開してきている。
 こうしたなか、『日葡辞書』(一六〇三-〇四年成立)には、
 Rinye.リンエ(輪廻)Vauo meguru.(輪を廻る)すなわち、Mayo>.(迷ふ)さまざまな転生や変身の一続きの輪をたどりつつ、霊の救われる道を迷い歩く。ただし普通には、人がすでに忘れていなければならなかった事とかについて、繰り返し同じ事を言う意。例、Rinye xita cotouo yu<.(輪廻した事を言ふ)他人の感情を害したりしないためにだまっていなければならなかった事を、再び繰り返して言う。〔邦訳五三四頁l〕
とあって、標記語「りんゑ【輪廻】」の語を収載し意味は「(輪を廻る)すなわち、Mayo>.(迷ふ)さまざまな転生や変身の一続きの輪をたどりつつ、霊の救われる道を迷い歩く。ただし普通には、人がすでに忘れていなければならなかった事とかについて、繰り返し同じ事を言う意」とあって、本来の仏教語として意味を伝え記載し、連歌俳諧用語としての「輪廻」については一切触れずじまいにある。彼らが本邦の『庭訓往来』ついて読み解くことを避けてきたとは到底思えないのだが、この語への取扱いについては、稍その編纂姿勢が違い、通俗語性を重視していて、「(輪廻した事を言ふ)他人の感情を害したりしないためにだまっていなければならなかった事を、再び繰り返して言う」とし、置換語でいえば、「愚痴(グチ)」となる語意を記載する。

 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
りん-ゑリンネ〔名〕【輪廻】(一)衆生の、無始以來、六道の生死に旋轉すること、車輪の轉じて、窮りなきが如きを云ふ。るてんりんゑ(流轉輪廻)の條を見よ。法華經、方便品「以諸欲因縁、墜階三惡道六趣中、備受諸苦毒」榮花物語三十、鶴林「天上の樂しみも、五衰早く來り、乃至、有頂も輪廻期なし」雜體(二)未練がましきこと。執着心の深きこと。薩摩歌(元禄、近松作)中「過にしことを輪廻深く、言ふ氣はさらさら無いものを、云云」(三)和歌のくヮいぶん(廻文)に同じ。庭訓徃來、二月輪廻、傍題、打越、落題之體」〔4-819-2〕
とあって、標記語「りん-ゑ【輪廻】」の語を収載する。
 現代の『日本国語大辞典』第二版に、
りん-え[:ヱ]【輪廻】〔名〕→りんね(輪廻)
りん-ね[:ヱ]【輪廻】〔名〕({梵}sam.sa-raの訳語「りんえ」の連声)①仏語。回転する車輪が何度でも同じ場所に戻るように、衆生が三界六道の迷いの世界に生死を繰り返すこと。*文華秀麗集〔八一八〕中・答澄公奉献詩〈嵯峨天皇〉「頼有護持力、定知絶輪廻」*観智院本三宝絵詞〔九八四〕下「その子ひじりにあらず、神通なければ輪廻すらむをも見ずしてゆくべき事かたし」*宇津保物語〔九七〇~九九九頃〕俊蔭「輪廻しつる一人がはらに八生やどり、二千人がはらにおのおの五八生やどるべし」*苔の衣〔一二七一頃〕三「いづることなく、りんゑのきづなにまとはれて」*浮世草子・諸国心中女〔一六八六〕三・四「男女婬楽互(たかひに)抱臭骸(くさきかばねをいだく)と囀(さべ)りをきてきたなき物の最上とす。子をまうけて愛心を動かし親と成てはむつかしと嫌はれ旅途に出ては古郷を案じ戦場にして妻子に輪廻(リンエ)し」*心地観経ー三「有情輪廻、生六道、猶如車輪無終始」②同じことを繰り返すこと。*日葡辞書〔一六〇三~〇四〕「Rinye(リンエ)シタ コトヲ ユウ〈訳〉口にしてはならなかった、人の心を傷つけるようなことをくりかえし言う」③執念深くすること。執着心の強いこと。未練がましいこと。*浄瑠璃・出世景清〔一六八五〕二「十蔵たもとをふりきって、ゑゑりんゑしたる女かな。そこのけとつきのけて」*浄瑠璃・艷容女舞衣(三勝半七)〔一七七二〕下「お気に入らぬとしりながら、未練な私が輪廻(リンヱ)ゆへ」④連歌・俳諧の付合で、三句目に同意・同想の語や意味を繰り返すこと。去嫌(さりきらい)の一つで、数句隔てて反復する遠輪廻とともに、変化を尊ぶ文芸として忌み嫌われる。*異制庭訓往来〔一四C中〕「連歌者如漢聯句〈略〉号花下新式、定輪回傍題韵字」*連理秘抄〔一三四九〕「一、輪廻、薫物といふ句にこがると付きて、又紅葉を付くべからず。舟にてはこれを付くべし。こがると云ふ字かはる故なり」⑤一八九九年、アメリカの自然地理学者デービスの提唱した地形の変化についての概念。侵食輪廻や堆積輪廻など、地学現象が一定の順序で繰り返すという。【発音】〈標ア〉於[リ]〈京ア〉[リ]【辞書】下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【輪廽】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本【輪囘】下学・書言【輪廻】易林【輪回】ヘボン
とあって、標記語「りん-え【輪廻】」の語を収載し、見出し語「りんえ(ゑ)【輪廻】」の単独立項用例とはせずに此の「りんね【輪廻】」に統括するものとなっている。また、『庭訓徃來』の語用例も『異制庭訓往来』『連理秘抄』に譲り、収載を見ないものとしている。慥かに、④の意での説明はあるが、国語辞典の意味説明として読み理会するには稍高尚の説明となりすぎていると吾人は考える。むしろ、大槻文彦編『大言海』の(三)「和歌のくヮいぶん(廻文)に同じ」とする意味説明の方が惑わずにその意義に到達できるのではと考えている。

 まとめ
いま、此の室町時代全般に亘って、連歌俳諧の語研究として、此の「輪廻」について見定めていかねばならないとき、当代の往来物資料で、仮に、⑴過去の「輪廻」、⑵現在の「輪廻」、⑶未来の「輪廻」として時代の軸を室町時代に設定し、此の語を見定めようとしたとき、⑴は、当然仏教語本来の意味を云うことになり、「生と死」の観点からそのことを理会し得てこそ、⑵室町時代に連歌俳諧の「輪廻」という轉想が具現化されはじめ、室町時代の古辞書『下學集』『節用集』へ標記語と訓み「リンヱ」だけを記載することで、⑴と⑵の意味を共に認知できる知己者集団が誕生していたとみたい。そのなかにあって、印度本系の一種『和漢通用集』(標記語漢字、付訓ひらがなで表記)を引くことがその展開を繙くカギとなる。
 ○輪廻(りんゑ) 愚痴(ぐち) 〔一〇一頁7上〕
とあって、上記に示してきた古辞書類とは異なる語注記「愚痴(ぐち)」と記載している点にある。此語ももとは仏教語であるものの、此の時代「愚痴」は、小学館『日国』第二版の「(2)言っても仕方のないことをくどくどと嘆くこと。言ってもかえらぬこと、益のないことを言うこと。泣き言。*仮名草子・小さかづき〔一六七二(寛文一二)〕四・六「貪瞋痴の三毒といふは、是地獄のたねの第一也〈略〉痴は愚痴とて、かへらざる事をくやみ叶はざる事をおもふ事也」」とある意としている。こうした通俗語解釈があって、そうしたなかで、『庭訓往来』二月二四日に返状や『異制庭訓往来』『連理秘抄』の「輪廻」の語が意義派生していると推定される。同じ頃の末に、キリシタン資料『日葡辞書』が⑴にのみ言及していたことも注意せねばなるまいが、今は深く言及しない。むしろ、往来物資料の寺子屋教科書として普及を見る『庭訓往来』そのものに焦点をおいてみてきたことへの研究結果報告に基づいてまとめておくことになる。 「風情」と「輪廻」との間
 ⑴国会図書館所蔵甲本『庭訓往来』二月廿四日に返状
連歌者雖無常寂忍之舊徹ヲ未弁下
※十二字を記載保有する。
 ⑵静嘉堂松井文庫所蔵(小宮山氏旧蔵)松井甲本
此本二月返事ノ内ニ折句沓冠之風情ト輪廻傍題トノ間ニ連歌者雖學無常寂忍之舊徹トイフ十二字アリ。諸本ニ曾テミサル所ナリ。二月文章ニ連歌宗匠和歌達者一両輩可有御誘引トアレハ其答アルヘク且輪廻傍題打越落題ハ連歌ノ事ナレハコノ十二字ナクテハ義キコエカタシ。必諸本ニ落タルナリエリ云云
とあって、その上欄小宮山氏書込み注記として、
文藝類纂ニ此句ノ考證アリ。轍ノ字䖝ノ字皆訛リ又徹ノ下不讀不弁ナトノ二字アリシナラント云リ。とする。
⑶国会図書館所蔵乙本『庭訓往来』二月廿四日に返状
芳野自筆書込み
芳野按ニ今本此條ヲ脱せリ。徹ハ誤冩ニテ轍ナルヘシ。且輪字ノ上例ニ據レハ不曉トカ不辨トカアルヘシ。如此珍本他ニ校スヘキナシ。惜シムヘシ。とある。
⑷国会図書館所蔵丙本『庭訓往来』二月廿四日に返状
連歌者䖝((雖))學無常寂忍之舊徹 とある。
⑸内閣文庫本は、⑴に同じ。
「未弁ト」は小書きにする。
という諸本記載書込み部分にも及ぶ。
 斯く「輪廻」の語を読解してきたのだが、『庭訓往来』は、仏教語が離れ、通俗語としての「他人の感情を害したりしないためにだまっていなければならなかった事を、再びくどくどと何遍も繰り返して言う」意へと転じていて、此の内容を習學理会していくなかで、どうけじめづけてきたのかを改めて見つめ直す機会にもなった。
 いま、手塚治虫漫画作品『ブツダ』、『火の鳥』に描かれる「輪廻」は仏教語「輪廻転生」としていて、此の室町時代の文藝創作に関わった連歌俳諧との接点は、AIの技術を活用するなかで改めて新たな方向へ動き出すことになろうとしていることに近似た営みになろうとしている。

【羨者淨法也。非者染心也。淨法能出於輪廻深為利本染法返沉於苦海實可傷嗟諸佛出興大意為此。】

てらつつき【啄木鳥】

2023-11-15 20:23:13 | 日記
2012/10/07~2023/11/15 更新
てらつつき【啄木鳥】
                               萩原義雄識

 室町時代の古辞書である饅頭屋本『節用集』の初版本と増刋本における記載標記語には、全く異なる標記語を収載することに注目せねば成るまい。何故このように、初版と増刋と異なった標記を饅頭屋本は用いたのだろうかという編纂上の改編過程に注目して此の語彙を見ておくことにする。
 啄木鳥(テラツヽキ)。〔初版本・天部生類門59ウ②2〕
 →〓〔列+鳥〕(テラツヽキ)〓(同)。〔増刋本・天部畜類門59ウ②2〕
とあって、初版本では「啄木鳥」の標記語を採用し、和訓「てらつつき」の語を記載している。これを増刋本では「〓〔列+鳥〕(テラツヽキ)〓(同)」とし、単漢字「〓」と「〓」の二語を標記語として収載し和訓は同じく「てらつつき」と記載するようになるのである。この相異は、編纂者がまず、和語「てらつつき」の語に「啄木鳥」の語を示したことに始まる。
 この標記語は、平安時代末の古辞書、三巻本『色葉字類抄』、そして当代の易林本『節用集』にも採録された語となっている。
 次に増刋本で用いた「〓」も同じく三巻本『色葉字類抄』に採録する此の語は、それ以前の平安時代の源順編『倭名類聚鈔』にも用いられている。今その語例を小学館『日国』第二版を補助資料欄を以て示す。その前に輔仁『本草和名』、鎌倉時代の経尊編『名語記』などの語例を参照することができる。
 もう一つ、同で示された「〓」の語については、此の饅頭屋本が所載表記字としては最初のようである。
 そこで、現行の新潮『日本語漢字辞典』〔新潮社刊〕でこの字を繙くと、
 14980【〓〔列+鳥〕】6鳥 17画 レツ漢・レチ呉 意味鳥の名。啄木鳥(きつつき)。〔2521頁上段〕
 15002【〓〔谷+鳥〕】7鳥 18画 ヨク漢・呉 意味「蒼〓(クヨク)」は鳥の名。八哥鳥(はつかてう)。椋鳥(むくどり)の類で、中国南部から東南アジアに分布。他の鳥の鳴き声や人の言葉をまねる。〔2522頁中段〕
と、記載するに留まる。この語における実際の用例は未収載としている。因みに、此の辞典では、「けらつつき・てらつつき」の字用例は、饅頭屋本『節用集』初版の「啄木鳥」〔418頁中段〕にあって、「鳥の一類の総称。鋭いくちばしで木の幹に穴を開け、中にいる虫を食べる。足には鋭い爪(つめ)がある。◇「けらつつき・てらつつき」とも読む。◇「啄木(たくぼく)」ともいう。▼啐啄(そつたく)」と記載し、単漢字「堆」にも此の「啄木鳥」を引くようにみる。そしてやはり、実際の用例は未記載とする。
 この段階で、初版本の標記語が現行での辞典類に採用されていて、むしろ、増刋本の単漢字二語がある意味で特殊な字例ということになっていることは饅頭屋本『節用集』二種別の編纂意識の過程をどうみておくべきか、鳥名を三字熟語表記で表記するより、単漢字で表記することに当代の書記者たちが求めていたのかを知らねばなるまい。この点から連歌資料における魚鳥語句の取り扱いを考察することがその視座と言えよう。金子金治郎「南北朝連歌の一視点」〔広島大学「國語研究」KokugoKyoikuKenkyu_8_91〕に、
賦物にはまた一種の言語遊戯的な興味があった。賦島魚連歌であれば、鳥の名、魚の名をそれぞれ五十も読みこむわけであるが、そうなればありきたりの鳥名・魚名では間に合わない。当然耳馴れないもの、疎ましいものも出てくる。それは俳諸的興味を呼ぶものである。〔※傍線の附記は筆者が記載した〕
といった観点が働いていく結果をここに具現化しているとみては如何であろう。「ありきたりの鳥名・魚名では間に合わない」と高尚していく結果がこの饅頭屋本という古辞書編纂に如実に表出してきたとみる立場に今はある。そのなかで、飛鳥井榮雅編の増刋『下學集』との連関度合いが注目されてくる。このなかで、
 〓(テラツヽキ) 或云啄木。〔天部・畜類門65ウ⑤〕
とあって、標記語「〓」とした此の字例が吾人は饅頭屋本に何らかの影響を与えていたと見てきている。ただし、この語注記内容を丸ごと引用することはなく、「〓」字を配置した点は、上記連歌賦物の影響も反映していると考えている。

 室町時代の古辞書『温故知新書』に、
 〓(テラツヽキ)・鴗(同) 。〔て(梵字)部・中卷オ氣形門オ⑤4/5〕
とあって、これまた標記字を全く他の表記とは異にする。言わば、特異性の表記語例となっている。茲で、このあとに載せた『和歌集心躰抄抽肝要』の二つ目の「〓」字の「虫」扁に旁部「鳥」の単漢字は共通することからも、此の『温故知新書』と何等かの繋がりを有している証しとなっている。
 室町時代末の古辞書『運歩色葉集』
 啄木(テラツヽキ) 。〓(同)。〔元亀二年本・鳥名部370①〕
標記語「啄木」と「〓」の二種を所載し、
 室町時代連歌辞書『和歌集心躰抄抽肝要』に、
 啄木(寺ツヽキ) 。〔287①〕 孫(寺ツヽキ)。〓(同)。〔293⑧〕
とあって、標記語「啄木」「孫・〓」の三語を収載する。
 近世初期誹諧資料『毛吹草』夏部
 ひえ鳥 かし鳥 ましこ 〔列+鳥〕 虫くひ鳥
 つゞミ まめ鳥 ひたき むく鳥
とあって、「〔列+鳥〕」の標記語が用いられている。
 標記語のなかで周圏古辞書から饅頭屋本『節用集』増刋本の「〓〔列+鳥〕」の語はこのなかからは見出せない。
 江戸時代の元禄九年版『反古集』では、
 ・啄木 鳥ノ名也/又表具也
 啄木(タクボク) ダクボク/ダクリボクリ 〔太部諺─上ウ5〕
※字音「タクボク」の他に、「ダグボク」と「ダクリボクリ」の珍しい冠頭濁音表記の読みとする二つの和訓が記載されている。そのうえで、冠頭部には別に注記「鳥ノ名也/又表具也」と記載する。この「ダグボク」「ダクリボクリ」の語は象徴語の副詞となっていて、どのような場面に用いられてきたのかが今後の考察としたい。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
てら-つつき【寺啄】〔名〕鳥「きつつき(啄木鳥)」の異名。《季・秋》*本草和名〔九一八頃〕「喙木頭一名堆一名斵木鳥、和名天良都都歧」十巻本和名抄〔九三四頃〕七「斵木 爾雅集注云斵木一名堆〈音列 天良豆々歧〉好食樹中蠹者也」*梁塵秘抄〔一一七九頃〕二・四句神歌「小鳥の様(やう)かるは、四十雀(から)鶸鳥(めひはどり)燕(つばくらめ)、三十二相足らうたるてらつつき」*色葉字類抄〔一一七七~八一〕「堆 テラツツキ 音列啄木也」*壬二集〔一二三七~四五〕「ふりにける杜の梢にうつりきてあかずがほなるてらつつき哉」*名語記〔一二七五〕一〇「鳥のてらつつき如何。答、寺つつき也。ゆへは、聖徳太子の逆臣守屋を誅罸し給て、守屋が館を没官して、四天王寺を建立し、仏法をひろめ給へりしを、守屋が亡魂そねみて、鳥となりて来て、かの寺をたたき損せむとせし時より、寺つつきとなづけたりと申す」日葡辞書〔一六〇三~〇四〕「Teratçutçuqi(テラツツキ)」*俳諧・誹諧通俗志〔一七一六〕時令・八月「啄木鳥 テラツツキ」【方言】①鳥、きつつき(啄木鳥)。《てらつつき》仙台†058日光†066江戸†058長州†122周防†122青森県三戸郡083南部084岩手県088091097宮城県登米郡115和歌山県那賀郡696島根県725《おてらつつき〔御─〕》和歌山県有田郡040《ちらつつき》福島県155《てらちちき》島根県仁多郡723《てらじゃあつつき・てらだちぎ》岩手県九戸郡088《てらとどき》石川県能美郡012《てらこつき》奈良県山辺郡675《てらこっき》三重県名張市・阿山郡585奈良県宇陀郡680《てらだま・てらだ》岩手県九戸郡088《てらこ》岩手県和賀郡095奈良県吉野郡686鳥取県東部042《てらそ》富山県東礪波郡402岐阜県飛騨497《てらす・ててらす》岐阜県飛騨502《ててらそ》岐阜県大野郡498《てらっぽ》長野県西筑摩郡岐阜県益田郡502静岡県磐田郡546愛知県北設楽郡553②鳥、あかげら(赤啄木鳥)。《てらつつき》奥州†040岩手県007宮城県栗原郡007和歌山県西牟婁郡007《おてらつづき》和歌山市007《てらほっき》岩手県007《てらほんずき》岩手県西磐井郡007③鳥、まさあきやまがら(─山雀)。《てらつつきめ》とも。東京都八丈島338④容姿を特につくろう女。おしゃれ娘。《てらそ》岐阜県北飛騨492《てらす・ててらす》岐阜県飛騨502《てらっぽ》岐阜県益田郡502【語源説】(1)聖徳太子が四天王寺を建立した時、誅罸された物部守屋の霊がこの鳥になって寺をつついたところからという名語記・日本釈名・東雅・日本語源=賀茂百樹〕。(2)「」虫ケラ」などをつつく、「ケラツツキ」の転〔東雅〕。「ツラツキツク(貫突々)」の義〔名言通〕。【発音】〈ア史〉平安●●●●○〈標ア〉[ツ]〈1〉【辞書】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【〓〔列+鳥〕】色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言【啄木鳥】色葉・易林・書言【啄木】天正・饅頭・言海【斵木】和名【斲木】色葉【〓木・喙木鳥・孫・哲】名義【〓】饅頭【都盧鳥】書言

角川『古語大辞典』
てらつつき【寺啄】〔名〕鳥名。「きつつき」の異名。斵木、一名天良豆豆岐」〔和名抄〕「ことりのやうかるは、四十がらめひはどりつばくらめ、三十二相たらうたるてらつゝき」〔梁塵秘抄・四句神歌〕「扨、啄木とは、てらつつきといふ鳥の名なり」〔かたこと・二〕「守屋が亡魂と俗にいふてらつゝきといへる鳥、堂塔伽藍を突き崩す」〔伎・粂仙人吉野桜・初ノ口〕〕

いちじく【無花果】

2023-11-05 13:03:25 | 日記
2002/07/15から~2023/11/05 更新
いちじく【無花果】
                              萩原義雄識

 平安時代の『和名類聚抄』には、標記語「無花果」の語例は当然見えていない。とはいえ、突然表出した果樹ではなく、太古から「いちじく」は大陸アジアに存在し、以前にも記述したことだが、大陸渡来系の外来語(ペルシャ語「Ajjir」)の中国翻訳「映日果」を音で、「インヂィオ」(『日国第二版参照』)を耳で聞き取り、本邦で「いちぢく」「いちじく」と表記したという。ここで「ヂィ」の音を和語「じ」乃至「ぢ」と聞き取ったかでその表記となったことになる。中央の京都で濁音を避け、「し」と記載することが最も定着したと見れば、「いちじく」を優先することになる。

 李時珍『本草綱目』〔東京都立中央図書館諸橋文庫蔵〕
無花果」食物トウガキ釈名の永日果[便民圖纂]優曇鉢〈下略〉頭注書込み
師説 無花果 今ノイチシク 天仙果 古イチシクト呼モノ即今今ノイヌビハ也和訓ニテヨノハント云 勢州ノチヽタツホト呼フモノモ同科ナラン可考
という書込み内容に留意して見ておくと、本邦書記者は「イチシク」と訓み、第三拍を古形「し」清音表記する。博物学研究者としての有識文字意識と見て良かろう。その上で、国ことばという伊勢地方での「ちちたつほ」の語が注目語訓とも言える。江戸時代の越谷吾山『諸国方言物類称呼』〔一七七五(安永四)年刊〕巻之三に、
無花果『本艸釈名』にうとんげと有又芭蕉の花をもいふ也又天仙花[未詳]〔一六オ〕
と云うだけで、「勢州」の語も見えず、当然此の「チヽタツホ」の語を検証できていない。特異な語訓の記述と見て良い。現在の「いちじく」と古の「いちしく」=「イヌビハ」では、小学館『日国』第二版の図絵を見ても葉が異なっていることに気づかれよう。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いちじく【無花果・映日果】〔名〕(1)クワ科の落葉小高木。小アジア原産で江戸初期に渡来し、各地で栽植される。高さ二〜五メートル。樹皮は褐色。多く分枝し、幹、枝は湾曲する。葉は掌状に三〜五裂し、裏面に細毛をもつ。春から夏に倒卵形で肉厚の花嚢をつける。花嚢は中に無数の白い小さな花をもち、暗紫色か白緑色に熟し、食用となる。乾した茎、葉、実は駆虫、緩下剤、下痢止めになり、液汁は疣(いぼ)、うおのめなどに効くという。とうがき。ほろろいし。学名はFicus carica《季・秋》*俳諧・続猿蓑〔一六九八(元禄一一)〕夏「無菓花や広葉にむかふ夕涼〈惟然〉」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「無花菓 イチヂク 一名映日菓。時珍云五月内不花而実出枝間者」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「無花果(イチヂク)(〈注〉タウカキ)寛永年中 西南洋の種を得て、長崎にうう。今諸国に有之。葉は桐に似たり。花なくして実あり。異物なり。実は龍眼の大にて殻なし。皆肉なり。味甘し。可食。〈略〉又日本にもとよりいちぢくと云物別にあり。後にあらはすいちぢくに似たる故に、無花果をもいちぢくと云」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「イチジク 無花果」(2)植物「いぬびわ(犬枇杷)」の異名。*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一二「いちぢく(和品)無花果をもいちぢくと云。それには非ず。葉は木犀に似てうすく、冬おつ。其実、無花果より小なれども能似たり」【語源説】(1)映日菓の上下略、転音〔古今要覧稿〕。ペルシア語anjir を音訳して、シナで映日果といichijikuい、その近世音インヂクヲがイチヂクとなったものか〔外来語の話=新村出〕。(2)イチジュク(一熟)の義〔古今要覧稿・和訓栞後編・大言海〕。(3)イタメチチコボル(傷乳覆)の約転〔名言通〕。【発音】〈なまり〉イソズキ・イッヅク〔福岡〕イチジッ〔鹿児島方言〕イチジュク〔島原方言・NHK(長崎)〕イツズク・エジジク〔千葉〕イッヅキ〔熊本分布相〕イツヅク〔鳥取〕〈標ア〉[チ]〈京ア〉[ジ]【辞書】書言・ヘボン・言海【表記】【無花菓】書言【無花果】ヘボン【図版】無花果(1)

えいじつ-か[‥クヮ]【映日果】〔名〕植物「いちじく(無花果)(1)」の異名。*本草綱目-果部「無花果 釈名、映日果、優曇鉢、阿〓〔馬+旦〕、時珍曰、無花果凡数種、此乃映日果也」【発音】エィジツカ〈標ア〉[ツ][ジ]
いぬ-びわ[‥ビハ]【犬枇杷・天仙果】〔名〕クワ科の落葉低木。本州中部以西の暖地で池や海岸付近の林中に生える。高さ二~四メートル。樹皮はなめらかで灰白色、傷つけると乳白色の液汁が出る。葉は倒卵形か倒卵状長楕円形で先がとがる。雌雄異株で、春、小さな白い斑点が散らばったイチジクに似た花嚢を付ける。花嚢は径一五ミリメートルほどで、夏から秋にかけ紫黒色に熟し、食べられる。いたぶ。いたび。こいちじく。ちちのみ。やまびわ。学名はFicus erecta《季・夏》*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕八八「天仙果(いぬひわ)〈略〉六七月無花結一実一柎二三顆状似枇杷而小初青熟赤紫色内満白細子小児喜食俗名犬枇杷」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「イヌビハ コイチジク 天仙果」【発音】〈標ア〉[ヌ][ビ]【辞書】言海【表記】【犬枇杷】言海【図版】犬枇杷
とう-がき[タウ‥]【唐柿】〔名〕(1)植物「いちじく(無花果)」の別名。*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「無花果(いちぢく タウカキ)」*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕八八「無花果 いちじゅく たうかき〈略〉俗云一熟 又云唐柿」(2)植物「トマト」の異名。【方言】(1)植物、いちじく(無花果)。《とうがき》長州†122筑前†039久留米†127新潟県一部030佐渡357山梨県一部030滋賀県一部030京都府030054大阪府一部030兵庫県047660664奈良県679鳥取県一部030島根県715724730岡山県753岡山市762広島県054776782山口県792玖珂郡791厚狭郡799香川県827小豆島829愛媛県030福岡県030築上郡873長崎県898熊本県030919大分県030939941《とがき》大阪府一部030兵庫県家島030《とんがき》愛知県一部030兵庫県030赤穂郡660《とうがい》山口県大島801《たあがき》大分県大分郡941(2)「無花果(いちじく)」の果実。《とうがき》山梨県南巨摩郡465(3)植物、「トマト」。《とうがき》岐阜県一部030(4)植物、「とうごま(唐胡麻)」。《どうがき》島根県美濃郡964【発音】〈なまり〉ターガキ〔豊後〕【辞書】言海【表記】【唐柹】言海

《コラム》「お茶菓子」に「西來果」と云う特別な菓子がつくられたそうだ。この茶の湯菓子は、「いちじく【無花果】」の実をベースにして、餡で包みこんだ特殊なもののようであったそうな。(私もまだ見ていない)製造元は鶴屋八幡か?これも定かでない。どなたか探求していただければと思う次第である。(2005,10,18萩原義雄記)
 「いちじく【無花果】」という果実樹木は、いつ頃どのように日本に渡来したものか?江戸時代も初期の寛永年間に、その名称が見受けられ、それ以前はこの果樹も本邦に伝来をみない植物であったのか?その疑問について探ってみたい。
 そして、この果樹を「いちじく」乃至は、「いちぢく」と表記呼称するに至ったその名称由来も考えてみることにする。
 現在、この果樹を「いちじく」と四音で表記し、第三音を濁音「じ」と表記する。語構成からみるとき、「いち」+「しく」と二音二音の語が膠着して成ったものであれば、漢字表記にして見るに「一如く」などと思えないではない。しかし、此の「いちじく」は渡来系のこともあって、和語ではなさそうだ。実は、外来語(ペルシャ語「Ajjir」)の中国翻訳「映日果」を音で、「インヂィオ」を耳で聞き取り、「いちぢく」「いちじく」と表記したことにある。茲で「第三拍」の「じ」と「ぢ」の表記の揺れが早くも生じていたことに注目しておきたい。この表記統一がなされるのは、明治時代を待たねば成るまい。そして、現代仮名遣いでは、「いちじるしい【著】」とならんで、「じ」表記をもってこの語を示している。この「じ」表記に統一されるまでの「ぢ」表記が長く表出している要因は何かを考えておく必要があろう。
 一時期、「いちじく浣腸」という「ぢ【痔】」の薬が知られ、病名の「【痔】」は、「ち」に濁点の「ぢ」であり、また、海の哺乳動物「鯨」が「くぢら」と「くじら」のいずれかの決着がつかない表記であることも助力となっていてか、この「イチジク」も「いちぢく」がひょっこり、どうしても顔をのぞかせてきていると推察する。
 現に、明治時代のへボン編纂の『和英語林集成』第三版にも、「いちぢく」と表記される所以であり、かつは八百屋の店先に「いちぢく」と書かれた品書きが見られるのもその表れと見ておきたい。(萩原義雄記2002,07,30)