駒澤大学「情報言語学研究室」

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かなづなゐ【金綱井】地名

2022-12-22 13:37:24 | ことばの溜池(古語)

【語解】『倭名類聚抄箋註』「井附桔槹
    13 天武紀(テンムキ)に、地名(チメイ)「金剛井(かなづなゐ)」有(あ)り。
    ※実際、『日本書紀』12805「更還屯金綱井、而招聚散卒」○更(さら)に還(かへ)りて金綱井(かなづなのゐ)に屯(いは)みて、散(あか)れる卒(いくさ)を招(を)き聚(あつ)む。〔卷廿八・天武紀上、元年七月〕に見えるとし、「金綱井」と「金剛井」の「綱」と「剛」字の表記差異があり、この箇所については、前述した契沖編『和名抄釋義』から棭齋自身が依拠した内容と見ていて、そこには書紀記載の「金綱井」と記載していることから、棭齋の思い込みの記載となっていて。茲に「金剛井」と記載したと推断した。その後、棭齋から引き継いだ渋江抽斎や森立之らも『書紀』記載内容について再検証せずに編集刊行してきたということにもなる。と同時に、此の地名が『和名抄』の郡名にも未収載となっていることを消えた地名と見るとき不詳とせざるを得ない。奈良県橿原市小綱の辺りの地名だったのかと?
    慶長八年版『日本書紀』卷廿八天武紀上(元年七月)
     「更テイハム金䌉(カナツナ)ノ而招(ヲキアツム)(アカレル)(イクサ)ヲ於是

とあって、「金䌉(カナツナ)ノ井」としている点を見定めておく。
    ※HNG(漢字字体規範史データ)に、日本写本『續高僧傳』(五月一日經)[日本寫刊典籍文書]七四〇(天平一二)年「䌉」字を見る。


はねつるべ【桔槹】

2022-12-19 12:14:27 | ことばの溜池(古語)

 はねつるべ【桔槹】キツカウ・ケツカウ
                                                                          萩原義雄識

 白井静『字通』【桔】「桔槹」
【字書】
〔新撰字鏡〕桔梗 加良久波(からくは)、又、酒木、又、阿知万佐(あぢまさ)、又、久須乃木(くすのき) 
〔新撰字鏡、享和本〕加良久波(からくは)、又云ふ、阿佐加保(あさがほ) 
〔名義抄〕桔槹 カナツナヰ/桔梗 アリノヒフキ/梗 ヤマシム
〔篇立〕桔 チカシ、加良久波(からくは)
【熟語】
【桔梗】ききよう(きやう)・けつこう(かう)  ききょう。秋の七草の一。〔戦国策、斉三〕今、柴葫(さいこ)・桔梗を沮澤に求むるも、則ち累世一をも得ず。
【桔隔】きつかく  楽器を撃つ。
【桔槹】きつこう(かう)・けつこう(かう)  はねつるべ。〔荘子、天運〕且つ子獨り夫(か)の桔槹なる者を見ずや。之れを引くときは則ち俯し、之れを舍(はな)つときは則ち仰ぐ。
【桔桀】けつけつ  高く峻しい。

  『字通』の字書引用の『名義抄』を見てもお判りになるように、『日国』『字通』と云った日本の誇れる字典・辞典は、当該語の標記字を三熟字「桔槹」で表記する。だが、此は書記者の「桔梗」の語と「桔槹」の語における同音異字による衍字表記であり、語注記「結高二音」とあることからすれば、二字熟語と見て、やはり茲では「梗」字は消去すべき文字と見ている。すなはち、『名義抄』も「桔槹」のところに定置することが望ましいことになる。

 和語「はねつるべ」だが、初出用例としては、平安時代末期の橘忠兼編の三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕となっている。次に示すと、
三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕
    桔槹(ケ[キ]ツカウ)  カナツナヰ ハ子ツルヘ 搆機汲水具 〔卷上加部地儀門九二オ(一八七頁)2〕

として、字音の付訓は「ケ(キ)ツカウ」とし、「キツカウ」と「ケツカウ」両用の訓みを添え訓みとして示し、此の点を現行索引では見落としていることになる。いま小学館『日国』第二版には、見出し語「キッコウ【桔槹】」の語例を取り上げていて、「「桔槹(けっこう)」の慣用読み」として収載はするが、此の前田本『字類抄』の「ケ」の右傍らに添えた「キ」文字を見逃した結果、此の用例を活かしきれていない。
そして、注記和訓の「ハ子ツルヘ」の語についてだが、次の観智院本『名義抄』には未収載になっていることからして、此語がより通俗性の高い「日常語(=通俗語)」和訓語だということになろう。此の證明も容易ではないが、初出語としてその聯関性の資料を見過ごさずに見定めて行くことが求められてくる。更に、このあとの内容注記説明の「機を搆へ、水を汲む具」の意義注記だが、何に依拠するのかについて考察してみて、『增修互註禮部韻略』〔宋・毛晃〕
     桔橰以機汲水桔音戛/又謂之橋橋音居妙反〔卷二・【槹】二四オ4〕
    
とあって、此の注記内容が聯関しているのかと見ている。今後の資料稽査が俟たれる。
 三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕の意義注記の「機を搆へ、水を汲む具」に対校する箇所をこのあとも探し求めていくことになるのだが、現時点では、この中国字書資料との整合性を明らかにせねばなるまい。
 その上で、『字類抄』の編者橘忠兼は、『和名抄』には見えていない新たな説明として、此の意味注記をどうみてきたのかを知るためにも、その通俗性の高い「日常語」のひとつの語と見ておきたい。茲で通俗性の高い日常語としたことは、此の院政期前後のことば表出に基づくものであり、例えば、「鳰」を「かいつぶり(獲(か)い+つぶりと水に入る意から)」の通俗和語表現などと関わる語として、此の字音「桔槹」で「かなづなゐ」と言うほかに「はねつるべ」と云ったことばの関係性がどうであったのかと此の語解について展開することにもなろう。『字類抄』が求めた記述意識が後継の十巻本『伊呂波字類抄』などの古辞書改編資料にどのように継承されていくのかもそのことばの性格を知る上で丁寧に見定めていく必要がある。実際、十巻本では、    桔槹  カナツナヰ  結高二之棒機汲水具 〔卷三加部地儀門(一四二頁)2〕
としていて、此の「ハ子ツルヘ」の語は採録を見ない語となっている。云うまでもないが、波部の地祇門、雑物門などにも未収載語としている。また、二卷本および七卷本『世俗字類抄』も然り、「ハ子ツルヘ」未載録語となっている。言わば、三巻本特異な語訓となっている。次に「はねつるべ」の語訓が古辞書に登場するのは、室町時代の『運歩色葉集』波部に、
    桔槹(ハ子ツルヘ)キヤウカウ〔元亀二年本二九頁1〕
となっていく。此のことばの狹間とも言える用語例を埋めるのは容易ではないが、南北朝時代の軍記物語『太平記』卷第三九・自太元攻日本事に、
    其陰(ソノカゲ)ニ屏(ヘイ)ヲ塗リ陣屋ヲ作テ、數萬ノ兵並居(ナミヰ)タレバ、敵ニ勢ノ多少ヲバ見透(スカ)サレジト思フ處ニ、敵ノ舟ノ舳前(ヘサキ)ニ、桔槹(ハネツルベ)ノ如クナル柱ヲ數十丈高ク立テ、横ナル木ノ端(ハシ)ニ坐ヲ構((かま)ヘ)テ人ヲ登セタレバ、日本ノ陣内目ノ下ニ直下(ミオロ)サレテ、秋毫(シウガウ)ノ先ヲモ數((かぞ)ヘ)ツベシ。
と見えていて、『日国』第二版も此の用例を採録する。


かなづなゐ【桔槹】はねつるべ

2022-12-17 15:09:51 | 古辞書研究

 かなづなゐ【桔槹】
                                                                          萩原義雄識

  『倭名類聚抄』廿巻本と十卷本「かなづなゐ【桔槹】」

【翻刻】
廿卷本『倭名類聚抄』卷一水部第三水泉類第9
桔槹  辨色立成桔槹鉄索井也結高二音[和名加奈豆奈爲
十卷本『和名類聚抄』卷一水部第三水泉類[井附出]第9
桔槹 辨色立成桔槹加奈豆奈為吉高二音]䥫索井也

【訓読】
井[桔槹付]『四声字苑』に云はく、井[子郢反、和名は為(ゐ)]は地を鑿(ほ)りて泉を取るなりといふ。『弁色立成』に云はく、「桔槹[加奈豆奈為(かなつなゐ)」、吉高の二音]は鉄索の井なりといふ。
【語解】
    「桔皐(キツカウ)ケツカウ」は、『淮南子』〔新釈漢文大系第55卷六八八頁・明治書院刊〕
    小学館『日本国語大辞典』第二版
はねーつるべ【撥釣瓶】〔名〕支点でささえられた横木の一方に重し、一方に釣瓶を取りつけて、重しの助けによってはね上げ、水をくむもの。桔槹(けっこう)。*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「桔槹 ケッカウ カナツナヰハネツルヘ*太平記〔一四C後〕三九・自太元攻日本事「敵の舩の舳前(へさき)に、桔槹(ハネツルベ)の如くなる柱を数十丈高く立て」*俳諧・犬子集〔一六三三(寛永一〇)〕六・水鳥「水鳥のたぐひか是もはねつるべ〈宗恕〉」*田舎教師〔一九〇九(明治四二)〕〈田山花袋〉一二「桔槹(ハネツルベ)のギイと鳴る音がして」【発音】〈標ア〉[ツ]〈京ア〉[ツ]【辞書】色葉・和玉・天正・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【桔槹】色葉・天正・易林・書言・ヘボン【槹】和玉【機械】書言【撥釣瓶】言海【図版】撥釣瓶〈和泉名所図会〉

かなづなーい[‥ゐ]【金綱井・鉄綱井】〔名〕(「かなつない」とも)鉄の鎖を綱に用いたはねつるべ。かなつなのい。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一「井 桔槹附 四声字苑云井〈子郢反 和名〉鑿地而聚泉者也、弁色立成云桔槹〈加奈都奈為 吉高二音〉䥫索井也」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「 カナヅナヰ」*改正増補和英語林集成〔一八八六(明治一九)〕「Kanatsunai カナツナイ(ハネツルベ)」【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【桔槹】和名・色葉【桔槹・㮮槹】名義【鐵綱井】言海

    三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕
    桔槹(ケ[キ]ツカウ)  カナツナヰ ハ子ツルヘ 搆機汲水具 〔卷上加部地儀門九二オ(一八七頁)2〕

として、字音の付訓は「ケ(キ)ツカウ」とし、「キツカウ」と「ケツカウ」両用の訓みを添え訓みとして示し、此の点を現行索引では見落としていることになる。そして注記和訓「ハ子ツルヘ」の語だが、次の観智院本『名義抄』には未収載になっていることから、より通俗性の高い和訓ということになる。このあとの内容注記説明の「機を搆へ水を汲む具」が何に依拠するかは今後の課題としたい。

    観智院本『類聚名義抄』〔正宗敦夫編・風間書房刊、色彩版・八木書店刊〕
    桔梗槹  結高二音/カナツナヰ上濁]〔佛下本一〇三3〕

とあって、『名義抄』標記語の中文字は「桔梗」の「梗」字であって、茲は「桔槹」にすべき衍字記載と見ている。


ほくら【寳倉】

2022-12-11 00:45:56 | 古辞書研究

2022/12/09~10 更新
 ほくら【寳倉】
                                                                          萩原義雄識

 廿卷本『倭名類聚抄』注文
 寳倉  漢語鈔云寳倉[保久良]一云神殿  〔卷十三調度具上・祭祀具〕
 十巻本『和名類聚抄』注文
  寳倉  漢語抄云寳倉[保久良云神殿]  〔巻第五調度具上・祭祀具〕

 伊勢廣本『倭名類聚抄』第四冊〔東京都立中央図書館河田文庫蔵『倭名類聚抄』183KW3〕
    寳倉  漢語鈔云寳倉[保久良上上上云神殿] 〔卷十三調度具上・祭礼具一七二・七ウ3〕
※伊勢廣本〔河田文庫蔵〕は、部類数を廿卷本に整えているのだが、その語と語註記は十巻本に从う。標記字「ホウ」は「寳」字に作く。
    寳倉  漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良上上上云神殿]  〔卷五調度具上・祭祀具七ウ1〕
※神宮文庫蔵の書写では「寳倉」にカナ付訓がなされ、「寳」字のウ冠、「抄」字の旁「少」字、真名体漢字表記「久」字に複写とは思えない相異が見えていて、註記「寳倉」を略符号「ーー」字で記載する。写し手の違いが観察できる部分でもある。
    此れに敢えて廿卷本『倭名類聚抄』系の大東急記念文庫蔵天正三年本〔菅為名写〕と比較しておくと、
    寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良一云神殿] 〔卷十三調度具上・祭祀具〕
とし、伊勢廣本河田本が註記が略符号「ーー」を用いずに、「寳倉」と記載する点とカナ付訓をしない点を以て古写系資料に近い原本を以て各々書写していることが見てとれよう。

 昌平本『倭名類聚抄』〔東京国立博物館蔵、卷五祭祀具七十〕
    寳倉(ホクラ)  漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良]云神殿 〔卷五調度具上・祭祀具七十ウ7〕
    
 下總本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵第三冊〕

    寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良一云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七十・ウ7〕
    
 松井本『和名類聚抄』 
    ○寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良一云神殿] 〔坤冊卷五・調度具上・祭祀具七十・八オ6〕
とあって、下總本そして松井本のように、十巻本でも「一云」と記載することが見えている。
    
  京本『和名類聚抄』〔国会図書館藏、中冊巻五、調度具上・祭祀具七十〕
    
      寳倉(ホクラ)  漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良上上上云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七十ウ7〕
    
  狩谷棭齋『和名類聚抄訂本』巻五〔内閣文庫蔵〕

 寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良一云神殿] 〔卷五調度部十四祭祀具七十、六ウ6〕
     『和名抄』は、廿卷本・十巻本共に大きな差異は見えない。「一云」と「云」の記載のところに差異が見えるように思われがちだが、実際は十巻本写本類のなかには「一云」と廿巻本の註記記載に見える註記が見えていることに留意すべきだろう。棭齋は『倭名類聚鈔箋注』に「一云」の本文を優先採録する編纂姿勢が見えている。次に示す。
  此の標記語だけが、くら【倉廩】の標記語とは、同じ部類門に置かれずに、調度具上・祭祀具に排列したことに着目して見ておくことが当該語における焦点となる。

『倭名類聚抄箋註』渋江抽斎筆写本・四冊〔183KW9〕
 
    【本文翻刻】
    1寳倉(ほくら) 『漢語抄(カンゴシヤウ)』に云(いは)く、[保久良(ほくら)、一(ある)は神殿(かみどの)と云(い)ふ]
    2○『紀(キ)』に「神庫(かみくら)」の本注(ホンチユウ)に云(いは)く、「神庫(かみくら)」を此(こ)れ「保玖羅(ほくら)」と云(い)ふ。
    3『天武紀(テンムキ)』の「神府(シンフ)」に同(おな)じく訓(よ)む。
    4蓋(けだ)し、「神寳(シンホウ)」は、「藏(くら)」にて之(こ)れ「府庫(フコ)」なり〈也〉。
    5其(そ)の制(セイ)は高峻(カウシユン)たり、尋常(よのつね)に〈於〉秀(ひい)でて「府庫(フコ)」、
    6故(かるがゆへ)に「保久良(ほくら)」と云(い)ふ。
    7『神武紀(ジンムキ)』に、「浪秀(なみほ)」を與(とも)に「奈三保(なみほ)」と訓(よ)む。
    8又(また)「頴穗(たほ)」を「保(ほ)」と訓(よ)み、之(こ)れ「保(ほ)」に同(おな)じ。
9『漢語抄(カンゴシヤウ)』に、「寶倉(ほくら)」の字(ジ)を用(もち)いるは〈者〉、「寶(ホウ)」を以(もつ)て「保久良之保(ほくらのほ)」に爲(つく)るに似(に)たり、恐(おそ)るるに非(あら)じ。」
    10又(また)按(アン)ずるに、「保久良(ほくら)」後世(コウセイ)轉(テン)じて「叢祠(ほこら)」の〈之〉名(な)に爲(つく)る。
    11『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)に、「稲荷(いなり)乃(の)保久良(ほくら)」、
    12『續詞花集(ゾクシカシユウ)』に、「大鳥王子(おほとりのみこ)乃(の)保久良(ほくら)」、是(こ)れなり〈也〉。
    13故(かるがゆへ)に、一(ある)は「神殿」と云(い)ふなり〈也〉。
    14又(また)轉譌(テンギ)し、「保古良(ほこら)」と云(い)ふ。
    15『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』に見(み)える。]

 【文献資料
    『紀(キ)』『天武紀(テンムキ)』『神武紀(ジンムキ)』『漢語抄(カンゴシヤウ)』『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)
    『續詞花集(ゾクシカシユウ)』『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』

【語解】

  1寳倉(ほくら) 『漢語抄(カンゴシヤウ)』に云(いは)く、[保久良(ほくら)、一(ある)は神殿(かみどの)と云(い)ふ]
    
    2○『紀(キ)』に「神庫(ほくら)」の本注(ホンチユウ)に云(いは)く、「神庫(ほくら)」を此(こ)れ「保玖羅(ほくら)」と云(い)ふ。
    ※『日本書紀』卷六
○何(なに)ぞ能(よ)く天神庫(あめのほくら)に登(のぼ)らむ」とまうす。神庫、此をば保玖羅(ほくら)と云ふ。五十瓊敷命の曰(い)はく、「神庫高(たか)しと雖(いへど)も、我(われ)能く神庫の爲(ため)に梯(はし)を造(た)てむ。豈(あに)庫(ほくら)に登るに煩(わづら)はむや」といふ。故(かれ)、諺(ことわざ)に曰(い)はく、「天(あめ)の神庫(ほくら)も樹梯(はしだて)の隨(まにま)に」といふは、此(これ)其の縁(ことのもと)なり。
    
    3『天武紀(テンムキ)』の「神府(シンフ)」に同(おな)じく訓(よ)む。
    ※『日本書紀』卷六
    ○皆(みな)神府(みくら)に藏(おさ)めたまふ。
    
    4蓋(けだ)し、「神寳(シンホウ)」は、「藏(くら)」にて之(こ)れ「府庫(フコ)」なり〈也〉。
    
    5其(そ)の制(セイ)は高峻(カウシユン)たり、尋常(よのつね)に〈於〉秀(ひい)でて「府庫(フコ)」、
    
    6故(かるがゆへ)に「保久良(ほくら)」と云(い)ふ。
    
    7『神武紀(ジンムキ)』に、「浪秀(なみほ)」を與(とも)に「奈三保(なみほ)」と訓(よ)む。
    ※『日本書紀』卷二
○天孫、又(また)問ひて曰(のたま)はく、「其(か)の秀起(さきた)つる浪穗(なみほ)の上(うへ)に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉(ただま)も玲瓏(もゆら)に、織經(はたを)る少女(をとめ)は、是(これ)誰(た)が子女(むすめ)ぞ」とのたまふ。〔〕
    
    8又(また)、「頴穗(たほ)」を「保(ほ)」と訓(よ)み、之(こ)れ「保(ほ)」に同(おな)じ。
    
 9『漢語抄(カンゴシヤウ)』に、「寶倉(ほくら)」の字(ジ)を用(もち)いるは〈者〉、「寶(ホウ)」を以(もつ)て「保久良之保(ほくらのほ)」に爲(つく)るに似(に)たり、恐(おそ)るるに非(あら)じ。」
    
    10又(また)按(アン)ずるに、「保久良(ほくら)」後世(コウセイ)轉(テン)じて「叢祠(ほこら)」の〈之〉名(な)に爲(つく)る。
   
    11『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)に、「稲荷(いなり)乃(の)保久良(ほくら)」、
    『拾遺集』卷十九・01268
    [詞書] 稲荷のほくらに女のてにてかきつけて侍りける
                                                      読人不知 よみ人しらす (000)
    滝の水かへりてすまはいなり山なぬかのほれるしるしとおもはん
    たきのみつ-かへりてすまは-いなりやま-なぬかのほれる-しるしとおもはむ
    ※天福寺本『拾遺和歌集』〔京都大学図書館藏〕
    
    12『續詞花集(ゾクシカシユウ)』に、「大鳥王子(おほとりのワウジ)乃(の)保久良(ほくら)」、是(こ)れなり〈也〉。
    卷二十・戲咲
    くまのゝ大鳥のほくらにかきつけたりし歌
     おゝとりのはくゝみ給ふかひこにてかへらんまゝにとはさらめやは」
          此哥ある人慈覚法師か哥とも申
        太神宮にまいりけるによめる
       
    13故(かるがゆへ)に、一(ある)は「神殿(かんどの)」と云(い)ふなり〈也〉。
    
    14又(また)轉譌(テンカ)し、「保古良(ほこら)」と云(い)ふ。
    ※「転譌」=「転訛」。
    15『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』に見(み)える。]
※『丹後守為忠百首』〔一一三四(長承三)年頃か〕雑部「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ほーくら【神庫・宝倉】〔名〕(「ほ」は「秀」、「くら」は物を置くための場所の意。高い建築構造を持つものをいう)(1)神宝を納めて置く庫(くら)。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕垂仁八七年二月「吾 手弱女人(たをやめ)なり。何ぞ天の神庫に登らむや。〈神庫、此を保玖羅(ホクラ)と云ふ〉」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「神庫 ホクラ」*日輪〔一九二三(大正一二)〕〈横光利一〉三「彼の父は不彌の神庫(ホクラ)に火を放った」(2)小さな神社。やしろ。ほこら。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕五「寳倉 漢語抄云寳倉〈保久良一云神殿〉」*観智院本三宝絵〔九八四(永観二)〕下「八幡の御前にして法華経を講ずるに、ほくらの中より紫のけさをほどこして、法をききつる恩をむくひたり」*拾遺和歌集〔一〇〇五(寛弘二)~〇七頃か〕雑恋・一二六八・詞書「稲荷のほくらに、女の手にて書きつけて侍ける」*北野天神縁起〔鎌倉初〕「宮こへ帰らんこといつとしらねども、ひそかにかの馬場へ向ふおりのみぞ、むねのほのほ少しやすらぐ事有。ほくらをかまへてたちよるたよりを得せしめよ」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「秀倉 ホクラ 一云神殿」【方言】洞穴。《ほくら》長崎県南高来郡905【語源説】(1)「ホクラ(秀庫)」の義。その構造の高いところから〔箋注和名抄・百草露・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕。(2)「ホクラ(穂蔵)」から意味の転じたものか〔東雅〕。【発音】〈ア史〉平安・鎌倉●●●〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【寳倉】和名・色葉【神庫】名義・言海【宝倉】書言・言海【秀倉】名義
ほこら【祠・叢祠】〔名〕(「ほくら(神庫)」の変化した語)神をまつる社殿。神社。多くは、小さなやしろをいう。*丹後守為忠百首〔一一三四(長承三)頃か〕雑「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」*太平記〔一四C後〕九・高氏被籠願書於篠村八幡宮事「甲を脱て叢祠(ホコラ)の前に跪き」*蔭凉軒日録‐長享二年〔一四八八(長享二)〕二月二六日「相公問厳中和尚曰、ほこらと云字如何。厳中云不知。大梁在傍云、ほこらとは叢祠是也」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「宝倉 ホコラ。禿倉 同」【方言】(1)洞穴。《ほこら》大分県大分郡941《ほこ》大分市941(2)谷。《ほこら》兵庫県家島662【語源説】(1)「ホクラ(神庫)」の転。〔箋注和名抄・筆の御霊・国語学通論=金沢庄三郎・大言海・綜合日本民俗語彙〕。またホは秀の義〔類聚名物考・和訓栞〕。(2)「ホソクラ(細座)」の義〔日本釈名・紫門和語類集〕。(3)「ホキクラ(祝坐)」の約〔菊池俗言考〕。ホギクラ(祝庫)の義〔国語学通論=金沢庄三郎〕。(4)「フルコハレミヤ(古壊宮)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉オコクラ〔壱岐〕ホクラ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【叢祠】書言・言海【寳舎】天正【神庫・宝倉・禿倉】書言【祠】ヘボン
てんーか[‥クヮ]【転訛】〔名〕(1)文字の写し間違い。*和字正濫鈔〔一六九三〕五「木欒子 むくれにしのき〈略〉和名を思へばわらはへの愛するむくろしといふ物はむくれんしの転訛歟」*童子問〔一七〇七(宝永四)〕跋「此書未印流一、謄写転訛、学者憾焉。仍請先生令嗣長胤点校一、遂鋟梓以公于世一」*随筆・秉燭譚〔一七二九(享保一四)〕一「又直支に作る。梁書百済の伝には名映に作る。いづれも文字の転訛にて一人なり」(2)ことばの本来の発音がなまってかわること。また、その音や語。*舎密開宗〔一八三七(天保八)~四七〕内・五・一一〇「此塩は昔人独乙蘭土(ドイランド)にて貎老涅(ブラロウネ)と名る咽喉病。及び伝染疫に称用す故に此なあり布律涅爾剌は蓋し貎老涅の転訛なり」*日本開化小史〔一八七七(明治一〇)~八二〕〈田口卯吉〉一・一「口より口に伝へて、益々転訛したる言伝なれば」*比較言語学に於ける統計的研究法の可能性に就て〔一九二八(昭和三)〕〈寺田寅彦〉「子音転訛や同化や、字位転換や、最終子音消失やで」【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)
かんーどの【神殿】〔名〕(「かむとの」とも表記)しんでん。また、神社。かみどの。*延喜式〔九二七(延長五)〕一・神祇・四時祭「園并韓神三座祭〈略〉斎服料〈略〉守神殿(かんとの)一人」*狭衣物語〔一〇六九(延久元)~七七頃か〕四「かん殿に入らせ給ひて、いよいよも、かかる心思ひなほるべきさまに、申させ給へ」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三(長寛元)〕七「層台、祠宇(カムドノ)石を彫り木を文(もとろ)けたり」
ほこら【祠・叢祠】〔名〕(「ほくら(神庫)」の変化した語)神をまつる社殿。神社。多くは、小さなやしろをいう。*丹後守為忠百首〔一一三四(長承三)頃か〕雑「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」*太平記〔一四C後〕九・高氏被籠願書於篠村八幡宮事「甲を脱て叢祠(ホコラ)の前に跪き」*蔭凉軒日録‐長享二年〔一四八八(長享二)〕二月二六日「相公問二厳中和尚一曰、ほこらと云字如何。厳中云不レ知。大梁在傍云、ほこらとは叢祠是也」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「宝倉 ホコラ。禿倉 同」【方言】(1)洞穴。《ほこら》大分県大分郡941《ほこ》大分市941(2)谷。《ほこら》兵庫県家島662【語源説】(1)「ホクラ(神庫)」の転。〔箋注和名抄・筆の御霊・国語学通論=金沢庄三郎・大言海・綜合日本民俗語彙〕。またホは秀の義〔類聚名物考・和訓栞〕。(2)「ホソクラ(細座)」の義〔日本釈名・紫門和語類集〕。(3)「ホキクラ(祝坐)」の約〔菊池俗言考〕。ホギクラ(祝庫)の義〔国語学通論=金沢庄三郎〕。(4)「フルコハレミヤ(古壊宮)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉オコクラ〔壱岐〕ホクラ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【叢祠】書言・言海【寳舎】天正【神庫・宝倉・禿倉】書言【祠】ヘボン


たてあかし【炬火】

2022-12-09 01:08:11 | 古辞書研究

2022/12/07~08 更新
 たてあかし【炬火】
                                                                          萩原義雄識

 『北山抄』〔故實類書〕卷八「たてあかし【燈火】」
    四人炬火(タテアカシ)御輿前後  〔早稲田大学蔵図書館蔵、卷八・一八齣左8〕
とあって、標記語「炬火」に「タテアカシ」と付訓する。此の語例は昌住『新撰字鏡』〔天治本〕では、真名体漢字「止毛志比」と記載する。次の源順編『和名類聚抄』では、「太天阿加之」と記載する。此に続く『字類抄』〔三巻本〕は未収載とし、『名義抄』〔観智院本〕では、単漢字「爝」〔佛下末三十七〕と「炬」〔佛下末四十六〕に各々「タテアカシ」と付訓記載が見えている。此の語例を承けて、江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』がどのように叙述するかまでを検証してみることにした。
    

 『和名類聚抄』調度類燈火部「炬火」
廿卷本『倭名類聚抄』
炬火  唐韻云爝[即略反与雀同]炬火也字書云炬[其呂反上聲之重訓与燈同俗云太天阿加之]束薪灼之〔巻十二燈火部第十九燈火類第百五十六・十一丁表二行目〕
十卷本『和名類聚抄』
炬火  唐韵云爝[即略反与雀同]炬火也字書云炬火[其呂反上声之重訓与燈同俗云太天阿加之]束薪灼之〔卷四燈火部第九十八〕

【訓み下し】
炬火  『唐韻』に云はく、爝[即略反、「雀」と同じ]は「炬火」なりといふ。『字書』に云はく、炬火[其呂反、上声の重、訓は「灯」と同じ、俗に「太天阿加之(たてあかし)」と云ふ]は薪を束ねて之れを灼くを云ふ。

  『和名抄』は、廿巻本、十巻本共に概ね同じ語注記にて記載していて、文字表記に多少異なる表記が使われているものの、一線を画すような相異は此の標記語及び語注記内容には見えないことが明らかになっている。
  茲で、此の語例が燈火具として用いられ、多くの平安朝時代の文献資料に見出せているのだが、『字類抄』がなぜ所載を見送ったのかが見えていない。また、『名義抄』〔観智院本〕も「爝」と「炬」といった単漢字標記語に此の和訓を仕立てていて「炬火」の熟語例では所載を見ないことも十分注意を払っておくことになろう。

  次いで、江戸時代の狩谷棭齋『和名類聚鈔箋注』にはどう記述がなされているのかを考察する。〔燈火部第十三燈火類六十四・明治十六年版九九ウ4、曙版上四四〇頁〕
    
    【翻刻資料】炬火
唐韵云、爝[即略反、與雀同、]炬火也、○廣韻同、按玉篇、/爝、炬火也、孫氏蓋/依之、」説文、爝、苣火祓也、字書云、炬、其呂反、上聲之重、訓/與燈同、俗云太天阿/加之、○按其屬群毎、牙音單行無輕重、此云/重未詳、」新撰字鏡、炬、止毛志火、雄略紀火炬、顯宗紀爝火、皆同訓、故此云訓與燈同也、」榮花物語初花卷謂之太知阿加之百練抄立/明即是、新撰字鏡、炬、又訓太比、束薪灼之、○按説文、苣、束葦燒、徐鉉曰、今俗別作炬、即/此義、
    
   
    【本文一文訓み下し】
    1『唐韵』に云はく、爝[即略の反、「雀」と同じ]は、「炬火」なりといふ。
    2○『廣韻』も同じ。
    3按ずるに、『玉篇』に、「爝」は、炬火なり〈也〉。
    4孫氏に、蓋し之れに依る。」
    5『説文』に、「爝」は、苣火の祓なり〈也〉。
6『字書』に云はく、「炬」[其呂反、上声の重、訓みは「灯」に同じ、俗に「太天阿加之(たてあかし)」と云ふ]は薪を束ねて之れを灼くを云ふ。
    7○按ずるに、其の群毎に、牙音、單行にて輕重は無し。
    8此れ重ねて云ふは未だ詳らかならず。」
    9『新撰字鏡』に、「炬」で、「止毛志火」とす。
    10『雄略紀』に「火炬」、『顯宗紀』に「爝火」、皆同じく訓む。
    11故に、此れ「燈」の訓みは與に同じと云ふなり。」
    12『榮花物語』初花卷に之れ太知阿加之」と謂ふ。
    13『百練抄』に「立明」とし、即ち是れなり。
    14『新撰字鏡』に、「炬」、又、「太比」と訓む。
    15薪を束ねて之れを灼くを云ふ。
    16○按ずるに、『説文』に、「苣」は、葦を束ねて燒く。
    17徐鉉に曰ふ、今俗に別には「炬」と作けり、即ち、此の義なり。
    
    【参考文献資料一覧】
    ⑴『唐韻』⑵『廣韻』⑶『玉篇』⑷『説文(解字)』⑸『字書』
    ⑹孫氏。⑺徐鉉。
    ⑻『雄略紀』⑼『顯宗紀』 ⑽『榮花物語』初花卷 ⑾『百練抄』
    『新撰字鏡』
    
    【語解】
    1『唐韵』に云はく、爝[即略の反、「雀」と同じ]は、「炬火」なりといふ。
    ※[唐韻正]呂氏春秋爝火作焦火。
    2○『廣韻』も同じ。
    ※[広韻]即略切。[広韻]在爵切。[広韻]並子肖切音醮義並同
『康煕字典』【爝】[広韻]即略切[集韻][韻会][正韻]即約切並音爵[説文]苣火祓也[荘子逍遥遊]曰月出矣而爝火不息[呂氏春秋]湯得伊尹祓之于廟爝以爟火釁以犠猳[集韻]或作燋焳熦〇按広韻爝燋分訓与集韻異又[広韻]在爵切[集韻]疾雀切並音嚼又[広韻][集韻]並子肖切音醮義並同又[唐韻正]呂氏春秋爝火作焦火
    3按ずるに、『玉篇』に、「爝」は、炬火なり〈也〉。
    ※[玉篇]【爝】火炬。
    4孫氏に、蓋し之れに依る。」
    5『説文』に、「爝」は、苣火の祓なり〈也〉。
※『説文解字』に「【爝】苣火祓也。从火。爵聲呂不。韋曰湯得伊尹爝以爟火釁以犠豭(子肖切)」
6『字書』に云はく、「炬」[其呂反、上声の重、訓みは「灯」に同じ、俗に「太天阿加之(たてあかし)」と云ふ]は薪を束ねて之れを灼くを云ふ。
※『康煕字典』【炬】[広韻]其呂切[集韻][韻会][正韻]臼許切並音巨[玉篇]火炬[集韻]束葦焼也[史記田単伝]牛尾炬火光明炫燿[説文]本作苣[徐鉉曰]今俗別作炬非[集韻]或作𥬙
    7○按ずるに、其の群毎に、牙音、單行にて輕重は無し。
    8此れ重ねて云ふは未だ詳らかならず。」
    
    9『新撰字鏡』に、「炬」で、「止毛志火」とす。
    ※【炬】巨音亟也。太比止毛志比〔卷一・火部二十オ7・8〕天治本影印資料
 茲で、棭齋が記載する真字体漢字の「ひ」が「火」となっており、『字鏡』の「比」と異なる。実際、早稲田大学蔵図書館蔵の棭齋自筆写本『新撰字鏡』〔一冊〕では、「火」と記載する。要するに、棭齋自身で書写したかは疑問視され、書生に書写させた結果の見誤りの箇所を露呈することになったと見る。原本から転写のなかで極めて初歩となる箇所となっている。
   
    炬苣( 説玉)  同音、亟也、太比(タビ)、又止毛志(トモシビ)、
    一切大藏卅三
         
    10『雄略紀』に「火炬」、『顯宗紀』に「爝火」、皆同じく(「ともしび」と)訓む。
○是(ここ)に、天皇、春日小野臣(かすがのをののおみ)大樹(おほき)を遣(つかは)して、敢死士(たけきひと)一百(ももたり)を領(ゐ)て、並(ならび)に火炬(ともしび)を持(も)ちて、宅(いへ)を圍(かく)みて燒(や)かしむ。〔卷十四〕
○又(また)白髮天皇(しらかのすめらみこと)の、先(ま)づ兄(このかみ)に傳(つた)へむと欲(おもほ)して、皇太子(ひつぎのみこ)に立(た)てたまへるを奉(う)けて、前(さき)に後(のち)に固(かた)く辭(いな)びて曰(のたま)はく、「日月(ひつき)出(い)づれども、爝火(ともしび)息(や)まず。〔卷十五〕
    11故に、此れ「燈(タウ)」の訓みは與に(「ともしび」にて)同じと云ふなり。」
    12『榮花物語』初花卷に之れ「太知阿加之」と謂ふ。
○所どころの篝火、たちあかし、月の光もいと明きに、殿の内の人々は、何ばかりの数にもあらぬ五位なども、腰うちかがめ、世にあひ顔に、そこはかとなく行きちがふもあはれに見ゆ。〔①0407-03〕
たちあかしの心もとなければ、四位少将やさべき人々などをよびよせて、紙燭さして御覧じて、内裏の台盤所に持てまゐるべきに、明日よりは御物忌とて、今宵みな持てまゐりぬ。〔①0419-04〕
※実際、新編日本古典文学全集には、和語「たちあかし」の語例は右の二例があって、前の用例を引く。⇨http://www.genji.co.jp/kensaku.htmにて検索。
    
    13『百練抄』に「立明」とし、即ち是れなり。
    ※『新訂増補国史大系』卷十一電子ブック『百練抄』で検索可能〔未検索〕
○堂橋木令渡假殿事也。○十二月一日。弓塲始之間。立明火燒付宇津保柱。賴政朝臣撲滅之 ...〔第11卷P405〕
○奉仕御裝束。陪膳頭中將雅家朝臣。役送經俊。御隨身五人立明役之。陰陽師雅樂頭在清朝 ...〔第11卷百鍊抄 P541〕
    
    14『新撰字鏡』に、「炬」、又、「太比」と訓む。
    ※前述9の語解の箇所を参照。
    15薪を束ねて之れを灼くを云ふ。束レ薪を灼之、
    ※[集韻]束葦焼也
    
    16○按ずるに、『説文』に、「苣」は、葦を束ねて燒く。
    ※『説文解字』に「【苣】束葦焼也今俗別作炬非是」と記載。
『康煕字典』【苣】[唐韻其呂切[集韻][正韻]曰許切並音巨[説文束葦焼也今俗別作炬非是[後漢皇甫規伝]束苣乗城又[唐書車服志]凡天子之車五路金鳳翅画苣文鳥獸又[玉篇]苣蕂胡麻也[曹唐遊仙詩]喫尽渓頭苣蕂花又[本草]萵苣見萵字註又白苣似萵苣葉有白毛気味苦寒又苦菜一名苦苣[韻会]野生曰褊苣[杜甫詩]苦苣刺如針[註]即野苣也
    
    17徐鉉(ジヨゲン)(書家)に曰ふ、今俗に別(字)「炬」と作けり、即ち、此の義なり。
    ※徐鉉
    ※大徐本『説文解字』に曰く、
    [説文]本作苣[徐鉉曰]今俗別作炬非
    

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
たてーあかし【立明・炬火】〔名〕庭上に人々をならべ、かかげ持たせて照明とした松明(たいまつ)。また、庭上に立てて用いる松明。炬火(こか)。たちあかし。*二十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一二「炬火 唐韻云爝〈即略反 与雀同〉炬火也 字書云炬〈其呂反 上声之重 訓与燈同 俗云太天阿加之〉束薪灼之」*御堂関白記ー寛仁二年〔一〇一八(寛仁二)〕一一月九日「立明者・人々随身等有二疋見一」*狭衣物語〔一〇六九(延久元)~七七頃か〕三「たてあかしの昼より明きに、若宮の御直衣など、あざやかに、美しげに仕立てられ給へる御有様の」*恵信尼書簡〔一二五六(康元元)~六八頃〕「しんかくとおぼえて御だうのまへにはたてあかししろく候に、たてあかしのにしに御だうのまへにとりゐのやうなるに」【語源説】(1)「タチアカシ(立明・立灯)」の義〔和訓栞・大言海〕。(2)「タキアカシ(焼明)」の義〔言元梯〕。【発音】〈ア史〉平安○○○●○〈京ア〉(0)【辞書】和名・名義・文明・伊京・明応・饅頭・書言・言海【表記】【爝】名義・伊京・明応・饅頭【炬火】和名・言海【炬】名義・文明【槱】伊京【東苣】書言【図版】立明〈年中行事絵巻〉