駒澤大学「情報言語学研究室」

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エキデン【駅伝】むまやのつかひ

2023-10-16 23:24:15 | 日記
2018.10.16~2023/10/16更新
エキデン【駅伝】むまやのつかひ
                               萩原義雄識
古辞書にも平安時代末の橘兼忠編三巻本『色葉字類抄』に、

 驛傳(ムマヤノツカヒ)[入・平]──分/エキテン
                       〔下卷江部畳字門十七ウ1〕

とあって、江部に標記語「驛傳」を載せ、右訓「ムマヤノツカヒ」を付訓し、注記には「驛傳分」と字音「エキテン」とす。無部乃至宇部については、前田本が欠本のため、江戸時代の完本黒川本以て見ておくと、

  (エキ) ムマヤ/宿也〔無部地儀門〕

とあって、無部地儀門には、単漢字「驛」の右傍に字音「エキ」とし、注記に和語「ムマヤ」と意義注記「宿也」とする。因みに、「驛」字は前田本の「驛」字と対比してみたとき忠実に書記されていることが見て取れる。次に、十巻本『伊呂波字類抄』には、「驛子」のみで当該語「驛傳」は削除されている。同じく七卷本『世俗字類抄』でも、無部に「驛(ムマヤ)」

  (ムマキ) ムマヤ/エキ〔無部地儀門〕

とするに、此の「驛傳」の語からその編集方針の檝が切られ、その編纂における変容が見えてきている。当然、和語「むまやづたひ」の語も断絶するものとなろう。
 だが、室町時代の古辞書『伊京集』が辛うじて懐古姿勢としてか、

  驛傳(エキテン) ムマノ/ツタヘ也 〔江部言語進退門〕

とあって、当該語「驛傳」の語を所載することは、此の語に重きをおく編纂者の意義が大きく働いていると見て良かろう。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
えきーでん【駅伝】〔名〕(1)古代の公的交通通信制度。駅制と伝馬(てんま)の制。令制においては唐の制度にならって諸道に三〇里(約一六キロメートル)ごとに駅を置き、駅馬を備え、緊急重要の官使の逓送、宿泊に用い、また、郡家(ぐうけ)には五頭の伝馬を置いて不急の用に供したうまやづたい。*類聚三代格‐五・神亀五年〔七二八(神亀五)〕三月二八日・太政官謹奏「外五位〈略〉若因公使一応駅伝者。駅馬四疋伝馬六疋」*続日本紀ー天平二年〔七三〇(天平二)〕四月甲子「又国内所出珍奇口味等物。国郡司蔽匿不進。亦有下因乏少而不上進。自今以後。物雖乏少。不駅伝。任便貢進」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「駅伝 エキテン」伊京集〔室町〕「駅伝 エキテン」(2)「えきでんきょうそう(駅伝競走)」の略。【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]/(0)【辞書】色葉・伊京【表記】【駅伝】色葉・伊京
うまやーづたい[‥づたひ]【駅伝】〔名〕(「えきでん」の訓読み)令制下、官人の旅行、公用の使いなどのため、各駅や各郡に常備することが義務づけられた馬。駅馬と伝馬。えきでん。*堀河百首〔一一〇五(長治二)〜〇六頃〕雑「逢坂の関の関守出て見よむまや伝ひに鈴きこゆなり〈大江匡房〉」

デジタル『大辞泉』
1 「駅伝競走」の略。2 古代の駅制と伝馬(てんま)の制度。律令制では、唐の制度にならって、官吏のために駅には駅馬を備えて宿舎の便宜をはかり、郡家(ぐうけ)には伝馬を置いた。駅伝制。→駅制

まとめ
 「駅伝」の語は、漢語「エキデン【駅伝】」を和語には、「うまやーづたひ」と云い、古くから遠く離れた場所に人が移動する手段として、利用されてきた。大陸では、元の時代、モンゴル帝国が将にこの交通手段で人や物資、通信伝達などに「むまやづたひ」を行っていた。
 現代では、正月の駅伝競走として、チームの襷を手渡して距離を繋ぐ長距離走の名として「駅伝」という語は親しまれてきている。
 映画「風が強く吹いている」より 三浦しおん原作
 「箱根駅伝」を目指す物語
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51S0DbFYeYL._SY445_.jpg
が三浦しをんの小説『風が強く吹いている』〔新潮社刊〕をもとに映画化されてきた。そして小説もネット配信され電子書籍として読むことが可能となってきている。

テウハイ【朝拜】─『言海』『日本国語大辞典』─

2023-10-16 18:19:32 | 日記
2018/10/16~2023/10/16更新
テウハイ【朝拜】─『言海』『日本国語大辞典』─
                               萩原義雄識
   はじめに
「朝拜」という語をご存知だろうか。最初に『言海』を繙くと、「朝賀」に同じとあり、「朝賀」には、「朝拜」をみることになる。だが、和語「みかどをがみ」については、改訂作業が進んでいて、『大言海』を俟たねばならないことも見て取れる。では、語意説明はどうだろうか。派生語としては、「小朝拜」の語があることも『大言海』に入って連関性を確認出来ることになっている。宮中の儀式に精通している人であれば、即座に此等のことばについて反応できるのだろうが、一般の方がこの語と向き合うとき、この語の説明掲載についてその流れを皆さんは知っておいてもよいのでなかろうか。そこで、ここに取り上げてみた

テウハイ【朝拜】=テウガ【朝賀】=みかどをがみ⇛こテウハイ
【語の実際】
大槻文彦編『言海』
て(ちよ)う-はい〔名〕【朝拜】朝賀(てうが)に同じ。〔六八七頁3〕
大槻文彦編『大言海』
てう-はい〔名〕【朝拜】みかどをがみ。て(ちよ)うが(朝賀)に同じ。朝拜なき年に、清涼殿の東庭にて、殿上人の拝賀するを、小朝拜(こテウハイ)と云ふ。(昔は大極殿にて、後には清涼殿の庭上にて)。李商隱、中元詩「絳節飄箟空國來、中元朝拜一上清廻」式部省式、上「凡賀正之日、云云、皆聽朝拜」源氏物語七、紅葉賀九「男君の朝拜にまゐり給ふとて、さしのぞき給へり」〔三冊四六〇頁-2〕

小学館『日本国語大辞典』第二版
ちょう‐はい[テウ‥]【朝拝】〔名〕元旦に天皇が大極殿で諸臣の年賀を受ける儀式。平安中期に廃絶。また地方の国衙や寺院でも宮中にならって行なわれた。みかどおがみ朝賀。→小朝拝。*令義解〔七一八(養老二)〕儀制・元日国司条「凡元日。国司皆率僚属郡司等。向朝拜」*延喜式〔九二七(延長五)〕一八・式部「凡賀正之日。〈略〉皆聴朝拜」*大和物語〔九四七(天暦元)〜九五七(天徳元)頃〕七八「監の命婦てうはいの威儀の命婦にていでたりけるを」*大乗院寺社雑事記‐応仁元年〔一四六七(応仁元)〕四月「所司朝拜事」【方言】(1)里帰り。帰省。《ちょうはい》青森県三戸郡083富山県010394397石川県「ちょーはいに行く」050404422岐阜県北飛騨499《ちょはい》富山県高岡市395砺波398《ちょうわい》石川県能美郡419(2)親類縁者の家に宿泊すること。《ちょうはい》富山県390394石川県河北郡062岐阜県飛騨502(3)他所へ行って休息してくること。《ちょうはい》岐阜県飛騨502(4)もてなすこと。《ちょうはい》青森県津軽「ちょーはいする」073上北郡074《ちょうひゃあ》群馬県多野郡246《ちょはい》青森県上北郡074秋田県北秋田郡130(5)あやすこと。かわいがること。《ちょうひゃあ》群馬県多野郡246《ちょはい》青森県津軽075【発音】チョーハイ〈標ア〉[0]【辞書】文明・易林・日葡・書言・言海【表記】【朝拝】文明・易林・書言・言海

【語の解析】
 類語として、「ちょうが【朝賀】」があり、『言海』では、こちらの語意を見直すように指示する「―に同じ」 で此の語を示すのみであった。これを『大言海』では、「小朝拜」をも示し、語例を置く。
 そこで、まず「ちょうが【朝賀】」の語を『言海』から繙いておくと、
て(ちよ)う-が〔名〕【朝賀】天皇、元日、辰の刻に、大極殿(ダイゴクデン)に出御ありて行はるる儀、群臣禮服して位に列し、主上高御座(たかみくら)に就き給ひ、群臣再拝し、次に舞蹈すれば、武官、萬歳の旗を揮ふ。又、朝拜。〔六八六頁2〕
みかど-をがみ〔名〕【朝拜】朝廷、元旦の拜賀。〔九六六頁2〕

とし、さらに『大言海』になると、
てう-が(チヨウガ)〔名〕【朝賀】天皇の、元日、辰の刻に、大極殿(ダイゴクデン)に出御ありて行はるる儀式。群臣、禮服して位に列し、主上、高御座(たかみくら)に就き給ひ、群臣再拝す。次に舞蹈(ブトウ)すれば、武官、萬歳の旗を揮ふ。又、みかどをがみ。朝拜。*史記、秦始皇紀「改年始朝賀儀式、六「元正朝賀儀」日本後紀、廿二、弘仁四年「春正月乙卯朔「皇帝御受朝賀」 〔三冊四五四頁-4〕
みかど(ミカド)-をがみ(オガミ)〔名〕【朝拜】て(チヨ)うが(朝賀)、及、て(チヨ)うはい(朝拜)の條を見よ。*孝徳紀、大化二年正月「賀正禮(ミカドヲガミ)畢、即宣改新之詔」 *同、白雉三年正月「元日禮(ミカドヲガミ)訖、車駕幸大郡宮」持統紀、四年正月「公卿百寮拜朝(ミカドヲガミ)、如元會儀」〔四冊四六五頁-1・2〕
となっている。
 同じく、現行の『日国』第二版にも漢語「朝賀」と和語「みかどおがみ」の語を置くので見ておくと、
ちょう‐が[テウ‥]【朝賀】〔名〕(1)元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上して、天皇・皇后に新年のよろこびを奏上する儀式。大化二年(六四六)に始まる。みかどおがみ朝拝。また、正月二日に皇后・皇太子が諸臣の朝賀を受ける中宮朝賀・東宮朝賀も、平安時代から行なわれた。《季・新年》*続日本紀‐神亀五年〔七二八(神亀五)〕正月庚子「天皇御大極殿。王臣百寮及渤海使等朝賀」*延喜式〔九二七(延長五)〕一二・内記「凡元日朝賀滞故、延用二三日者、其宣命之辞猶称朔日」*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中行事事「先(まづ)正月には、平旦に天地四方拝、屠蘇白散、群臣の朝賀(テウガ)、小朝拝」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕初春「一、朝賀(テウガ) 是も元正也。孝徳天皇大化二年に始て行也。去年の目出度事を奏聞申さるる事也」(2)参内して寿詞を述べること。*史記‐秦始皇本紀「方今水徳之始、改年始朝賀皆自十月朔」【発音】チョーガ〈標ア〉[チョ]〈京ア〉[チョ]【辞書】文明・書言・言海【表記】【朝賀】文明・書言・言海

みかど‐おがみ[‥をがみ]【御門拝・朝拝】〔名〕元日に、天皇が大極殿で群臣たちから年賀を受ける儀式。ちょうはい。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕大化五年正月(北野本訓)「春正月の丙午の朔に、賀正(ミカトヲカミ)す」【辞書】書言・言海【表記】【朝参】書言【朝拝】言海

となっています。和語「みかどおがみ」は、『大言海』も『日国』第二版ともに、『日本書紀』を最古例としているが、江戸時代の古辞書『書言字考節用集』を最後にその語例を見ない語となっていることに氣づかされる。だが、現代の国語辞書が此の語を見出し語に置くことに語の伝統を継承し続けてきていることを忘れてはならないのではないだろうか。
 所謂、中型国語辞書とも言える岩波『広辞苑』第七版などでは、
ちょう‐が【朝賀】テウ‥①諸臣が参朝して天子に祝詞を述べること。②元日に天皇が大極殿で百官の年頭の賀を受けた大礼。みかどおがみ朝拝拝賀。〈 新年 〉
とあって、見出し語「ちょう‐が【朝賀】」の語意のなかに辛うじて記載が見えるに留まっており、この語例について知りたいと思う人がいたとき、先に挙げた大型国語辞書を繙き直すことになっている。
 そして、小型国語辞書からは、この見出し語「みかどおがみ」の語は未収載となってきていることも、ここで改めて警鐘をならしておきたいところでもある。
 因みに、『大言海』に連関語として据えた「小朝拜」を見ておきたい。
小学館『日本国語大辞典』第二版
こ‐ちょうはい[‥テウハイ]【小朝拝】〔名〕(「こぢょうはい」とも)元旦に天皇に拝賀する儀式。大内裏の正庁で百官を集めて行なう公式の朝賀の後、天皇の御座所である清涼殿の東庭において行なう歳首の拝賀。皇太子、大臣以下五位、六位の者が参集する。延喜五年(九〇五)に「王者無私」として廃止されたが、同一九年、藤原忠平の奏請によって復活。はじめ朝賀、小朝拝ともに毎年行なっていたが、のち両者を隔年に行なうようになり、さらに一条天皇以後もっぱら小朝拝のみ行なうようになった。*西宮記〔九六九(安和二)頃〕一・小朝拝「延木五年正月一日、是日有定、止小朝拝、〈仰曰、覧昔史書、王者無私、此事是私礼也云云〉延木一九年正月一日、大臣依申、有小朝拝」*平松家本平家物語〔一三C前〕九・平家讚岐国屋嶋住居之事「院の拝礼無かりければ、内裏の小朝拝(コてうはい)も行なはれず」*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中行事事「先づ正月には、平旦に天地四方拝・屠蘇白散・群臣の朝賀・小朝拝(コデウハイ)」*年中行事歌合〔一三六六(正平二一/貞治五)〕「二番 左 小朝拝 元日 内大臣 天皇はわたくしなしととどめしを臣等言葉にまたぞしたがふ〈二条師良〉」*名目鈔〔一四五七(長禄元)頃〕恒例諸公事「小朝拝(コデウハイ) 後生小の字を小(せう)と可読ことを恐て注也」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕初春「小朝拝(テウハイ) 元日也。醍醐天皇延喜五年に始て行也」【辞書】書言・言海【表記】【小朝拝】書言・言海
しょう‐ちょうはい[セウテウハイ]【小朝拝】〔名〕→こちょうはい(小朝拝)
となっている。

   まとめ
 今般、調査して見た語は、室町時代の『庭訓往來』正月五日状の語例で、このことばを最初に情報言語学研究室「ことばの溜池」のなかで調べたのは、二〇〇六(平成一八)年二月一七日。次に茲に再表示してみる。
0105-08「朝拜(テウハイ)」(004-2006.02.17)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(一五四八(天文一七)年)の「天」部に、
 朝拜 。〔元亀二年本一六五頁9〕〔静嘉堂本一八四頁2〕
 朝拜 。〔天正十七年本中二三オ3〕〔西來寺本〕
とあって、標記語「朝拜」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』正月十五日の状に、
 ⑴抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔至徳三年本〕
 ⑵抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔宝徳三年本〕
 ⑶抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔建部傳内本〕
 ⑷抑モ歳初朝拜者以テ朔日无三ノ次ヲ急キ申之處被-催人々子日ノ遊ニ之間乍思延-引ス〔山田俊雄藏本〕
 ⑸抑モ歳初朝拜者以テ朔日无三ノ次ヲ急キ申之處被-催人々子日ノ遊ニ之間乍思延-引ス〔経覺筆本〕
 ⑹×〔文明十四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明十四年本に「朝拜」と記載する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(一一七七(治承元)-八一年)と十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「朝拜」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(一四四四(文安元)年成立・元和本(一六一七(元和三)年))に、標記語「朝拜」の語は未収載にする。次に、広本『節用集』(一四七六(文明八)(文明六)年頃成立)に、
 朝拜(テウハイ)トミ、タトシ[]。〔天部態藝門七三三6〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、標記語「朝拜」の語を未収載にする。そして、易林本『節用集』に、
 朝恩(テウオン) ―威(井) ―拜(ハイ) ―敵(テキ) 〔天部言辞門一六六1〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。
 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「朝拜」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
 さて、真字本『庭訓往来註』正月十五日の状には、
004 抑モ歳初朝拜者 抑ハ決前称-後ノ辞也。朝-拜ハ天子必天明ニ冠ヲシ四方ノ星ヲ拜シ々天ヲ云々。又臣トシテ君ニ爲出-仕云也。然ヲ爰ニ對石見守謂也。廣キ可心得也云々。 〔謙堂文庫蔵三左10〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、「朝拜は、天子必ず天明に冠をし四方の星を拜し天を拜す云々。又、臣として君に出仕爲るを云ふなり」と記載する。
 古版『庭訓徃来註』では、
抑モ歳初朝拜者以テ朔日无三ノ次ヲ急キ申之處被-催人々子日ノ遊ニ之間乍思延-引スト云事モ。ツツシミニ政( ツリ)ヲスレバ。如此富貴萬福幸(サイハ)ヒ甚(ハナハダ)アリト也。甚ト云ハ。イクバクト云ハントテナリ。〔上四オ6~7〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)駈(かけら)-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に之(の)間(あひだ)乍(ながら)思(おもひ)延引(えんいん)す/抑モ歳初朝拜者以テ朔日无三ノ次ヲ急キ申之處被-催人々子日ノ遊ニ之間乍思延-引ス。是ハかぎりもなく祝ひたる詞なり。財宝(さいほう)豊(ゆた)かなるを冨(とみ)と云。位官(きくわん)高(たか)きを貴と云。萬福はよろつのさいわい。幸甚ハさいわいはなハたしと訓す。〔一ウ3~5〕
とあって、この標記語「朝拜」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)駈(かけら)-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す/抑モ歳初朝拜者以テ朔日无三ノ次ヲ急キ申之處被催人々子日ノ遊ニ之間乍思延-引ス▲富貴万福以幸甚々々ハ先方(せんはう)を愛(めで)たく祝(いは)ひたる詞(ことハ)なり。〔一オ5、6〕
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)駈(かけら)-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に之(の)間(あひだ)乍(ながら)思(おもひ)延引(えんいん)す▲富貴万福以幸甚々々ハ先方(せんはう)を愛(めで)たく祝(いは)ひたる詞(ことハ)なり。〔一オ5~一ウ1、2〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(一六〇三(慶長八)-〇四年成立)に、
Cho>fai.テウハイ(朝拜)Axita vogamu.(朝拝む)朝早く行なう礼拝.〔邦訳一二六r〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
てう-はい〔名〕【朝拜】みかどをがみ。て(ちよ)うが(朝賀)に同じ。朝拜なき年に、清涼殿の東庭にて、殿上人の拝賀するを、小朝拜(こテウハイ)と云ふ。(昔は大極殿にて、後には清涼殿の庭上にて)。李商隱、中元詩「絳節飄箟空國來、中元朝拜一上清廻」式部省式、上「凡賀正之日、云云、皆聽朝拜」源氏物語七、紅葉賀九「男君の朝拜にまゐり給ふとて、さしのぞき給へり」〔三冊四六〇頁-2〕
とあって、標記語「てう-はい【朝拜】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-はい【朝拜】〔名〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
 茲で、古くは『延喜式』などに所載の語であるが、此の語について、真名本『庭訓往来註』が「朝拜は、天子必ず天明に冠をし、四方の星を拜し、天を拜す云々。又、臣として君に出仕爲るを云ふなり」と云った意味説明をなし得ていることを高く評価しておかねばならいない。
 そして、当代の古辞書である広本『節用集』(=文明本)は、ことばだけを採録しているのだが、此の語意内容を語注記にして添えていないことが説明を要さないとして、此のような標記語を無注記の語としたと見たとき、注記無表記の語群を改めて見定めて行くことで、その全体像が把握できるものだと考えている。

あぢ【竹莢魚】

2023-10-16 14:54:56 | うおな【魚名】
2017/10/11~2023/10/16更新
あぢ【鯵】『大言海』
萩原義雄識
大槻文彦『大言海』〔明治二二年五月刊〕
あぢ〔名〕【鯵】〔『倭訓栞』あぢ、『新撰字鏡』に、を訓ぜり、『万葉集』に、味と書けり、味の佳なるを称するなるべし」いかがあるべき〕海産の魚。状、鯖(さば)に似て小さく、長さ、二三寸より尺に至る、鱗なくして、両面の腮(えら)の下より尾まで、線(すぢ)をなして、鱗の如きもの折れて並ぶ、これをゼイゴ、又、ゼンゴ(竹莢)といふ、背、青くして赤みあり、腹は微白なり、夏秋、多く、肉、美なり。*字鏡72「、阿地」*本草和名下25「、阿知」(倭名抄、同じ)竹莢魚〔一八頁中段〕

小学館『日本大百科全集』
アジ あじ/鰺jack mackerel 英語 horse mackerel 英語
 硬骨魚綱スズキ目アジ亜目アジ科Carangidaeの総称であるが、一般にはこのうちアジ亜科のものをさす。狭義にはそのうちのマアジをさすことが多い。スズキ目のなかで、前上顎骨(じようがくこつ)が伸出でき、背びれ、臀(しり)びれ、腹びれにとげがあり、鱗(うろこ)が小さいか、まったくないものをアジ亜目とし、アジ亜目のなかで、臀びれの前方に二本のとげをもつものをアジ科とする。さらにアジ科のうち、側線に稜鱗(りようりん)(ぜんごぜいごともいう)と称する一列の硬くてとげのある鱗をもつものをアジ亜科とする。アジ亜科は、背びれと臀びれの後方に小離(はなれ)びれがあるかないか、側線のどの部分に稜鱗があるか、また体形、背びれや臀びれの前部軟条の長短などによって、ムロアジ属、オニアジ属、マアジ属、メアジ属、カイワリ属、ヒシカイワリ属、クボアジ属、イトヒキアジ属などに分けられる。[鈴木清]

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あじ[あぢ]【鰺】〔名〕(1)アジ科の魚の総称。体側に「ぜんご」とよばれるうろこの変形した堅い突起が一列に並んでいる。マアジ、ムロアジ、シマアジなど種類が多く、温帯から熱帯の海に広く分布。多くの種が食用になるが、大形種の中にはシガテラ毒をもつものもある。*博物図教授法〔一八七六(明治九)〜七七〕〈安倍為任〉二「竹筴魚(アヂ)は諸国の海に産す。品類多し。其内むろあぢと称するは形小なれども味ひ美なり。播州室津の名産とす」(2)アジ科のマアジの呼称。体長は約三〇センチメートルになる。背は淡灰色に青みをおび、腹部は銀白色。水産上重要な魚で、日本各地の沿岸で多量にとれる。和名マアジ。学名はTrachurus japonicus《季・夏》*新撰字鏡〔八九八(昌泰元)〜九〇一(延喜元)頃〕「 阿知」*今昔物語集〔一一二〇(保安元)頃か〕二八・五「の塩辛・鯛の醤(ひしほ)などの諸に塩辛き物共を盛たり」*俳諧・享和句帖〔一八〇三(享和三)〕三年六月「活や江戸潮近き昼の月」*風俗画報‐二五四号〔一九〇二(明治三五)〕漁業「新島〈略〉伊豆七島日記に云〈略〉此島八丈三宅とかはりて魚多く、大かた江戸にかはる事なし。あぢ、むろあぢ、ことにおほし」【語源説】(1)アヂ(味)ある魚の意から〔和語私臆鈔・俚言集覧・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥〕。(2)アラヂ(粗路)の義。その背の形から名づけられた〔名言通〕。(3)イラモチ(苛持)の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉アズ〔富山県・石川〕ワジ〔紀州〕アッ〔鹿児島方言〕〈標ア〉[ア]〈ア史〉平安●○〈京ア〉[ア]【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・下学・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【鰺】字鏡・和名・色葉・名義・下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【鱢】和名・和玉【鯩】名義【𩷕】下学【鰭】和玉【図版】鰺

 この『日国(につこく)』〈小学館『日本国語大辞典』の略称〉第二版には、これ以前の『言海』末尾に「竹莢魚」と記録されていて、詳しい説明はない。と言うことは、近代国語辞典の初めといま現在とを読み解く上で、その語内容についての意義説明・語源・用例などを比較検証していくうえで欠かせない内容の一つとして漢語名の受容性について考察することが茲には有している。実際に、「あじ」という魚名を中国漢字で表記するとき、『言海』ではこうして末尾に「竹莢魚」と記載しているところを『日国』第二版では、実際の典拠とも言える安倍為任著『博物図教授法』〔一八七六(明治九)年〜七七年成る〕卷二に、「竹筴魚(アヂ)は諸国の海に産す。品類多し。其内むろあぢと称するは形小なれども味ひ美なり。播州室津の名産とす」 を以て、直接引用していることに氣づく。また、「ゼイゴ」「ゼンゴ」という「竹筴」に似た魚体の特徴から、この「竹筴魚(アヂ)」という漢字の標記語命名と此の用例、安倍為任著『博物図教授法』では、どのような資料を基本に記載しているのかまで溯って、その典拠を明らかにすることが必要となる。此の点については、現行の『日国』第二版にも、全く明らかにされていない。その意味で、魚名「あぢ」と標記漢字「竹筴魚(アヂ)」についての検証しておくことが求められてくる。

漢字「竹莢魚」の典拠を探る
http://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%82%B8
【漢字】 「真鰺」、「鰺」。『延喜式』では、「阿遅」と表記します。
【語源】 一般的な名称だったもの。アジ類の代表的なもので、もっともたくさん見かけるものの意味。
⑴ 「味がいい」から「あじ」。
⑵ 「鰺」の文字は「参」が旧暦の三月、太陽暦の五月にあたり。この頃が「マアジ」の旬ということからくる。静岡県沼津市の干物の加工業者の話。
⑶ 他には「味の良さから」「あじ」となった。
⑷ 『新釈魚名考』に「海岸近くでも容易に、しかも大量にとれたために「あじ」の魚名は古くからあり〈あ〉は愛称語、〈じ〉〈ぢ〉は魚名語尾であり〈あじ〉〈アヂ〉とは美味な魚の意味だろう」。
⑸ 島根県で棘のあるイトヨを「川あじ(カワアジ、カワアヂ)」という。アヂは。「かじける(痩せ細る)」のカヂ、楮(カヂ コウゾ)の「紙の繊維=線状・筋」という語の変化で細り、とがりの派生で「とがり」、「とげ」を表す。アヂ(アジ)は棘のある魚。
と記載するが、此処にも「竹莢魚」の語例は茲には見出せない。長崎県対馬産の真鯵は対馬海流の豊富な海水ミネラルを含み、質の良い旨みが凝縮されていている。
 これを大陸側からは、「竹莢魚」と呼称しだしたのか、見極めていくことになる。では、いつから本邦では「竹莢魚」と呼称しだしたのか、次に探らねばなるまい。
 その先述となる文献書が安倍為任著『博物図教授法』〔一八七六(明治九)年〜七七年成る〕卷二となる。



一 竹筴魚(アヂ)は諸國の海に産す。品類多し。其内ムロアヂと称(しよう)するは形(かたち)小なれども味ひ美(び)なり。播州(ばんしう)室津(むろつ)の名産(めいさん)とす。〔二十六オ6〕
とあって、単漢字「鯵」の表記は茲では用いられていない。『博物図教授法』という特殊な生物学研究領域での資料として、この名称がその後どう継承されているのかを見極めていくことになる。

おたまじゃくし【蝌蚪】古「かへるご」

2023-10-15 10:54:40 | 日記
2018/09/18 更新
おたまじゃくし【蝌蚪】─『言海』と『日国』─
萩原義雄識

 大槻文彦篇『言海』〔明治二二年刊〕
おたまじやくし(名)(一)しやもじの小くして、黒漆に塗れるもの。(東京婦人語)(二)轉じて、かへるこの異名形、相似たればいふ。
茲で、⑴「かへるこ」の異名形と説明する。また、⑵「黒漆に塗れるもの。(東京婦人語)」で「東京婦人語」という用いも台所用具の一具の言いようで、これが當時の都市の婦人が用いていたと伝えるているものだけに見逃してなるまい。

⑴かへるこ
かへるご 【蛙子】〔名〕蛙類ノ卵ノ、始メテ孵(カヘ)リタルモノ、頭、圓ク大ク、身、狹ク長クシテ、尾アリ、色黑ク、泳グヿ魚ノ如シ、其形ニ因テ、おたまじゃくしノ名アリ。 蝌蚪 長ズレバ、尾ヲ脱シ、足ヲ生ジテ、形ヲ成ス。〔二一四頁中段〕

としていて、かたちの類似性から「かへるご」から此の名として用いられ始めたことになる。漢字表記「玉杓子」は、茲には見えていない。だが、江戸時代末の狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』の標記語「蝦蟆」の項目に「蝌蚪」の和語例として、

今(いま)俗(ゾク)に於(お)いては「玉杓子(たまシヤクシ)」と呼(よ)ぶ。
△ △『郝』に曰(いは)く、冬(ふゆ)から春(はる)に水中(スイチユウ)に子(こ)を遺(のこ)し、曳(ひ)き繩(なわ)のごと〈如〉く有(あ)り。日(ひ)に黒(くろ)き點(テン)を見(あらは)し、卷水下(まきみづした)の時(とき)に鳴(な)き聒(カツ)して(而)生(シヤウ)じ、之(これ)を「聒子(クワツシ)」と謂(い)ふ]。
※本文は漢文体表記だが、此を訓読し、総ルビを添えている。此は便宜的に筆者が添えて示した。「△ △」の注解一文は、大和文華館写本に記載する。
とある。

 「玉杓子」の記載を見ることは、既に江戸庶民の生活に密着していて、「かへるご」から「お玉杓子」が一般化していたことを示す。江戸にも田園風景があって、田圃に「かえるご」が生息していた自然環境が保たれていたことを物語っている。
 だが、現在の国語辞書、小学館『日国』第二版には、その特徴とも言える⑴⑵の記載は、【語誌】の欄に、

【語誌】(1)(2)の意は、江戸時代に江戸を中心に生じたもの。古くは「かへるこ(蛙子)」。(1)の調理道具との形態上の類似による連想によって命名されたと考えられ、その分布は、北海道、関東、中国、四国に集中し、東北、九州ではまばらである。
とあって、『言海』の妙趣さはなく、一寸味わいのない意味説明へと変化してきていることは否めない。ただ、『日本方言地図』〔国研〕⇨『日本方言大辞典』〔小学館刊〕を活用した当該語の方言分布は圧巻な内容となっている。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
おたま‐じゃくし 【御玉杓子】〔名〕(1)柄のついたまるい汁杓子。おたがじゃくし。*洒落本・一騎夜行〔一七八〇(安永九)〕一・大通俗を謗て樽を枕とす「襦袢の干したが幽霊に見へ、を玉杓子(ヲタマシャクシ)が見越入道に成る」*土〔一九一〇(明治四三)〕〈長塚節〉一「ほうっと白く蒸気の立つ鍋の中をお玉杓子で二三度掻き立てておつぎは又蓋をした」*毛布譚〔一九七〇(昭和四五)〕〈柏原兵三〉「鍋はおろかお玉じゃくしや皿に至るまで」(2)蛙の幼生。卵から孵化して間もなく、黒灰色で、まだ四肢がなく、鰓(えら)で水呼吸し、長い尾を振って泳ぎまわる時期をいう。おたがじゃくし蛙子(かえるこ)。《季・春》*俳諧・俳諧歳時記〔一八〇三(享和三)〕上・二月「蛙 蝌斗(オタマジャクシ) 山蛤」*随筆・足薪翁記〔一八四二(天保一三)頃〕三「蛙の子をおたま杓子といふは、御多賀杓子の訛なりといふ事、或人の随筆にあり」*重訂本草綱目啓蒙〔一八四七(弘化四)〕三八・湿生「蝌斗〈略〉ヲタマジャクシ 江戸」(3)(形が(2)に似ていることから)楽譜の音符の俗称。また、音楽一般のことを俗にいう。*蛙〔一九三八(昭和一三)〕〈草野心平〉さようなら一万年「楽符のおたまじゃくしの群が一列」*父の詫び状〔一九七八(昭和五三)〕〈向田邦子〉お八つの時間「わが『お八つの交響楽』を作れたらどんなに楽しかろうと思うのだが、私はおたまじゃくしがまるで駄目なのである」(4)(「!」の形から)「エクスクラメーションマーク」の俗称。*春迺屋漫筆〔一八九一(明治二四)〕〈坪内逍遙〉をかし・三三「!(オタマジャクシ)を用ひて文章を泥川の波だてる如くにしたりき」【語誌】(1)(2)の意は、江戸時代に江戸を中心に生じたもの。古くは「かへるこ(蛙子)」。(1)の調理道具との形態上の類似による連想によって命名されたと考えられ、その分布は、北海道、関東、中国、四国に集中し、東北、九州ではまばらである。(2)「蛙の子」に由来する命名法による語形は、「カエルノコ」「ガエラゴ」「ゲーラゴ」「ゲーノコ」「ビキノコ」など全国的にかなり多い。しかし、「蛙」と「おたまじゃくし」とは形態、生息場所にかなり相違があるところから、共通語の「かえる」と「おたまじゃくし」のように、それらの語形が対応しない地域も多く認められる。(3)「おたがじゃくし」の転ともいわれるが、『日本言語地図』によれば、オタガジャクシという地点は和歌山と滋賀県の各一地点のみである。【方言】すいとんをすくう丸形のしゃもじ。《おたまじゃくし》長野県上伊那郡469【発音】〈なまり〉アタマジャクシ〔島根〕オタガジャケシ〔和歌山県〕オタマジクシ〔大和〕オタマシャクシ〔千葉〕オタマジャッコ〔神奈川〕タマジャクシ〔熊本分布相〕オチャマジャクシ〔鹿児島方言〕〈標ア〉[ジャ]〈京ア〉(ジャ)【辞書】ヘボン・言海【図版】御玉杓子(2)

かえる‐こ[かへる‥] 【蛙子・蝌蚪】〔名〕(「かえるご」とも)おたまじゃくし。《季・春》*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「蝌蚪 カヘルコ」*籾井家日記〔一五八二(天正一〇)頃〕五・丹波家出張摂州表事「蛙の子の魚に似て、かへる子となるを見れば頼みなし」*俳諧・卯辰集〔一六九一(元禄四)〕上・春「蛙子のおよぎ習し古江かな〈雨柏〉」*あらたま〔一九二一(大正一〇)〕〈斎藤茂吉〉蝌蚪「かへるごは水のもなかに生れいでかなしきかなや浅岸に寄る」【方言】(1)動物、おたまじゃくし。《かえるこ》仙台†058山形県東置賜郡139新潟県佐渡348福井県敦賀郡443滋賀県蒲生郡062奈良県675島根県鹿足郡739大分県大分市・大分郡941《があらくと》山形県北村山郡139《があらご》奈良県吉野郡675《があるこ》高知県高岡郡864《がいご》石川県能登407《かいこだま》奈良県675《がいごのこ・がいころ》石川県能登407《がいごろ》富山県東礪波郡402石川県能登407《がいのこ》熊本県阿蘇郡919《がいのご》石川県能登407《がいらんべえ》岐阜県郡上郡504《がいりこ》愛媛県北宇和郡840《がいろこだま〔─玉〕》岐阜県恵那郡498《がいろだま〔蛙玉〕》岐阜県武儀郡498《がいろっこ》山形県東置賜郡・南置賜郡139愛知県奥設楽063《がいろぶくろ〔蛙袋〕》大分県北海部郡941《がいろぼ〔蛙坊〕》岐阜県益田郡502《がいろぼうず〔蛙坊主〕》新潟県中頸城郡383《がいろんこ》熊本県阿蘇郡919《がいろんべ》岐阜県益田郡502《がいろんべえ・がいろんぼ》岐阜県郡上郡504《かえころだま》三重県名賀郡585《がえらく・がえらくた》山形県139《がえらくと》山形県最上郡(足の生えたもの)139《かえらこ》宮城県仙台市123《がえらこ》山形県139《がえらご》南部†039岩手県紫波郡093宮城県仙台市054山形県139石川県鳳至郡407《がえらんこ》山形県西村山郡139《がえらんご》山形県139《がえるくじょ》新潟県東蒲原郡368《がえるくたま・がえるくちょ》山形県西置賜郡139《がえるくと》山形県東田川郡139《かえるご》宮城県仙台市121滋賀県湖西583三重県志摩郡585香川県綾歌郡829《がえるこ》滋賀県583三重県松阪市584奈良県675島根県725香川県仲多度郡829高知県高知市861幡多郡864《がえるご》山形県東置賜郡139新潟県東蒲原郡368三重県志摩郡054員弁郡592大阪府泉北郡646奈良県宇智郡683和歌山県690島根県725香川県仲多度郡・大川郡829《かえるここ》京都†039《かえるこだま》奈良県675《かえるこんぼう〔蛙小坊〕》茨城県那珂郡188《がえるったま》新潟県中頸城郡383《がえるのこ》高知県安芸郡・長岡郡864《がえるま》新潟県347《かえるまちょ》新潟県東蒲原郡368《がえるまちょ》新潟県361《がえるまちょお》新潟県中蒲原郡347《がえるまっちょ》新潟県東蒲原郡368《がえろく》山形県西置賜郡139北村山郡144岐阜県益田郡502高知県中村市・幡多郡864《がえろくた》山形県北村山郡・最上郡139《がえろくたま》山形県138《がえろくだま》岐阜県恵那郡498《がえろくと》山形県139《かえろご》青森県南部071三戸郡083山形県東置賜郡139《がえろこ》山形県139岐阜県恵那郡498《がえろご》青森県南部085秋田県鹿角郡132山形県東置賜郡139三重県宇治山田市591南牟婁郡603《がえろっこ》山形県東置賜郡139《がえろっこだま》新潟県中越373《がえろったま》新潟県上越市382《かえろぼう》岐阜県益田郡498《かえろぼうず》新潟県中頸城郡382《がやりこ》高知県幡多郡861高岡郡864《がやるご》香川県綾歌郡829《がらご》石川県能登407三重県南牟婁郡603和歌山県東牟婁郡690《がらごら・がらごろ》石川県能登407《がりこ》高知県幡多郡864福岡県小倉050《がりご》石川県能登407岐阜県飛騨497吉城郡498《かりこだま》奈良県吉野郡675《がるこ》高知県高知市・幡多郡861《がるご》石川県能登407三重県南牟婁郡603《がるごら・がるごろ》石川県能登407《がるのこ》高知県吾川郡864《がるも》奈良県吉野郡687《がれご・がんたこ・がんたたき》石川県鹿島郡404411《ぎゃあこ》鳥取県西伯郡719島根県出雲市725《きゃあこめ》島根県八束郡725《ぎゃあのこ》富山県射水郡394鳥取県西伯郡718《ぎゃあらこ》群馬県多野郡040《きゃあるご》兵庫県出石郡652《ぎゃあるこ》京都府620《ぎゃあるっこ》新潟県西頸城郡385《ぎゃあるのこ》高知県861《ぎゃあれんこ》熊本県919《ぎゃあろんこ》熊本県上益城郡919下益城郡930《ぎゃいるご》香川県三豊郡《ぎゃえろご》兵庫県城崎郡652《ぎゃごろ》熊本県球磨郡919《ぎゃっこ》新潟県西頸城郡382《ぎゃのこ》富山県390391394《ぎゃらいご》山形県村山138《ぎゃらくた》山形県新庄市・東村山郡139《ぎゃらくと》秋田県仙北郡136山形県139《ぎゃらこ》山形県139高知県幡多郡861熊本県阿蘇郡919《ぎゃらご》富山市近在392《ぎゃらこと》山形県最上郡138《ぎゃらんこ》熊本県阿蘇郡・上益城郡919《きゃらんぼ》長野県更級郡054《ぎゃらんぼ》長野県上高井郡471《ぎゃりこ》岐阜県北飛騨459島根県簸川郡725長崎県南高来郡905熊本県919《ぎゃりご》富山市近在392岐阜県飛騨502《きゃるこ》近江坂田郡†037石川県062404422《ぎゃるご》富山県富山市近在392婦負郡396石川県石川郡421福井県坂井郡427兵庫県加古郡664香川県三豊郡829《ぎゃるのこ》徳島県美馬郡810高知県860《ぎゃるんばば》石川県能美郡062《ぎゃれんこ》熊本県上益城郡054《ぎゃろ》青森県073島根県簸川郡725《きゃろくと》山形県139《ぎゃろこ》熊本県阿蘇郡・球磨郡919《ぎゃろご》青森県073《ぎゃろっこ》宮城県栗原郡114《ぎゃろのこ》高知県香美郡861《ぎゃんごろ》岐阜県飛騨502《ぎゃんのこ》熊本県919《ぎょおろくだま》長野県南佐久郡054佐久493《ぎょろったま》新潟県中越373《ぎりこ》三重県阿山郡596《ぐいらご》愛知県碧海郡564額田郡577《げ》鹿児島県961《げああらご》岩手県上閉伊郡097気仙郡103《げああろご》岩手県九戸郡088宮城県遠田郡118《げぁらくと》秋田県130山形県139《げぁらこ》山形県139《げぁらご》岩手県上閉伊郡098気仙郡102宮城県117120121秋田県仙北郡130《げぁらこと》山形県最上郡139《げぁらんこ》山形県南村山郡139《げぁりごと》秋田県仙北郡130《げぁるぐど》秋田県130《げぁろくた》山形県139《げぁろくと》秋田県由利郡130山形県139《げぁろこ》山形県南置賜郡139《げぁろも》秋田県北秋田郡130《げえ》鹿児島県961《げえこ》長崎市906熊本県芦北郡919《げえご》鹿児島県961《げえのこ》熊本県阿蘇郡919鹿児島県968969970《げえらくと》山形県139《げえらこ》熊本県阿蘇郡923《げえらこと》山形県最上郡139《げえらばくろ》大分県大分市・大分郡941《げえらふぐ》愛知県碧海郡564《げえらぶく》大分県北海部郡939《げえらぶくろ》大分市941《けえらんこ》大分県大分市・大分郡941《げえらんこ》大分県941《けえりこ》新潟県佐渡351《けえりご》福島県会津155《げえりこ》筑後†039新潟県佐渡352長崎市053大分県下毛郡939《げえるくたま》山形県139《げえるくと》山形県東田川郡139《げえるご》福島県相馬郡156《げえること》山形県139《けえるこんぼ》茨城県多賀郡・那珂郡188《けえるっこ》茨城県稲敷郡062《げえるのこ》大分県別府市941《げえるのまっちょ》新潟県東蒲原郡368《げえろくたま》山形県東置賜郡139《げえろくだま》新潟県中越373長野県東筑摩郡480《げえろぐちょ》新潟県下越387《げえろくと》山形県139《げえろこ》山形県東置賜郡139熊本県阿蘇郡919《げえろご》福島県会津155《げえろこと》山形県最上郡139《けえろっこ》福島県会津155《げえろっこ》新潟県上越市382中頸城郡383長野県諏訪481《げえろったま》群馬県利根郡217長野県471475484《げえろばくど》大分県大分郡941《げえろんこ》大分県南海部郡939大分郡941《げえろんご》埼玉県秩父郡047《げご》鹿児島県961《げどばく》大分県南海部郡941《げのこ》鹿児島県961《げらこ》熊本県阿蘇郡919《げりこ》三重県585591599福岡県久留米市883大分県大分郡941《げりっこ》三重県度会郡585《げりのこ》宮崎県児湯郡947《げりぶくろ》大分県東国東郡941《げりんぼ》熊本県天草郡919《げりんぽ》熊本県天草郡936《げるくと》山形県139《げるこ》三重県名賀郡585《げるご》三重県志摩001度会郡599《げること》山形県東田川郡・西田川郡139《げれくと》山形県飽海郡139《げれこ》京都府620三重県名賀郡585熊本県阿蘇郡919《げれっこ》大分市941《げれんこ》宮崎県南那珂郡947《げろくたま》山形県東置賜郡139《げろくと》山形県139《げろご》青森県北津軽郡054上北郡082三重県志摩郡585《げろこと》山形県139《げろたま》山形県西田川郡139《げろっこ》宮城県栗原郡114《げろも》宮城県栗原郡114三重県鈴鹿市585《げんこ》宮崎県児湯郡947《げんごろったま》長野県南佐久郡054《げんのこ》熊本県球磨郡919宮崎県宮崎郡・南那珂郡947《じゃありぇんこ》熊本県上益城郡919《じゃありんこ》熊本県919《じゃあれんのこ》熊本県下益城郡919《じゃご》熊本県飽託郡919《じゃねんこ》熊本県八代郡919《じゃらご》富山県390392石川県能登407《じゃりこ》徳島県美馬郡054熊本県鹿本郡・玉名郡919《じゃるこ》熊本県919《じゃるのこ》高知県香美郡864《じゃれご》石川県鹿島郡411《じゃれんこ》熊本県球磨郡919《じゃんごろ》富山県氷見市056《じゃんのこ》熊本県八代郡・芦北郡919(2)蛙(かえる)の子。《かえるこ》京都632《がいるくじょお》新潟県050《がいろくだま》三重県三重郡062《がいろこ》岐阜県恵那郡514《がいろご》三重県南牟婁郡603《かええろっこ》静岡県志太郡(まだ尾の付いているもの)535《がえらご》宮城県054《かえるまちぇ・かえるまつ》新潟県050《がえろこ》山形県米沢市149《かえろったま》千葉県夷隅郡277《きゃあるこ》京都府620《ぎゃりこ》島根県大田市725《きゃるこ》石川県江沼郡422《ぎゃるご》石川県石川郡421《げえご》長崎県906《げえのこ》鹿児島県054《げえりこ》福岡市880《けえろっこ》栃木県下都賀郡197《げえろったま》千葉県夷隅郡040長野県南佐久郡486《じゃるご》石川県江沼郡422(3)動物、かえる(蛙)。《があるっちょ》山梨県453《がいろく》岐阜県恵那郡498《がいろくしゃあ》埼玉県秩父郡251《かいろっこ》栃木県安蘇郡197静岡県榛原郡(小児語)541《がいろっちょ》静岡県520《かいろっちょお》山梨県453《かいろんご》栃木県安蘇郡197《がえるこ》滋賀県蒲生郡607《がえろっこ》愛知県東三河556《かえろびき》秋田県鹿角郡132富山県050《かえろんご》栃木県198《がりこ》岡山県和気郡756《ぎゃあこ》鳥取県西伯郡712島根県出雲724《ぎゃあご》島根県大根島732《きゃあるめ》栃木県芳賀郡050東京都八丈島343《きゃあるんぼう》埼玉県入間郡054《きゃあろんどん》静岡県庵原郡534《ぎゃいこ》島根県大田市725《ぎゃるっぺ》福井県坂井郡427《ぎゃるめ》福井県432《ぎゃるんべ》福井県坂井郡427《ぎゃろもっけ》秋田県北秋田郡054《げえるちょお》山梨県中巨摩郡458《げえるっちょ》山梨県461《げえるっちょお》山梨県455《げえるめ》栃木県198《げえろっこ》埼玉県北葛飾郡258愛知県東三河556《げえろったま》長野県054475484《げえろっち》千葉県印旛郡054《けえろめ》栃木県河内郡・芳賀郡198《けえろんご》栃木県安蘇郡198《げこ》長野県佐久(幼児語)493《げご》長野県南佐久郡054《げるご》三重県志摩郡585《げろぎゃく》新潟県東頸城郡382(4)動物、ひきがえる(蟇蛙)。《ぎゃいる》香川県829(5)蛙(かえる)の卵。《がいろ》岐阜県飛騨502《がえろくたま》山形県139151《ぎゃえるご》香川県仲多度郡829《げえらんこ》大分県北海部郡・大分郡938《げえろったま》長野県佐久493《げりくた》新潟県岩船郡366(6)人をののしっていう語。《げえろったま》長野県佐久493(7)((1)に似ているところから)藻、ひじき(鹿尾菜)。《かえるこ》紀伊†107【辞書】色葉・和玉・言海【表記】【蝌蚪・蛞𧓕】色葉【蝌・蛞】和玉【蛙子】言海

山田美妙『日本大辞書』〔明治二十六(一八九三年)初版〕
かへる・ご {_蛙+子}第四ゴ (全平) 名。蛙類ノタマゴノ最モ初生ノモノ。頭ハ大キクテ圓ク、尾ニ至ルママ滑ラカニ長クセマク、色ハ黑ク、ヨク水ヲ泳グ。形チノ似タ所カラおたまじやくしトモイフ。進化シテ尾ガ取レ、足ガ生ヘ、かへるニナル。=オタマジヤクシ。=蝌蚪【(クワ/ト)】。
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ザゼン【坐禪】

2023-10-01 11:41:42 | 古辞書研究
2018/02/01 更新
ざ‐ぜん【坐禅・座禅】
萩原義雄記

小学館『日国』第二版当該語「ざぜん【坐禅】」【語誌】に、「日本では、挙例の『続日本紀』文武四(七〇〇年三月己未」に、入唐した道照(昭)が玄奘三蔵から禅を学んで帰朝した旨が記されており、これが坐禅のはじめである。」と記載が見え、そのあとに加えて、「中古に入って、天台宗の止観でも禅は重視された。中世の栄西・道元らの禅宗では、三学(戒学・慧学・定学)のうちもっぱら定学(禅定・坐禅)のみを仏道修行の方法とした。ただし、この場合の「坐禅」は、行住坐臥すべてを含む。」と記す。
さて、本邦古辞書での所載は、室町時代の広本『節用集』に始まり、刷り本系の饅頭屋本・易林本『節用集』にその継承痕を遺し、易林本と同じ、慶長年間に宗派(仏教語)を異にするキリシタン資料『日葡辞書』にもその所載を確認する。江戸時代の『書言字考節用集』が此れを承けている。茲で、『日国』に挙例する此の『日葡辞書』所載内容を改めて見ておくと、
Zajen.(ザゼン)禅宗僧(Ienxus)が観念・黙想すること.▼次条.〔邦訳840l〕
†Zajen.(ザゼン)観念・黙想.仏法語(Bup.).〔邦訳840R〕
※『邦訳日葡辞書』〔土井忠生・森田武・長南実翻訳、岩波書店刊〕参照。
※キリシタン資料『日葡辞書』〔カラー版影印資料、勉誠出版刊〕
Zajen.O meditar dos Lenxus.


と記載されている。上記【和訳】には、「禅宗僧」、「観念・黙想」の要語が見えていて、その存在語として記載されていても、その所作実践を充たす意義説明は見えない。
では、本邦古辞書の広本『節用集』(文明本)を頂点とする当該語「ザゼン【坐禅】」の諸例を見定めておくことにする。



()(ぜン)ユツル[]イル、シヅカ也 〔左部態藝門七九二頁2〕
とあって、標記語「坐禅」に字音「ザせン」〔朱字=漢音〕上字「坐」に和訓「イル」、下字「禅」に右訓「ユヅル」左訓「シヅカ也」と記載し、注記語は未記載とするといった至ってシンプルな所載となっている、單漢字「坐」の下位部別熟語としては、「坐立(ザリフ)」「坐()徹(テツ)」「坐()断(ダン)」「坐()像(ザウ)」の語群を示すものとなっていて、活用形態が意義説明より類語熟語群に重きを置くことがその記載差異となっている。続く刷り本系『節用集』も同様の形態を示す。やがて、江戸時代の『書言字考節用集』が編纂される。




坐禪(ザぜン) 濟北集―ハ者心之見儀容ヲ也。禪者見ル想想ヲ也。蓋名テ心之行相ヲ――ト[一]○詳要覧 〔卷十一言語門左部八二八頁7〕
となっていて、典拠資料名『濟北集』と『釋氏要覽』を引用し、その意義内容を語注記に説く編纂形態が見え始めている。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ざーぜん【坐禅・座禅】〔名〕仏語。端坐し、心の散乱を払い沈思黙念して無我の境に入り、悟りの道を求めること。背を伸ばしてすわり、右掌の上に左掌を置き、拇指と拇指を接して、半眼の姿勢をとる。多く禅宗で行なう修行法であるが、こうした形にかかわりなく、行住坐臥の一切をいうとする思想もある。禅。→結跏趺坐(けっかふざ)。*続日本紀ー文武四年〔七〇〇(文武四)〕三月己未「道照〈略〉還止住禅院坐禅故」*往生要集〔九八四(永観二)〜九八五(寛和元)〕大文二「有坐禅、有経行者」*平治物語〔一二二〇(承久二)頃か〕上・叡山物語の事「大師座禅に御胸痛むとき」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)〜〇四〕「Zajen(ザゼン)」*虎明本狂言・花子〔室町末〜近世初〕「ぢぶつだうへとりこもってざぜんをいたさうほどに七日七夜の隙をくれさしめ」*盤珪禅師法語〔一七三〇(享保一五)〕「坐禅は本心の異名にて、安座安心の義なり。坐の時は只坐したまま、経行の時は経行のまま也」*法華経ー分別功徳品「随義解脱此法華経、復能清浄持戒与柔和者而共同止、忍辱無瞋、志念賢固、常貴坐禅、得諸深定」【語誌】(1)仏教では坐禅は釈迦の成道に始まる。日本では、挙例の『続日本紀』文武四(七〇〇年三月己未」に、入唐した道照(昭)が玄奘三蔵から禅を学んで帰朝した旨が記されており、これが坐禅のはじめである。(2)中古に入って、天台宗の止観でも禅は重視された。中世の栄西・道元らの禅宗では、三学(戒学・慧学・定学)のうちもっぱら定学(禅定・坐禅)のみを仏道修行の方法とした。ただし、この場合の「坐禅」は、行住坐臥すべてを含む。【発音】〈標ア〉[ゼ][0]〈京ア〉[ザ]【辞書】文明・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【坐禅】饅頭・易林・書言・ヘボン【獸禅】文明【座禅】言海