さしふのき【烏草樹】
『和名抄』卷廿、木類草木部百四十七
廿巻本の古写本および〔温故堂本〕→那波道圓本〔元和版〕は、真名体漢字「佐之天之紀」で「天」字で記載、此を十巻本の「佐之夫之紀」「夫」字に補整し、慶安元年板『倭名類聚抄』棭齋書込宮内庁書陵部蔵からあとの版本類(~明治二年版まで)全て補整記述する。
棭齋が『倭名類聚鈔箋注』の当該語の語注記のなかでそのことを説く。
江戸時代の谷川士清『倭訓栞』中卷に「さしぶのき」「なんてん」の項目にて、此の「さしぶのき」を引用するが、漢名「南燭」(しやしやんぼ)と「南天竺」→「南天」(ナンテン)の語とを同一の植物と位置づけてしまっている。現代の小学館『日国』第二版では、見出語「しゃしゃんぼ【南燭】」のなかに「わくらは」と云う別名を記述するが、見出語「わくらは」は立項されていないので、ここで頓挫してしまう結果で終わってしまう。
以下、詳細は別項(チームルーム「情報言語学研究室」の「さしふのき【烏草樹】」PDF版)添付資料を参照されたい。萩原義雄識
【翻刻】
烏草樹 楊氏漢語抄云、烏草樹[佐之夫乃歧、弁色立成個同、○下總本有二和名二字一、恐非レ是、廣本亦無レ有、」廣本夫誤レ天、刻版本改正、]
※棭齋は、廿巻本の真字体漢字表記「天」字を「夫」字の誤りとして茲で指摘している。
谷川士清『倭訓栞』中卷〔四十五~六頁〕
さしぶのき 和名抄、本草南燭、今なんてんと云、古事記、佐斯夫突云云、出雲風土記佐世郷、古老傳云、須佐能突命、佐世之葉々頭刻而踊躍爲時頃判佐也木葉堕レ地、故云、佐也一、按に證類本草に南燭また烏草と名つく、和名抄に烏草樹は佐之夫之紀とあり、されは、佐之夫は南燭たること明らかなり、明月記寛喜二年六月廿日臨昏、中宮權大夫被送二南天竺一前栽植レ之、塵添壒嚢鈔、南天事、當ニ南天竺ト云フ木ヲ只南天ト云フベシト云人有リ如何、誠ニ多分南天竺ト云其云云亦ハ南燭ト云フ、庖丁聞書、とり居と云ハ、土器に檜葉南天の葉など改敷にして肴を器る、
谷川士清『倭訓栞』中卷〔六百二十七頁〕
なんてん 本草南燭、倭名抄さしふのき、塵添壒嚢鈔、常ニ南天竺云木ヲ、只南天ト云ベシト云人有リ如何、誠ニ多分南天竺ト云共云云、亦ハ南燭ト云フ、其實赤シテ如二燭火一、故ニ爾也ト、明月記、寛喜二年六月廿日臨昏中宮權大夫被送二南天竺一前栽植レ之、四條流添庖丁聞書、カイシキノ事ハ、ナンテンソク是ナルベシ、
と記載し、茲に和名「さしふのき」を記載する。『日本百科全書』の末尾に、
名は、果実が丸く小さいことによるササンボ(小小ん坊)の意。『和名抄(わみようしよう)』にある烏草樹、「サシブノキ」は本種である。材は床柱、刳 (く) り物などにする。
※谷川士清は、上記に示した『倭訓栞』で、「烏草樹(さしぶのき)」を「南天(ナンテン)」と説くが、漢名「南燭(シヤシヤンボ)」が「さしぶのき」であって、「なんてん」とは別物で、別名に「わくらは」(但し、『日国』第二版見出語未収載)があるということに現行事典類、国語辞書での説明となってきていることを添えておく。
大槻文彦篇『大言海』に、
さしぶのき〔名〕【烏草樹】今、させぼのきと云ふ、柃(ひさかき)に似て、小さき實を結ぶ、熟すれば紫黑色なり、兒童など取り食ふ。略してさしぶ。古事記・下(仁德)六、長歌「川の辺に 生ひ立てる 左斯夫を 左斯夫能紀」字鏡、五十二「烏草樹、左之夫」倭名抄廿、廿九木類「烏草樹〈佐之夫乃岐〉」倭訓栞、後編、さしぶのき「倭名抄に、烏草樹を訓(よ)めり、云云、今、山中の者、させぼの木と云ふ、是なり、土左にもシャシャブと云ふ、云云、實を食ふべし、神宮の邊にても、シャシャブと云ふ」〔二冊四九〇頁3〕
として、『古事記』下、『字鏡』、『和名抄』、『倭訓栞』の語例を引き、最も簡略且つ判りやすい意義説明「今、させぼのきと云ふ、柃(ひさかき)に似て、小さき實を結ぶ、熟すれば紫黑色なり、兒童など取り食ふ。略してさしぶ。」 を記載する。
補足〔萩原義雄識〕