駒澤大学「情報言語学研究室」

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「七夕乃由来」─『百人一首至宝袋』から読み解く─

2024-11-07 13:33:43 | 日記
「七夕乃由来」─『百人一首至宝袋』から読み解く─
                             NR7079 立石諒
                             萩原義雄補正識
はじめに
江戸時代の往来物資料として、女子用徃来に類する『百人一首』資料があり、その一書として、『百人一首至宝袋』の頭注部に見える四季の折々の節語りについて解くところがあり、茲に取り上げた「七夕の由来」の説明部分の文章を用いて語解析することを目標に、講義演習で、各々が一つの文言を選択して分担作業にあたり、読み解くことをめざした一つの報告書からなっている。

 【影印資料】   【翻字資料】

01     七夕(たなばた)の由来(ゆらい)
02 唐土(もろこし)に瓊(けい)といふ国(くに)あり。遊子(ゆうし)伯揚(はくやう)とて
03 夫婦(ふうふ)あり。朝暮(てうぼ)月(つき)を念(ねん)じ天上((てんじやう))の
04 果(くわ)をえて二星((ふたほし))ジセイと成(なる)。夫(ふ)をひこぼし
05 婦(ふ)を七夕(たなばた)といふ。天の川((あまのがは))をへだてゝ
06 すミ給((たま))ふ。常(つね)ハ帝釈天(たいしゃくてん)寳(たから)をふら
07 し給((たま))ふに毎日((まいにち))川水((かはみづ))に番(ばん)を付((つけ))て
08 渡((わた))りかなハず。七月((しちくわつ))七日((なぬか))にハ帝釈(たいしゃく)
09 大(だい)善(ぜん)法堂(ほふだう)へ参詣(さんけい)にて川水((かはみづ))を
10 くまず。此間((こゝ)に渡((わた))り給((たま))ふをほし合((あ))
11 いといふ。夫((ふ))ハ牽牛(けんぎう)とて牛(うし)を引(ひき)給ふ也。
12 婦((ふ))ハ織女(しよくぢよ)とて機(はた)をおり給((たま))ふ也。
13 万((よろづ))の願事((ねがひごと))此((この))二星((ふたほし))ジセイを祭(まつ)る事((こと))三((み))
14 年((とせ))の内((うち))に叶(かな)ハずといふ事((こと))なし。
15 祭(まつ)りやうハ庭(にハ)を清(きよ)め茅萱(ちがや)乃
16 葉(は)を敷(しき)瓜茄子(うりなす)三寸(ミき)を供(そな)へ器(き)
17 物(ぶつ)に水((みづ))を入((いれ))星(ほし)のかげをうつし
18 竹((たけ))を七尺((しちしやく))にきり五色(ごしき)の糸(いと)七(しち)節(せつ)を
19 うへる香(かをり)をたき琴(こと)をたんじまつる也。


【翻刻】
     七夕(たなばた)の由来(ゆらい)
唐土(もろこし)に瓊(けい)といふ国(くに)あり。遊子(ゆうし)伯揚(はくやう)とて夫婦(ふうふ)あり。朝暮(てうぼ)月(つき)を念(ねん)じ天上((てんじやう))の果(くわ)をえて二星((ふたほし))ジセイと成(なる)。夫(ふ)をひこぼし婦(ふ)を七夕(たなばた)といふ。天の川((あまのがは))をへだてゝすミ給((たま))ふ。常(つね)ハ帝釈天(たいしゃくてん)寳(たから)をふらし給((たま))ふに毎日((まいにち))川水((かはみづ))に番(ばん)を付((つけ))て渡((わた))りかなハず。七月((しちくわつ))七日((なぬか))にハ帝釈(たいしゃく)大(だい)善(ぜん)法堂(ほふだう)へ参詣(さんけい)にて川水((かはみづ))をくまず。此間((こゝ))に渡((わた))り給((たま))ふをほし合((あ))いといふ。夫((ふ))ハ牽牛(けんぎう)とて牛(うし)を引(ひき)給ふ也。婦((ふ))ハ織女(しよくぢよ)とて機(はた)をおり給((たま))ふ也。万((よろづ))の願事((ねがひごと))此((この))二星((ふたほし))ジセイを祭(まつ)る事((こと))三((み))年((とせ))の内((うち))に叶(かな)ハずといふ事((こと))なし。祭(まつ)りやうハ庭(にハ)を清(きよ)め茅萱(ちがや)乃((の))葉(は)を敷(しき)瓜茄子(うりなす)三寸(ミき)を供(そな)へ器(き)物(ぶつ)に水((みづ))を入((いれ))星(ほし)のかげをうつし竹((たけ))を七尺((しちしやく))にきり五色(ごしき)の糸(いと)七(しち)節(せつ)をうへる香(かをり)をたき琴(こと)をたんじまつる也。

【一文テキスト】
 「七夕の由来」は、十二文からなり、句読点は一切用いていない。このため、筆者は便宜上、句点を添えて、かなと漢字表記の文章で用いていて、漢字の一部にはその右旁にふりがな表記が施されている。清濁の表記については、此のテキストを手に取った学び手にとって、口にのぼらせて読んでいくことを考慮された傍訓が施され、読みやすくなっている。とはいえ、当代の学び手であった童女には付訓しないでも読めていたであろう漢字表記の語が精確に読み成せるかを慮って筆者が当該漢字の右旁に「()」符合にかな読みを添えておくことにした。

     七夕(たなばた)の由来(ゆらい)
01 唐土(もろこし)に瓊(けい)といふ国(くに)あり。
02 遊子(ゆうし)伯揚(はくやう)とて夫婦(ふうふ)あり。
03 朝暮(てうぼ)月(つき)を念(ねん)じ天上((てんじやう))の果(くわ)をえて二星((ふたほし))ジセイと成(なる)。
04 夫(ふ)をひこぼし婦(ふ)を七夕(たなばた)といふ。
05 天の川((あまのがは))をへだてゝすミ給((たま))ふ。
06 常(つね)ハ帝釈天(たいしゃくてん)寳(たから)をふらし給((たま))ふに毎日((まいにち))川水((かはみづ))に番(ばん)を付((つけ))て渡((わた))りかなハず。
07 七月((しちくわつ))七日((なぬか))にハ帝釈(たいしゃく)大(だい)善(ぜん)法堂(ほふだう)へ参詣(さんけい)にて川水((かはみづ))をくまず。
08 此間((ここ))に渡((わた))り給((たま))ふをほし合((あ))いといふ。
09 夫((ふ))ハ牽牛(けんぎう)とて牛(うし)を引(ひき)給ふ也。
10 婦((ふ))ハ織女(しよくぢよ)とて機(はた)をおり給((たま))ふ也。
11 万((よろづ))の願事((ねがひごと))此((この))二星((ふたほし))ジセイを祭(まつ)る事((こと))三((み))年((とせ))の内((うち))に叶(かな)ハずといふ事((こと))なし。
12 祭(まつ)りやうハ庭(にハ)を清(きよ)め茅萱(ちがや)乃葉(は)を敷(しき)瓜茄子(うりなす)三寸(ミき)を供(そな)へ器(き)物(ぶつ)に水((みづ))を入((いれ))星(ほし)のかげをうつし竹((たけ))を七尺((しちしやく))にきり五色(ごしき)の糸(いと)七(しち)節(せつ)をうへる香(かをり)をたき琴(こと)をたんじまつる也。

【語解析】
04と11に、「二星」の数詞の語を所載する。
□『和漢朗詠集』の漢詩文言に「二星」の語例が見えていて、室町時代の古写本では「ジセイ」と訓む語例を見出す。
06「かはみづ【川水】」の和語は、『日国』第二版を繙くと、漢字表記が共通する語例は歌舞伎「」金幣猿島都」〔一八二九(文政一二)念〕四立「この川水に身を沈め」と比較的近い語例となっている。 
08「ほしあひ【星合】」の和語は、『日国』第二版を繙くと、平安朝の日記文学『蜻蛉日記』〔天德二年〕上卷を初出としている。秋の季語として、現代語訳は「天の川で(牽牛と織女とが出会うという)七日の夜に(私に逢(あ)おうと)約束なさるお気持ちならば、これからも一年に一回くらいの出会いで辛抱せよと(おっしゃるでしょう)か。」と云うところから「ほしあひひとよ【星逢一夜】」の語が生まれたりしている。 
12文に、和語「みき」を本書においては、「みき【三寸】」と記載する。『日国』第二版の古辞書欄を見ておくと、古辞書のなかで、「【三寸】文明・伊京・明応・天正」と云った『節用集』類に当該語と同じ「三寸」の標記語を収載することが判るる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
06 かわ-みず[かはみづ] 【川水】〔名〕川の水。*後撰和歌集〔九五一(天暦五)~九五三(天暦七)頃〕雑二・一一八一「ふるさとの佐保の河水けふも猶かくてあふせはうれしかりけり〈藤原冬嗣〉」*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕上・康保元年「ふぢごろもながすなみだのかは水はきしにもまさるものにぞ有ける」*太平記〔一四C後〕一一・越中守護自害事「吉野・立田の河水に、落花紅葉の散乱たる如くに見へけるが」*歌舞伎・金幣猿島都〔一八二九(文政一二)〕四立「この川水に身を沈め」【発音】〈標ア〉[ワ]〈京ア〉[ワ]
09 ほし‐あい[‥あひ] 【星合】〔名〕陰暦七月七日の夜、牽牛・織女の二星が会うこと。《季・秋》*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕上・天徳二年「あまのかは七日をちぎる心あらばほしあひばかりのかげをみよとや」*俳諧・桜川〔一六七四(延宝二)〕秋一「けふや花もほしあひおひの松のしん〈季吟〉」*俳諧・続猿蓑〔一六九八(元禄一一)〕秋「星合を見置て語れ朝がらす〈涼葉〉」【発音】〈標ア〉[0]【辞書】言海【表記】【星合】言海
12 み‐き【神酒・御酒】〔名〕(「み」は接頭語)酒の美称、または敬称。おおみき。おみき。*古事記〔七一二(和銅五)〕中・歌謡「この美岐(ミキ)は 我が美岐(ミキ)ならず」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)〜一四頃〕行幸「六条院より御みき御くた物なとたてまつらせ給へり」*曾我物語〔南北朝頃〕二・影信が夢あはせ事「しかれば、ゑひはつひにさむるものにて、みきの三文字をかたどり、ちかくは三月、とおくは三年に、御ゑひさむべし」*諸国風俗問状答〔一九C前〕丹後国峰山領風俗問状答・一一三「但御家中にては、小豆飯・神酒等神棚へ供し、祝ひ候儀御座候」【語源説】(1)ミは御の意。「キ」は酒の古語〔円珠庵雑記・瓦礫雑考・大言海〕。「キ」は酒の意の語「クシ」の約〔古事記伝〕。(2)「ミ」は御の意。「キ」は「イキ」(気)の略。酒は「イキ(気)」の強いものであるところから〔和訓栞・言葉の根しらべ=鈴江潔子〕。「ミ」は発語。「キ」は気の義〔俚言集覧〕。ミ「イキ」(御息)の義〔名言通・俚言集覧〕。(3)「ミイキ(実気)」の義〔紫門和語類集〕。(4)「ミケ(御饌)」の義〔言元梯〕。(5)「ミ」は美称。「キ」は「カミ」の約。酒は噛んで造るものであるところから〔和訓集説〕。【発音】〈標ア〉[0][ミ]〈ア史〉平安・鎌倉●●〈京ア〉[ミ]【上代特殊仮名遣い】ミキ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】色葉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【神酒】色葉・文明・伊京・明応・天正・易林・書言【三寸】文明・伊京・明応・天正【御寸】文明・伊京・天正【御酒】饅頭・書言・言海【造酒】書言【神配】ヘボン

はたけ【白田・畠】

2024-08-14 02:33:43 | 日記
                                                                                              2024/08/13  更新
はたけ【白田・畠】
萩原義雄識

 『和名類聚抄』
十卷本 卷一天地部 田野類
廿巻本 巻一地部第二田園類第七・十二丁表2行目
漢字十卷本『和名類聚抄』注文/廿卷本『倭名類聚抄』注文

白田  續捜神記云江南之白田種豆[白田一曰陸田和名波太介或以白田二字作一字者訛也日夲紀云陸田種子波多介豆毛乃今案延喜内膳式營瓜一段種子四合五勺位三百六十糞人壅人師云位訓久良比糞訓古江壅訓豆知加布

    續捜神記云江南畠種豆畠一曰陸田[和名八太介

 『和名抄』二種の標記語は、十卷本が「白田」、廿巻本が「畠」と記載する。「和名(ワメイ)やまとな」を真名体漢字表記「波太介」と「八太介」と第一拍の漢字表記を字母「波」と「八」を用いて記載する。十卷本では「或以白田二字作一字者訛也(或は白田の二字を以て、(畠の)一字に作くは〈者〉訛(クワ)あやまりなり〈也〉)」と記述する。此の漢字表記については、漢籍『續捜神記』の「江南之白田種豆」を引用し、注記説明としている。
 現行の小学館『日国』第二版には、当該語漢字「白田」「畠」を和語「はたけ」と収載した『和名抄』を語用例として引用していない事実を茲に再認識しておかねばなるまい。ただ、十卷本の「白田」の語については、【辞書/表記】に「【白田】和名・名義」と載せるに過ぎない。
 また、「【畠】(国字)白く乾いた農地の意。水を引かない乾いた農地。「田畠(でんぱた・でんばく)」《古はたけ》」と説明するが、此の単漢字は「国字」でないことを明確にしておきたい。実際、仏典資料では、『地藏菩薩儀軌』〔唐〕に、
○若念枯田畠五穀生者。加持古蔓菁。加持散。
と見えている。此外、内典資料に見る「畠」字は、数は多くはないが見いだすことが出来る。こうして、本邦に於ける和語「はたけ」と結びついていったと見て良かろう。
『名物六帖』《卷一・地理上・田疇村落・二六オ》
【白田】ハタケ。[晋書傅玄伝]白田、収至㊁十餘斛㊀。水田、収㊁数十斛㊀。
『晋書』傅休奕傳●上疏曰近魏初不務多其頃畝但務修其功力故白田收至十餘斛水田收數十斛白田見上。又晋書劉琨遣䕶軍王秀等救壺闗勒敗秀於。又李白贈徐安宜詩見楚老歌詠徐安宜又馬上聞鶯詩蠶老客未歸已繰絲厨田晋書陳騫傳賜騫親兵百人十頃厨園五十畝厨士十人鹵田晋書楊方

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
はたけ【畑・畠】〔名〕(1)野菜、また穀類をつくる耕地。水田に対して、水を引き入れない耕地をいう。はた。白田(はくでん)。*万葉集〔八C後〕一八・四一二二「雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし波多気(ハタケ)も 朝ごとに しぼみ枯れゆく〈大伴家持〉」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕忠こそ「田・はたけ売りつくして、数知らずつかひ給へば」*報徳記〔一八五六(安政三)〕八「独り圃(ハタケ)を耕して以て活計を為す」(2)得意とする分野。専門の領域。また、ある特定の分野や領域。*洒落本・商内神〔一八〇二(享和二)〕「おいらがはたけにゃア、薬にしたくても、そんなやぼてんはねへよ」*歌舞伎・御国入曾我中村〔一八二五(文政八)〕中幕「どうかいつもの敵役を見るやうで、此方の畑(ハタケ)でねえの」*夜明け前〔一九三二(昭和七)~三五〕〈島崎藤村〉第一部・上・一・三「景蔵はもと漢学のの人であるが」(3)類するもの。同類のもの。*洒落本・廓大帳〔一七八九(寛政元)〕一「『ふりそでの女中は、かはいらしうざんすね』『松ばやの喜瀬川といふはたけだ』」*洒落本・志羅川夜船〔一七八九(寛政元)〕西岸世界「火いぢりをして居る女郎はひてへをかなづちで二つほどくらはせると、大橋のお今といふはたけだぜ」(4)女。女の腹。母胎。子宮。*最新百科社会語辞典〔一九三二(昭和七)〕「はたけ 畑 〔隠〕 女の腹のこと」(5)出自。うまれ。でどころ。出生地。出身階層。*洒落本・傾城買四十八手〔一七九〇(寛政二)〕しっぽりとした手「ナニサあのけいはこっちの畠(ハタケ)ではねへ女郎さ」*人情本・春色辰巳園〔一八三三(天保四)~三五〕三・五回「契情も唄女も元は乙女にて、生所(ハタケ)が別に有にはあらねど」【語源説】(1)「ハタカ(畠処)」の転〔大言海〕。(2)野原の草を焼いて畠としたところからヒタキ(火焼)の転〔滑稽雑談所引和訓義解〕。またカハキテタカキ所であることから〔日本釈名〕。(3)「ハタ」は治田の義〔東雅〕。(4)「ハタケ(畑毛)」の義〔円珠庵雑記・和訓栞〕。(5)「ハヤシタゴエツチ(生田肥地)」の略〔日本語原学=林甕臣〕。(6)「ハタケ(陸田頴)」の義〔俗語考〕。(7)「ハタカ(陸田所)」の義〔言元梯〕。(8)「ハタゲ(墾処)」の義〔南島叢考=宮良当壮〕。→「はた(畑)」の語源説。【発音】〈なまり〉ハタキ〔秋田・熊本分布相〕ハダキ〔岩手〕ハダギ〔青森・津軽語彙・岩手・秋田〕ハタク・ハッケ〔熊本分布相〕ハダ〓〔千葉〕ハダゲ・ハダゲー〔鹿児島方言〕ハツケ〔伊予大三島・壱岐・壱岐続・鹿児島方言・大隅〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安・江戸○●○〈京ア〉(タ)【上代特殊仮名遣い】ハタケ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】和名・色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【畠】和名・色葉・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・言海【陸田】色葉・名義・書言【圃】易林・書言・ヘボン【白田】和名・名義【壠】色葉・天正【暵】和玉【畑】書言【同訓異字】はたけ【畑・畠・田・圃・園】【畑】(国字)山野を焼いて開墾した農地の意。水を引かない乾いた農地。「田畑(たはた・でんぱた)」「畑作(はたさく)」《古はたけ》【畠】(国字)白く乾いた農地の意。水を引かない乾いた農地。「田畠(でんぱた・でんばく)」《古はたけ》【田】(デン)畦で区切られた農地。たはた。耕作地。「田圃」「田畝」 物を産出する土地。「油田」「塩田」 いなか。「田夫野人」「田翁」 (日本で)た。水田。「稲田(いなだ)」「青田(あおた)」《古た・ところ・さかひ・みづ・のぶ・かり・かりす》【圃】(ホ)苗代。野菜や果樹の畑。「圃畦」「圃田」 特定の目的をもった場所。また、畑仕事。農夫。「圃人」「老圃」《古その・うね》【園】(エン)塀をめぐらした場所。その。にわ。一定の区域。「庭園」「公園」 野菜や果樹の畑。「農園」「園芸」 みささぎ。「園廟」「園寝」《古その》

かみをかうむる【被髪】

2024-07-02 23:56:00 | 日記
2021.10.14~2024/07/02更新
かみをかうむる【被髪】
萩原義雄識

 鎌倉時代写『論語』高山寺本

 微管仲。吾其[レ]左衽矣。豈若匹夫匹婦之為諒也

【原文】
17.子貢曰:「管仲非仁者與?桓公殺公子糾,不能死,又相之。」子曰:「管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到于今受其賜。微管仲,吾其被髮左衽矣!豈若匹夫匹婦之為諒也,自經於溝瀆,而莫之知也!」(14.17)

軍記物語『太平記』〔日本古典文学全集[57]『太平記』(4)99頁〕
○依之洛中ハ今靜謐(セイヒツ)ノ體(テイ)ニテ、髮ヲ被(カウム)リ衽(ジン)ヲ左ニスル人ハナケレ共、遠國ハ猶(ナホ)シヅマラデ、戈(ホコ)ヲ荷(ニナ)ヒ粮(カテ)ヲ裹(ツツム)コト隙(ヒマ)ナシ。

といった一文中に、此の句表現が用いられていることを検証しておく。
小学館『日国』第二版には二つの意味を載せ、各々に語例を用意するが、右に示した『太平記』の語例は載せていない。
このあとも、語用例を蒐集していくことで、この句表現が漢籍『論語』に依據したものとしての語例を拾い上げていくことで、小学館『日国』第二版所収の語用例との聯関性についても見定めて行くことになる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
こうむ・る[かうむる]【被・蒙】〔他ラ五(四)〕(「こうぶる(被)」の変化した語)(1)頭から衣服、帽子などをかぶる。身体や頭をおおう。かぶる。*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕一七「かうべにかうむってかづいたか鶡冠と云て鶡の鳥の羽を以て冠にしてきた者あり」(2)神仏や目上の人から、ある行為や恩恵などを受ける。いただく。相手に対する敬意をこめて用いる。「御免をこうむる」*九冊本宝物集〔一一七九(治承三)頃〕四「後生に三宝のあはれみをもかうむらんと思ひて」*金刀比羅本保元物語〔一二二〇(承久二)頃か〕上・新院御謀叛思し召し立たるる事「仁平元年正月十日、万機内覧の宣旨をかうむりて天下の大小事をとりおこなひ給ひしゆへなり。〈略〉勘気をかうむるとき、しゃうりをただしく申ば」*ロドリゲス日本大文典〔一六〇四(慶長九)~〇八〕「ヲウセ co<muri(カウムリ) ソロ」*歌舞伎・名歌徳三舛玉垣〔一八〇一(享和元)〕三立「武虎は武者所を蒙る」*和英語林集成(初版)〔一八六七(慶応三)〕「オンヲ ko<muru(コウムル)」*日本橋〔一九一四(大正三)〕〈泉鏡花〉四三「お助けを被(カウム)りました御礼を」(3)きず、災禍、罪など好ましくないものを身に受ける。また、負担をしょいこむ。*愚管抄〔一二二〇(承久二)〕四・鳥羽「友実といふ禰宜きずをかふむりなんどしたりければ」*太平記〔一四C後〕一八・瓜生判官老母事「討死する者五十三人疵を被(カフムル)者五百余人也」*小説粋言〔一七五七(宝暦七)〕一「喫(〈注〉カフムル一分虧(〈注〉めいわく)」*人情本・英対暖語〔一八三八(天保九)〕初・三回「文次郎の身の上に不慮なる災ひをかふむりて」*光と風と夢〔一九四二(昭和一七)〕〈中島敦〉三「此の豪快な赤髯詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙(カウム)らねばならぬ変化を十分冷静に観察できた筈だのに」*ニッポン日記〔一九五一(昭和二六)〕〈井本威夫訳〉一九四五年一二月一五日「神道はまことに重大な打撃をこうむった」(4)(冠)ある字やことばなどを他のことばや名前のはじめにつける。冠する。*鑑草〔一六四七(正保四)〕陰隲「陰隲の二字あるを採て篇首に弁(カウム)らしむ」【語誌】(1)「かがふる」から変化した語に、「こうぶる(こうむる)」と「かぶる(かむる)」があるが、中古に生じた「こうぶる」に加え、中世以降「こうむる」が用いられるようになる。(2)頭部などを何かでおおう意では、漢文訓読文の場合、主に「こうぶる」「かぶる」が、和文脈では主に「かずく」が用いられた。(3)「こうぶる」「こうむる」は、上位者からの行為や恩恵を受ける、もしくは、傷を身に受ける例を中心に使用される語として定着し、「かぶる」「かむる」との意味の分化が意識されていたと考えられる。→「こうぶる(被)」の語誌。【発音】コームル〈音史〉室町頃から用いられる。〈標ア〉[ム]〈ア史〉室町・江戸●●○○〈京ア〉[0]【辞書】和玉・文明・天正・饅頭・黒本・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【蒙】文明・天正・饅頭・黒本・書言・ヘボン・言海【被】和玉・文明・饅頭・黒本・書言・言海【冠】和玉・言海【扈・頼〓・胃】和玉【同訓異字】こうむる【被・蒙】【被】(ヒ)かぶる。おおう。「被覆」「被膜」 うける。あう。「被災」「被害」 れる・られる(受身の助字)。《古かうむる・かうぶる・かうぶらしむ・きる・きす・かづく・かつぐ・つく・ふるる・およぶ・おほす・みだる》【蒙】(モウ)おおう。おおいかくす。「蒙翳」 うける。「蒙恩」「蒙被」《古かうぶる・おほふ・おほほる・をかす・かつぐ・くもる・くらし・つつむ・あざむく》

かたじけなし【可多自氣奈之】⇨「猥」『新譯華嚴經音義私記』上卷

2024-06-12 07:01:20 | 日記
2024/06/11  更新
かたじけなし【可多自氣奈之】⇨【猥】
                              萩原義雄識

『新譯華嚴經音義私記』上卷
【醜陋】「下猥也謂容貌猥悪也猥可多自氣奈之」〔上卷四三頁左割注6〕
〈訓読〉下字は猥なり〈也〉。容貌の猥悪なりを謂ふ〈也〉。猥は、「可多自氣奈之」
として、「猥」字のあとに真名体漢字表記「可多自氣奈之(かたじけなし)」を記載する。
白川静『字通』にて、標記字「猥」を検索しておくと、
□小学館『日国』第二版【猥】(ワイ)犬がほえる。転じて、いりみだれている様子。まじりあっていること。みだれちらかっていること。「猥雑」「猥多」《古みだりがはし・みだる・かまびすし》
□『名義抄』の和訓「➊ミダリガハシ・❷マグ・❸マガル・❹イヤシ・❺モロシ・❻アツマル・❼イヌノコ・❽ニハカニ・❾オソル・❿ヲツ」の訓が見えているのだが、「かたじけなし」の和訓が未収載となっている。
□「陋」字も、
〔名義抄〕陋 ➊イヤシ・❷イヤシム・❸ヒキカクス・❹ツタナシ・❺セハシ 
〔字鏡集〕陋 ➊アヤシ・❷ツカフ・❸セハシ・❹カクス・❺カタクナナリ・❻ヒキ・❼ツタナシ・❽ミニクシ

とし、茲にも「かたじけなし」の和訓は未記載にある。本書の巻末に、「竺 徹定」文久辛酉嘉平月吉旦書於佛類古經坣芸窗下」による識語があり、茲に⑴「石山寺収棄、玉篇廿卷其躰稍類、盖神亀天平間冩經生名匠所住也。音義與宋元諸夲不同。」⑵「此夲亦有此類註脚中往々附和訓與和名鈔稍有異同所以名私記也」とするので「私記」の二字を添えたとする。言わば、何を以て、「可多自氣奈之」とした南都東大寺の学僧が個人の立場で選び附した和訓とみておくことにする。
 そのうえで、本来の「かたじけない【忝・辱】」の語を以て見ていくとき、「醜陋」の「しゅう(しう)ろう」の意味「 ①下品な心。②顔かたちのみにくく、品のないこと。」と「猥」とが連結する接点を見出せるかが鍵ともなろう。
□「恥辱」の「辱」字
〔名義抄〕辱 ➊ハヅ・❷ハヂ・❸ハヅカシ・❹ハヂシム・❺ハヅカシム・❻カタジケナシ・❼マネク・❽ケガス 
〔字鏡集〕辱 ➊ハヂ・❷ハヅ・❸ハヂシム・❹ハヅカシ・❺ケガス・❻マネク・❼カタジケナシ・❽チノム

 ほぼ同時代の『続日本紀』宝亀三年〔七七二〕五月二七日(七七二)五月丁未(二七日)の宣命に、
○丁未。廃皇太子他戸王為庶人。詔曰。「天皇御命〈良麻止〉宣御命〈乎〉百官人等天下百姓衆聞食〈倍止〉宣。今皇太子〈止〉定賜〈部流〉他戸王其母井上内親王〈乃〉魘魅大逆之事一二遍〈能味仁〉不在。遍麻年〈久〉発覚〈奴〉。其高御座天之日嗣座〈波〉非吾一人之私座〈止奈毛〉所思行〈須〉。故是以天之日嗣〈止〉定賜〈比〉儲賜〈部流〉皇太子位〈仁〉謀反大逆人之子〈乎〉治賜〈部例婆〉卿等百官人等天下百姓〈能〉念〈良麻久毛〉恥〈志〉賀多自気奈〈志〉。加以後世〈乃〉平〈久〉安長〈久〉全〈久〉可在〈伎〉政〈仁毛〉不在〈止〉神〈奈賀良母〉所念行〈須仁〉依而〈奈母〉他戸王〈乎〉皇太子之位停賜〈比〉却賜〈布止〉宣天皇御命〈乎〉衆聞食〈倍止〉宣。

とあって、「天の下の百姓(おほみたから)の思へらまくも恥づかし、賀多自気奈志(カタジケナシ)」と形容語の重複連続形が見えている。茲では「恥辱」の「恥」字と真名体漢字表記の「賀多自気奈志」の第一拍が「賀」字と「可」字などの表記は異なるが、このような語形が同時代のなかで、同筆者までとは云わないまでも何等かの影響しあっていたのかと推定しておくことにした。

《補助資料》
小学館『日国』第二版に、
  かたじけな・い【忝・辱】〔形口〕文かたじけな・し〔形ク〕(高貴なものに対して下賤なことを恐れ屈する気持を表わす)(1)高貴なものが、いやしいものに接していることがもったいない。おそれ多い。恐縮だ。申しわけない。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕神代下(水戸本訓)「今者(いま)、天神之孫(みこ)辱(カタジケナク)吾処(あがもと)に臨(いでま)す。中心(こころ)の欣慶(よろこび)、何の日か忘れむ」*竹取物語〔九C末~一〇C初〕「忝なく、きたなげなる所に、年月をへて物し給事、きはまりたるかしこまりと申」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕藤原の君「かく一人住みし侍るを、かたじけなくとも渡りおはしましなんや」(2)尊ぶべきものと比べて恥ずかしい。わが身が面目ない。*続日本紀-宝亀三年〔七七二〕五月二七日・宣命「天の下の百姓(おほみたから)の思へらまくも恥づかし、賀多自気奈志(カタジケナシ)」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「まづ追ひ払ひつべきしづのをの、睦ましうあはれにおぼさるるも、我ながらかたじけなく、屈(く)しにける心のほど思ひ知らる」(3)分に過ぎた恩恵や好意、親切を受けて、ありがたくうれしい。もったいない。*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕蔵開中「『さて、かかる物をなん給ひて侍る』とて、帯を見せ奉り給ふ。これはさ聞く御帯也。いとかたじけなくたまはせためるは」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕桐壺「身にあまるまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥ぢをかくしつつまじらひ給ふめりつるを」*寸鉄録〔一六〇六(慶長一一)〕「諸さぶらひも、かくの如くおもひやりのあることはかたじけなきとて、この御恩ををくらんとおもふぞ」*南蛮寺物語〔一六三八(寛永一五)頃〕「いつぞやおやど申せしより、をりをり御つかひ、いろいろおくりくだされ、かたじけないとれいいふてつれだち」*咄本・軽口御前男〔一七〇三(元禄一六)〕四・二「われらが法がかたじけなければこそ、こちのまねをする衆がおほい」*浪花聞書〔一八一九(文政二)頃〕「かたじけない 忝也 按に浪花の言葉に目上のものへむかいても忝といふてありがたいと云言葉もんくはつかわず」【語誌】(1)『源氏物語』では、上位者への恐縮や感謝の気持を表わすが、「かしこし」ほど畏敬の念は強くない。この語は「かしこし」ほどには、時代とともに敬意の程度が低まることはなかったが、狂言では、「ありがたい」がより敬意の高い語として用いられるようになる。(2)(3)に挙げた『浪花聞書』によれば、近世、大坂では、「ありがたい」という言い方はあまりなく、「かたじけない」を上位者に対して使っていたが、江戸では下位者に対してだけ使われたという。【語源説】(1)「カタ(難)ンズル気ナシ」の義〔南留別志・名言通・燕居雑話・和訓栞〕。(2)「カタシケ(難気)ナシ」の義〔貞丈雑記〕。(3)「カドシキケ(廉気)ナシ」の転〔言元梯〕。(4)「カ(勝)タジ-ケ(気)-ナシ(甚)」の義〔大言海〕。(5)「カタシケナシ(偏無審)」の転〔紫門和語類集〕。【発音】〈なまり〉カタジキナイ〔信州上田〕〈標ア〉[ナ]〈京ア〉[ケ]文「かたじけなし」〈標ア〉〈ア史〉鎌倉「かたじけなき」●●●●●◎江戸●●●●●○と●●●●○○の両様〈京ア〉[ナ]【上代特殊仮名遣い】カタジケナシ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【忝】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・易林・書言・言海【辱】色葉・名義・和玉・文明・易林・書言・ヘボン・言海【叨】色葉・名義【尊・惶・朕・貴・懼・恐】色葉【昌】名義【埓】文明

あせ・る【焦】→焦迫

2024-05-16 01:43:57 | 日記
あせる【焦】
                              萩原義雄識
 大槻文彦編『大言海』所載の当該語和語動詞「あせ・る【焦】」は、標記語を「焦心」として所載する。それ以前における『言海』には、
あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動)(規一)〔あは發語にて、せるは、競(せ)るか〕急(せ)きて心をつかふ。苛(いら)つ。焦心 〔一七頁上段〕
とする。
あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動、四)【焦迫】〔相(あひ)迫るの約、(閒(ア、ヒ)好くば、あはよくば、あひしらふ、あしらふ)倭訓栞、後編、あせる「俗に急遽なるを云ふ、相迫にや」」急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。苛(いら)つ。*俚言集覽、あせる「人に負けじと競(きそ)ひて、心を遣ひ氣をもむを云ふ」〔一冊七〇頁1・2段〕
とあって、『言海』の記述を変改している。標記漢字を「焦迫」と二字熟語で記載しているのも特徴となっている。意義説明も「あ、迫る」から「相(あひ)迫るの約」とし、「急(せ)きて心をつかふ」を「急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。」とする。
同時代の官版『語彙』卷二には、
あせる人にまけじときそひて心を遣(つか)ひ氣ヲモムをいふ 〔卷二、卅五ウ8〕
としていて、『俚言集覽』の説明をそのまま蹈襲するものとなっていることが判る。
 やがて、和語動詞「あせ・る」は、単漢字「焦」の字だけで表記するに至る。さらに、『日国』が示す⑶の意味での「俗に、あわてる。」を表すものとなっていく。

【ことばの実際】
島崎藤村『新生』
○彼の心が焦れば焦るほど、延びることを待っていられないような眼に見えないものは意地の悪いほど無遠慮な勢いを示して来た。〔三十五〕
○二人の結びつきは要するに三年孤独の境涯に置かれた互の性の饑に過ぎなかったのではないか。愛の舞台に登って馬鹿らしい役割を演ずるのは何時でも男だ、男は常に与える、世には与えらるることばかりを知って、全く与えることを知らないような女すらある、それほど女の冷静で居られるのに比べたら男の焦りに焦るのを腹立しくは考えないかと。〔六十七〕

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あせ・る【焦】〔自ラ五(四)〕(1)気がいらだってあばれる。手足をばたばたさせて騒ぐ。*梁塵秘抄〔一一七九(治承三)頃〕二・四句神歌「娑婆にゆゆしく憎きもの、法師のあせる上馬に乗りて」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「沛艾 アセル ヲトリアセル」*名語記〔一二七五(建治元)〕三「馬のあせり、さはぐ」*荏柄天神縁起〔一三一九(元応元)~二一頃〕「かの女房くれなゐのはかま腰にまとひつつ手に錫杖をふりて〈略〉狂ひおどりあせりけれ」(2)思い通りに事が運ばないので、急いでしようとして落ち着かなくなる。気がいらだつ。気をもむ。じりじりする。*天理本狂言・塗師〔室町末~近世初〕「其時、女房うしろより、いろいろ、てまねきして、身をあせり、男をよぶ」*俳諧・馬の上〔一八〇二(享和二)〕「あはれかくては十里の道こころもとなしとあせるにも似ず」*和訓栞後編〔一八八七(明治二〇)〕「あせる 俗に急遽なるをいふ。相迫にや」*浮雲〔一八八七(明治二〇)~八九〕〈二葉亭四迷〉三・一九「不満足の苦を脱(のが)れようと気をあせるから」(3)俗に、あわてる。*にんげん動物園〔一九八一(昭和五六)〕〈中島梓〉九三「甘栗を買おうとして反射的に『あまつ……』と云いかけてあせることがある」【方言】(1)催促する。せきたてる。《あせる》広島県安芸郡776高田郡779(2)働く。《あせる》岐阜県吉城郡500飛騨502(3)もがく。暴れる。《あせる》富山県射水郡394福井県大野郡062岐阜県吉城郡501飛騨502(4)睡眠中に動き回る。《あせる》島根県隠岐島725(5)熱心にする。《あせる》石川県金沢市404(6)口論する。《あせる》宮城県石巻120【語源説】(1)「アヒセル(相迫)」の約〔和訓栞後編〕。(2)「アセル(彌急)」の義〔言元梯〕。(3)「アセ得ル」の義。「ア」は「顕ルル」、「セ」は迫る〔国語本義〕。【発音】〈なまり〉アセイ・アセッ・セッ〔鹿児島方言〕アセガル〔壱岐〕アズル〔神戸・播磨〕アヅル〔佐渡〕〈標ア〉[セ]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・ヘボン・言海【表記】【沛艾】色葉【焦迫】言海