駒澤大学「情報言語学研究室」

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たうみ【唐箕】←「たうみの」

2024-06-10 09:24:23 | ことばの溜池(古語)
2016/11/29 ~2024/06/10更新
たうみ【唐箕】←「たうみの」     
                            ck6145 北村美帆
                            萩原義雄 再識

 唐箕【とうみ】〔1.4540-06〕『分類語彙表』道具 〉農工具など

【ことばの実際】
長塚節『土』に見える「トウミ【唐箕】」語例〔三例〕
1、「さうだつけかな、それでも俺(お)ら唐箕(たうみ)は強(つよ)く立(た)てた積(つもり)なんだがなよ、今年(ことし)は赤(あか)も夥多(しつかり)だが磨臼(するす)の切(き)れ方(かた)もどういふもんだか惡(わり)いんだよ」とお品(しな)は少(すこ)し身(み)を動(うご)かして分疏(いひわけ)するやうにいつた。
2、彼(かれ)は秋(あき)の大豆打(だいづうち)といふ日(ひ)の晩(ばん)などには、唐箕(たうみ)へ掛(か)けたり俵(たはら)に作(つく)つたりする間(あひだ)に二升(しよう)や三升(じよう)の大豆(だいづ)は竊(ひそか)に隱(かく)して置(お)いてお品(しな)の家(うち)へ持(も)つて行(い)つた。
3、俺(お)らやあつち内(うち)にや打(ぶ)ん投(な)げつちやあだから、あゝ、俺(お)ら腕(うで)ばかしぢやねえ、そらつ位(くれえ)だから齒(は)も強(つえ)えだよ、俺(お)ら麥打(むぎぶち)ん時(とき)唐箕(たうみ)立(た)てゝちや半夏桃(はんげもゝ)貰(もら)つたの、ひよえつと口(くち)さ入(せ)えたつきり、核(たね)までがり〱噛(かぢ)つちやつたな、奇態(きたい)だよそんだが桃(もゝ)噛(かぢ)つてつと鼻(はな)ん中(なか)さ埃(ほこり)へえんねえかんな、俺(お)れが齒(は)ぢや誰(た)れでも魂消(たまげ)んだから眞鍮(しんちう)の煙管(きせる)なんざ、銜(くうえ)えてぎり〱つとかう手(て)ツ平(ぴら)でぶん廻(まあ)すとぽろうつと噛(か)み切(き)れちやあのがんだから、そんだから今(いま)でも、かうれ、此(こ)の通(とほ)りだ」爺(ぢい)さんはぎり〱と齒(は)を噛(か)み合(あは)せて見(み)せた。
□長編小説『土』の文章に見える「唐箕」だが、3の一文脈が長いなかにあって、茲には象徴語表現がふんだんに用いられているのがその特徴の一つとも言える。

【語解】
小学館『日国』第二版の見出語「とうみ【唐箕】」の意味は、①「穀物の実と、粃(しいな)・殻(から)・塵などを選別する農具」、②「箱の内部に装置してある風車様のもので風を起こし、上から落とす穀粒を粃・殻などと実とに吹き分けるもの」と二段階にして意義説明する。吾人が小学校低学年の比まで、近隣の農家庭先でよく見掛けた木製農具だが、今は郷土博物館に置かれている農耕機具として見るくらいになっている。
 此の「唐箕」は、江戸時代の浮世草子、井原西鶴『日本永代蔵』〔一六八八(元禄元)年刊〕卷第五・第三「大豆(まめ)一粒(りう)の光(ひか)り堂(だう)」に「たうみの」の語例として登場する。

 此((この))外、唐箕(たうみの)・千石((せんごく))(どを)し。麦こく手業(わざ)もとげしなかりしに、鉾(とがり)竹をならべ、是((これ))を後家倒(ごけだをし)と名付(な(づく))

とあって、農具「唐箕」と「千石通し」が描かれている。標記語「唐箕」に「タウみの」と付訓する。此が槇島昭武編『和漢三才圖會』〔一七一二(正徳二)年刊〕卷三五に、

  颺扇(タウミ) 唐箕。俗太宇美、以礱揄穀、用颺扇桴也

とし、標記語「颺扇(タウミ)」にして「唐箕」の語をも示し、真名体漢字表記を「俗」として「太宇美(たうみ)」、次に「礱揄を以て穀し、颺扇を用いて桴を去るなり〈也〉」と説明する。既に、「たうみの」から「たうみ」へと変容するか たちが見えていて、此が上方と江戸との地域差も影響しているとも見て取れる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
とう‐み[タウ:] 【唐箕】〔名〕穀物の実と、粃(しいな)・殻(から)・塵などを選別する農具。箱の内部に装置してある風車様のもので風を起こし、上から落とす穀粒を粃・殻などと実とに吹き分けるもの。とうみの。*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕三五「颺扇(タウミ) 唐箕。俗太宇美、以礱揄穀、用颺扇桴也」*俳諧・八番日記‐文政二年〔一八一九(文政二)〕九月「蛼(こほろぎ)のとぶや唐箕のほこり先」*田舎教師〔一九〇九(明治四二)〕〈 田山花袋〉「農家の広場に唐箕が忙はしく廻った」【方言】箕(み)。《とみ》山形県西村山郡139【発音】トーミ〈なまり〉トーミー・ドミ・トン〔鳥取〕トミ〔 飛騨・ 紀州・ 和歌山県・ 鳥取〕〈標ア〉[ト] [0]〈京ア〉[0]【辞書】ヘボン・ 言海【表記】【唐箕】ヘボン・ 言海【図絵】唐箕〈老農夜話〉

とう‐みの[タウ:] 【唐箕】「名〕「 とうみ(唐箕)」に同じ。*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八(元禄元)〕五・三「此外唐箕(タウミノ)、千石通し、麦こく手業もとけしなかりしに」【発音】トーミノ〈標ア〉[0] [ト]

・デジタル『大辞泉』
とう‐み 〔タウ‐〕 【唐×箕】穀粒を選別する装置。箱形の胴につけた羽根車で風を起こし、その力を利用して秕(しいな)・籾殻(もみがら)・ごみなどを吹き飛ばして、穀粒を下に残す。
・大槻文彦編『大言海』
た(ト)う-み(名)【唐箕】穀ノ粃(シヒナ)ヲ分クル具、圓キ匣ノ中ニ風車ノ如キモノアリ、稻ノ穗ヲコキオトシタルヲ、上ヨリ落シテ、風車ヲ廻ハセバ、精ナルハ下ニ落チ、粃ハ一方ヘ飛ビ去ル。又、磨リタルヲ落セバ、米トもみがらト相分ル。扇車 颺扇 〔五九五頁上段〕

【評価寸言】此の語から貴方自身が気づいたことをまとめて報告下さい。〔萩原義雄識〕

みづかがみ【水鏡】

2024-05-01 20:08:17 | ことばの溜池(古語)
    みづかがみ【水鏡】
                              萩原義雄識

 夜の月が池や湖の水面に映るとき、人は此の景観を「水鏡」と呼称してきた。
 茲に、『金光明最勝王経』卷二に、
○善男子。譬。如日月無有分別。亦如水鏡無有分別。光明亦無分別。三種和合得有影生。
○善男子キヽ玉ヘ。譬(タトヘ)バ。如日-月ノ。無(ナキ)ガ分別。亦( タ)。如クニ水鏡(ミヅカヾミ)ミヅニヤドレルツキヒヲノ(ナキ)ガ(アル)コト分-別一。光-明マタヽク。テリカヽヤケルヒカリトテモトテモ。亦( タ)。無(ナケレ)トモキヲ以分-別アルコト。三-種タイサウイヨウノサンジン。和-合シヌレバ(ウル)ヲ以ガ如シ(アル)コトヲ(カゲ)生ズルコト▲。〔宝暦十年刊・架蔵本〕
【訓読】
善男子キヽ玉ヘ。譬(タトヘ)バ。日-月ノ。分別有無(ナキ)ガ如ク。亦(まタ)。水鏡(ミヅカヾミ)ミヅニヤドレルツキヒヲノ分-別有(アル)コト無(ナキ)ガ如クニ。光-明マタヽク。テリカヽヤケルヒカリトテモトテモ。亦(まタ)。分-別アルコト無(ナケレ)どもキヲ以。三-種▲タイサウイヨウノサンジン。和-合シヌレバ得(ウル)ヲ影(カゲ)生ズルコト▲有(アル)コトヲ以ガ如シ。
となっている。和語名詞「みづかがみ【水鏡】」の左訓語注記には、「ミヅニヤドレルツキヒ」と記述する。
 他に、「水鏡(ミヅカヾミ)ケシンハ」と云う語例を見る。此のように、左訓和解注記については是れまで国語辞書の意義説明や補記などには反映されることが少なかったと考えている。その点を明らかにし、此れらの和解の注記表現を次に文藝資料などにどのようなかたちで投影されているのかへと繋げていければと考えている。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
みず-かがみ[みづ‥]【水鏡】【一】〔名〕静かに澄んでいる水面に物の影がうつって見えること。また、水面に顔や姿などをうつして見ること。また、その水面。*恵慶集〔九八五(寛和元)~九八七(永延元)頃〕「天の河影を宿せる水かかみたなばたつめの逢瀬しらせよ」*謡曲・井筒〔一四三五(永享七)頃〕「井筒に寄りて〈略〉互に影を水鏡、面を並べ袖を掛け」*俳諧・犬子集〔一六三三(寛永一〇)〕三・杜若「水かかみ見てやたしなむ皃(かほ)よ花〈宗俊〉」*ありのすさび〔一八九五(明治二八)〕〈後藤宙外〉三「汀(みぎは)に水鏡して」【二】鎌倉初期の歴史物語。三巻。作者は中山忠親説、源雅頼説などがある。成立年代未詳。内容は神武天皇から仁明天皇までの五五代(弘文天皇を除き、神功皇后・飯豊天皇を含む)、約一五〇〇年間の事跡を編年体に記したもので、鏡物では最も古い時代を扱っている。【発音】ミズカガミ〈標ア〉[カ]〈京ア〉[カ]【辞書】日葡・ヘボン・言海【表記】【水鑑】ヘボン【水鏡】言海
すい-きょう[‥キャウ]【水鏡】〔名〕(1)水面に物の影が映って見えること。みずかがみ。*懐風藻〔七五一(天平勝宝三)〕在常陸贈倭判官留在京〈藤原宇合〉「公潔等氷壺、明逾水鏡」*本朝文粋〔一〇六〇(康平三)頃〕一・織女石賦〈菅原文時〉「空想河鼓以亘眺、亦対水鏡以下臨」*張九齢-和吏部李侍郎見示秋夜望月詩「光逐露華満、情因水鏡揺」(2)(水がありのままに物の姿をうつすところから)物事をよく観察し、その真状を見抜き、人の模範となること。また、その人。*世説新語-賞誉「衛伯玉為尚書令〈略〉命子弟之曰、此人、人之水鏡也。見之若雲霧青天」(3)月の異称。*性霊集-一〇〔一〇七九(承暦三)〕故贈僧正勤操大徳影讚「団々水鏡空而仮、灼々空花亦不真」*布令字弁〔一八六八(明治元)~七二〕〈知足蹄原子〉三「水鏡 スイキャウ ツキノコト」*謝荘-月賦「柔祇雪凝、円霊水鏡」【発音】スイキョー〈標ア〉[0]




はやて【颯】

2023-05-01 16:35:12 | ことばの溜池(古語)

2020/05/19 更新
はやて【颯】
萩原義雄識

小学館『日本国語大辞典』(略して『日国』)第二版には、(2 )の意味として「(かかると直ぐ死ぬというところから)疫痢の異称。」という意味説明がある。語用例としては、江戸時代の
*天野信景(あまのさだかげ)随筆『塩尻』〔一六九八(元禄一一)~一七三三(享保一八)年頃〕第六八に、
「小児暴瀉し頓に死するもの多し、(府下の庸医はやてといふにや)」
*『橘黄年譜』天保八年〔一八三七(天保八)年〕上卷に、
「吐利甚、脈弦数、身熱焼が如く〈略〉俗間称して早手と云。蓋迅速にして死するの意と云」と記載する。古辞書では、表記は、
  ①【暴風】文明・易林・書言・ヘボン
  ②【疾風】言海
といった二種の表記例に留まる。かな表記と漢字表記「早手」の併せて二例である。
 そこで、『塩尻』四十二(『古事類苑』方技部一七疾病三より)を閲覧してみると、小児暴潟し頻に死するもの多し、府下の庸医ははやてといふにや、諸藥驗なく見へし、○ ○ ○然るに医家必読曰、漿水散〈治暴潟如水一身尽冷汗出、猶脈弱気少不能言、甚者嘔吐此為急病、〉半夏〈一両蘭製〉良薑〈二匁五分〉乾薑〈砲〉内桂〈各五匁〉甘草〈炙五匁〉附子〈砲五匁〉右細末して、毎服〈四匁〉水二鐘煮一鐘服雲々、
とあることが明らかとなる。他に『日国』では未収載だが、『時還讀我書』卷下に、
 鎮西諸州ニハ夏月、小兒ノ暴利多ク行ハルトキケリ、筑前ハ其證最モ夥シ、  余{○多紀元堅}彼藩ノ醫青木春澤ニ乞テ、其概略ヲ録セシム、今コヽニ掲出スト云フ、暴利ハ多ク六月頃ヨリ八九月頃マデアリ、就レ中後稍涼風ヲ催ス時節最多シ

と云う記載があって、漢字表記「暴利」と記載されている。訓みは「はやて」かと推測するしかない。

 この「暴利」も疾病として、『古事類苑』は引用しているが、『日国』第二版には意味説明すら未収載なのである。今暫し、検証を重ねた上で取り込むことが必要となろう。
現在の方言では、(8 )流行病。《はやて》島根県仁多郡・隠岐島725(9 )疫痢。《はやて》長野県上伊那郡488 愛知県愛知郡563 名古屋市(疫痢に似た子供の病気)567としている。だが、現行の調査報告書には、疾病の語は「隠岐方言の特徴ー合同調査の報告を兼ねてー」(平子達也)〔二〇一八年、国立国語研究所共同プロジェクト〕
https://www2.ninjal.ac.jp/past-projects/endangered/report/research-report-on-okinoshima-dialect.html
にも残念ながら取り上げられていないことが確認出来た。
続いて、単漢字「颯」を和語「はやて」と読んだ資料は何処にあるのだろうか?探って見たいと思う。
 まず、最初に行った作業は「ふりがな文庫」へのアクセスであった。以下に示そう。
 疾風67.0%
 颶風14.3%
 暴風5.5%
 早手3.3%
 早手風2.2%
 迅風2.2%
 旋風1.1%
 暴風雨1.1%
 速風1.1%
 風1.1%
 (他:1)
ここには、「はやて」で「颯」字の漢字表記はゼロであった。吾人達が日常生活のなかで実際この文字とよみが「はやて」とするところは、人の名前に「颯」⇨「はやて」とし、人名漢字として幅広い人気があるようで、「颯」と書いて「はやて」と読める人は年々増えている傾向にあることが見えてきたのである。当然二字漢字の上位乃至下位にこの「颯」字を添えた人名は男女ともに多い傾向にある。いわば宛字、義訓として、通常の漢和辞典の読み方には「はやて」は未収載であり、パソコンなどでの漢字変換でも即座に入力しても出てこないことばとなっていることがわかる。あと名前では、「フウ」、「はやと」と読む人がいることが見えてきている。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
はやーて【疾風・早手】〔名〕(1 )(「て」は風の意)急に激しく吹き起こる風。陣風しっぷうはやてかぜはやちかぜはやちのかぜはやち。*竹取物語〔九C末~一〇C初〕「はやてもりうの吹かする也。はや神に祈りたまへ」*夫木和歌抄〔一三一〇(延慶三)頃〕一九「波しらむ奥のはやてやつよからし生田かいそによするともふね〈藤原為家〉」*浄瑠璃・伽羅先代萩〔一七八五(天明五)〕二「思ひがけなく表(おもて)は恟(びっく)り。〈略〉はやてに逢し心地にて」(2 )(かかると直ぐ死ぬというところから)疫痢の異称。*随筆・塩尻〔一六九八(元禄一一)~一七三三(享保一八)頃〕六八「小児暴瀉し頓に死するもの多し、(府下の庸医はやてといふにや)」*橘黄年譜ー天保八年〔一八三七(天保八)〕「吐利甚、脈弦数、身熱焼が如く〈略〉俗間称して早手と云。蓋迅速にして死するの意と云」( 3)短期間に相場が激変すること。*稲の穂(大阪市史五)〔一八四二(天保一三)~幕末頃〕「多葉粉二三腹呑間に大高下来るを早手と言」( 4)(疾風)旧日本陸軍の四式戦闘機の通称。昭和一八年(一九四三)四月初飛行。単発単座。最大時速六二四キロメートル、航続距離一二五五キロメートル。【方言】(1 )旋風。つむじ風。《はやて》三重県志摩郡585 兵庫県淡路島052( 2)暴風雨。《はやて》愛知県愛知郡563 碧海郡564 滋賀県滋賀郡606(3 )暴風。《はやて》千葉県261和歌山県西牟婁郡690 和歌山市695( 4)寒明けに吹く突風。《はやて》静岡県安倍郡054( 5)夏の強風。《はやて》静岡県浜名郡545( 6)夏の夕立とともに起こる一時的な風。《はやて》愛媛県越智郡844(7 )驟雨(しゅうう)。《はやて》滋賀県蒲生郡612(8 )流行病。《はやて》島根県仁多郡・隠岐島725( 9)疫痢。《はやて》長野県上伊那郡488 愛知県愛知郡563 名古屋市(疫痢に似た子供の病気)567【語源説】「ハヤチ」の転〔東雅・大言海〕。【発音】〈標ア〉[テ][0](4 )は[0]〈京ア〉[ハ]【辞書】文明・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【暴風】文明・易林・書言・ヘボン【疾風】言海

 


『倭漢朗詠集』「織錦機」の詩句に学ぶ

2023-04-15 01:09:32 | ことばの溜池(古語)

2023/04/14 更新
 『倭漢朗詠集』「織錦機」の詩句に学ぶ
                                                                      萩原義雄識

    織錦機中。已弁相思之字。
   擣衣砧上。俄添怨別之聲。
 〔『和漢朗詠集』八月十五夜賦二四一〕公乗億(こうじようおく)が賦。

                                                                       錦織
〔写真は龍門文庫蔵『和漢朗詠集』卷上を使用〕

【読み下し文】
 錦(にしき)を織(お)る。機(はたもの)の中(うち)にはすでに相思(さうし/あひおもふ)の字(じ)を弁(わきま)へ、衣(ころも)を擣(う)つ砧(きぬた)の上(うへ)には俄(にはか)に怨別(えんべつ)の声(こゑ)を添(そ)ふ。

◆ここに示した資料は、『和漢朗詠集』に所載の詩句「織錦機」です。
この『和漢朗詠集』は、平安時代の藤原公任が編纂した漢詩集ですが、現在最も多くの写本類が現存する資料の一つです。ご自身で、別の写本類を用いて、この漢詩文がどのように書写されてきたのかを学んで見ましょう!!

 きっと、何か新たな発見が得られるでしょう。因みに、活字翻刻された文献資料としては、岩波古典大系、講談社学術文庫、岩波文庫など多数の資料がございます。

 詩人の大岡信さんが、漢詩についてこのように説明されております。

 「漢詩」という呼び名は、中国人の作る詩だけではなく、日本人が作る中国スタイルの詩を呼ぶとき、とりわけ意識的に用いられた呼称ですが、その最も明瞭な特徴は、作品がすべて中国の文字である漢字で書かれ、形式上の規則もすべて中国のそれに準じて、厳しい規則に従ったという点にあります。つまり「漢詩」は、日本人が八世紀ごろに中国の文字をもとにして発明した「平かな」「片かな」という二種類の、便利でもあれば日本語の話しことばの表記にとって最適である手段を一切用いないで書かれた、日本人の作った詩だったのです。〔『歌謡そして漢詩文』日本の古典詩歌3・岩波書店刊、3頁~4頁所収〕