たきき【薪】字ー新編『倭玉篇』(江戸期の版本)所載の「ミヅクサ」ー
萩原義雄識
同じく、慶長十五年(一六一〇)版、慶長十八(一六一三)年版・慶長癸丑(一六一三)版『倭玉篇』では、
薪(シン) タキヾ 〔中卷艸部百五十・二一六頁6〕
薪(シン) タキヾ 〔中卷艸部百五十・一一四齣6〕〔中卷艸部百五十百五十・一一四齣6〕
薪(シン) タキヾ〔慶長庚戌(一六一〇)年版、中卷艸部〕
とし、和訓を「タキヾ」と記載し、此れを寛永各版、寛文十一年版、そして寛文二年版、元禄で見ておくと、
薪(シン) タキヾ〔寛永五年(一六二八)版横本、中卷艸部百五十〕
薪(シン) タキヽ〔寛文二年(一六六二)版、中卷艸部百五十〕
薪(シン) タキヽ〔元禄六年(一六九三)版、中卷艸部百五十〕
薪(シン) タキヾ〔寳永六年(一七〇九)版、中卷艸部〕
とその継承が見られる反面、同時代の版本類に和訓を「ミヅクサ」乃至「ミツクサ」なる語を此の標記語に仕立てた新編『倭玉篇』類が登場している点を、今回紹介しておく。
薪(シン) ミヅクサ〔寛永七年(一六三〇)版版、中卷艸部百六十二58齣左4〕
薪(シン) ミヅクサ〔寛永九年(一六三二)版、中卷艸部百六二62齣左4〕
薪(シン) ミツクサ〔寛永十六年(一六三九)版、中卷艸部百六十二58齣左4〕
薪(シン) ミツクサ〔寛永十六年(一六三九)版、中卷艸部百六十二58齣左4〕
薪(シン) ミツクサ〔正保三年(一六四六)版・正保四年版、中卷艸部56齣左4〕
薪(シン) ミツクサ〔慶安五年(一六五二)版中卷艸部〕
薪(シン) ミツクサ〔延寳九年(一六八一)版中卷艸部42齣左4〕
薪(シン) ミツクサ〔無刊記版、中卷艸部百六十二52齣〕
※字の下位部の左側の旁字が「立+小」字、「亠+止+小」、そして「新」字と変改している点も留意せねばなるまい。
とあって、標記語「薪(シン)」に別語の和訓が江戸時代の新編『倭玉篇』編纂出版のなかで記載されはじめてきたのかについて見定めておくことと、此の標記漢字の和訓が寛永七(一六三〇)年の頃から既にさだまりのあった「たきぎ」の語でない全くの別訓「みづくさ」の語を茲に記載するようになったことについて、江戸時代の知識人が此の語に対する和訓としてどう認知し、此の新訓「みづくさ」を誤謬とは見ずに刻版を黙々と重ねてきたことに対して、どのような識字意識があったのか、この字引を繙き、此を利用する受容性にまで突き詰めて考えておくことにもなろう。
薪(シン) タキヽ 〔中卷艸部十一ウ8〕
𧂐(シ) タキヾ ツミキ イナムラ 〔中卷艸部十二ウ4〕
とし、艸部には二種の語例を見出し、「薪」字には「タキヽ」と清音表記、「𧂐」字には「タキヾ」と濁音表記で記載するといった同語訓の第三拍目に清濁の揺れを見ることになる。次に、「みづくさ」の六種を見ておくと
①坎(サ) ミツクサ〔十二ウ7〕・②䔮(シ) ミツクサ〔十二ウ9〕・③菨(せウ) ミヅクサ〔十三オ1〕・④蓒(ケン) ミツクサ〔十三オ2〕・⑤䔷(キン) ミヅクサ〔十三オ2〕・⑥葓(コウ) ミヅクサ〔十三オ4〕
とあって、此方も第二拍の清音表記で①②④と濁音表記③⑤⑥の二種に弁別される。こうしたなかで、標記字「薪」字が此の水中に生じる「みずくさ」の和訓に加えられたことは何とも不可解な仕業と言えよう。
そして、『增續大廣益會玉篇大全』にあっては、
薪(シン) タキヾ 真息秦ノ切折テレ木ヲ柴ニス也〔艸部十三・三十三オ3〕
とあって、定番の和語「タキヾ」を茲に記載している。