駒澤大学「情報言語学研究室」

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フトク【婦徳】たをやめ

2023-01-28 18:52:55 | ことばの溜池(古語)

 フトク【婦徳】たをやめ

 室町時代の印度本系『節用集』
 弘治二年本『節用集』
  手弱女(タヲヤメ)万 婦德(タヲヤメ)毛/定 婦人(同)毛 (同)同(毛)〔多部人倫門九一頁2〕
 永禄十一年『節用集』〔学習院大学蔵〕
  手弱女(タヲヤメ)万 婦徳(同)毛/定 婦人(同)毛 (同)毛〔多部人倫門九一頁2〕

とあって、標記語四種を順に記載し、各々の文字に読みの訓を添えるのだが弘治本は、「手弱女」と「婦德」に「タヲヤメ」とし、永禄十一年本は、「手弱女」だけに付訓し、後の語は「同」とする。注記箇所には各々語の引用書名の冠頭字「万」「毛」「定」「毛」「毛」と記述していて、それは、『万葉集』『毛詩』『定家仮名文字遣』なる書名を指す。このなか、標記語「婦人」は『毛詩』を拠り所としているとする。だが、此のことは下記に示した国語辞書中では一切見えていない。また、別字「婦徳」「嫥」についても見出せない表記といえよう。
  印度本系『節用集』には、他写本となる「黒本本・永禄二年本・尭空本・経亮本・高野山本」などがあるものの、此の「タヲヤメ」の語例を未記載にする。此の点について別論することになるので、茲では触れない。
 

小学館『日本国語大辞典』第二版
  ふ-とく【婦徳】〔名〕婦人として守るべき徳義。古代中国において、婦人が修めなければならないとされた四行(しこう)の一つ。*文華秀麗集〔八一八(弘仁九)〕中・奉和傷野女侍中〈桑原腹赤〉「柳絮文詞身後在、蘭芬婦徳世間伝」*翁問答〔一六五〇〕上・本「宗族を和睦し、家人におんをほどこすは婦徳(フトク)の大がいなり」*読本・椿説弓張月〔一八〇七(文化四)~一一〕拾遺・五三回「白縫王女、亦頗る婦徳あり」*感情旅行〔一九五五(昭和三〇)〕〈中村真一郎〉五「日本流の婦徳と云う奴も〈略〉このような最悪な結果を生むんだな」*周礼-天官・九嬪「掌婦学之法、以教九御、婦徳・婦言・婦容・婦功」【発音】〈標ア〉[ト]〈京ア〉[フ]


※標記語「婦徳」を「タヲヤメ」と付訓する初出語例は、印度本『節用集』(弘治二年本・永禄十一年)となって、その拠り所を『毛詩』と『定家仮名文字遣』とする点を検証すべきことになる。
  実際、『定家仮名文字遣』〔古辞書資料叢刊第十一卷、天正六年本写〕
  たをやめ 手弱女人/婦徳(タヲヤメ)毛詩〔を部66・二一頁1〕

と記載し、その記載が得られる。『毛詩』→『毛詩注疏』漢・毛亨に、
  ○但有華色又有婦徳之子于歸宜其家室𫝊家室猶室家也〔卷一・五四ウ〕
  ○箋云古者婦人先嫁三月祖廟未毁教于公宫祖廟既毁教于宗室教以婦徳婦言婦容婦功教成之祭牲用魚芼之以蘋藻所以成婦順也〔卷二・一三オ〕 
  ○此師教女之人内則云大夫以上立師慈保三母者謂子之初生保養教視男女竝有三母此女師教以婦徳婦言婦容婦功皆昏義文也(夾注)〔卷一・三九オ〕
  ○者女師教以婦徳婦言婦容婦功祖廟未毁教于公
  ○師女師也古者女師教以婦徳婦言婦容婦功祖廟未毁教于公宫三月祖廟既毁教于宗室婦人謂嫁曰歸箋云我告師氏者我見教告于女師也〔卷一・三七ウ〕
  ○婦徳無厭志不可滿凡有情欲莫不妬忌唯后妃之心憂在進賢賢人不進以為己憂不縱恣已色以求専寵此生民之難事而后妃之性能然所以歌美之也(夾注)〔 卷一・二三オ〕
  ○不茍於色有婦徳者充之無則闕所以得有怨者以
  ○周禮注云世婦女御不言數者君子不茍於色有婦徳者充之無則闕所以得有怨者以其職卑徳小不能無怨故淑女和好之見后妃和諧能化羣下雖有小怨和好從化亦所以明后妃之徳也 (夾注)〔卷一・二六オ〕
  ○此師教女之人内則云大夫以上立師慈保三母者謂子之初生保養教視男女竝有三母此女師教以婦徳婦言婦容婦功皆昏義文也。彼注云婦徳貞順婦言辭令婦容婉娩婦功絲枲天官九嬪職注亦然二注皆以婉娩為婦容内則注云婉謂言語也(夾注)〔卷一・三九オ〕とあって、「婦徳」の語を確認する。

とあって、「婦徳」の語を確認する。


「帰人」と「婦人」

2023-01-26 20:52:16 | 漢字の文字形

 「帰人」と「婦人」
                                                                          萩原義雄識
                                                                                   
 禅藉抄物『人天眼目抄』〔万安永種編〕本に、
○偏中正海雲依約タリ神山山皈人鬂髪白シテ如絲羞ラクハスレハ秦臺寒照ヿヲ  海雲神山シタルヤウニタナリ。海雲偏也。神山正也。是偏中正。㱕人ー㱕人ニハ  作トモアルホトニ婦人ヿニキソ婦人トアルニテソ。婦人ノ鬂髪イニ秦臺キニシテスヿヲタナリ。秦臺ノヿソ。秦鏡ニハ邪心カアレハキラリト。爰テハ婦人鬂髪イニスヿヲタナリ。又只秦臺トアルホトニ樓臺ノヿニヤウスルトモヲトアルホトニノヿニヘキソ。婦人ー偏位。羞對ー正位。是偏中正〔承應三年板、卷三・八十三オ(一九七頁)8~八十三ウ(一九八頁1)〕
とあって、「婦人、嫁ヲ謂テに作るトアルニ依テソ」と茲で「皈」に異体字「㱕」字が「婦」に作ることを良しとすることを説く。
    皈人=「㱕人」と「婦人」 が共に同じく、一に解くことが記載されている。


契冲と『和名抄』

2023-01-18 14:20:53 | 古辞書研究

2023/01/18 更新
 契冲と『和名抄』
                                                                                萩原義雄識
和字正濫通妨抄』卷一、全集三一九頁~三五三頁に、
正濫抄それにかなはぬ事あるかにて・大きに腹だちていへるやう・引證する所の・日本紀等の六國史・舊事紀・古事記・古語拾遺・萬葉集・菅家萬葉集・古今集等・其外家々歌集・延喜式・和名抄等・すへて昔は假名つかひ法はいまた定まらさりけ」れは・皆かな乱てあれは・これらによらは・かなつかひの法はなくて・いかやうにかきてもくるしからぬになるへし。〔一ウ〕
○本朝にして假名の事においては・日本紀、古事記、萬葉集等は、聖經のことし。其他の諸史、菅家万葉、延喜式、古今等は賢傳のごとし。和名鈔等は漢儒以下の註疏のことし。これらを除ては、和國に書なし。〔四六ウ〕
という。茲で契冲は、『和名類聚抄』なる書物にも接し、その概要を他の書籍類に比較し、「漢儒以下の註疏のことし」と説明する。
この前にも、
○假名つかひの法、徃昔いまた不定、日本紀より三代實録までの國史、万葉集、新撰万葉、古語拾遺、古事記、延喜式、和名抄、古今和哥集、其外家々の集のかな、よみこゑとりましへ、又はをおえゑ等乱てあり、今かやうの書を假名の證據とさためかたし。しかれとも、其中に用不用あり。とるへきものをとり、取かたきものはとらさる也。右の書を證據とする時は、仮名遣の法はなき也。いかやうにかいてもくるしからぬになるへし。假名の法は、平上去入の四声にしたかひてさたまりぬ。〔四五ウ〕
として、表記文字は異なるが「和名抄」を挙げている。
 地名を記述するは、『和名類聚抄』廿巻本に所収と位置づけれているのだが、やはり、次のごとく見える。
○一中ゐ〈略〉員數なとの時、ゐんなるは〈これもまた〉呉音欤。和名に、伊勢國郡名員辨[爲奈丶倍]、他書には猪名部とかける所にかく用たり。〈略〉和朝の假名にては・六國史、萬葉、和名等を依憑して、證據なき今案の口傳を信せぬを、眼あり智ある人いふへし。〔三〇ウ〕
○奥お〈略〉下にかく事は、いとすくなけれと、全くなきにはあらす、和名に、大隅國郡名、囎唹曾於]、又箕面みのお]これらあり、〔三五オ〕
○たとへは印の字は、伊刃(ジン)ノ切にて、音いんなる故に、播磨國の郡の名、印南をは、和名に、伊奈と注し、日本紀、万葉等に、稻美ともかける事、めつらしからぬを、此先生は、〈無理に〉ゐんと書へしと〈いひ〉、因縁の因の字、〈匀會に伊眞〉〈於人(ヲジンノ)〉切いんなる〈故に、昔稲羽とかける國の名も、因幡と假り字に書、和名にも、以奈八と注したる〉をもゐんと書へしといへり。〔五二オ〕
と引用する。
○中え〈略〉萬葉には、萌を毛伊とよみ・和名には冷(ヒエ)をひいとよめり〈ひえにかよへり〉。悔をくい、くやむ、くゆ〈とよみ、〉和名に、寄生を保夜とあるに、萬葉第十九には、保与とよめり、〈略〉寒を、和名に、こよしものとよめるは、〈今の〉俗にこゞりといふ物なり。文選蕪城賦に、寒(コイタル)鴟(トヒ)嚇(カヽナク)雛ニ、これ又和名にあり。此こいたるといふは、俗にこゝえたるといふなり。宣化紀には、白玉千箱アリトモ、何ソ能フ救ハン冷(コイ)ヲ、これら、よといと通せり。又杖机等にも用也、但口傳有とは、いかなる習そや、和名には、杖も机も、共にゑなり。も先生と同時ならは、口傳を受て假名の道を知らるへきに、數百歳さきに出て知らさりけるは、惜き事なり。〔三二オ・ウ〕
と記述する箇所になると、書名と人名とが交錯する。
○わの字 訓の時〈下〉に書事なし 今云、これ知らぬを知れりとするものなり。轡くつわ、石炎螺まよわ、結菓かくのあわ、沫あわ、皺しわ、以上万葉、和名等なり。但万葉、和名等をも物の數とせぬ高慢の人は、われ喩(さと)すことを得す。又かたわの假名は誤なり。下に見ゆへし。〔三五ウ〕
○うの字 〈略〉むま〈うま〉、むはら〈うはら〉、これらは、和名にも通してかければ・うめむめも同しかるへし。うまる[うみ、うむ]うもれ木[うつみ、うつもる]、これらは、音便は、和名にも通してかければ・うめ
 これらの前には、
○一 古代之歌書或紀傳等ノ假名未定、猶詩三百平側位次、無定格也、今云、日本紀等の六國史、萬葉、古今等、」延喜式、和名鈔等の假名、一同にして定まれり、何そ定まらすといふや、汝か兄、明巍の盲導 にひかれて、偏執の深坑におちいれるを、汝何そこれを救て、彼深坑を出さすして、いとゝ其上に落重なるや、古事記序云、《略》云々、古人の書を撰ふ〈事〉、精密なる事かくのことし。又倭名鈔の篤實なる事も、これに同し、具には序に見えたり。其末に至りて云、古人有」言、街談巷説、猶有採。僕雖誠淺學而。所注緝皆出前經舊史倭漢之書、云々。これを用すは、何を用んとかする。故に刊行の時、羅浮子序加て云、人博聞強記、識字屬文賦詩又詠倭歌、梨壺五人、之最、先是、万葉集傳于世久矣、然自沙門勤操空海造以呂波字而后人皆赴簡便而不讀万葉。々々書體殆漸廃弛。其古風之委地面以國諺之訓點、至今學和歌者、大率頼之、之功居_多。吁、古稱楊子雲識字。然九原不作(オコス)也。源順者吾邦千歳之子雲乎。熟知倭名者、旦暮遇之。羅浮子は近」世の大儒にして、推稱する事かくのことし。汝か兄何人そ、いまた其名を聞さるに、大言を吐て、日本紀萬葉より此等の書の假名をも用すといふや。〔二三ウ~二五オ〕
とあって、『和名類聚抄』編者源順の名を以て茲に説く。


さしふのき【烏草樹】→しゃしゃんぼ【南燭】

2023-01-16 11:15:18 | ことばの溜池(古語)

さしふのき【烏草樹】

和名抄』卷廿、木類草木部百四十七

 廿巻本の古写本および〔温故堂本〕→那波道圓本〔元和版〕は、真名体漢字「佐之之紀」で「天」字で記載、此を十巻本の「佐之之紀」「夫」字に補整し、慶安元年板『倭名類聚抄』棭齋書込宮内庁書陵部蔵からあとの版本類(~明治二年版まで)全て補整記述する。
棭齋が『倭名類聚鈔箋注』の当該語の語注記のなかでそのことを説く。
 江戸時代の谷川士清『倭訓栞』中卷に「さしぶのき」「なんてん」の項目にて、此の「さしぶのき」を引用するが、漢名「南燭」(しやしやんぼ)と「南天竺」→「南天」(ナンテン)の語とを同一の植物と位置づけてしまっている。現代の小学館『日国』第二版では、見出語「しゃしゃんぼ【南燭】」のなかに「わくらは」と云う別名を記述するが、見出語「わくらは」は立項されていないので、ここで頓挫してしまう結果で終わってしまう。
以下、詳細は別項(チームルーム「情報言語学研究室」の「さしふのき【烏草樹】」PDF版)添付資料を参照されたい。萩原義雄識