駒澤大学「情報言語学研究室」

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「はるか」と「ほのかなり」【迢々】

2023-03-27 11:05:53 | ことばの溜池(古語)

2019/09/03~2023/03/25更新
 「はるか」と「ほのかなり」【迢々】
                                                                          萩原義雄識

  観智院本『類聚名義抄』〔辶部・佛上三二オ4〕
   
    〓〔*〕迢  音苕(テウ)[平]  トヲシ[上上○]   ー々  トホノカナリ
             ハルカナリ コユ
 ここで注目しておきたいのが重點漢字「ー〻」で、訓みを「―ト、ホノカナリ」とするのだが、まずは「テウテウとほのかなり」と訓むか、「はるかとほのかなり」と訓むのか、音訓に迷うところである。「テウテウ」で良し。

  昌住『新撰字鏡』には、此の語例は未載録となっている。ただし、次の語例は得られている。
    迢𦴚𬨴〔艹+迨〕三形作。徒往反。遠也、鳥遠望懸絶也。〔卷九辶部五五六頁4〕
    𨔴〻 徒彫反。亭皃也、遠也、𨔴幸也。〔卷十二重點部七五〇頁3〕

とあって、「𨔴〻」と「迢迢」とは同字と見て良かろう。
 この「迢迢」の語例としては、漢籍『文選』、日本漢詩文には『経国集』〔八二七(天長四)年〕に次のように見えている。

 漢籍資料『文選』第廿九、古詩十九首に、
    迢迢(テウテウ)タル牽牛星(ケンギウセイ)、皎皎タル河漢女。〔牽牛、已見上文。《毛詩》曰:維天有漢、監亦有光。跂彼織女、終日七襄。雖則七襄、不成報章。毛萇曰:河漢,天河也。〕
   
とここでも「迢迢」は下位語の重點「皎皎」と対語になっている。

  さらに、日本漢詩文資料『経国集』にも、
    181 七言 一首
    一朝辭寵長沙陌 萬里愁聞行路難 漢地悠悠隨去盡 燕山迢迢猶未殫
    青虫鬢影風吹破 黃月顏粧雪點殘 出塞笛聲腸闇絕 銷紅羅袖淚無乾
    高巖猿叫重壇苦 遙嶺鴻飛隴水寒 料識腰圍損昔日 何勞每向鏡中看
    〔卷一四・奉試賦得王昭君﹝六韻為限﹞〈小野末嗣〉〕
    196 雜言 奉和清涼殿畫壁山水歌 一首
    丹與青     壁上裁成山水形 壟從危峰將蔽日 崢嶸險澗鴈孕遙
    三江淼淼尋間近 五岳迢迢大裏生 雜花冬不殫   積雪夏猶殘
    靈禽百貌從心曲 異木千名起筆端 飛流落前看鵠桂 重淵迴處識蛟盤
    蔭松恰似八公仙 蹲石俄疑四皓賢 覓飲連猨常接臂 加飡擔客長息肩
    漁人鼓抴滄浪裏 田父牽犂綠巖趾 繞棟輕雲未曾去 窺窻狎鳥經年止
    遊山自足幽閑趣 屬目元饒智仁理 丹青工 有妙功 能令春興發神爰
    〔卷一四・奉和清凉殿画壁山水歌〈菅原清公〉〕

 ここでは、「重點字」としての「迢迢」の語は、「悠悠」「淼淼」の語と対句表現にして用いられている。
  平安時代末を代表する古辞書、三巻本『色葉字類抄』も見ておくに、天部重點字「テウテウ【迢迢】」の語は未収載とする。
    
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ほのーか【仄─・側─】〔形動〕(「か」は接尾語)(1)わずかにそれとわかるさま。分明でないさま。(イ)物の形、音などが、わずかに見えたり、聞こえたりするさま。*万葉集〔八C後〕七・一一五二「梶の音そ髣髴(ほのかに)すなるあまをとめ沖つ藻刈りに舟出すらしも〈作者未詳〉」*日本霊異記〔八一〇(弘仁元)~八二四(天長元)〕上・序「聊(いささか)側(ホノカニ)聞くことを注(しる)し〈興福寺本訓釈 側 保乃加爾〉」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり」*浮世草子・好色一代男〔一六八二(天和二)〕一・七「朝鮮さやの二の物を、ほのかに、のべ紙に、数歯枝をみせ懸」(ロ)光、色などが、はっきりしない程度で、わずかに見えるさま。ほんのり。うっすら。*多武峰少将物語〔一〇C中〕「ようさりつかた、月のほのかなるに、立寄り給へり」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕葵「ほのかなる墨つきにて、思ひなし、心にくし」(ハ)心、意識がぼんやりしているさま。かすかに認識するさま。*大智度論平安初期点〔八五〇(嘉祥三)頃か〕一六「酔悶し怳惚(ホノカニ)して所別无き故に」*冥報記長治二年点〔一一〇五(長治二)〕中「数日を経て、怳惚(別訓 ホノカナルナリ)として睡れるがことし」*今鏡〔一一七〇(嘉応二)〕一・黄金の御法「作らせ給へること、ほのかに覚へ侍」(2)程度が、はっきりしないくらいにわずかなさま。いささか。ちょっと。しばし。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕夕顔「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとを何にかけまし」*あさぢが露〔一三C後〕「みすのうちよりもほのかにかきあはせなどし給つつ」【補注】奥に大きなもの、確かなものがあって、その一部分がわずかに認知されるときや、次第に大きく、確実になっていくものが、そのはじめの、まだ十分でない過程において認知されたときなどに用いられることばと考えられる。【語源説】(1)「オホノカニ」の略〔大言海〕。(2)「ヒノコリアエケ(火残肖気)」の義。また、「ホニホヒヤカ(火匂肖気)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。(3)「ホノカ(火香)」の義〔和訓栞・紫門和語類集〕。(4)「ホノホ(炎)」を活用したもの〔俚言集覧〕。(5)「オホロカ(不明所)」の義〔言元梯〕。(6)「ホノボノトカスカ」の義。また「ホ」は火の義〔和句解〕。(7)「ホノカ(風聞)」の義〔紫門和語類集〕。(8)「ホノオカ」の義。「ホ」は上に顕われる義。ノは延伸る義。「オ」は外に発る義〔国語本義〕。(9)「ホノカ(火影)」の義〔和語私臆鈔〕。【発音】〈標ア〉[ホ]〈ア史〉平安・鎌倉・江戸○●○〈京ア〉(ノ)【辞書】字鏡・色葉・名義・和玉・文明・天正・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【風】色葉・名義・和玉・文明・天正・易林・書言【側】色葉・名義・和玉・文明・易林・言海【髣髴】色葉・文明・易林・書言・ヘボン【俙・微】色葉・名義・和玉【仄】文明・書言・言海【仏】字鏡・名義【彷彿】色葉・言海【髣・髴・閑・曖・燄・緬】名義・和玉【影響】字鏡【像・怳・曙・𨱰・肉・屍・勿・娉】色葉【似】書言
はるーか【遙ー・悠ー】(「か」は接尾語)【一】〔形動〕〔一〕空間的に遠く隔たっているさま。*新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「悠 波留加爾」*伊勢物語〔一〇C前〕一〇二「京にもあらず、はるかなる山里に住みけり」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕若紫「はるかに霞みわたりて」*太平記〔一四C後〕二・長崎新左衛門尉意見事「如何せんと求る処に、遙(ハルカ)の澳(おき)に乗うかべたる大船」*水戸本丙日本紀私記〔一六七八(延宝六)〕神武「遼〓之地〈止於久波流加奈流久爾(とおくハルカナルくに)〉」*小学読本〔一八七四(明治七)〕〈榊原・那珂・稲垣〉五「唐にて百姓の桑を採り蚕を養ひて製りたるを商人共の買取りて遙なる海上を経て吾邦に渡し」*茶話〔一九一五(大正四)~三〇〕〈薄田泣菫〉胃の腑「江戸の邸で遙(ハルカ)にその噂を聞き伝へた」〔二〕時間的に遠く隔たっているさま。また、時間的に長いさま。*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕下・天祿三年「おもひそめ物をこそおもへ今日よりはあふひはるかになりやしぬらん」*枕草子〔一〇C終〕一〇七・ゆくすゑはるかなるもの「ゆくすゑはるかなるもの、〈略〉産れたる児の、おとなになる程」*栄花物語〔一〇二八(長元元)~九二頃〕月の宴「船岡の松の緑も色濃く、行末はるかにめでたかりしことぞや」*大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点〔一〇九九(康和元)〕八「雲車一たび駕して、万古に悠(ハルカナル)哉(かな)」*梵舜本沙石集〔一二八三(弘安六)〕九・一三「『又かく御許し候も、可然事にこそ』とて、遙に御物語ありけり」*太平記〔一四C後〕二・長崎新左衛門尉意見事「遙(ハルカ)に御湯も召され候はぬに、御行水候へ」〔三〕心理的にいちじるしく隔たっているさま。差違のはなはだしいさま。(1)近づきがたく隔たっているさま。奥行のあるさま。深遠。*大唐三蔵玄奘法師表啓平安初期点〔八五〇(嘉祥三)頃〕「况や仏教の幽(ハルカニ)微(くは)しきをば、豈に能く仰ぎ測らむや」*大慈恩寺三蔵法師伝永久四年点〔一一一六(永久四)〕三「緬(ハルカニ)惟(おも)へば、業障一に何ぞ深く重き」(2)縁遠いさま。また、あえて遠ざけるさま。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕蛍「いとはるかにもてなし給ふうれはしさを、いみじく恨み聞え給ふ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕総角「まして、こよなくはるかに、一くだり書き出でたまふ御返事だに、つつましくおぼえしを」(3)心が進まず、自分に関係のないものと思うさま。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕桐壺「大床子の御膳(もの)などは、いとはるかに思し召したれば」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕宿木「そそのかし聞え給へど、いと、はるかにのみ思したれば」(4)程度がはなはだしいさま。*今昔物語集〔一一二〇(保安元)頃か〕四・二「此の飯(いひ)の味ひ遙に変じて悪(あしき)也」*愚管抄〔一二二〇(承久二)〕六・土御門「今の左大将、おとなには遙かにまさりて」*吾輩は猫である〔一九〇五(明治三八)~〇六〕〈夏目漱石〉一「其眼は人間の珍重する琥珀といふものよりも遙かに美しく輝いて居た」*怒りの花束〔一九四八(昭和二三)〕〈中野好夫〉「一つの矛盾、懐疑として一般的に反省されるようになったのは、遙かに最近であったと思ってよろしい」*他人の顔〔一九六四(昭和三九)〕〈安部公房〉白いノート「この誘いの効果は、予想をはるかに超えて現れたのである」【二】〔副〕(1)空間的に遠いさまを表わす語。ずっと遠くに。*虎明本狂言・鼻取相撲〔室町末~近世初〕「罷出たる者は、はるか遠国の者でござる」*滑稽本・浮世風呂〔一八〇九(文化六)~一三〕三・下「はるか見ゆるが津の島灘よ」*趣味の遺伝〔一九〇六(明治三九)〕〈夏目漱石〉一「人後に落ちた。而も普通の落ち方ではない。遙(ハル)かこなたの人後だから心細い」(2)時間的に遠いさま、また、時間的に長いさまを表わす語。長い間ずっと。*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕一六「はるかさきにあらうことを今云い記することを懸記と云ぞ」*破戒〔一九〇六(明治三九)〕〈島崎藤村〉八・二「多時(ハルカ)待って居なすったが」(3)程度がはなはだしいさまを表わす語。ずっと。*評判記・野郎虫〔一六六〇(万治三)〕上原庄太夫「舞おもはしからず、〈略〉偃師が周王のいかりをおこせしには、はるかおとれる成べし」*談義本・風流志道軒伝〔一七六三(宝暦一三)〕四「不二といへる名山あり。其大さ五岳にもはるかまさり」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)~〇一〕〈徳富蘆花〉五・八「琵琶の水が遙(ハルカ)底にほの白ふ見へるのみである」*春泥〔一九二八(昭和三)〕〈久保田万太郎〉三羽烏・八「身分だの給金だのは、〈略〉吾妻や小倉たちのはるか上にあった」【方言】【一】〔形動〕久しぶり。《はるか》群馬県吾妻郡219《おはるか〔御─〕》長野県諏訪「おはるかでござります」054《はあるかぶり》長野県「はーるかぶりで晴れたから」475493【二】〔副〕長い間。《はるか》長野県上田475北安曇郡476愛知県北設楽郡063《はあるか》長野県484「はーるか遊んでいた」488《はありが》長野県西筑摩郡038【語源説】(1)「ハルカ(開処)」の義〔大言海〕。(2)「ハナルカタ(離方)」の義〔名言通〕。(3)「ヘルカ(隔所)」の義〔言元梯〕。(4)「ハ(端)」の義から派生した語〔国語の語根とその分類=大島正健〕。【発音】〈なまり〉ハーリカ・ハーリガ〔NHK(長野)〕〈標ア〉[ハ]〈ア史〉平安来○●○〈京ア〉(ル)【辞書】字鏡・色葉・名義・下学・和玉・文明・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【遙】色葉・名義・和玉・文明・饅頭・易林・書言・ヘボン・言海【遼・杳】色葉・名義・和玉・文明・易林・書言【悠】字鏡・名義・和玉・文明・書言【緬】色葉・名義・和玉・文明・書言【賖・迢】色葉・名義・和玉・易林・書言【懸】色葉・名義・下学・和玉【眇】色葉・名義・和玉・書言【遐・邈・矌・闊・幽・玄・壅】色葉・名義・和玉【逈】色葉・名義・文明【曠・藐】名義・和玉・書言【逖・冥・綿・夐】色葉・名義【穰】色葉・和玉【迥・遰・懇・侵・浩・旻】名義・和玉【遠・遽・穬・訬・迸・捎・昭・迫・希・貇・虚・迩・眇々・淼々】色葉【蹟・踈・崢・嶸・陣・支・酌・迴・逕・逎・昊・也・天・淼・㵿・滔・濶・誚・踰・阻・隆・純・綧・風・懿・𢤥・遰】名義【墾・億・咿・逴・逓・去・茫・渺・漠・昉・㫐・懃・逍・泂】和玉【同訓異字】はるか【遙・悠・杳・迥・迢・渺・夐・緬・遼・邈】【遙】(ヨウ)さまよう。ぶらぶらする。「逍遙」 遠い。ひさしい。「遙遠」「遙遙」《古はるか・とほし・やうやく》【悠】(ユウ)うれえる。「悠鬱」「悠想」 遠い。ひさしい。かぎりない。「悠遠」「悠久」 ゆったりしたさま。ゆとりのあるさま。「悠然」「悠容」《古はるか・とほし・おほきなり・ひろめく・かすかなり・かなし・うれし・おぼゆ・おもふらむ》【杳】(ヨウ)くらい。おくふかい。くらくてはっきりしない。「杳冥」「杳杳」 遠い。遠くてはっきり見えない。「杳然」「杳渺」《古はるか・とほし・ひろし・ふかし・くらし・くろし・ほのか》【迥】(ケイ)遠くへだたるさま。「迥遠」「迥然」《古はるか・とほし・めぐる・いたる・ところかへる・むなし・なし・あらは・をかし》【迢】(チョウ)遠い。高い。「迢逓」「迢嶢」《古はるか・とほし・とどこほる・こゆ》【渺】(ビョウ)広々として果てしないさま。遠くてかすかなさま。「渺渺」「渺茫」《古はるか》【夐】(ケイ)遠く見わたす。遠くへだたるさま。「夐遠」「夐絶」《古はるかに・とほし》【緬】(メン)ほそい糸。遠くへだたるさま。「緬思」「緬然」《古はるか・はつかに・ほのか・あふ・ほそいと》【遼】(リョウ)距離的・時間的にへだたっている。遠い。「遼遠」「遼隔」《古はるか・とほし・しのぐ》【邈】(バク)遠くへだたるさま。遠くてかすかなさま。「邈乎」「邈志」《古はるか・とほし・さく・かくる・しのぶ・ことならむ》
ちょうーちょう[テウテウ]【迢迢】〔形動タリ〕(1)はるかに遠いさま。遠くへだたるさま。迢逓。*経国集〔八二七(天長四)〕一三・奉和太上天皇青山歌〈良岑安世〉「塵滓之郷去迢々些」*本朝麗藻〔一〇一〇(寛弘七)か〕下・白河山家眺望詩〈藤原公任〉「郊外卜居塵事稀、迢々春望思依々」*太平記〔一四C後〕四・備後三郎高徳事「雲山迢々(テウテウ)として月東南の天に出れば」*古詩十九首‐其一〇「迢迢牽牛星、皎皎河漢女」(2)他よりも抜きんでて高いさま。転じて、すぐれているさま。*経国集〔八二七(天長四)〕一四・奉和清凉殿画壁山水歌〈菅原清公〉「三江淼々尋間近、五岳迢々大裏生」*随筆・山中人饒舌〔一八一三(文化一〇)〕下「其言超々画竹三昧矣」*陶潜ー擬古詩「迢迢百尺楼、分明望四荒
ちょう-ちょう[テウテウ]【迢迢】〔形動タリ〕(1)はるかに遠いさま。遠くへだたるさま。迢逓。*経国集〔八二七(天長四)〕一三・奉和太上天皇青山歌〈良岑安世〉「塵滓之郷去迢迢些」*本朝麗藻〔一〇一〇(寛弘七)か〕下・白河山家眺望詩〈藤原公任〉「郊外卜居塵事稀、迢迢春望思依々」*太平記〔一四C後〕四・備後三郎高徳事「雲山迢々(テウテウ)として月東南の天に出れば」*古詩十九首-其一〇「迢迢牽牛星、皎皎河漢女」(2)他よりも抜きんでて高いさま。転じて、すぐれているさま。*経国集〔八二七(天長四)〕一四・奉和清凉殿画壁山水歌〈菅原清公〉「三江淼々尋間近、五岳迢々大裏生」*随筆・山中人饒舌〔一八一三(文化一〇)〕下「其言超々画竹三昧矣」*陶潜-擬古詩「迢迢百尺楼、分明望四荒

『白氏長慶集』の「迢迢」一四例
1江陵去道路迢迢一月程未必能治江上瘴且圖遙
2有枝何不棲迢迢不緩復不急樓上舟中聲闇入夢
3行難續相去迢迢二十年南侍御以石相贈助成水
4少小辭鄉曲迢迢四十載復向滎陽宿去時十一二
5秉燭遊況此迢迢夜明月滿西樓復有樽中酒置在
6各在一山隅迢迢幾十里清鏡碧屏風惜哉信爲羙
7宅北倚髙岡迢迢數千尺上有青青竹竹間多白石
8我有忘形友迢迢李與元或飛青雲上或落江湖閒
9登城東古臺迢迢東郊上有土青崔嵬不知何代物
10嗤嗤童稚戲迢迢歳夜長堂上書帳前長幼合成行
11勝醒時天地迢迢自長乆白兎赤烏相趂走身後堆
12江州我方去迢迢行未歇道路日乖隔音信日㫁絶
13此意未能忘迢迢青槐街相去八九坊秋來未相見
14期登香爐峯迢迢香爐峯心存耳目想終年牽物役

『六臣註文選』の「迢迢」一二例
1歡友蘭時往迢迢匿音徽虞淵引絶景四節逝若飛
2高樓一何峻迢迢峻而安綺䆫出塵冥飛陛躡雲端
3此貧與賤擬迢迢牽牛星昭昭清漢暉粲粲光天步
4但感别經時迢迢牽牛星皎皎河漢女纖纖擢素手
5 (五臣作迢迢犯綜曰亭亭迢迢髙貌干也濟曰
6    (迢迢綜五臣本作濟曰干觸也言髙觸
7風波豈還時迢迢萬里㠶茫茫終何之游當羅浮行
8何適知向曰迢迢逺也茫茫廣大貌言江水廣大不
9乎何適向曰迢迢逺也茫茫)  
10阻其歡情也迢迢逺皃皎皎明皃親此以夫喻君婦
11銑曰峻高也迢迢逺貌綺䆫結綺為䆫網也飛陛閣
12犯綜曰亭亭迢迢髙貌干也濟曰干觸也言髙觸雲

『藝文類聚』の「迢迢」一〇例
1裊裊仙榭尚迢迢一同西靡柏徒思芳樹蕭梁王筠
2飾𦕈修榦之迢迢凌髙墉而莖植𤣥鳥偏其増翥晞
3藹聳雲館之迢迢周歩檐以升降對玉堂之泬寥爾
4髙臺一何峻迢迢峻而安綺牕出塵冥飛階躡雲端
5也詩古詩曰迢迢牽牛星皎皎河漢女纎纎濯素手
6阿嬌樓閣起迢迢石頭足年少大道跨河橋絲桐無
7逹狀亭亭以迢迢神明崛其特起井幹疉而百增上
8太山一何髙迢迢造天庭峻極周已逺曽雲鬱㝠㝠
9漫漫三千里迢迢逺行客馳情戀朱顔寸陰過盈尺
10行曰大明上迢迢陽城射凌霄光照窓中婦絶世同

『禅林類聚』の「迢迢」一〇例
1木成云千里迢迢信不通歸來何事太怱怱白雲鎻
2去去西天路迢迢十萬餘佛印元頌云德山自得任
3話分携古路迢迢去莫追却笑波心遺劒者區區空
4關山重疊路迢迢嶺頭功德圓成久一點紅爐雪未
5手西天下萬迢迢投子青云苔殿重重紫氣深星分
6切忌從他覔迢迢與我疎我今獨自往處處得逢渠
7切忌隨他覔迢迢與我踈頭云若恁麼自救也未徹
8遠離西竺路迢迢親向支那弄海潮若要清風生閫

『太平御覧』の「迢迢」四例
1曰珥明璫之迢迢㸃雙的以發姿花釋名曰花勝草
2兮夫為奴歳迢迢兮難極寃痛悲兮心惻嗚呼哀兮
3曰仰兹山兮迢迢層石構兮峩峩朝日麗兮陽岩落
4未央古詩曰迢迢牽牛星皎皎河漢女纎纎擢素手

因みに、三巻本色葉字類抄』〔前田本天部重點門、下卷「テウテウ」の標記語

  • 朝々テウ/\  平濁テン/\  

 去濁去濁テウ/\  タヲヤカナリ

 上濁上濁テウ/\   泥々

名義抄』所載の「迢々」の語例が『字類抄』系の古辞書群に未載録とすることは、『字類抄』が雅やかさを代表とする此の詩語を敢えてこの辞書に収集せずに、詩語集覧を目的としていなく、詩作の手助けになるように活用するといった編纂意図には重点をおかなかったことを示しているのではなかろうか。

 では、此の『字類抄』重點字の五語は、如何なる内容を以て所載されているのかを次に稽査しておくことも必要となってくる。そのため、収録語の意義性を明確に解き明かしていくことが次なる肝要のこととなる。


さる【猨】と【猿】

2023-03-20 12:15:17 | 古辞書研究

2023/03/18~19更新
 さる【猨】と【猿】―通字と俗字そして正字に―
                                                                          萩原義雄識

 はじめに
 平安時代の古辞書で動物(毛獸)門に分類される和語「さる」は、漢字表記するときに「猿」と「猨」の単漢字が用いられ、二字熟語漢字での表記は、「猨猴」乃至「猿猴」と用いていて、この字音訓みが「ヱンコウ」と記述され、軈て転音化して一般に於いても「えてこう」と呼称される。和語の方は、「さる」のほかに「ましら」とも呼称されていて、この人に近い「さる」は、関東では、同音語「去(さ)る」、関西では、「去(いぬ)る」として、寄席芝居などの観客を集めて興行する楽屋には、かたや「猿(さる)」、かたや「犬(いぬ)」をと忌み嫌う動物とされてきた。とは言え、「さる」は、日枝神社の守り神として祀られ、日本神話の『古事記』には「猨」「猿」を冠字とする「猨田彦大神(さるたひこのおおほかみ)」〔世界大百科事典の見出し〕、「猿(さる)田(た)彦(ひこ)大神(のおほかみ)」〔『古語拾遺』〕が登場する。
 ※猿女(さるめ)、猿楽(さるがく)などの〈猿〉は〈戯(さ)る〉で、「猿女(さるめ)」とは宮廷神事の滑稽なわざを演ずる俳優(わざおぎ)を意味する。
  さて、単漢字A「猨」とB「猿」の漢字はどのように用いてきたのだろうかを考えてみようと思う。そこで、先ずは、字典類から見ていくと、白川静著『字通』を基盤に繙いてみることする。
  『字通』
 常【猿】13画 4423
《異体字》  
 [蝯]15画 5214
 [猨]12画 4224
《字音》エン(ヱン)
《字訓》さる

《説文解字》

《字形形声》
声符は袁(えん)。正字は〔説文〕十三上に蝯に作り、爰声。「善く援(よ)づ。禺(ぐ)(母猴)の屬なり」とみえ、字はまた猿・猨に作る。
《訓義》
[1] さる、ましら。
《古辞書の訓》
〔名義抄〕猿 ワカサル/猨猴 サル
《語系》
 袁・爰hiuanは同声。袁は死者の襟もとに玉を加える形、爰は瑗玉を以て相援(ひ)く形。ともにまるい玉を用い、援引・攀援(はんえん)の意があり、声義が近い。猨は攀援の意をとるものであろう。
《熟語》
【猿引】えんいん  攀援。
【猿鶴】えん(ゑん)かく  猿と鶴。〔宋史、石揚休伝〕揚休、閑放を喜ぶ。平居猿鶴を養ひ、圖書を玩(もてあそ)び、吟詠自適す。
【猿戯】えんぎ  五禽戯の一。
【猿吟】えんぎん  猿嘯。
【猿嗛】えんけん  さるのほほ。
【猿肱】えんこう  猿臂。
【猿猴】えんこう  さる。
【猿酒】えんしゆ  猿ざけ。
【猿愁】えんしゆう  猿が哀しく鳴く。
【猿嘯】えんしよう(ゑんせう)  さるの声。唐・杜甫〔九日、五首、五〕詩 風急に天高くして、猿の嘯(な)くこと哀し 渚清く沙白くして、鳥飛び廻る
【猿心】えんしん  世俗の心。
【猿声】えん(ゑん)せい  さるの声。唐・李白〔早(つと)に白帝城を発す〕詩 朝(あした)に辭す、白帝(城)彩雲の閒 千里の江陵、一日に還る 兩岸の猿聲啼いて住(とど)まらざるに 輕舟已に過ぐ萬重(ばんちよう)の山
【猿猱】えんどう(ゑんだう) さる。てなが猿。唐・李白〔蜀道難〕詩 黄鶴(くわうかく)の飛ぶも、尚ほ過ぐることを得ず 猿猱、度(わた)らんと欲して、攀援(はんゑん)を愁ふ
【猿臂】えんび  猿の長い手。
【猿鳴】えんめい  猿の声。
《下接語》
哀猿・巌猿・窮猿・狂猿・吟猿・犬猿・猴猿・山猿・愁猿・心猿・蒼猿・啼猿・巴猿・飛猿・暮猿・夜猿・野猿・林猿・嶺猿・老猿

『康煕字典』
【蝯】[唐韻]雨元切[集韻]于元切並音袁[説文]禺属[広韻]蝯猴五百歳化為玃[爾雅釈獣]猱蝯善援[前感江都王建伝]繇王閩矦遺建荃葛珠璣犀甲翠羽蝯熊奇獣[玉篇]或作猨[説文徐鉉註]蝯別作猨非○按長箋言攀援如虫故入虫部然書冊所載或从虫或从犭不可偏廃今伹載爾雅漢書二条余从犭者別詳犬部
【猨】[広韻]雨元切[集韻]于元切並音袁[玉篇]似獼猴而大能嘯[蕣雅]猨猴属長臂善嘯便攀援故其字从援省或曰猨性静緩故从爰爰緩也論衡曰猨伏於鼠今人取鼠以繋猨頚猨不復動[史記李広伝]広為人長猨臂其善射亦天性也[司馬相如子虚賦]赤猨蠷蝚[後漢方術伝]五禽之戯四曰猨又[司馬相如子虚賦註]象俗呼為江猨又[玉篇]亦作蝯[集韻]本作蝯亦作猿𤝌𧳭
【猿】[広韻]雨元切[集韻][韻会]于元切並音袁[玉篇]俗猨字[戦国策]猿獼猴錯木拠水則不若魚鼈
『説文解字』
【蝯】善援禺屬从虫爰聲〈臣鉉等曰今俗別作猨非是兩元切〉

 A「猨」『古事記』『日本書紀』は、「猨田彦」「猨女」と表記する。
 B「猿」『日本書紀』に、人名「巨勢猿臣」、「猿晝」、「猿猶合眼歌」、「猿歌」と四種の語に用いる。
   C「蝯」『古事記』『日本書紀』未記載。

 1,『古事記』『日本書紀』に見える「さる」の漢字表記。
 2,『万葉集』は、諸写本のなかで、元暦校本『万葉集』だけが「猨」字を以て表記していて、後の書写本は、「猿」字を用いている。このなかで、訓みを助動詞「まし」に宛てているなかにあって、卷三の三四四番の大伴旅人の歌に「さる」の訓みを用いている。次に示す。
  ○痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見<者> 二鴨似
      あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
  3,『古語拾遺』〔龍門文庫蔵〕
 
    「猨女(サルメ)」、「溯女ノ君」「溯田彦」と両用表記にて記載する。

  観智院本『類聚名義抄』   
    猨猴 音園 サル[]/下ヱムコ[○・] 猨 通  猿 俗猨或/禾カサル 溯 音表又㽵〔佛下本一二七8〕
と云う、標記語熟字「猨猴」の次に単漢字「猨通」、「猿俗猨或/ワカサル」と此の単漢字二語を注記語を各々に記載する。此の両標記語を「通」と「俗」として明確に記述する。
  此の通と俗と識別は、『干禄字書』にも
    猿猨蝯  上俗中通下正今不行 〔平聲〕
とある箇所が「猿」俗字、「猨」通字として見合う。そして正字「蝯」、「今行わず」とあることで敢えて記載をしていない。

  室町時代の古辞書
  『要略字類抄』〔駒澤大学図書館蔵〕
  (エン)  サル俗云エン
     コウ  合呼猿
       侯ヲ也猨(エン)愨(エン)
       並同                         並同

 『運歩色葉集』に、
    ○(サル) ー曰山父一馬曰二山子一故畫掛厩別又有二故事一也。猴(同)。獼(同)。狙(同)。猱(同)。獱(同)。〔元亀二年本・獣名三七一8・9〕〔静嘉堂文庫本・獣名四五四5・6〕
    【訓読】
    ー(猿(サル))(猿)、山父曰く、「馬山子」とと曰ふ。故に畫を厩に掛け、別に又、故事有るなり〈也〉
とあって、字音語標記「猿猴」の語としては採録していない。

  『大廣益會玉篇』坤〔寛永八年版、架蔵本〕
    猱(ダウ)ナウ 乃刀切/獣ノ名サルノタグヒ〔玉廿三犬部三百六十四、七ウ3-2〕
    〓(タウ)〔犭+揀〕同上又/女交切サルノタグヒ〔玉廿三犬部三百六十四、七ウ3-3〕
    猴(コウ) 乎溝切/獼猴サル〔犬部三百六十四、七ウ3-4〕
    玃(カク) 居縛切/狙(サル)也〔犬部三百六十四、七ウ8-4〕
    𤣓 同上〔犬部三百六十四、七ウ8-5〕
    猨(エン) 于元切似(ニテ)レ猴(サル)ニ/能(ヨク)嘯(ウソフク)亦作蝯〔犬部三百六十四、八オ3-5〕
    猿(サル) 俗〔犬部三百六十四、八オ3-6〕
    
    獼(ミ) 武移切/獼猴サル〔犬部三百六十四、八オ6-3〕
    猕 同上〔犬部三百六十四、八オ6-4〕
    狙(ソ) 且余切玃属(サルノタグヒ)/犬暫齧人〔犬部三百六十四、八ウ3-1〕
    𤟠(シヨ) 音胥/猨属(サルノタグヒ)〔犬部三百六十四、八ウ6-6〕
    猻(ソン) 思昆切/猴猻(サルナリ)〔犬部三百六十四、八ウ7-5〕
    𤣓(タク) 徐卓切似レ獼/猴ニ而黄(キナリ)又作耀〔犬部三百六十四、九オ1-1〕
    狖(イウ) 羊就切/黒猿(クロキサル)〔犬部三百六十四、九ウ1-3〕
    㺠 同上〔犬部三百六十四、九ウ1-4〕
    獑(サン) 仕咸切獑猢/獣名似(ニタリ)レ猨(サル)ニ〔犬部三百六十四、九ウ2-1〕
    猚(ルイ) 音壘又音/袖似(ニタリ)レ猕猴ニ〔犬部三百六十四、九ウ3-1〕
とあり、十七種の単漢字が和語「サル」に関わるものとなっている。

 まとめ
  ここで、『干禄字書』、観智院本『名義抄』における「猨」通字、「猿」俗字という位置づけがどのように見定められ、こうしたなかにあって、三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕が俗字の「猿」字を標記字にして編纂が行われ始め、あとの字類抄系の古辞書に受け継がれていって、その一種『要略字類抄』〔駒大図書館蔵〕を以て示しておいたが、世俗系の古辞書から現在の国語辞書の動物「さる」の見出語に「猿」字が定着していることを検証した。言わば『字類抄』以前の『和名抄』を原点とする古辞書には、やはり、「猨」字を標記字にすることもあり、この『和名抄』がずっと使用され、江戸時代には隆盛を極め、狩谷棭齋が世に『倭名類聚鈔箋注』を送り出すことがその頂点ともなっていたこともあり、この「猨」通字と「猿」俗字の使用頻度の均衡を保持しつづけてきていると考えている。
 このあと、両用漢字表記の現行実態を探ることにも努めたい。

《補助資料》
 小学館『日本国語大辞典』第二版
    さる【猿】〔名〕(1)霊長目のうちヒト科を除いた哺乳類の総称。動物学的には霊長目を総称していう。ヒトにつぐ高等動物で、大脳のほか色覚を含む視覚、聴覚が発達し知能の高いものが多い。顔が裸出し、目は前方に向かい、手と足で物を握ることができる。森林などで群をなしてすみ、木の葉、果実、昆虫などを食べる。ゴリラ、ヒヒ、クモザル、キツネザルなど一二科五八属一八一種がいる。原猿類と真猿類とに分けられ、後者はさらに広鼻猿類(新世界サル類)、狭鼻猿類(旧世界サル類)、類人猿類に区分される。日本にはニホンザル一種だけで、ふつうこれをさしていう。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕皇極三年六月(北野本南北朝期訓)「人有りて、三輪山に猿(サル)の昼睡るを見る。竊に其の臂を執(とら)へて、其の身を害(そこな)はず」*万葉集〔八C後〕三・三四四「あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿(さる)にかも似る〈大伴旅人〉」*二十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一八「猨 風土記云猨〈音園 字亦作猿 和名佐流〉善負子乗危而投至倒而還者也 兼名苑云一名獼猴〈彌侯二音〉文選云猿狖〈音友〉失木 唐韻云猴猻〈音孫 楊氏漢語抄云胡孫〉」*平家物語〔一三C前〕一・内裏炎上「山王の御とがめとて、比叡山より大きなる猿どもが二三千おりくだり」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「猨猴 サル」*名語記〔一二七五(建治元)〕六「けだもののさる、如何。答、さるは、猿也。獼猴ともかけり」*虎明本狂言・靫猿〔室町末~近世初〕「『やい、あれはさるではなひか』『中々さるで御ざる』」(2)(1)を、すばしっこくずるいもの、卑しいもの、落ち着きのないものなどと見て、それに似た人をたとえていう語。(イ)ずるくて小才のきく者、またはまねのじょうずな者などを、あざけっていう語。*随筆・胆大小心録〔一八〇八(文化五)〕五五「今きけば、客は小ぬす人で、おやまは猿で、きき合せてあふ事じゃげな」*滑稽本・浮世床〔一八一三(文化一〇)~二三〕初・上「来る。あの野郎ァ達入(たていり)のねへ猿だぜ。見付けたら面の皮ァ引めくって呉べい」(ロ)野暮な者やまぬけな者をあざけっていう語。*歌舞伎・桑名屋徳蔵入船物語〔一七七〇(明和七)〕五「よい人質。あの海とんばうめを屋敷に留め置き、彼奴(きゃつ)めを猿にして紛れ者の詮議いたさう」*洒落本・文選臥坐〔一七九〇(寛政二)〕北廓の奇説「初会の座敷は廓通でもてれるもの、況んや山家の猿(サル)にをいてをや」(ハ)言語、動作の軽はずみで落ち着きのない者。*新撰大阪詞大全〔一八四一(天保一二)〕「さるとは ちょかちょかする人」(ニ)主として小者(こもの)、召使いなどを卑しめていう語。*浄瑠璃・傾城酒呑童子〔一七一八(享保三)〕三「どいつぞこい、さるめ、先へいて善哉餠いひ付よ」*浄瑠璃・本朝三国志〔一七一九(享保四)〕三「ごくに立たずののら猿の猿め猿めと異名を付け」(3)(浴客の垢(あか)を掻(か)くところから)江戸時代、湯女(ゆな)の別称。風呂屋女。垢かき女。*俳諧・大坂独吟集〔一六七五(延宝三)〕下「をのづから書つくしてよひぜんがさ 猿とゆふべの露は水かね〈未学〉」*浮世草子・好色一代女〔一六八六(貞享三)〕五・二「風呂屋者を猿といふなるべし。此女のこころざし風俗諸国ともに大かた変る事なし」*雑俳・三国市〔一七〇九(宝永六)〕「けいせいに・三すじたらいでさると成る」*随筆・異本洞房語園〔一七二〇(享保五)〕抄書「吉原を贔負(ひいき)する人は、風呂屋女に仇名つけて猿と云ひける也。垢をかくといふ心か」*浮世草子・渡世身持談義〔一七三五(享保二〇)〕五・二「或は廓より茶屋風呂屋の猿と変じて、垢をかきて名を流す女郎あり」(4)岡っ引き、目明しをいう江戸時代、上方の語。*俳諧・西鶴大矢数〔一六八一〕第一三「頭は猿与力同心召連て 此穿鑿に膓をたつ」*浪花聞書〔一八一九(文政二)頃〕「猿(サル)。江戸の目明し也」*随筆・皇都午睡〔一八五〇(嘉永三)〕三中「京摂の猿など呼役人を、(江戸で)岡っ曳」*俚言集覧(増補)〔一八九九(明治三二)〕「猿 江戸にて、目あかし、又、おか引と云ふ者を、大坂にて、猿と云ふ」(5)扉(とびら)や雨戸の戸締まりをするために、上下、あるいは横にすべらせ、周囲の材の穴に差し込む木、あるいは金物。戸の上部に差し込むものを上猿(あげざる)、下の框(かまち)に差し込むものを落猿(おとしざる)、横に差し込むものを横猿という。くるる。*雑俳・柳多留-一五三〔一八三八(天保九)~四〇〕「戸の猿は手長を防ぐ為に付け」*歌舞伎・月梅薫朧夜(花井お梅)〔一八八八(明治二一)〕六幕「思入あって下手入口の戸をしめ、さるをおろし」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)~〇一〕〈徳富蘆花〉四・九「雨戸は一々さるを落して猶其上を閂(かんぬき)で押へ」( )自在かぎをつるす竹にとりつけ、自在かぎを上げて留めておく用具。多くグミの木で作る。小猿(こざる)。(7)小さい紙片を折り返して括猿(くくりざる)のような形をつくり、その中央に穴をあけ、揚げた凧(たこ)の糸に通して、凧の糸目の所までのぼり行かせるしかけの玩具。*随筆・嬉遊笑覧〔一八三〇(天保元)〕六・下「のぼせたる凧の糸にとをし糸をしゃくり上れば凧の糸めの処まで上り行なり。是を猿をやるといふ」(8)ミカンの実の袋を糸毛でくくって、(1)の形をこしらえる遊び。*浮世草子・好色一代男〔一六八二(天和二)〕六・一「過にし秋、自が黒髪をぬかせられ、猿(サル)などして遊びし夜は」(9)江戸時代、針さしのこと。*雑俳・折句袋〔一七七九(安永八)〕「憎まれて居る針箱の猿」(10)「さるばい(猿匐)」の略。*俚言集覧〔一七九七(寛政九)頃〕「猿匐(サルハヒ) 碁勢にあり。又猿とばかりも云」(11)盗人仲間の隠語。(イ)囚人。〔隠語輯覧{一九一五(大正四)}〕(ロ)犯罪密告者。〔隠語輯覧{一九一五(大正四)}〕(ハ)私娼。〔特殊語百科辞典{一九三一(昭和六)}〕【方言】(1)密告者。《さる》奈良県675(2)額を受けるくぎに当てたり、幟(のぼり)の下隅に下げたりする三角形の小さな布の袋や人形。《さる》島根県725香川県与島014(3)鴨猟(かもりょう)に使う網の枠の竹に取り付けた網の滑りをよくするための竹の輪。《さる》新潟県蒲原364(4)おけ状の甑(こしき)でものを蒸す時、底の気孔を覆うのに用いる小ざる。《さる》長崎県壱岐島914(5)戸障子の骨。《さる》福島県中部155(6)手掘り石油井の側板。《さる》新潟県361(7)労働用の腰ばかま。《さる》島根県石見725(8)山仕事などをする時に着る上着。《さる》長野県飯田012(9)そでなし。胴着。《さる》愛知県北設楽郡062島根県益田市(ひも結び)725広島県賀茂郡782大分県大分郡941(10)樹木の皮。《さる》島根県石見725(11)槇(まき)の実。《さる》山口県吉敷郡・厚狭郡794(12)小豆など豆につく虫。《さる》奈良県678島根県那賀郡・江津市725(13)虫、てんとうむし(天道虫)。《さる》三重県飯南郡586兵庫県加古郡664神戸市665岡山県邑久郡(小児語)761大分県東国東郡940(14)虫、かまきり(蟷螂)。《さある》沖縄県宮古島975《さあるうぐゎあ》沖縄県島尻郡975【語源説】(1)獣の中では知恵が勝っていることから、マサル(勝)の意〔和訓栞〕。(2)「サ」は「サハグ」、「サハガシ」の意の古語。「ル」は語助〔東雅〕。(3)「サルル(戯)」ものであるところから〔大言海〕。(4)「サアリ(然有)」の約「サリ」の音便。物真似の意から転じた〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(5)怒った様子を表わすことによって、人を威嚇するところから、「シカレル」の反〔名語記〕。(6)「サトリアル(智有)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。(7)食物などを「サラヘ取ル」から、「サラフ(凌)」の義〔名言通〕。(8)さわる所へ取り付くところから、「サハル(触)」の中略。また、木からぶらりとさがるところから、「サガル」の中略か〔和句解〕。(9)人を見ると立ち「サル(去)」ものであるから〔本朝辞源=宇田甘冥〕。(10)「サルダヒコ(猿田彦)」の神に似ているところから〔古事記伝〕。(11)馬と共に猿を飼えば、馬の病気を砕くことができるということから、マル(馬留)の転〔言元梯〕。(12)猴の義の「サン(猻)」の語尾変化〔日本語原考=与謝野寛〕。(13)アイヌ語で猿をいうサロ、または「サルウシ」からか。「サルウシ」は尻尾をもつの意〔国語学叢録=新村出〕。【発音】〈なまり〉サー〔鳥取〕サール〔新潟頸城・鹿児島方言〕サイ〔熊本分布相・鹿児島方言〕シャル〔熊本分布相〕サッ〔鹿児島方言〕サリ〔石川・鳥取〕サン〔大隅〕シヤル〔飛騨〕〈標ア〉[サ]〈ア史〉平安・室町・江戸○◐〈京ア〉[ル]【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【猿】和名・色葉・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【猨】和名・色葉・和玉・易林・書言【獼】字鏡・和玉・文明【狙】色葉・和玉・書言【獼猴】色葉・名義【狖・猱】色葉・和玉【蝯】和玉・易林【猴】文明・易林【胡孫】色葉【猨猴】名義【猻・玃・㹳・𤠙・貁】和玉【猿猴】伊京【王孫・獮猴】書言【図版】猿(5)
    ましら【猿】〔名〕「さる(猿)」の異名。*古今和歌集〔九〇五(延喜五)~九一四(延喜一四)〕雑体・一〇六七「わびしらにましらななきそあしひきの山のかひあるけふにやはあらぬ〈凡河内躬恒〉」*御伽草子・猿の草子〔室町末〕「此猿〈略〉弓、まり、包丁、詩歌、管絃、ひとつもかくる事なく、器用のましら也」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Maxira (マシラ)。歌語。サル」*読本・椿説弓張月〔一八〇七(文化四)~一一〕前・一二回「盃の数もややかさなりて、顔をば狙猴(マシラ)のごとくなしつつ」【語源説】(1)梵語から〔和訓八例・嘉良喜随筆・名言通〕。梵語「マカタ(摩期吒)」の転か、また、猿の古名「マシ」に助辞「ラ」の付いたものか〔大言海〕。梵語マシラ(摩斯吒)から〔立路随筆〕。(2)「マ」は暦の「サル(申)」の字から、「シ」は助字。「ラ」は等の義〔関秘録・和訓栞(増補)〕。(3)「マサル」の転か〔外来語の話=新村出〕。他の動物よりすぐれているところから、「マサル(勝)」の義〔和句解〕。(4)「マシリアカ(真尻赤)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。(5)「マシ(馬守)ラ」の義〔言元梯〕。(6)「マサル(真猿)」の転〔雅言考〕。(7)猿が人間に転生した伝説をもつ摩頭羅国の「マツラ」からか〔南方熊楠全集〕。【発音】〈標ア〉[0][マ]〈京ア〉[0]【辞書】日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【猿】書言・ヘボン・言海

〈その他〉
『猨山(ヱンザン)商売往来(シヤウバイワウライ)』周暁〔安永五年奥書〕
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100408434/manifest


うるしむろ【漆屋】

2023-03-06 11:58:34 | 古辞書研究

関係者の皆さま
 本日(20230304)は貴重なお時間を頂戴でき、なおかつ有意義な情報交流が交わせたこと感謝申し上げます。
 今日の吾人のお話しのなかで、標記語【窨】が廿巻本には未収載なのに、十卷本にはあって、これが観智院本『類聚名義抄』法下62に収載することを伝えています。(吾人のブログ「チームルーム」に詳細情報を記載)

 『日国』第二版の「うるし【漆】」の見出語を国研語彙素コードの研究調査として、小学館からご提供が適って、そのデータ資料を駆使してみてみたとき、和語「うるしむろ【窨】」の語がはたと目につきました。

 類語「うるしや」「つちむろ」も併せつつ検証しておくことの必要性を感じています。
 日本文化芸術に欠かせない「漆」の古語「うるしむろ」のことばの役割がまだ上手く伝えられていないことに氣づかされました。塗師にとって欠かせない建造物が此の「うるしむろ」です。
 海外の方からも『日国』には上手く伝えられない日本語の古典語として、疑問の指摘がなされないようにしたいと思うばかりです。

うるしむろ【窨】の補足
名古屋市立博物館蔵『倭名類聚抄』卷第十五
 △調度部第二十下

 ○膠着具第二百の最末尾の標記語として、

 「漆屋ウルシムロ)」〔92オ2〕

と収載している。

 他写本では、「膠着具」の語群のなかに、此語は標記語としては、廿巻本『倭名類聚抄』、十巻本『和名類聚抄』には未収載の語だが、十巻本『和名抄』の標記語「窨」の注記語に「一云漆屋」と記載を見る語となっている。

 当然、廿巻本『倭名類聚抄』の古写本高山寺本は同じく「一云漆屋也」として収載することは重要なところでもある。

 名博『和名抄』の所載は、原書『和名抄』を見定めるうえで大きな手がかりをここに遺しているようだ。

 名博『和名抄』解題者は、榎英一さん、267頁下段末に元京大教授木田章義さんのお名前があって、此の名博寫本が草稿本ではないかと推測している旨を記述する。
 今回の当該語「漆屋」(ウルシムロ)の所載状況については、議論を重ねていくところとなろう。萩原義雄蔵 


あまのがは【天河】

2023-03-03 15:17:30 | 古辞書研究

2022/07/27更新
                          あまのがは【天河】
                                                                            萩原義雄識
あまのがは【天河】源順編『倭名類聚抄』を註解した江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』卷一景宿類「織女」に記載の標記語「天河」についてまとめた。
⑴十巻本『和名抄』卷一景宿類「天河 兼名苑云天河一名天漢〈今案又一名漢河 又一名銀河也 和名阿万乃加波〉⑵廿卷本『和名抄』卷一景宿類「天河 兼名苑云一名天漢今按又名河漢銀河也[和名阿万乃加八]とし、十巻本と廿卷本とで若干の表記・語順に異なりを見せる。その1が「一名」表記の重出と省略。2に別名漢字表記「漢河」と「河漢」3に「案」字と「按」字、4に万葉仮名表記「阿万乃加波」と「阿万乃加八」となる。此の異同表記について、『倭名類聚抄箋註』が如何に註解しているかを述べておく。基本的には、十巻本を基軸としていて、2別名漢字表記「漢河」と「河漢」については「漢河」を用いる。だが、棭齋自身「河漢」の語も検証する。古辞書資料の観智院本『類聚名義抄』、十巻本『伊呂波字類抄』の書名を載せて示す。彼が古辞書を繙く環境下にあったことを重要視したい。②三巻本『色葉字類抄』阿部天象門に、「天河[平・平]アマノカハ 銀璜 同 漢河 同 銀漢 同  瓊浦 同  銀河 同  玉潤 同  天津 同 折木 同  天漢 同〔前田本・阿部天正門二四オ二九三頁5~7〕「③『伊京集』に、「天漢(アマノガハ) 天河 銀河/銀浦同〔安部天地門ウ1〕※末尾「銀浦」の語は他古辞書に所載を見ない語で、諸橋轍次著『大漢和辞典』の【銀】の熟語例も「銀鋪」の語例はあっても当該語は未収載とする。中国宋景文公『雞跖集』に「李賀名天河以銀浦」〔宋-楊伯喦『六帖補』の「天河」参照〕に見える語で書写編者は当代に伝来していた類編の資料書を参考に採択する。「天漢・天河・ 銀河・銀浦」と別名の語群を排列所載する。大谷大学本及び正宗文庫本、岡田希雄本に、「天漢(アマノカワ)天河(同)銀河(同)〔大谷・安部天地門七四頁1〕「天漢(アマノガワ)天河(同)銀河(同)〔正宗・安部天地門八九頁(四五オ)3〕「天漢(アマノガワ) 天河(同)銀河(同) 或云沫雪下末〔岡田・安部天地門オ3〕として、『伊京集』や広本『節用集』末尾の「銀浦」や「銀漢」の語例を添えずに書写しており、「銀浦」の語を後に増補したとなれば大谷本・正宗本がその増補以前の原形を示すともとれるのだが、逆に大谷本が『伊京集』と広本とで異なる語例を敢えて載せないとか、未載理由は未知なる情報語であったことともとれる。伊勢本系玉里本は「天河・ 銀河・銀漢」と標記語「天漢」を載せないが、末尾を広本と同じく「銀漢」の別名の語とする。標記語一例のみとする広本は『伊京集』に最も類する形態で、「天河」「銀河」「銀漢」の三語を所載する。「△ー(天)川(アマノガワ)[平・平]テン、せン同〔安部天地門頁3〕「△ー(天)漢(アマノガワ)[平・去]テン、カン・ソラ又天河・銀河、・銀漢同〔安部天地門3〕※「同」は上位語「天野」の注記「河内國酒ノ出所」となり、地上の川名として記載する。「天漢」と天象語を置く。語注記の標記字「銀漢」の語例が『伊京集』では「銀浦」に別名表記する点に着目したい。明應五年本は「 天河(アマノカワ)〔安部天地門左3〕※標記語「天河」に付訓「アマノカワ」とし、他別表記語は未記載とする。飛鳥井榮雅増刋『下學集』は「天河(アマノカハ) 天漢 銀河/皆同〔安部乾坤門六十七ウ4〕※語注記別記を「天漢」「銀河」の二語とする。『下學集』から変容していくなかで、古写本『下學集』には、「○銀河(ギンカ) 天河也〔天地門一七頁6〕」「あまのがは/わ」の標記語は未収載にし、同じく注記別記とする「銀河」を標記語とする。語注記に「天河」のを置く。この系統寫本とする是心本も同じ記載が見え、付訓を「アマノカワ」と表記する以外は異同を見ない。広島大増刋も同じ。標記語を明應五年本と同じ「天河」で付訓「アマノカハ」とし、語注記に「天漢」「銀河」の別表記の語を載せ、「皆同」と記載する。時代を室町末期に転じ印度本系黒本本における「天河」の語は「天河(アマノガハ)或云・天難(ヒ)漢・又云銀河朗詠集銀河注云和名阿摩乃賀波(アマノガワ)云々〔安部天地門〕※語注記内容が他の『節用集』より詳細となっている。「或は云ふ・天難(ヒ)漢。又云ふ・銀河。(和漢)朗詠集』銀河注に云く、和名阿摩乃賀波(アマノガワ)云々」としていて、別表記「天漢」「銀河」を載せ、書名『倭漢朗詠集』における「銀河」の注記に「和名、阿摩乃賀波(アマノガワ)云々」を記載する。『和漢朗詠集私注』(内閣文庫蔵)375銀河の詩「銀河沙漲三千界。梅嶺花排一万株。(銀河の沙漲る三千界、梅嶺花排く一万株」の注記に「雪中ノ即事 白銀河一ニハ名銀漢一ノ名ハ河漢。和ニハ名テ曰阿摩乃賀波。漢書曰銀騫奉テ漢武ノ使ヲ尋テ河源ヲ昇ル銀漢ニ。大庾嶺ニ有万林之白梅云云。」とする。黒本本系統の枳園本及び伊勢本系の天正十七年本に「天河(アマノカハ)或云・天漢・又銀河・又朗詠集銀河之注云和名曰阿摩乃賀波〔安部天地門〕〔下二三九頁4〕にも同等の語注記を記載する。印度本系二種の語例は「A系統末尾「ワ」表記・・・弘治二年本、永禄十一年本。伊勢本系の天正十七年本は「・天河(アマノガワ) 或云天漢(アマノカハ)又云銀河朗詠集銀河之注云・和名阿摩乃賀波〔弘治本・安部天地門ウ8〕※標記語「天河(アマノガワ)」、「天漢(アマノカハ)」とし、「ワ」と「ハ」と両用表記を示す。「・天河(アマノガワ) 或云天漢(アマノカハ)又云銀河朗詠集銀河之注云・和名阿摩乃賀波〔弘治本・安部天地門ウ8〕「・天河(アマノガワ) 或云天漢(アマノカワ)ト・又云銀河朗詠集銀河注云・和名阿摩乃賀波〔永禄十一年本・安部天地門一九〇頁3〕」・天河(アマノガワ) 又云天漢又云銀河朗詠集阿摩河〔伊勢本系、天正十七年本・天地門(百オ)四二三頁4〕「 ○天河(あまのがわ) ○天漢(同) ○銀河(同)〔『和漢通用集』安部天地門三三〇頁上段7〕」 B系統末尾「ハ」表記・・・永禄二年本、尭空本、経亮本、高野山本」・天河(アマノカハ) 或云天漢又云銀河朗詠集銀河之注ニ云・和ニハ名テ阿摩乃賀波ト〔永禄二年本・安部天地門一六六頁4〕「・天河(アマノカハ) 或云天漢又云銀河朗詠集銀河之注云・和ニハ名テ阿摩乃賀波〔経亮本・安部天地門4〕「・天河(アマノカハ) 或天漢又云銀河、朗詠集銀川之住云和ニ名テ曰阿摩乃賀波〔高野山本・安部天地門一九二頁7〕とあって、A系統とB系統共に共通の語注記の文言を示す。刷版系天正十八年本・饅頭屋本(初刊と増刋二種)・易林本は、各々特徴性を有している。「 天河(アマノガワ) 銀河(同) 或他銀漢〔堺本=天正十八年本・下卷安部天地門十六オ9〕「天河(アマノガワ) 〔饅頭屋本初刊安部天地門下冊六十一オ1〕「天河(アマノガハ) 〔饅頭屋本増刋安部天地門下冊六十一オ(二七四頁)1〕「天河(アマノカハ) 銀河(同(アマノカハ))〔易林本・下卷阿部(一六ウ)2〕」堺本だけが「天河・銀河・銀漢」の三語を所載する。傍訓「アマノガワ」とするのは堺本と初刊饅頭屋本であり、増刋饅頭屋本と易林本は末尾ハ行転呼音の回帰の「アマノガハ」と付訓する。古辞書資料における語中末尾ハ行転呼音について別稿に讓る。『節用集』全体のまとめとして、第一に、仮名遣い表記「は」と「わ」について述べておきたい。ハ行字からワ行字への移行が見る。キリシタン版(=ローマ字表記)『日葡辞書』に依って、「Amanogaua」とワ行表記。「ハ」から「ワ」への移行期は平安時代中期に始まっている。室町時代後半期の古辞書を中核にして一度は「わ」と表記していた語注語尾の語例が「は」と再び回帰する。印度本『節用集』及び刷版本系三種の『節用集』。饅頭屋本『節用集』の初刋本と増刋本も顕著に二分する。此の語中語尾に示す「わ」と「は」の表記について、古辞書以外の諸作品資料からも検証することが肝要となる。室町時代末に成った『運歩色葉集』完本二種(元亀二年本・静嘉堂文庫本)も検証する。「 ○天河(アマノカワ) ○銀河(同) ○銀漢(同)  ○銀渚(同) 〔元亀本二五八頁2・3〕「 ○天河(アマノカハ) ○銀河(同) ○銀漢(同)  ○銀渚(同) 〔静嘉堂本二五八頁2・3〕「○銀漢(アマノカワ)  ○銀渚(同) 〔岡田真旧蔵本二五八頁2・3〕「とあって、二種の資料にあって、第五拍表記に差異が見えている。『節用集』類で見た傾向と同じ状況化にあるとすれば、元亀二年本と静嘉堂本における原本書写年時の先行と後行とが垣間見らたことにもなろう。精緻検証する方法として、猪熊本(岡田真旧蔵『節用集』)を取り上げる。上位「天河」「銀河」の標記語二語は未収載にし、下位部「銀漢」「銀渚」で共通、「銀漢」の付訓を「アマノカワ」としていて、元亀本に共通する。二字、一字、三字、四字熟語という排列語記載を採用していて、「あまのがわ」に四字の標記語を所載する。元亀二年本『運歩色葉集』〔阿部二六三頁6〕静嘉堂本『運歩色葉集』〔阿部二九九頁5〕「 ※注記に「万」とあって、『万葉集』乃至古註釈『仙覚抄』や『類葉抄』に此の語が所載されていず、典拠資料書名の冠字を以て引用を示すに過ぎない。『類葉集』〔延徳三(一四九一)年成る、京都府立総合資料館蔵〕を以て「あまのがは」のかな表記と漢字表記とを一覧した結果では、「天漢」三六例 「天河」一一例 「天川」二例 「天漢原」一例 「天之河」一例  「あまのかは」一例 「あまの河」三例を所載し、当該語の例は見えない。何を以ての記載なのかは今後の研究に俟ちたい。