駒澤大学「情報言語学研究室」

URL https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/

あせ・る【焦】→焦迫

2024-05-16 01:43:57 | 日記
あせる【焦】
                              萩原義雄識
 大槻文彦編『大言海』所載の当該語和語動詞「あせ・る【焦】」は、標記語を「焦心」として所載する。それ以前における『言海』には、
あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動)(規一)〔あは發語にて、せるは、競(せ)るか〕急(せ)きて心をつかふ。苛(いら)つ。焦心 〔一七頁上段〕
とする。
あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動、四)【焦迫】〔相(あひ)迫るの約、(閒(ア、ヒ)好くば、あはよくば、あひしらふ、あしらふ)倭訓栞、後編、あせる「俗に急遽なるを云ふ、相迫にや」」急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。苛(いら)つ。*俚言集覽、あせる「人に負けじと競(きそ)ひて、心を遣ひ氣をもむを云ふ」〔一冊七〇頁1・2段〕
とあって、『言海』の記述を変改している。標記漢字を「焦迫」と二字熟語で記載しているのも特徴となっている。意義説明も「あ、迫る」から「相(あひ)迫るの約」とし、「急(せ)きて心をつかふ」を「急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。」とする。
同時代の官版『語彙』卷二には、
あせる人にまけじときそひて心を遣(つか)ひ氣ヲモムをいふ 〔卷二、卅五ウ8〕
としていて、『俚言集覽』の説明をそのまま蹈襲するものとなっていることが判る。
 やがて、和語動詞「あせ・る」は、単漢字「焦」の字だけで表記するに至る。さらに、『日国』が示す⑶の意味での「俗に、あわてる。」を表すものとなっていく。

【ことばの実際】
島崎藤村『新生』
○彼の心が焦れば焦るほど、延びることを待っていられないような眼に見えないものは意地の悪いほど無遠慮な勢いを示して来た。〔三十五〕
○二人の結びつきは要するに三年孤独の境涯に置かれた互の性の饑に過ぎなかったのではないか。愛の舞台に登って馬鹿らしい役割を演ずるのは何時でも男だ、男は常に与える、世には与えらるることばかりを知って、全く与えることを知らないような女すらある、それほど女の冷静で居られるのに比べたら男の焦りに焦るのを腹立しくは考えないかと。〔六十七〕

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あせ・る【焦】〔自ラ五(四)〕(1)気がいらだってあばれる。手足をばたばたさせて騒ぐ。*梁塵秘抄〔一一七九(治承三)頃〕二・四句神歌「娑婆にゆゆしく憎きもの、法師のあせる上馬に乗りて」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「沛艾 アセル ヲトリアセル」*名語記〔一二七五(建治元)〕三「馬のあせり、さはぐ」*荏柄天神縁起〔一三一九(元応元)~二一頃〕「かの女房くれなゐのはかま腰にまとひつつ手に錫杖をふりて〈略〉狂ひおどりあせりけれ」(2)思い通りに事が運ばないので、急いでしようとして落ち着かなくなる。気がいらだつ。気をもむ。じりじりする。*天理本狂言・塗師〔室町末~近世初〕「其時、女房うしろより、いろいろ、てまねきして、身をあせり、男をよぶ」*俳諧・馬の上〔一八〇二(享和二)〕「あはれかくては十里の道こころもとなしとあせるにも似ず」*和訓栞後編〔一八八七(明治二〇)〕「あせる 俗に急遽なるをいふ。相迫にや」*浮雲〔一八八七(明治二〇)~八九〕〈二葉亭四迷〉三・一九「不満足の苦を脱(のが)れようと気をあせるから」(3)俗に、あわてる。*にんげん動物園〔一九八一(昭和五六)〕〈中島梓〉九三「甘栗を買おうとして反射的に『あまつ……』と云いかけてあせることがある」【方言】(1)催促する。せきたてる。《あせる》広島県安芸郡776高田郡779(2)働く。《あせる》岐阜県吉城郡500飛騨502(3)もがく。暴れる。《あせる》富山県射水郡394福井県大野郡062岐阜県吉城郡501飛騨502(4)睡眠中に動き回る。《あせる》島根県隠岐島725(5)熱心にする。《あせる》石川県金沢市404(6)口論する。《あせる》宮城県石巻120【語源説】(1)「アヒセル(相迫)」の約〔和訓栞後編〕。(2)「アセル(彌急)」の義〔言元梯〕。(3)「アセ得ル」の義。「ア」は「顕ルル」、「セ」は迫る〔国語本義〕。【発音】〈なまり〉アセイ・アセッ・セッ〔鹿児島方言〕アセガル〔壱岐〕アズル〔神戸・播磨〕アヅル〔佐渡〕〈標ア〉[セ]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・ヘボン・言海【表記】【沛艾】色葉【焦迫】言海

わたしが繙くことば「おはぎ」と「ぼたもち」

2024-05-08 14:00:44 | 日記
私が播くことば
  「おはぎ」と「ぼたもち」
                            lk0252諫山萌加
  導入
 「もうすぐお盆だからお題はおはぎにしよう」と思ったが、調べると私はこれに関して重大な勘違いをしていたことに気付く。お盆におはぎは食べないということだ。
 おはぎから発展し、今日学んだことについてここにまとめる。

《御萩(おはぎ)》
「はぎのもち」(「はぎの花」とも)の女房詞で、牡丹餠(ぼたもち)のこと。時代や地方によって違いがあるが、現在東京では、粳(うるち)と糯米(もちごめ)をまぜて炊き、軽くついたのち、まるめて餡(あん)、きな粉、すりごまなどをまぶしたものをいう。
*女重宝記(元祿五年)〔1692〕一・五「一ぼたもちは やわやわとも、おはぎとも」
*物類称呼〔1775〕四「ぼたもち 又はぎのはな又おはぎといふは女の詞なり」
*人情本・仮名文章娘節用〔1831~34〕三・七回「『ヲヤヲヤおめづらしい、お牡丹餠(ハギ)でございますかエ』『アイ富貴牡丹(ふきぼたん)といふ道明寺のおはぎサ』」
*婦系図〔1907〕〈泉鏡花〉前・九「お彼岸にお萩餠(ハギ)を拵へたって」
               
ハギはハギノハナ(萩花)の下略。小豆の粒を散らしかけたところが、萩の花の咲き乱れるさまに似ていることから〔世事百談・上方語源辞典=前田勇〕。
                    (小学館『日本国語大辞典』より)
《萩の餅(もち)をいう女房詞から》もち米、またはもち米とうるち米とをまぜて炊き、軽くついて丸め、小豆餡・きな粉・すりごまなどをまぶしたもの。彼岸に作る。ぼたもち。はぎのはな。
                    (『日本大百科全書』より)

《牡丹餅(ぼたもち)》
糯米(もちごめ)と粳米(うるちごめ)とをまぜてたき、軽くついたものを、ちぎって丸め、あずき餡、きなこなどをまぶしたもの。萩のもち。おはぎ。やわやわ。隣知らず。
*俳諧・鷹筑波集〔1638〕五「萩の花ぼた餠(モチ)の名ぞみぐるし野〈重春〉」
*町人〔1692〕二「今のぼたもちと号するものは禁中がたにては萩の花といひて」
*諸国風俗問状答〔19C前〕阿波国風俗問状答・一〇月・八七「亥の子には餠を搗もあり、牡丹餠又は赤小豆飯を升に盛て祭り申也」
(1)形容が牡丹の花に似るところから、ボタンモチ(牡丹餠)の中略〔本朝世事談綺・嘉良喜随筆・牛馬問・物類称呼・燕居雑話・世事百談・俗語考・俚言集覧(増補)・大言海〕。
(2)ボタボタした餠の意〔松屋筆記〕。
(3)ボタ米を用いて作った餠であるところから。ボタ米は、にごから脱しきらないわら屑まじりの米をいう〔ことばの事典=日置昌一〕。
                       (『日本国語大辞典』より)
牡丹餅とも書き、餅菓子の一種。糯(もち)米と粳米(うるちまい)を等量に混ぜて炊き、軽く搗(つ)いたものを適当の大きさにちぎって丸め、小豆餡(あずきあん)やきな粉をまぶしたもの。ぼた餅は萩(はぎ)の餅、おはぎともいう。春秋の彼岸(ひがん)には仏前に供え、近隣相互に贈答を交わし、親睦(しんぼく)を図った。春の彼岸につくるものをぼた餅、秋の彼岸につくるものを萩の餅、おはぎと称したといわれる。また餡をつけたものがぼた餅、きな粉をまぶしたものはおはぎともいうが、いずれも定説ではなく、今日では春秋にかかわりなく、ぼた餅ともおはぎともよばれている。
 彼岸のころを中心に和菓子屋の店頭にもあるが、本来は家庭でつくる菓子で、「ぼた餅で頬(ほお)を叩(たた)かれるよう」というたとえが「うまい話」の意であるように、ぼた餅は家庭での「うまいもの」であった。しかし餅菓子としての姿は見栄えのするものではなく、やぼったい菓子、あか抜けしない菓子とされてきた。「ぼた」には炭鉱での屑(くず)炭の意味があるほか、方言ではボロ、ボロ布(神奈川県三浦郡、島根県那賀(なか)郡)、水けのある土地(新潟県佐渡島)、太っている者(山口県大島、長崎県平戸)、大きなかたまり(静岡県庵原(いはら)郡)の意もある。また顔が丸く大きくて不器量な女性をぼた餅顔といったり、屑米(くずまい)をぼた米といい、ぼた米でつくった餅をぼた餅とする説もある。これらの説を総括したものがぼた餅には含まれているようである。ぼた餅にはまた「隣知らず」「夜舟」(ともにいつ搗(着)くかわからないの意)、「奉加(ほうが)帳」(搗(付)くところも搗かぬところもある)、「北の窓」(月知らず、半搗きの餅を使うのでいう)などの異名もある。[沢 史生] (『日本大百科全書』より)

以上、「おはぎ」と「ぼた餅」は同じものであることが分かる。
またあおい部分から、おはぎは萩の花、ぼた餅は牡丹の花からきていることが分かる。

《萩》
マメ科ハギ属の落葉低木または多年草の総称。特にヤマハギをさすことが多い。秋の七草の一つ。茎の下部は木質化している。葉は三小葉からなり互生する。夏から秋にかけ、葉腋に総状花序を出し、紅紫色ないし白色の蝶形花をつける。豆果は扁平で小さい。ヤマハギ・マルバハギ・ミヤギノハギなど。はぎくさ。学名はLespedeza 《季・秋》
*播磨風土記〔715頃〕揖保「一夜の間に、萩一根生ひき、高さ一丈ばかりなり」
*万葉集〔8C後〕一九・四二二四「朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも吾が屋戸の波義(ハギ)〈光明皇后〉」
十巻本和名類聚抄〔934頃〕一〇「鹿鳴草 爾雅集注云萩〈音秋一音焦〉一名蕭〈音宵 波〈略〉〉
*俳諧・奥の細道〔1693~94頃〕市振「一家に遊女もねたり萩と月〈芭蕉〉」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ハギ ヤマハギ 胡枝子」        (『日本国語大辞典』より)
《牡丹》
ボタン科の落葉低木。中国原産で、古く日本に渡来し、観賞用として庭に植えられる。高さ〇・六~一・八メートル。葉は二回羽状複葉で有柄。各小葉は卵形か披針形で二~三裂する。春、梢上に径二〇センチメートルぐらいの大形の重弁花を一個つける。花は紅・紅紫・黒紫・桃・白色などで変化が多い。根皮は頭痛、関節炎、リウマチ、婦人病などの薬として煎服(せんぷく)される。漢名、牡丹。はつかぐさ。ふかみぐさ。なとりぐさ。やまたちばな。ぼうたん。ぼうたんぐさ。学名はPaeonia suffruticosa 《季・夏》 ▼ぼたんの芽《季・春》
*菅家文草〔900頃〕四・法花寺白牡丹「色即為貞白、名猶喚牡丹」
*色葉字類抄〔1177~81〕「牡丹 ボタン ボウタン俗」
*俳諧・野ざらし紀行〔1685~86頃〕「牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ボタン 牡丹」
*白居易‐惜牡丹花詩「惆悵階前紅牡丹、晩来唯有両枝残」         (『日本国語大辞典』より)
上記赤文字の部分から、春のお彼岸にはぼた餅(牡丹は春の花)、秋のお彼岸にはおはぎ(萩は秋の花)を食べることが分かる。
お盆ではなかったのだ。
では、お盆とお彼岸の違いは何か。
《彼岸会(彼岸)》
仏語。春分秋分の日を中日として、その前後七日間にわたって行なう法会。大同元年(八〇六)、崇道天皇(早良親王)の霊を慰めるために初めて行なわれた。《季・春》
*俳諧・類柑子〔1707〕上・里居の弁「彼岸会に里へ下ばや杖と足〈百猿〉」
*随筆・塩尻〔1698~1733頃〕九「凡暦家春秋の彼岸会を記す事久し」
*風俗画報‐一五七号〔1898〕三月「春分秋分(しゅんぶしうぶ)の日を中日とし合て七日仏事を修す、之を彼岸会(ヒガンヱ)と云ふ」
*白羊宮〔1906〕〈薄田泣菫〉望郷の歌「物詣する都女(みやこめ)の歩みものうき彼岸会(ヒガンヱ)や」
春秋二季の彼岸会(ひがんえ)。また、その法要の七日間。俳諧では、秋の彼岸を「後の彼岸」「秋の彼岸」という。《季・春》

*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「つれづれとあるほどに、ひがんにいりぬれば」

*宇津保物語〔970~999頃〕国譲下「ひがんの程によき日をとりて、さるべき事おぼし設けて」

*文机談〔1283頃〕五「孝時は〈略〉四十二といひける秋、八月のひがんに、〈略〉出家のみちにいりて、真実報恩者となりぬ」

*世阿彌筆本謡曲・弱法師〔1429頃〕「このひかん七日の間、天王寺の西門、石の鳥居にて大せきゃうを引かれ候ふが」

*俳諧・増山の井〔1663〕二月「彼岸(ヒガン) 時正 是も春也。後の彼岸は秋也」

*諸国風俗問状答〔19C前〕紀伊国和歌山風俗問状答・二月・三九「彼岸入る日、中日、終る日には、俗家にも仏前へ、ぼたもち・だんご様のものを供す、寺院には法会・説法などある。此日の内、秋草の種を蒔く」
(『日本国語大辞典』より)
《盆》
(盂蘭盆(うらぼん)の略)七月一五日に行なわれる仏事。《季・秋》
*俳諧・古活字版中本犬筑波集〔1532頃〕恋「ほんには人のかよふたまづさ むかしよりその文月のこひのみち」
*浮世草子・好色一代男〔1682〕三・六「月雪のふる事も盆(ホン)も正月もしらず」
*俳諧・続猿蓑〔1698〕旅「くるしさも茶にはかつへぬ盆の旅〈曾良〉」
*浄瑠璃・曾根崎心中〔1703〕「ぼんと正月其上に、十夜・お秡・煤掃」
*風俗画報‐一五九号〔1898〕七月「此日(このひ)より十五日までを世俗盆と唱へ商売取引其他諸払の受取」
              (日本国語大辞典より)
以上から、お彼岸とお盆は開催時期が異なることが分かる。

《まとめ》
「おはぎ」と「ぼた餅」は一緒のものだが、お彼岸の時期が違うため、呼び方も異なり、お盆とお彼岸はそもそも開催時期が違うということが分かった。
今まで間違った認識で来てしまったことへの恥ずかしさもあるが、逆にここで修正できて良かったとも思う。

【コラム】
江戸時代の辞書『永代節用無盡蔵』〔寛延三年原刻、嘉永二年再刻、舊編は河邉桑楊子〕
飯團餅(ぼたもち)
  飯團餅(ハンダンベイ/
  めし、まるし、(もち)) 〔ほ部飲食門〕
茲に、「ぼたもち」を【飯團餅】と表記した語例を見る。
              

みづかがみ【水鏡】

2024-05-01 20:08:17 | ことばの溜池(古語)
    みづかがみ【水鏡】
                              萩原義雄識

 夜の月が池や湖の水面に映るとき、人は此の景観を「水鏡」と呼称してきた。
 茲に、『金光明最勝王経』卷二に、
○善男子。譬。如日月無有分別。亦如水鏡無有分別。光明亦無分別。三種和合得有影生。
○善男子キヽ玉ヘ。譬(タトヘ)バ。如日-月ノ。無(ナキ)ガ分別。亦( タ)。如クニ水鏡(ミヅカヾミ)ミヅニヤドレルツキヒヲノ(ナキ)ガ(アル)コト分-別一。光-明マタヽク。テリカヽヤケルヒカリトテモトテモ。亦( タ)。無(ナケレ)トモキヲ以分-別アルコト。三-種タイサウイヨウノサンジン。和-合シヌレバ(ウル)ヲ以ガ如シ(アル)コトヲ(カゲ)生ズルコト▲。〔宝暦十年刊・架蔵本〕
【訓読】
善男子キヽ玉ヘ。譬(タトヘ)バ。日-月ノ。分別有無(ナキ)ガ如ク。亦(まタ)。水鏡(ミヅカヾミ)ミヅニヤドレルツキヒヲノ分-別有(アル)コト無(ナキ)ガ如クニ。光-明マタヽク。テリカヽヤケルヒカリトテモトテモ。亦(まタ)。分-別アルコト無(ナケレ)どもキヲ以。三-種▲タイサウイヨウノサンジン。和-合シヌレバ得(ウル)ヲ影(カゲ)生ズルコト▲有(アル)コトヲ以ガ如シ。
となっている。和語名詞「みづかがみ【水鏡】」の左訓語注記には、「ミヅニヤドレルツキヒ」と記述する。
 他に、「水鏡(ミヅカヾミ)ケシンハ」と云う語例を見る。此のように、左訓和解注記については是れまで国語辞書の意義説明や補記などには反映されることが少なかったと考えている。その点を明らかにし、此れらの和解の注記表現を次に文藝資料などにどのようなかたちで投影されているのかへと繋げていければと考えている。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
みず-かがみ[みづ‥]【水鏡】【一】〔名〕静かに澄んでいる水面に物の影がうつって見えること。また、水面に顔や姿などをうつして見ること。また、その水面。*恵慶集〔九八五(寛和元)~九八七(永延元)頃〕「天の河影を宿せる水かかみたなばたつめの逢瀬しらせよ」*謡曲・井筒〔一四三五(永享七)頃〕「井筒に寄りて〈略〉互に影を水鏡、面を並べ袖を掛け」*俳諧・犬子集〔一六三三(寛永一〇)〕三・杜若「水かかみ見てやたしなむ皃(かほ)よ花〈宗俊〉」*ありのすさび〔一八九五(明治二八)〕〈後藤宙外〉三「汀(みぎは)に水鏡して」【二】鎌倉初期の歴史物語。三巻。作者は中山忠親説、源雅頼説などがある。成立年代未詳。内容は神武天皇から仁明天皇までの五五代(弘文天皇を除き、神功皇后・飯豊天皇を含む)、約一五〇〇年間の事跡を編年体に記したもので、鏡物では最も古い時代を扱っている。【発音】ミズカガミ〈標ア〉[カ]〈京ア〉[カ]【辞書】日葡・ヘボン・言海【表記】【水鑑】ヘボン【水鏡】言海
すい-きょう[‥キャウ]【水鏡】〔名〕(1)水面に物の影が映って見えること。みずかがみ。*懐風藻〔七五一(天平勝宝三)〕在常陸贈倭判官留在京〈藤原宇合〉「公潔等氷壺、明逾水鏡」*本朝文粋〔一〇六〇(康平三)頃〕一・織女石賦〈菅原文時〉「空想河鼓以亘眺、亦対水鏡以下臨」*張九齢-和吏部李侍郎見示秋夜望月詩「光逐露華満、情因水鏡揺」(2)(水がありのままに物の姿をうつすところから)物事をよく観察し、その真状を見抜き、人の模範となること。また、その人。*世説新語-賞誉「衛伯玉為尚書令〈略〉命子弟之曰、此人、人之水鏡也。見之若雲霧青天」(3)月の異称。*性霊集-一〇〔一〇七九(承暦三)〕故贈僧正勤操大徳影讚「団々水鏡空而仮、灼々空花亦不真」*布令字弁〔一八六八(明治元)~七二〕〈知足蹄原子〉三「水鏡 スイキャウ ツキノコト」*謝荘-月賦「柔祇雪凝、円霊水鏡」【発音】スイキョー〈標ア〉[0]