十三拍の和語 ―「うるしぬりのやきしるのつほ【炙函】」―
日本語の名詞として長いことばは幾つかの挙例が知られている。通常は長いことばでも八拍くらいで示すのだが、茲に紹介することばは「十三拍」という長さにもかかわらず、厨膳具の一つとして用いられてきたようだ。
平安時代を代表する古辞書する源順編『和名類聚抄』に、下記のように「和名」を真名体漢字表記「宇流之奴利乃夜岐之留乃都奉【炙函】」とする。此を承けて鎌倉時代の観智院本『類聚名義抄』には、カタ仮名表記で「ウルシヌリノヤキシルノツホ【漆炙函】」と記載する。
【翻刻】
廿卷本『倭名類聚抄』巻十四調度具中厨膳具第百八十二
炙函 東宮旧事云漆炙函[今案和名宇流之奴利乃夜岐之留乃都奉]
十巻本『和名類聚抄』巻六調度具中厨膳具
炙函 東宮舊事云𣾰炙函[今案 宇𣴑之奴利乃夜歧之留乃都奉]
※語注記「和名」の有無。
【訓読】
炙函 『東宮旧事』に、「漆炙函」[今案ふるに「宇流之奴利乃夜岐之留乃都奉(うるしぬりのやきしるのつぼ)」]と云ふ。
【影印】
天正三年書写『倭名類聚抄』〔大東急記念文庫蔵〕
炙凾 東宮舊事云漆――(炙凾)[今案和名宇流之奴利乃夜歧之留乃都奉]
伊勢廣本『倭名類聚抄』東京都立中央図書館河田文庫蔵
炙凾 東宮舊事云漆――(炙凾)[今案和名宇流之奴利乃夜歧之留乃都奉[上上上上上上上上上平○○]]
※語注記、真字体漢字「宇流之奴利乃夜歧之留乃都奉[上上上上上上上上上平○○]」と差声点がある。
昌平本『和名類聚抄』〔東京国立博物館蔵〕巻六
炙 (ウルシヌリノヤキシルノツホ) 東宮舊事云𣾰――(炙函)[今案和名宇𣴑之奴利乃夜歧之留乃都奉]
※標記語「炙(函)」の「函」字を欠く。
京本『和名類聚抄』〔国会図書館蔵〕
炙函 (ウルシヌリノヤキシルノツホ) 東宮舊事云𣾰――(炙函)[今案宇流之奴利乃夜歧之留乃都奉[上上上上上上上上上平平上上]]
※注記語「和名」二字なし。差声点あり。
狩谷棭齋『倭名類聚鈔補訂』巻六注膳具九十
炙凾 東宮舊事云𣾰炙凾[今案宇𣴑之奴利乃夜歧之留乃都奉]
慶安元年板『倭名類聚抄』〔棭齋書込宮内庁書陵部蔵〕欠冊
<慶安元版>国会亀田,内閣,宮書,慶大斯道,神戸大,東大史料,鳳鳴青山,神宮,多和,天理吉田,無窮神習,村野
狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』〔明治十六年刊森立之〕
炙函 東宮舊事云、𣾰炙函、[今案宇流之奴利乃夜歧之留乃都奉、○太平御覧引云漆栢炙大函一具、此係二節文一、」昌平本有二和名二字一、
【古辞書】
観智院本『類聚名義抄』〔僧下七十一8~七十二1〕
漆炙函 和名/ウルシヌリノヤキシルノツホ[上上上上上上上上上平平上上]
※標記語「漆炙函」と三熟字で収載し、『和名抄』の二字標記語「炙函」を正式の表記するものとなっていて、『和名抄』の語注記には「𣾰炙函」としていて見えていることもあって、慣用として冠頭字の「漆」字を省き当時用いられていたことを示唆するものとみておくこともできよう。
今此語があまりにも目立たない語となっていたその事由のひとつには、『名義抄』が頁を跨ぐ記載になっていることも一端にあるやもしれないが、伊勢廣本と京本『和名抄』の和訓差声点とも共通することも茲でおさえておく必要があろう。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版には標記語「炙函」=「𣾰炙凾」も和語「うるしぬりのやきしるのつぼ」と云った十三拍にも及ぶ最も長い此の語例は未収載とする。
或る意味で、「うるしぬりのやきしるのつぼ」が「漆塗りの灼き汁の壷」と云う意味の語を載せたことについて極めて反応が薄い語となっていたこと、更には、廚膳具の「𣾰炙函」→「炙函」→「炙」そのものが変容していたこともその一端に潜んでいたかもしれない。