『倭名類聚抄』典拠書名『養性要集』と『養生秘要』に就いて
萩原義雄識
『倭名類聚抄』所載典拠資料『養性要集』
通番/漢字/廿卷本『倭名類聚抄』/
十巻本『和名類聚抄』 卷/部類/丁数/
7628 乾薑 養性要集云乾薑一名定薑[和名保之波之加美]〔十六〕
膳夫經云空腹勿食生薑[居良反久礼乃波之加𫟈俗云阿奈 波之加美]
養性要集云乾薑一名定薑[ 保之波之加𫟈]
8354 昌蒲 養性要集云昌蒲一名臰蒲[和名阿夜女久佐]〔二十〕
養性要集云昌蒲一名臰蒲[ 阿夜米久佐]
【訓み下し】
○薑〈乾薑付〉『膳夫経』に云はく、空腹に生薑[居良反、久礼乃波之加美(くれのはしかみ)、俗に阿奈波之加美(あなはしかみ)と云ふ〉を食ふこと勿れといふ。『養性要集』に云はく、「乾薑」は一名に「定薑」といふ[保之波之加美(ほしはしかみ)]
○昌蒲 『養性要集』に云はく、「昌蒲」は一名に「臭蒲」といふ。〈阿夜米久佐(あやめくさ)]
標記語の七六二八「乾薑」(保之波之加美)と八三五四「昌蒲」(阿夜女久佐)の二語の語注記に『養性要集』からの引用として此の二語が記載される。これ以前に丹波康頼編『醫心方』三十卷〔九二四(延長二)年円融天皇に献呈〕には、佚文と言われる『養性要集』が三一二例も引用されていることは既に確認されてきた。とりわけ、巻二十七・養生篇、巻二十九・食禁篇、巻=一十・五穀五薬に集中してその引用を見ることが出来る。数は少ないが、同じく平安時代の本邦資料として、滋野貞主『秘府略』(八一三年成)に一例、深根輔仁『本草和名』(九一八)に二例、源順『倭名類家抄』(九一一~一一|九=一七年の問)に五例、兵卒親王『弘決外典抄』(九九一年自序)に四例、作者未詳の承久本『三数指掃』(承久二年注了・一二一一)に四例、運倣『=一敬指蹄側補』(一六五七年)に七例と云ったように、一類書・本草書・『三教指腸』の注釈書等に引用を見せていて、大陸中国では佚書となっていたが、此の時代に本邦では参考資料の一つとして将来していた可能性があったと見て良かろう證しとして明らかとなっている。だが、我が国最古の漢籍目録、藤原佐世著『日本國見在書目』(八九一(寛平三)年頃成る)のなかには、此の『養生要集』の書名が未記載となっている。その上本邦にても此の書名を遺すことがないと来ている、言わば、幻の原書として、此れを時の人が如何に引用したのかを見定めておくことも肝要となろう。その一番の手がかり足がかかりとして着目する本邦資料が『醫心方』となる。また、『和名抄』の二例に加えて、『養生秘要』六例、此に廿巻本にだけだが、『養性志』の一例なる書名が見えていて、此方との聯関性も問われてくる。
卷十六飲食部と卷十七果蔬部・菜蔬部の標記語の語注記に集中して所載の『養性秘要』なる典拠資料名について見ておくと、『倭名類聚抄』に於ける漢字表記「養生」と「養性」とが同一書名なのかという点とその用法の違いはあるのか、はたまた、使用の時代性を反映する者なのかという観点が右の表から見えてくる。そして「集」と「秘要」とがどのような聯関性のうえで成り立っていて、元は同じ資料と云うことを明確化しておくことも必要となろう。取りわけ、後者の「集」と「秘要」とを加味したとき、本邦で改めてまとめた資料が存在し、此にこそ「養生要集」から「養生秘要」へと置換命名がなされていたと仮定しても、これを推測できるかについても探り出していくことを必要としていることは慥かなものとなった。
このことからも源君が用いた資料は、本邦では『養性要集』なのであるが、原書ではなく、『養生秘要』なる本邦に見合った改編書(=転書)ではなかったかという可能性を秘めた資料かと云うことにもなろう。
実際、大陸中国での引用書目の書名を検索しておくと、『諸病源候論』一例、『藝文類聚』二例、『文選李善注』五例(「養生要」四例、内一例は「養生要論」と記載)、『初學記』六例(「養生要集」六例)、『雲笈』四例、『太上養生胎息氣經』一例、『隋書』六例、『新唐書』四例(内一例「養生要録」)『太平御覧』二十五例(「養生要集」十例、「養生要略」三例、「養生要」六例、「養生要訣」四例「養生要録」一例)と、孰れも『養生要集』他(ー略・ー訣・ー論・ーー)の書名で記載が見えている。即ち、大陸中国に『養生要集』(東晉末張湛撰)なる書物があり、直接か間接かは未分明だが本邦に将来されていたということを證明している。これに対し、『養生秘要』なる書物については、大陸文献資料中からは見出すことができず、推測の域は出ないものの、本邦で再編された佚文書物の可能性を有するものとなっている。
茲に取り上げた『隋書』卷三十四經籍三に、「○養生要集十卷張湛撰」と記載されていて、選者も『列子』を編んだ張湛であり、十卷から成るものだと知られる。此れを信頼性の高い原書としたとき、『養性要集』と『養生秘要』と云う別名の二種類の書物として源君の手許にあったと見ることにもなろう。
前述した丹波康頼編『醫心方』(注一)中に、原書『養生要集』が三一二例も引用されていることも再度検証すべきことになる。とりわけ、巻二十七・養生篇、巻二十九・食禁篇、巻=一十・五穀五薬に集中する引用箇所を目途に見ておくことで此の点を明確化できるものとみる。只今は、この後に記載することは避けるが、孰れ別稿を用意したい。
〈注一〉『醫心方』十巻は、丹波康頼が三年を費して撰し、永観二年(九人四〉、園融天皇に奏進された。今日流布しているのは、徳川幕府の醫學館が宇井家に俸わる寓本を模して安政七年(一八六〇〉に刊刻した所謂、「安政版」にもとづいて、浅草の浅倉屋が再版した「浅倉屋版」(明治四十二年刊〉を以て本稿の引用
としている。〈注二〉陶弘景編『養性延命録』は、「養生」の語を「養性」と表記することに、留意しておくと、『養性要集』の二例が原書名『養生要集』を用いていないこと、転録改編の『養生秘要』はそのまま「養生」としたのにも拘わらず、「養性」を用いるに至った経緯が後掲の梁陶弘景篇『養性延命録』に引かれていてその序文に「余因止觀微暇聊、復披覽養生要集」としていて、その聯関度について考察は、孰れ明らかにせねばならないが、暫し時間を要する。
真名体漢字表記「阿奈波之加美」
小学館『日本国語大辞典』第二版
あな-はじかみ【薑】〔名〕植物「しょうが(生薑)」の古名。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕卷四「薑 乾薑附膳夫経云空腹勿食生薑〈居良反 久礼乃波之加美 俗云阿奈波之加美〉」【発音】〈標ア〉[ハ]【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【薑】和名・色葉・名義【生薑】和名・色葉・名義
くれ-の-はじかみ【呉薑】〔名〕植物「しょうが(生薑)」の異名。*享和本新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「干薑 久礼乃波自加彌」*本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「乾薑 一名定姜生姜〈略〉和名久礼乃波之加美」【辞書】字鏡・和名・名義・言海【表記】【薑・生薑】和名・名義【干薑】字鏡【𧄕】名義
角川『古語大辞典』
くれのはじかみ【薑】〔名詞〕 植物名。生薑(しやうが)の古名。「くれ」は「呉」で、大陸より渡来したことを表す。「はじかみ」は生薑、山椒のように辛味と香気とを有するものの名。[例]「薑 久礼乃波之加美、俗云阿奈波之加美」〔和名類聚抄〕[例]「乾薑一名定姜・・・和名久礼乃波之加美」〔本草和名〕
真名体漢字表記「阿夜女久佐」
小学館『日本国語大辞典』第二版
あやめ-ぐさ【菖蒲草】【一】〔名〕「あやめ(菖蒲)(2)」に同じ。*万葉集〔八C後〕一八・四〇三五「ほととぎすいとふ時なし安夜売具左(アヤメグサ)蘰(かづら)にせむ日こゆ鳴き渡れ〈田辺福麻呂〉」*本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「昌蒲 一名昌陽 一名渓蓀〈略〉昌蒲者水精也、菖蒲 一名菖陽注云石上者名之蓀、一名荃、和名阿也女久佐」*栄花物語〔一〇二八(長元元)~九二頃〕岩蔭「いひやらぬまのあやめくさ長きためしにひきなして」*新撰菟玖波集〔一四九五(明応四)〕夏「むつまじきまでなれる袖の香 いつくともしらぬにひきしあやめ草〈肖柏〉」*俳諧・奥の細道〔一六九三(元禄六)~九四頃〕仙台「あやめ草足に結ばん草鞋(わらぢ)の緒」【二】〔枕〕同音反復によって「あや」にかかり、また、「根」を賞するところから「ね」にかかる。*古今和歌集〔九〇五(延喜五)~九一四(延喜一四)〕恋一・四六九「ほととぎすなくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬこひもする哉〈よみ人しらず〉」*拾遺和歌集〔一〇〇五(寛弘二)~〇七頃か〕雑下・五七二「あやめぐさ あやなき身にも ひとなみに かかる心を おもひつつ〈大中臣能宣〉」*二度本金葉和歌集〔一一二四(天治元)~二五〕夏・一二七「あやめ草ねたくも君が訪(と)はぬかな今日は心にかかれと思ふに〈源有仁〉」発音アヤメグサ〈標ア〉[メ]〈ア史〉平安・鎌倉○●●●○〈京ア〉(メ)【上代特殊仮名遣い】アヤメグサ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】和名・色葉・名義・言海表記【昌蒲】和名・名義【昌悛】色葉・名義【𦤚蒲】色葉【臰悛・堯時韮】名義【菖蒲草】言海
角川『古語大辞典』
あやめぐさ【菖蒲草】〔名詞〕菖蒲(あやめ)一1に同じ。[例]「昌蒲 阿也女久佐」〔本草和名〕[例]「ほととぎす厭ふ時なし安夜売具左(あやめぐさ)かづらにせむ日こゆ鳴き渡れ」〔万葉集・四〇三五〕[例]「なぞもかくこひぢ立ちてあやめくさあまり長びく五月なるらむ」〔金葉和歌集・恋上〕
補足攷
「養生」と「養性」
この字音両語については、現代の国語辞書では、見出語漢字表記として、同列表記する傾向をとっていて、その理由については、『日国』第二版の【補注】のなかで、「漢語の「養性」は本性を立派に育てあげる、自然のままの本性を養うなどの意味を持つ別語であるが、日本では両者が混用された。」と説明するに過ぎず、ことばの歴史的流れのなかで、いつどのようなところから混用し始めたのかを明らかにしていないのが現況となっている。この理由の見つめ方なのだが、実際、梁陶弘景『養性延命録』を例にして両語の意味を見定めてみるに、別語の境目が見えてこないというのが現況のように思えてならない。
この観点を以て、次に本邦の文献資料での両語における受容について考察を行っておくことも「養生」と「養性」という両語を意味解釈してきた状況を知るうえで重要なことばの経過を知ることになろう。
取りわけ、平安時代の漢詩漢文の文献資料の取り扱いが求められて行くことになろう。その一つ、『本朝文粋』一一・太上法皇賀二玄宗法師八十之齢一和歌序〈紀納言〉の
(玄)和上以二種智一宛二養性之粮一、以二木叉一為二扶老之杖一」
同じく『明衡往来』〔一一C中か〕下本の
一思二李老止足之誠一。一尋二松子養生之術一。而未レ及二懸車之年齢一
と云った語例などから、きめ細かくみていくことが必要となる。
小学館『日本国語大辞典』第二版
よう-じょう[ヤウジャウ]【養生・養性】〔名〕(1)生命を養うこと。健康を維持し、その増進に努めること。摂生(せっせい)。*明衡往来〔一一C中か〕下本「一思二李老止足之誠一。一尋二松子養生之術一。而未レ及二懸車之年齢一」*方丈記〔一二一二(建暦二)〕「つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。なんぞいたづらに休み居らん」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「養性 ヤウジャウ」*辺鄙以知吾〔一七五四(宝暦四)〕「飲食を節にし、人欲の私を制して、養生の至要を求むべし」*小学教授書〔一八七三(明治六)〕〈文部省〉「私は、養生の為に、菓物などは、多く、食しませぬ」*暗夜行路〔一九二一(大正一〇)~三七〕〈志賀直哉〉四・八「一と月位は其所(そこ)で養生(ヤウジャウ)する方がいいといふやうな事を云ひ出したが」*荘子-養生主「文恵君曰、善哉、吾聞二庖丁之言一、得レ養レ生焉」(2)病気の手当てをすること。保養。*玉葉-治承五年〔一一八一(養和元)〕三月一六日「和康法師来、仰レ可レ抄レ進灸穴二之由一、是仰二名医等一之抄物中也、先日、欲レ仰二養生事一」*曾我物語〔南北朝頃〕一〇・曾我にて追善の事「女房たち、やうやう介錯し、薬など口にそそき、やうしゃうしければ、わづかに目計もちあげ給けり」*師郷記-永享六年〔一四三四(永享六)〕一〇月・一一月紙背(源仲方書状)「猶々いかやうに御入候やらん。よくよく御やうしゃう候へく候」*天草本平家物語〔一五九二(文禄元)〕二・三「ノリソンジテ、コノ アイダyo<jo<(ヤウジャウ)ノ タメニ イナカ エ ツカワイタ」*随筆・胆大小心録〔一八〇八(文化五)〕五「ついに病に係りて、田舎へ養生のため隠居せしが」(3)土木・建築で、打ち終わったコンクリートを保護し、十分に硬化させるための作業。乾燥によりできるひび割れを防ぐため、露出面をむしろ、布、砂などで覆い、水をまいて湿潤状態を保たせる。また、運搬や作業の際に、内装を汚損しないように、完成部分を布や紙、ベニヤ板などで覆って保護すること。「養生板」【補注】漢語の「養性」は本性を立派に育てあげる、自然のままの本性を養うなどの意味を持つ別語であるが、日本では両者が混用された。【方言】(1)病気の手当て。治療。看護。《ようじょう》沖縄県首里「よーじょーうくり(手遅れ)」993《ようじょ》熊本県天草郡937(2)けがなどしないように気をつけること。用心。《ようじょう》越後「御用じやう」「用じやうめされ」†087群馬県吾妻郡「ようじょうして行って下され(山仕事に行く人にいう)」219(3)手水(ちょうず)を使うこと。用便。《ようじょう》江戸「養生に行」†054発音ヨージョー〈なまり〉ヨウジョ〔紀州〕ヨォジョ〔大阪〕ヨージョ〔京言葉・NHK(長崎)〕ヨジョ〔NHK(鹿児島)〕〈標ア〉[ジョ]〈京ア〉[0]【辞書】文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【養生】文明・饅頭・黒本・書言・ヘボン・言海【養性】文明・明応・天正・易林・書言
角川『古語大辞典』
やうじやう【養生・養性】現代仮名ヨウジョウ〔名詞・動詞サ行変格活用〕 漢語。[例]「養性 ヤウジヤウ〈又(養)生に作る〉」〔書言字考〕1長寿を保つべく、健康増進に努めること。また、そのための方法。節欲や運動を実行し、養生食い・養生薬(やうじやうぐすり)で体力の充実を図る。その教えとして、貝原益軒の『養生訓』が流布した。[例]「いかにいはむや、つねにありき、つねにはたらくは、養性なるべし」〔方丈記〕[例]「常の人よりは女の道あながちに好まず。をのづから養生{ようじやう}よく、腎水たもつゆへに七拾に成ても白髪なく」 〔寛濶役者片気・下・三〕例 「其土地に生出{はえいづ}る米穀菜蔬{やさい}を喫ふ人は、魚鳥の肉すら、多く喫ては身体の摂養{ようじやう}に妨害{さまたげ}なり」〔大日本国開闢由来記・一〕2病気回復の方策を講ずること。治療。療養。[例]「上は末世の養生の法、聊か感応を得、記録し畢ぬ。是皆自由の情に非ず。此の方を以て近比の諸病を治するに、相違無きか」〔喫茶養生記・下〕[例]「かみなりのれうぢをしらぬか、やうじやうせずはひきさひてのけう」〔狂言・雷〕[例]「くすしさいさいくすりをのませ、やうじやうしければ、よくなりて」 〔仁勢物語・上〕