2023/04/14 更新
『倭漢朗詠集』「織錦機」の詩句に学ぶ
萩原義雄識
織錦機中。已弁相思之字。
擣衣砧上。俄添怨別之聲。
〔『和漢朗詠集』八月十五夜賦二四一〕公乗億(こうじようおく)が賦。
〔写真は龍門文庫蔵『和漢朗詠集』卷上を使用〕
【読み下し文】
錦(にしき)を織(お)る。機(はたもの)の中(うち)にはすでに相思(さうし/あひおもふ)の字(じ)を弁(わきま)へ、衣(ころも)を擣(う)つ砧(きぬた)の上(うへ)には俄(にはか)に怨別(えんべつ)の声(こゑ)を添(そ)ふ。
◆ここに示した資料は、『和漢朗詠集』に所載の詩句「織錦機」です。
この『和漢朗詠集』は、平安時代の藤原公任が編纂した漢詩集ですが、現在最も多くの写本類が現存する資料の一つです。ご自身で、別の写本類を用いて、この漢詩文がどのように書写されてきたのかを学んで見ましょう!!
きっと、何か新たな発見が得られるでしょう。因みに、活字翻刻された文献資料としては、岩波古典大系、講談社学術文庫、岩波文庫など多数の資料がございます。
詩人の大岡信さんが、漢詩についてこのように説明されております。
「漢詩」という呼び名は、中国人の作る詩だけではなく、日本人が作る中国スタイルの詩を呼ぶとき、とりわけ意識的に用いられた呼称ですが、その最も明瞭な特徴は、作品がすべて中国の文字である漢字で書かれ、形式上の規則もすべて中国のそれに準じて、厳しい規則に従ったという点にあります。つまり「漢詩」は、日本人が八世紀ごろに中国の文字をもとにして発明した「平かな」「片かな」という二種類の、便利でもあれば日本語の話しことばの表記にとって最適である手段を一切用いないで書かれた、日本人の作った詩だったのです。〔『歌謡そして漢詩文』日本の古典詩歌3・岩波書店刊、3頁~4頁所収〕
こんにやく【蒟蒻】
『和名類聚抄』巻十九「古迩夜久」
『本草和名』巻下「古尓也久」
三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕「蒟蒻(クジヤク)」
観智院本『類聚名義抄』「蒟蒻」「蒟頭」コニヤク。
棭齋は、訂本から箋注へとその『和名抄』本文研究を継続していくなかで、「クジヤク」二音の表記を「䀠弱」〔十卷本〕、下總本・天文本「枸弱」から「栩弱」〔廿巻本〕へと変改していく。此の変改した理由については何も記述されていない。
此の「蒟蒻」なるインドネシア原産地下茎の珠根類がどのように渡来したかについては全く語られていないのだが、『本草和名』そして、『和名類聚抄』に此の語が所載されていて、真名体漢字表記で「古尓也久」「古迩夜久」として平安時代以前に日本語化していて、馴染みのある植物となって、今日にあっても健康食品として重宝されるに至っていることについて注目せねばなるまい。
『聖徳太子傳』の「くに【國】」字
現在では、「國」と「国」の字は、旧字と常用漢字とに識別され、旧字の「國」は、書記文字として書くことは少なく、寺社などの旧跡、扁額、古書などの文字として訓むことで用いられる。これに対し、「国」字は、常用漢字として広く読み書きに活用されてきている。
此の両文字が本書『聖德太子傳』には併用されていて、その対比は「國」〔四三六例〕、「国」
〔三九九例〕とあって、「國」字が稍上回っている。
○此三人の臣下(しんか)をの/\諸(しよ)国のまつりごとを天奏(てんそう)し給ひけれは、崇峻(しゆしゆん)天皇(てんわう)おほきに御感あつて、詔(ミことのり)してのたまハく、それ上代をたづねてきこしめせば、人皇(にんわう)十代崇神(しゆじん)天皇の御宇(ぎよう)に天下に舩車(ふねくるま)をつくりはしめ、衣裳(いしやう)履(くつ)冠(かんふり)等をつくり出し、諸國に社(やしろ)を作り、大小の諸神をあかめたてまつり給ひき。〔卷第四〕
※実際、「国」の字体は崩し書きとし、「國」は「囗」構えを明確にした「武」字で記載する。本文翻刻文字化の際に、此の両用漢字表記をかな漢字表記体で版本に刷られていることを見逃してはなるまい。
他に、
○まことに人皇(にんわう)卅九代天智天皇の御宇(きよう)大和國(やまとのくに)より近江國(あふミのクニ)へ遷都(せんと)あつて、一十ケ年を經て又大和国高市郡(たかちのこほり)𦊆本(をかもと)の宮へ都をうつし給へり。〔卷第十〕
大和國(やまとのくに)
⇔
大和国
○これによつて、今日本国中の諸寺(しよし)・諸山(さん)に堂塔(たうたう)供養(くやう)、大なる佛事(ふつじ)・法會(ほうゑ)にはみな舞楽・管絃(くわんけん)をとりをこなふ事、聖德太子四十一歳(さい)より、我朝(わかてう)日本國にはしめてをこなハれけり。
全て「國」字で統一記載の一文例も見えている。
○天竺の國より五万余里の海上をさつて、五の國あり。これを震旦(だん)國(こく)・百濟國(はくさいこく)・任那國(にんなこく)・衡刕國(かうしうこく)・蒙古(もうこ)國となつく。〔卷第四〕
【國】字総数四三六例
1国称:「異国」と「異國」5例。
2国名:「大和国」と「大和國」31例
3国名:「近江国」と「近江國」8例
4国名:「日本国」と「日本國」36例
5国名:「百濟国」と「百濟國」28例
6国名:「新羅国」と「新羅國」13例
7国名:「河内国」と「河内國」4例
8国称:「諸国」と「諸國」10例
9人倫:「国王」と「國王」14例
10指示:「この国」と「この國」7例
11官職:「国司」と「國司」9例(付訓一例「くにのつかさ」)
12国称:「小国」と「小國」9例
13畳字:「国々」と「國々」5例
三、単漢字「愛」字について
総数三二例。句「愛別離苦(あいべつりく)」八例。「忍愛(にんあい)餘習(よしう)」一例。「癡愛(ちあい)妄心(もうしん)」一例。「恩愛(おんあい)」一〇例。「寵愛(てうあい)」二例。「愛育(あいいく)」一例。「愛敬(あいけう)」一例。「愛執(あいしう)」一例。「最愛(さいあい)」一例。「愛(あい)し」二例。「愛宕郡」三例。偈「勤行大精進捨所愛之身(ごんぎやうタイしやうしんしやしよあいししん)」一例。
偈は、『妙法蓮華経』薬王菩薩本事品二十三
○大王今当知我経行彼処即時得一切現諸身三昧勤行大精進捨所愛之身 説是偈已。而白父言。日月浄明徳仏。今故現在。我先供養仏已。得解一切衆生。 語言陀羅尼。
を引用していて、
○又その落句(らくく)ハ七卷(シチのまき)藥王品(やくわうほん)の中(なか)に藥王の苦行(くきやう)をとく所に、勤行(ごんぎやう)大精進(しやうしん)捨所(しやしよ)愛(あい)之(し)身(しん)と云偈(け)の下に二句の文(もん)落(おち)たり。供養(くやう)於(お)世尊(せそん)爲(い)求(ぐ)無上(むしやう)惠(ゑ)と云二句也。〔卷第六〕
とある。
孤例に仏語「愛河」の用例を見る。
○されハ釈迦(しやか)弥陀(ミた)の二尊の御いつくしミなかりせば、われら衆生いかゞたやすく生死(しやうじ)の愛河(あいか)をこえ、又ねはん常楽(じやうらく)を證(しやう)せん。〔卷第三38ウ〕
地名「愛宕郡」の付訓は「をたぎのこほり」二例、「おたぎのこほり」一例が見えている。
○その杣(そま)山の所をは山城国(しろのくに)愛宕郡(をたぎのこほり)折田郷(おりたのさと)土車里(つちくるまのさと)とも云(いふ)。〔卷第四〕
○凢(をよそ)前代(せんだい)より末代(まつだい)に至(いた)る迄(まて)、都(ミやこ)を七ケ(か)国うつし、四十七ケ度(ど)に山城の國愛宕郡(をたぎのこほり)に都(ミやこ)を遷(うつり)し、王法(わうぼう)も佛法(ぶつほう)も此所に執(とり)行(をこなふ)へしと云々。〔卷第七〕
○23 六角堂(かくたう) 同國愛宕郡(おたぎのこほり)〔補〕
と三例を見る。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あい-が【愛河】〔名〕仏語。人は愛欲におぼれやすいことから、それを河にたとえていったもの。*万葉集〔八C後〕五・七九四右詩「愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無レ結 従来猒二離此穢土一 本願託二生彼浄刹一〈山上憶良〉」*本朝文粋〔一〇六〇(康平三)頃〕一三・朱雀院平賊後被修法会願文〈大江朝綱〉「又願。燕肝越胆。輪廻之郷無レ期。欲海愛河。流転之輩不レ定」*地蔵菩薩霊験記〔一六C後〕一二・一「目もくれ心も迷ひつつ、行方さらにをほへず共に愛河(アイガ)に沈みける」*読本・南総里見八犬伝〔一八一四(文化一一)~四二〕九・一一〇回「苦海・愛河(アイカ)の世は定めなく、弘誓(ぐぜい)の船出遠ければ」*八十華厳経-三六「愛河漂転無二返期一、欲二求辺際一不レ可レ得」【発音】アイガ〈標ア〉[ア]
おたぎ【愛宕】〔一〕山城国(京都府)の郡名。洛北から洛東にわたる地域で、北は山城の国境、東は東山連峰に至り、西は鷹ケ峰、雲ケ畑、南は泉涌寺(せんにゅうじ)に及んだ。平安奠都(てんと)以前には、平安京の左京の大半をも含んでいたようである。おたぎのこおり。おたぎぐん。*二十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕五「山城国 〈略〉愛宕〈於多岐〉」〔二〕上代、中古、律令制下における愛宕郡内の郷名。位置については二説あり、明らかでない。いずれにしても、平安京の葬送地の一つであった。おたぎのさと。*正倉院文書‐山背国愛宕郡計帳(寧楽遺文)〔七二六(神亀三)〕「奴稲敷 年廿八〈略〉従愛宕郷山背忌寸凡海戸米附」*延喜式〔九二七(延長五)〕二一・諸陵寮「愛宕墓」〔三〕山城国乙訓(おとくに)郡の別名か。*高山寺本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕六「山城郷〈略〉乙訓(オタキ)郡」【発音】〈標ア〉[オ]〈京ア〉[オ][0]【辞書】和名・色葉・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言【表記】【愛宕】和名・色葉・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言