駒澤大学「情報言語学研究室」

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わたしが繙くことば「おはぎ」と「ぼたもち」

2024-05-08 14:00:44 | 日記
私が播くことば
  「おはぎ」と「ぼたもち」
                            lk0252諫山萌加
  導入
 「もうすぐお盆だからお題はおはぎにしよう」と思ったが、調べると私はこれに関して重大な勘違いをしていたことに気付く。お盆におはぎは食べないということだ。
 おはぎから発展し、今日学んだことについてここにまとめる。

《御萩(おはぎ)》
「はぎのもち」(「はぎの花」とも)の女房詞で、牡丹餠(ぼたもち)のこと。時代や地方によって違いがあるが、現在東京では、粳(うるち)と糯米(もちごめ)をまぜて炊き、軽くついたのち、まるめて餡(あん)、きな粉、すりごまなどをまぶしたものをいう。
*女重宝記(元祿五年)〔1692〕一・五「一ぼたもちは やわやわとも、おはぎとも」
*物類称呼〔1775〕四「ぼたもち 又はぎのはな又おはぎといふは女の詞なり」
*人情本・仮名文章娘節用〔1831~34〕三・七回「『ヲヤヲヤおめづらしい、お牡丹餠(ハギ)でございますかエ』『アイ富貴牡丹(ふきぼたん)といふ道明寺のおはぎサ』」
*婦系図〔1907〕〈泉鏡花〉前・九「お彼岸にお萩餠(ハギ)を拵へたって」
               
ハギはハギノハナ(萩花)の下略。小豆の粒を散らしかけたところが、萩の花の咲き乱れるさまに似ていることから〔世事百談・上方語源辞典=前田勇〕。
                    (小学館『日本国語大辞典』より)
《萩の餅(もち)をいう女房詞から》もち米、またはもち米とうるち米とをまぜて炊き、軽くついて丸め、小豆餡・きな粉・すりごまなどをまぶしたもの。彼岸に作る。ぼたもち。はぎのはな。
                    (『日本大百科全書』より)

《牡丹餅(ぼたもち)》
糯米(もちごめ)と粳米(うるちごめ)とをまぜてたき、軽くついたものを、ちぎって丸め、あずき餡、きなこなどをまぶしたもの。萩のもち。おはぎ。やわやわ。隣知らず。
*俳諧・鷹筑波集〔1638〕五「萩の花ぼた餠(モチ)の名ぞみぐるし野〈重春〉」
*町人〔1692〕二「今のぼたもちと号するものは禁中がたにては萩の花といひて」
*諸国風俗問状答〔19C前〕阿波国風俗問状答・一〇月・八七「亥の子には餠を搗もあり、牡丹餠又は赤小豆飯を升に盛て祭り申也」
(1)形容が牡丹の花に似るところから、ボタンモチ(牡丹餠)の中略〔本朝世事談綺・嘉良喜随筆・牛馬問・物類称呼・燕居雑話・世事百談・俗語考・俚言集覧(増補)・大言海〕。
(2)ボタボタした餠の意〔松屋筆記〕。
(3)ボタ米を用いて作った餠であるところから。ボタ米は、にごから脱しきらないわら屑まじりの米をいう〔ことばの事典=日置昌一〕。
                       (『日本国語大辞典』より)
牡丹餅とも書き、餅菓子の一種。糯(もち)米と粳米(うるちまい)を等量に混ぜて炊き、軽く搗(つ)いたものを適当の大きさにちぎって丸め、小豆餡(あずきあん)やきな粉をまぶしたもの。ぼた餅は萩(はぎ)の餅、おはぎともいう。春秋の彼岸(ひがん)には仏前に供え、近隣相互に贈答を交わし、親睦(しんぼく)を図った。春の彼岸につくるものをぼた餅、秋の彼岸につくるものを萩の餅、おはぎと称したといわれる。また餡をつけたものがぼた餅、きな粉をまぶしたものはおはぎともいうが、いずれも定説ではなく、今日では春秋にかかわりなく、ぼた餅ともおはぎともよばれている。
 彼岸のころを中心に和菓子屋の店頭にもあるが、本来は家庭でつくる菓子で、「ぼた餅で頬(ほお)を叩(たた)かれるよう」というたとえが「うまい話」の意であるように、ぼた餅は家庭での「うまいもの」であった。しかし餅菓子としての姿は見栄えのするものではなく、やぼったい菓子、あか抜けしない菓子とされてきた。「ぼた」には炭鉱での屑(くず)炭の意味があるほか、方言ではボロ、ボロ布(神奈川県三浦郡、島根県那賀(なか)郡)、水けのある土地(新潟県佐渡島)、太っている者(山口県大島、長崎県平戸)、大きなかたまり(静岡県庵原(いはら)郡)の意もある。また顔が丸く大きくて不器量な女性をぼた餅顔といったり、屑米(くずまい)をぼた米といい、ぼた米でつくった餅をぼた餅とする説もある。これらの説を総括したものがぼた餅には含まれているようである。ぼた餅にはまた「隣知らず」「夜舟」(ともにいつ搗(着)くかわからないの意)、「奉加(ほうが)帳」(搗(付)くところも搗かぬところもある)、「北の窓」(月知らず、半搗きの餅を使うのでいう)などの異名もある。[沢 史生] (『日本大百科全書』より)

以上、「おはぎ」と「ぼた餅」は同じものであることが分かる。
またあおい部分から、おはぎは萩の花、ぼた餅は牡丹の花からきていることが分かる。

《萩》
マメ科ハギ属の落葉低木または多年草の総称。特にヤマハギをさすことが多い。秋の七草の一つ。茎の下部は木質化している。葉は三小葉からなり互生する。夏から秋にかけ、葉腋に総状花序を出し、紅紫色ないし白色の蝶形花をつける。豆果は扁平で小さい。ヤマハギ・マルバハギ・ミヤギノハギなど。はぎくさ。学名はLespedeza 《季・秋》
*播磨風土記〔715頃〕揖保「一夜の間に、萩一根生ひき、高さ一丈ばかりなり」
*万葉集〔8C後〕一九・四二二四「朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも吾が屋戸の波義(ハギ)〈光明皇后〉」
十巻本和名類聚抄〔934頃〕一〇「鹿鳴草 爾雅集注云萩〈音秋一音焦〉一名蕭〈音宵 波〈略〉〉
*俳諧・奥の細道〔1693~94頃〕市振「一家に遊女もねたり萩と月〈芭蕉〉」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ハギ ヤマハギ 胡枝子」        (『日本国語大辞典』より)
《牡丹》
ボタン科の落葉低木。中国原産で、古く日本に渡来し、観賞用として庭に植えられる。高さ〇・六~一・八メートル。葉は二回羽状複葉で有柄。各小葉は卵形か披針形で二~三裂する。春、梢上に径二〇センチメートルぐらいの大形の重弁花を一個つける。花は紅・紅紫・黒紫・桃・白色などで変化が多い。根皮は頭痛、関節炎、リウマチ、婦人病などの薬として煎服(せんぷく)される。漢名、牡丹。はつかぐさ。ふかみぐさ。なとりぐさ。やまたちばな。ぼうたん。ぼうたんぐさ。学名はPaeonia suffruticosa 《季・夏》 ▼ぼたんの芽《季・春》
*菅家文草〔900頃〕四・法花寺白牡丹「色即為貞白、名猶喚牡丹」
*色葉字類抄〔1177~81〕「牡丹 ボタン ボウタン俗」
*俳諧・野ざらし紀行〔1685~86頃〕「牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ボタン 牡丹」
*白居易‐惜牡丹花詩「惆悵階前紅牡丹、晩来唯有両枝残」         (『日本国語大辞典』より)
上記赤文字の部分から、春のお彼岸にはぼた餅(牡丹は春の花)、秋のお彼岸にはおはぎ(萩は秋の花)を食べることが分かる。
お盆ではなかったのだ。
では、お盆とお彼岸の違いは何か。
《彼岸会(彼岸)》
仏語。春分秋分の日を中日として、その前後七日間にわたって行なう法会。大同元年(八〇六)、崇道天皇(早良親王)の霊を慰めるために初めて行なわれた。《季・春》
*俳諧・類柑子〔1707〕上・里居の弁「彼岸会に里へ下ばや杖と足〈百猿〉」
*随筆・塩尻〔1698~1733頃〕九「凡暦家春秋の彼岸会を記す事久し」
*風俗画報‐一五七号〔1898〕三月「春分秋分(しゅんぶしうぶ)の日を中日とし合て七日仏事を修す、之を彼岸会(ヒガンヱ)と云ふ」
*白羊宮〔1906〕〈薄田泣菫〉望郷の歌「物詣する都女(みやこめ)の歩みものうき彼岸会(ヒガンヱ)や」
春秋二季の彼岸会(ひがんえ)。また、その法要の七日間。俳諧では、秋の彼岸を「後の彼岸」「秋の彼岸」という。《季・春》

*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「つれづれとあるほどに、ひがんにいりぬれば」

*宇津保物語〔970~999頃〕国譲下「ひがんの程によき日をとりて、さるべき事おぼし設けて」

*文机談〔1283頃〕五「孝時は〈略〉四十二といひける秋、八月のひがんに、〈略〉出家のみちにいりて、真実報恩者となりぬ」

*世阿彌筆本謡曲・弱法師〔1429頃〕「このひかん七日の間、天王寺の西門、石の鳥居にて大せきゃうを引かれ候ふが」

*俳諧・増山の井〔1663〕二月「彼岸(ヒガン) 時正 是も春也。後の彼岸は秋也」

*諸国風俗問状答〔19C前〕紀伊国和歌山風俗問状答・二月・三九「彼岸入る日、中日、終る日には、俗家にも仏前へ、ぼたもち・だんご様のものを供す、寺院には法会・説法などある。此日の内、秋草の種を蒔く」
(『日本国語大辞典』より)
《盆》
(盂蘭盆(うらぼん)の略)七月一五日に行なわれる仏事。《季・秋》
*俳諧・古活字版中本犬筑波集〔1532頃〕恋「ほんには人のかよふたまづさ むかしよりその文月のこひのみち」
*浮世草子・好色一代男〔1682〕三・六「月雪のふる事も盆(ホン)も正月もしらず」
*俳諧・続猿蓑〔1698〕旅「くるしさも茶にはかつへぬ盆の旅〈曾良〉」
*浄瑠璃・曾根崎心中〔1703〕「ぼんと正月其上に、十夜・お秡・煤掃」
*風俗画報‐一五九号〔1898〕七月「此日(このひ)より十五日までを世俗盆と唱へ商売取引其他諸払の受取」
              (日本国語大辞典より)
以上から、お彼岸とお盆は開催時期が異なることが分かる。

《まとめ》
「おはぎ」と「ぼた餅」は一緒のものだが、お彼岸の時期が違うため、呼び方も異なり、お盆とお彼岸はそもそも開催時期が違うということが分かった。
今まで間違った認識で来てしまったことへの恥ずかしさもあるが、逆にここで修正できて良かったとも思う。

【コラム】
江戸時代の辞書『永代節用無盡蔵』〔寛延三年原刻、嘉永二年再刻、舊編は河邉桑楊子〕
飯團餅(ぼたもち)
  飯團餅(ハンダンベイ/
  めし、まるし、(もち)) 〔ほ部飲食門〕
茲に、「ぼたもち」を【飯團餅】と表記した語例を見る。
              

どじよう【鰌】

2024-04-23 10:41:17 | 日記
2011/10/03~2013/01/25 ~2017/05/24 更新

どぢやう【泥鰌】
―饅頭屋本『節用集』の表記を中心に据えて―
萩原 義雄識

はじめに

 室町時代の古辞書のなかで、饅頭屋本『節用集』ほど此の語について面白い収載はないのではなかろうか。なぜならば、この語を漢字表記でどのように記載するの最も適切なのかが問われる辞書であるからである。国会図書館蔵及び早稲田大学図書館蔵の饅頭屋本『節用集』と筑波大学図書館蔵(小汀利得旧蔵)の饅頭屋本『節用集』におけるこの「どじょう【鯲】」の語の当該漢字表記は、「土〓(ドヂヤウ)」〔生類門〕と「圡挑(ドヂヤウ)」〔畜類門〕と異なる点に目を注ぎたい。
【ポイント】どじょう【鯲】 国会・宮内庁「土〓(ドヂヤウ)」→筑波「〓挑(ドデウ)」。
 繰り返すが、初版刷りであるところの国会図書館蔵本・宮内庁書陵部蔵本・東大国語研究室蔵本から筑波大学図書館蔵の増補改訂本とでは大いに異なることを指摘せねばなるまい。具体的にどのように異なっているのかを明らかにすると、
 ①熟語二字標記語上漢字「土」→「〓」
②熟語二字標記語下漢字「〓」→「挑」
③右訓「ドヂヤウ」→「ドデウ」
と云った三点の異なり表記を明らかにすることが出来る。
 では、なぜ饅頭屋はこのように本文収載語彙の改編を進めたのだろうか。そして、この作業期日は、最初の刊行からどのくらいを歴て行ったのだろうかということを追い求めてみたいのである。
 門類の「生類門」から「畜類門」へと展開している過程を考えておくと、「生類」とすることは、「虫」である昆蟲や爬虫類まで引き込む可能性があると判断したからに他なるまい。まだ、その他の語「悪〓(アクチウ)」→「鮟鱇(アンカウ)」「家鴨(アヒル)」→「〓〓(アイキヤウ)」の如くにおける改編要素(飛鳥井栄雅編『増刊下學集』所載語「鮟鱇(アンカウ)」「〓〓(アイキヤウ)」の語に改編する試み)を追求してみることも遺されている課題であるが、まずこの同じ「どぢやう」=「どでう」という魚名の標記語そのものの変更という点に注目しておくことにする。この饅頭屋本『節用集』中にこのような形態を留める語例を見出せるかがこの内容を考究していくうえでのもう一つの鍵ともなる。

表記の変容
 そこで次に、当該漢字表記の「土〓(ドヂヤウ)」と「〓挑(ドデウ)」そのものについて解析しておくことにする。

その1 「土」と「圡」「〓」
 先頭漢字「ド・つち」は、「土」〔正字〕と「圡」〔俗字〕の差異を見せている。ただし、国会図書館蔵及び早稲田大学図書館蔵本でも、篇目の「ト」の漢字表記を「圡」〔俗字〕で表記し、さらに天地部の語「圡佐(トサ)」「圡居(ドイ)」、時候門の語「圡用(ドヨウ)」には増画の点が見えていることから、その不統一さを改善したと見て良かろう。




実際、同じ頁の人倫門の語「土民(ドミン)」の語からは点のない表記となっていく。



 ここで、もう一つ指摘しておきたいのが点の位置である。
 032土部 1832【圡】体別 1833【〓】体別「土」にはもともと点がないが、「士」と区別するために点を打ったという。「圡」「〓」には意味の違いはないが、古い隷書や楷書では「圡」が多く見られる。『新潮日本語漢字辞典』〔新潮社編、二〇〇八年刷〕
 この時代の文献資料を具さに眺めてみると、どうも上・中・下の位置にその点画を据える差異が顕著に見られることが前述の調査(注)で明らかにしてきた。その差異が一人の編者林宗二のなかで上と中という二種の増画「丶」の点表記がなされていることが今回の注目すべきことであり、その使い分けの原理を考察するうえでも重要な役割を担う資料となることを追記しておきたいのである。『新潮日本語漢字辞典』は、「「圡」「〓」には意味の違いはないが」と述べているのだが、この表記の差異には明らかにその意味する意図があったと私は考えているからである。①語を増刋すること。②語の文字表記。③ふりがな表記を変容する。これら①②③には、編者にとってそれなりのすべき何らかの事象意識の作用が働いたとみてきた。とりわけ、②の文字表記では、増画点の上・中の位置にすぎない一種のこだわりなのである。だが、このこだわりこそが饅頭屋家には必要であったのではなかろうか。否、それとは異なる次元で、この書を実際に刻んだ彫刻師にその指示が及んだのか、或いはこれを担当した彫刻師そのものにこだわりの力量が既に与えられていたかを問うことにもなる。この推測の結論は容易でない。だが、室町時代の文献資料をもう一度丹念に眺め尽くしてみたとき、この差異は書流系統の問題に発展する可能性を有している。たかが点であるが、されど点なのだと私自身増画・減画の文字表記方法を考えてきたのである。点の配置「上・中・下」は、あるものに対しての境界線を意味し、ある種の棲み分けが働いていると考えてきた由縁がここにある。

《補注》
注記 拙論「「土」の字増画「丶」による異形字「圡」について」〔駒澤短大國文第32号〕で「〓」標記の資料は、増刋本の饅頭屋本『節用集』の他に、『海東諸國紀』〔朝鮮古活字板、文明三(一四七一)年〕、元亀二(一五七〇)年本『運歩色葉集』、寛永十五(一六三四)年版『蒙求抄』の資料に見られることから、この室町時代に急激に「圡」から「〓」に「丶」の位置が変容する特徴が存在する。

その2 「〓」と「挑」
次に、「チヤウ」の漢字表記「〓」と「挑」の同音語の差異を考えるとき、各々の用字がこの生き物を表象するうえで各々の用字がどう関わっているのかを見つめておく必要がある。そこには、編纂者である饅頭屋林宗二の並々ならぬ学藝の道を極めていくその過程が如実に見えていることにもつながろうというものである。
土〓(ドヂヤウ)初刋本

→ 〓挑【注】(ドデウ)増刋本


【注記】初刋本の「土〓」の表記例は未だ見つけられていないが、増刋本の「詠挑」の表記例については同時代の抄物資料である以下の資料に見出すことができたことを補正しておきたい。
東京大学史料編纂所藏本『人天眼目抄』〔文明五年写〕漢本録々上卷始〔卷三「雲門宗」二三六頁8〕、魚ハツウント透タレハ卒度ノ潦(ミツタマリ)テ土挑(ドヂヤウ)ヤアルザコヤアルトツキマワルソト當ラルヽ処テ大悟〔二三六頁8〕※「上挑(ドヂヤウ)」と書写するが、「上」字は「土」字の誤写と見て良かろう。とは言え、饅頭屋本『節用集』〔増刋〕の表記に通ずる語例と見て良い。
 因みに、同じく足利本『人天眼目抄』中卷「雲門宗」にては、
詞ノ擬義ハ車ノワダチノ泥水ノ中デウナギドヂヤウヲ探リマワツタゾ。魚ハ竜門ヲツト透リタレバ、猶泥水ノ中ヲ尋マワルソ。車(クルマ)ノワダチニ有魚留稍拠ニハ涸轍鮒ト云フ事ガ在ゾ。〔一〇頁8〕
とあって、カタカナ表記で「ドヂヤウ」と記述するにとどまる。

ここで饅頭屋本『節用集』二種についてそれぞれの語表記の継承性を検証しておくと、印度本系の弘治二年本・永禄二年本・堯空本『節用集』、経亮本『節用集』に、
鯲(ドヂヤウ) 又云土失(同)。〔弘治二年本・登部畜類門42⑦〕
纃挑(ドヂヤウ)。文鰩(同)。鯲(同)。〔永禄二年本・登部畜類門43⑧〕
土挑(ドチウ)チヤウ。文鰩(同)。鯲(同)。〔堯空本・登部畜類門40⑤〕
土挑(ドヂヤウ)。文鰩(同)。鯲(同)。〔両足院本・登部畜類門48①〕
詠挺(ドヂヤウ)。鯲(同)。〔経亮本・登部畜類門〕
とあって、標記語「土挑」〔堯空本・両足院本〕、「纃挑」〔永禄二年本〕、「詠挺」〔経亮本〕と区々であり、訓みも「ドヂヤウ」〔永禄二年本・堯空本・両足院本・経亮本〕「トチウ」〔堯空本〕とになっている。さらに、『運歩色葉集』には、
圡挑(ドヂヤウ)。文鰩(同)。鯲(同)。〔静嘉堂本・魚名門448②〕
圡挑(ドヂヤウ)。文蛯(同)。鯲(同)。〔元亀二年本・魚名門366②〕
とし、饅頭屋本『節用集』二種のうち、増刋本の語「〓挑」は、印度本系『節用集』のなかで永禄二年本と両足院本、そして堯空本が最も近い関係にあることが見えて来ている。初版本「土〓」の表記語については、合致する古辞書や文献資料をまだ見いだせないでいる。

「〓」と「挑」の字
『新潮日本語漢字辞典』〔新潮社編、二〇〇八年刷〕に、
14675【〓】2魚13画 ジヨウ(ヂヤウ)〈国字〉意味淡水魚の名。泥鰌(どじよう)。「土〓(どじよう)(=泥鰌)」【〓尾】じようのお 鏃(やじり)の一種。丸く先端の尖(とが)った鏃。失尾。
4041【挑】6手9画 ㊀チヨウ(テウ)漢 呉 ㊁トウ(タウ)漢 呉 ㊂チヨウ(テウ)漢・ジヨウ(デウ)呉 いどむ・かかげる 意味 ㊀チョウ。①いどむ。ア自分から戦いを仕掛ける。「挑戦・戦いを挑む」〈用例省略〉イ対象に立ち向かう。〈用例省略〉ウ恋をしかける。相手を誘う。「挑発」〈用例省略〉②かかげる。手に持って高く上げる。「提灯(ちようちん)」③天秤棒(てんびんぼう)で荷物をかつぐ。④掘る。ほじくる。⑤弾(はじ)く。⑥選び取る。「挑察(ちようかん)」⑦手によって曲げる。撓(たわ)める。⑧漢字の筆法の一つ。下から上にはね上げる運筆。趯(てき)。⑨うわついてい浅はかである。㊁トウ。「挑達」はあちこち飛び回るさま。㊂チョウ。軽い。解字形声。手+兆(チヨウ)。兆は亀(かめ)の甲を焼いて占う時の割れ目の形で、はじけ裂ける意がある。手で強く力を加えて曲げることをいう。たわめる意を表す。かかげる意となり、挑む意に用いる。参考昭和五十六年十月、常用漢字表制定時に加えられた。
と記載がなされている。ここでは、異版本表記の「〓挑」の熟語については未記載とする。この異版本表記を収載するのは、小学館『日本国語大辞典』第二版の【辞書】→【表記】において饅頭屋本として収載する。これに対し、大槻文彦編『大言海』及び三省堂『時代別国語辞典』室町時代編には、「土〓」の語表記で収載するという結果を残してきた。この変容が同じ名の辞書中にあるとすれば、編者が何をか示唆する資料を基盤事由にして改編作業を急ぐ結果となったかを追い求めていかねばなるまい。

室町時代の「ドジヨウ」語収載の古辞書

因みに、易林本『節用集』〔板本〕は、広本(文明本)『節用集』〔写本〕、『伊京集』〔写本〕、天正十八年本『節用集』〔板本〕と同じく「鯲 ドヂヤウ 又鰌 同」と単漢字にて記載する。飛鳥井榮雅撰増刊『下學集』〔写本〕も「鯲(ドヂヤウ)」〔畜類門14ウ⑤〕の語を以て収載する。天正十七年本『節用集』〔写本〕には、「土失(ドジヤウ)。鯲(同)」〔19ウ②〕、印度本系弘治二年本本『節用集』は、「鯲(ドヂヤウ)又云土失(同)」〔畜類〕と二語を収載し、二字熟語「土失(ドジヤウ)」の表記は別体のものとなっている。『温故知新書』は「鯲(トンチヤウ)」、『壒囊鈔』は、「鯲(トジヤウ)。土長(同)」〔卷第一・五十九50⑤。卷三・廿三魚一喉事付魚類字音便事20オ⑪〕とあって、ここでも熟語「土長」の表記を収載する。
 このように、この「どじよう」という魚名の二字熟語の漢字表記には同じ題名の『節用集』(注3)であっても系統性が重視されるなかにあって、室町時代の人々がとりわけ異色性を求めていたことがこの表記語からして如実に注目される由縁でもある。とりわけ、『節用集』の基底を有する東麓破衲編『下學集』が此の語を未収載としてきたことが大きく関わっているとも云える。増刋『下學集』と広本(文明本)『節用集』それぞれがこの魚名「鯲」の国字を如何に所載することになったかが重要になるからである。
 このような表記表象が何を示唆しているのかを見極めておく必要があろう。この『節用集』と冠名する古辞書の用途の一つには、当時の教養人たちが連歌を嗜むとき、ここに収録されている標記語そのものを用いることが第一義にあった。だが、この横小型本は懐に携えて移動する場への持ち運びを考え見やすく仕立てあげられた大きさでもある。実際に連歌の席でこの魚名を記述するとき、この表記字が如何なる書物に依拠したものかが次に重要とされたのではなかったのだろうか……。となれば、編者はこれを別に備忘しておくか、己の脳裏にしっかと記憶し、留め尽くしておき、文字表記利用者に口述する場が用意されていたであろう。そうすることで、伊勢本系のなかで、収載語数凡そ七〇〇〇語と最少の語彙収載の一語として採録した編者の力量が評価されてくることになってくる。
連歌資料のデータが充実してきた昨今、国語辞書所載の唯一の用例として『大言海』の
長享二年十月十五日夜、賦二魚鳥一連歌(中御門宣胤書)「友どちや、うちむれ霞む、野に出でて」(甘露寺元長)
があるに過ぎない。これをも少し詳細に調査してみるとどうであろうか。
《補注》
注記 『壒囊鈔』卷第一「鯨(クヂラ)。鯢(同)。鯱(サチホコ)。鰄(カイラキ)。鮫(サメ)。鱒(マス)。鯉(コイ)。〓(同)。鮒(フナ)。鮧(アユ)。鮎(同)。〓〓(アイキヤウ)。〓(シラハヘ)。鯲(トジヤウ)。土長(同)。〓(メイタヽキ)。鱸(スヽキ)。〓(カレイ)。王餘魚(同)。〓(サハラ)。魬(ハマチ)。〓(イシモチ)。鮊(シラヲ)。魳(カマス)。〓(シビ)。〓(ムツ)。鰌(ウナキ)。〓(イルカ)。鱧(ハム)。〓(フカ)。鯛(タイ)。鮭(サケ)。水鮭(アメ)。江鮭(同)。鯇(アメ)。〓(カツヲ)。〓(アハヒ)。烏賊(イカ)。擁剱(カサメ)。辛螺(ニシ)。榮螺子(サヽイ)。小蛸貝(スルメカイ)。鮹(タコ)。老海鼠(ホヤ)。醒海鼠(ナマコ)。煎海鼠(イリコ)。雜魚(ザツコ)。鮮魚(同)。鰕(エヒ)。魛(タチウヲ)。鰩(トビイヲ)。〓(スバシリ)。〓(コノシロ)」〔50⑤〕

近代国語辞書における所載内容
 大槻文彦編『大言海』に、
どぢょう〔名〕【泥鰌】〔泥之魚(どろつを)の義、泥の中にちょろちょろするより起こる。泥鰌(デイシウ)の轉と云ふは、少し鑿(いりほが)なるべし。壒囊鈔に土長、増補下學集に土失。又は土生、泥生など云ひ、髭あれば泥尉(どぜう)と云ふの説なども據所なし〕(一)魚の名。淡水に産ず。形、鰻に似て短く、黒き斑ありて、腹、白く、鬚あり。泥中に潜み、時時、水面に浮びて沫を吐く。泥中のものは、肥えて、斑、薄く、沙中のものは、痩せて、斑、分明なり。*壒囊鈔、一、第五十九條「鯲、トジヤウ」*多識篇、四廿二「鰌魚(シウギヨ)、和名、登知也宇、異名、泥鰍(デイシウ)」*林逸節用集、土、生類「土枸、ドジヤウ」易林本節用集(慶長)上、氣形門「鯲、鰌、ドヂヤウ」*長享二年十月十五日夜、賦二魚鳥一連歌(中御門宣胤書)「友どちや、うちむれ霞む、野に出でて」(甘露寺元長)(二)踊り子の異名*文化の川柳「功勞を、へるとどぢやうも、猫(醫者)に化け」〔三-五五八-一〕

 これを『大言海』の序文にあっては、
又、泥中に棲息する魚に「どぢよう」と云ふあり。この語の語原は、何なるか、仮名遣も「ぢ」なるか、「じ」なるか究めがたくして、是れ亦、國語学者の苦しむ所なり。
先づ、仮名遣につきては、土佐人は、日常言語の発音に「ぢ」「じ」の区別を現存す。嘗て、その國人に「どぢよう」の発音を聞きしに、「ぢ」なりと答へき。この語は、文安の『壒囊鈔』の一に「鯲、土長」と見えたるを最も古しとす。因つて舊版の「言海」には「どぢやう」としたり。長享二年の賦魚鳥連歌にも「友どちや、うちむれ霞む野に出でて」などとあり。されどその原は、如何なることか、解せられざりき。
明慶の林逸節用集には、魚偏に丁の字に、ドジヤウと傍訓してあり。東京市中の飲食店の暖簾看板には、一定して「どぜう汁」と書す。
語原につきては、本草の泥鰌の転なりと云ふ説などあり。されど、本草などいふ書中の語の、我が民間の通用語となるべき謂われなく、且つ「ぢ」「じ」の違ひもあり、或いは泥生又は土生の説などもありて、帰着する所を知らざりき。
然るに、高田興清大人の松屋筆記の三に、「泥鰌、泥津魚の義なるべし」とあるを見て、驚きたり。この魚、外來のものならず、開闢よりありしものなるべければ、字音の語ならず、國語なるべきことに、おぞくも早く思ひつかざりき。我が思考力の斯くも鈍なるかと、恥ぢ思ひぬ。
この語、泥津魚なるべきこと、動かすべからず。且、この語に之の意なる「つ」のあるに因りて、古語なるを知る。古くは清音にて、「とろつうを」なりしこと疑ひなし。我が古語に、首音の濁るものなきは、一般の通例なるに、これは濁り、又「つ」は天つ風、沖つ波、など清音なるべきが如くなるにも拘はらず、これは濁り、又「ろ」を略し、「ぅを」を「を」といふなどにつきて、高田大人の説を、尚詳細に敷衍すべし。
元來、泥といふ語は、盪けた意にて、清音なるなり。今も、とろとろなど云ふ。日本後記、延暦十五年八月に「遊猟登勒野」類聚國史、三十二、天長六年十月に「幸泥濘池羅猟水鳥」(今の山城の、みどろの池、又、みぞろの池)
と記載している。この記載のなかで、最も現代に近い記録として見える「どぜう汁」の暖簾を探査したいと思う。

 小学館『日本国語大辞典』第二版に、
どじょう[どぢゃう]【泥鰌・鰌】[一]〔名〕①コイ目ドジョウ科の淡水魚。全長約二〇センチメートルに達する。体は細長い円柱状で、小さな鱗があるが、体はぬるぬるする。口は下面に開き、口辺に五対の口ひげをそなえる。尾びれは丸く、胸びれは雄の方が長く先端がとがる。背面は暗緑色で腹面は白色。泥の底にすみ、消化管の一部で空気呼吸し、有機物や小動物を食べる。日本各地から東アジア・東南アジアに分布。沼・湖・水田などに生息する。食用。学名はMisgurnus anguillicaudatus*壒囊鈔〔一四四五~四六〕一「鯲 トチャウ 土長 同」*文明本節用集〔室町中〕「鯲 ドヂャウ 又鰌 同」*虎明本狂言・鱸庖丁〔室町末~近世初〕「かさねてはどぢゃうにてもあれ、はへにても候へ、かならずもって伺公いたさうずる」*浮世草子・好色一代男〔一六八二〕八・五「さて台所には生舟に鯲(ドジヤウ)をはなち、牛房、薯蕷、卵をいけさせ」*小学読本〔一八七三〕〈榊原芳野〉一「形鰻摺の如くして小さく、鱗無くして鬚あり。溝池又川にも産す。古来土長の字を用ゐたり」②コイ目ドジョウ科に属する淡水魚の総称。ドジョウ・シマドジョウ・ホトケドジョウ・アジメドジョウ・アユモドキなどがある。ほとんどが食用となるが一般に柳川鍋・かば焼きなどにするのは①である。③(生きたままみそ汁に入れると苦しがって跳ねるので、①の異称を「踊り子」というところから)江戸時代、踊り子と呼ばれた売女をいう。*雑俳・川柳万句合‐明和五〔一七六八〕松三「是とじゃうなどと御留守居どくをいい」*雑俳・柳多留拾遺〔一八〇一〕巻八上「こうろうをへると鯲も猫にばけ」④泥鰌髭(どじようひげ)をはやした人。小役人をあざけっていう、盗人仲間の隠語。〔特殊語百科辞典{一九三一}〕⑤「どじょうたゆう(泥鰌太夫)」に同じ。*洒落本・曾我糠袋〔一七八八〕「鯲(ドチヤウ)が弁舌水の如くにして」*俚言集覧〔一七九七頃〕「土鯲(トジヨウ)〈略〉むかし安永の頃江戸浅草寺の奥山へどじゃうといへるかたい、よくくちあひ話をする出たり」【語誌】(1)語源未詳で、歴史的かなづかいについても「どぢゃう」「どづを・どぢを」「どじゃう」「どじょう」「どぜう」などとする諸説があるが、「ぢ・じ」「ちゃう・ちょう」に発音の別が存した室町期の文献に「ドヂャウ」「土長」の表記がみられるところから、「どぢゃう」とする説に従う。(2)[一]①が文献に現われるのは室町時代になってからであるが、挙例の「虎明本狂言」などによりすでに食用とされていたことがわかる。(3)近世初期の「東海道名所記‐五」は滋賀県の宿場町水口の名物としてどじょう汁をあげている。(4)代表的な食べ方は、「料理物語‐一」(一六四三)が「鰌 汁、すし」と記しているように、みそ汁やなれずしであったと思われる。現在好まれている柳川鍋は、江戸時代も後期になってからのものである。(5)当時はどじょうに強精作用があると信じられており、「好色一代男」をはじめとする多くの作品にその例を見ることができる。【方言】魚、みみずはぜ(蚯蚓鯊)。《どじょう》新潟県佐渡352【語源説】(1)ドロツヲ(泥津魚)の義〔三余叢談・大言海〕。(2)ドロスミウヲ(泥棲魚)の義〔日本語原学=林甕臣〕。(3)土長の義〔壒囊鈔・名言通〕。(4)髭のある魚であるところから土尉の義か〔俚言集覧〕。(5)トロセウ(泥髭)の義〔言元梯〕。【発音】ドジョー〈なまり〉ジョージョー・ドジロ〔島根〕ジョジョ〔南知多・伊賀・紀州・鳥取・愛媛周桑・島原方言〕ジヨジヨ〔飛騨・和歌山県〕ジヨジヨウ〔和歌山県〕ジョジョー〔埼玉方言・富山県・静岡・志摩〕ジョンジョ・ジョジョ〔播磨〕ゾゾー〔岩手〕ドージョ〔岩手・伊予〕ドードー〔鹿児島方言〕ドジュ〔津軽語彙・鹿児島方言〕ドジョ〔南知多・播磨・紀州・鳥取・愛媛周桑・鹿児島方言〕ドジヨ〔愛知・和歌山県〕ドヂ〔福岡〕ドヂョ〔岐阜〕ドヂヨ〔伊予〕ドチョー〔鳥取〕ドンジヨ〔北海道・岩手・山形・石川・伊賀・播磨・鳥取〕ドンジョー〔岩手・秋田・鳥取・岡山・讚岐〕〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)【辞書】文明・伊京・明応・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【鯲】文明・伊京・明応・天正・易林・書言・ヘボン【鰌】天正・易林・書言【土挑】饅頭【嘗・泥鰍】書言【泥鰌】言海

 角川『古語大辞典』に、
どぢやう【鯲・泥鰌】〔名〕名「どぢよう」 「どじやう」「どじよう」「どぜう」「どでう」などの表記があり、仮名遣いは一定しない。[一]①魚名。淡水産どじょう科の魚。各地平野部の池沼・水田、あるいはそれに通ずる川や溝の泥底に棲む。体は細長い円筒形で、全長一〇‐一八センチメートル。背面は橙褐色または緑褐色で暗斑を有し、腹部は白い。時に「黄赤色にして金魚のごときものあり、緋どぢやうと云(重訂本草綱目啓蒙・四〇)」。本草書に無鱗魚に分類するが、実は小さい鱗があり、体表は粘滑、口辺に十本の髭を有し、尾は円い。鰓のほかに腸でも呼吸をし、そのためにときどき水面に上がり空気を吸う。食用とし、鯲汁(どぢやうじる)・鯲鍋(どぢやうなべ)などに作る。『本朝食鑑』卷七に「専ら陽道の衰癈を興す」効ありという。「一種京師にてほとけどぢやうと云は首円扁にして鬚なく形小なり(重訂本草綱目啓蒙・四〇)」というのは、あじめどじょうのことか。「鯲ドヂヤウ、鰌同」〔易林本節用集〕「鰌ドデウ」〔書言字考節用集〕「かさねてはどぢやうにてもあれ、はへにても候へ、かならずもつて伺公いたさうずる、さらば」〔狂言集・鱸庖丁〕「我事と鯲のにげし根芹哉」〔猿蓑・四〕「どぢよ〈どぢよう〉鰌魚」〔物品識名・乾〕「どじよう」〔魚鑑・上〕「どぜう笊責馬程な汗をかき」〔誹諧柳多留・一三七〕②近世中期、江戸で踊り子と呼ばれた女芸者の戯称。鯲汁(どぢやうじる)を作るとき、どじょうがはねおどるさまからいう。「是とじやうなどゝ御留主居どくをいゝ」〔川柳評万句合・明和五年〕「こうろうをへると鯲も猫にばけ」〔誹諧柳多留拾遺・二〕[二]安永・天明(一七七二‐八九)ごろ、江戸浅草奥山で浮世物真似(うきよものまね)・落咄(おとしばなし)などで人気のあった芸人。「奥山の風景世にすくなく、…鯲(どちやう)が弁舌水の如くにして、見物の山をひたし」〔曾我糠袋〕「泥鰌(どぢやう)…浅草寺観音の奥山うしろ堂の辺りに出て、浮世ものまね、落し咄しして興あるもの也けるが」〔只今御笑草〕
どぢやう踏(ふ)む足取(あしどり)用心深く歩くさま。どじょうをすくう者が、泥中を抜き足差し足で歩くところから、それを連想させるような歩き振りをいう。「どぢやう踏む足付き」ともいう。「どぢやう踏(ふ)む足付キ鷺坂伴内」〔仮名手本忠臣蔵・三〕「鯲踏ム足取で舞ふ鷺仁右衛門(=鳥ノ鷺ガ水中ヲ歩クサマヲ連想)」〔誹諧柳多留・一三五〕

 三省堂『時代別国語辞典』室町時代編に、
どぢやう【鯲・鰌】硬骨魚目の小形の淡水魚。田など、泥の中にすむ。食用。「土枸(ドヂヤウ)」(饅頭節用)「鯲(ドヂヤウ)、鰌(同)」〔易林節用〕「Dogio(ドヂャウ)。泥地とか、水田とかにいる、或る小さな魚の名」(日葡)「車ノワダチノ泥水ノ中デ、ウナギ、ドヂャウヲ探リマワツタゾ」(足利本人天眼目抄中)「うちへ入てどじやうのすしをほうばつて、もろはくをくへやれ」(虎明狂=末広がり)「鯲(どぢやう)汁、すし」(料理物語)〔四271頁〕

 三省堂『大辞林』に、
①コイ目ドジョウ科に属する淡水魚の総称。日本にはドジョウ・シマドジョウ・ホトケドジョウ・アユモドキなど約10種がいる。②①の一種。雄は全長15センチメートル、雌は雄よりもやや大きい。体は細長い円筒形で、全身がぬるぬるする体色は暗緑褐色で不規則な暗色斑があり、腹部は淡橙色。五対の口ひげがある。夏が旬。柳川鍋、蒲焼などとして食用にする。アジア大陸東部、日本各地に分布し、池沼や小川、水田などの泥底にすむ。オドリコ、タドジョウ。[「どぜう」と書くこともあるが、中世後期の文献に「土長」「ドヂャウ」の表記が見られることから歴史的仮名遣いは「どぢやう」とされる。]

 小学館『大辞泉』に、
コイ目ドジョウ科の淡水魚。小川や田んぼなどにすみ、冬は泥に潜る。全長約二〇センチにもなり、体は細長い筒形で尾部は側扁し、背側は緑褐色、腹側は淡黄褐色で、口ひげは五対。うろこは細かく、厚い粘液層で覆われ、補助的に腸呼吸を行う。やながわ鍋やどじょう汁などにして食べる。近縁に、口ひげが三対のシマドジョウ・アジメドジョウなどがある。おどりこ。

 岩波書店『広辞苑』第六版に、
江戸時代にはしばしば「どぜう」と書いた。ドジョウ科の硬骨魚の総称。またその一種。全長15センチメートル。体は長く円柱状。口は下面にあって、まわりに五対の口ひげがある。体の背部は暗緑色で、腹部は白く、尾びれは円い。淡水の泥の中にすみ、夜出て餌を探す。腸でも呼吸できる。食用、おどりこ。

 小学館『日本百科辞書』に、
ドジョウ/どじょう【鰌・泥鰌】硬骨魚綱コイ目ドジョウ科の淡水魚の総称、およびそのなかの一種。アジア、ヨーロッパ両大陸のほぼ全域とその周辺の島、アフリカ大陸の北部と東部に分布。世界中でおよそ二〇〇種が知られているが、その大部分は南アジア、東南アジアに分布する。[澤田幸雄][出口吉昭]【形態】一般に体は細長く、円筒形で後方は側扁(そくへん)する。頭は小さく、吻(ふん)は肉質に富んで軟らかい。口は小さく吻の下面に開く。上下両顎(がく)に歯がない。口ひげは三~五対で、そのうちの三対は上唇の周縁にある。咽頭歯(いんとうし)は1列。前方の数本の脊椎(せきつい)骨要素が変形して、うきぶくろと内耳を連絡するウェーバー器官をつくる。鱗(うろこ)は円鱗(えんりん)で小さく、あるいは皮下に埋没する種類もある。腹びれは背びれのほぼ直下に位置する。[澤田幸雄][出口吉昭]【分類・分布】ドジョウ科は骨格の特徴によって、アユモドキ亜科、シマドジョウ亜科、フクドジョウ亜科の三亜科に分けられる。アユモドキ亜科は二属二五種からなり、アユモドキ属は東アジアに、ボチア属は東アジア南部、東南アジア、インドに分布する。シマドジョウ亜科は一四属五〇種からなり、西アジアの一部および中央アジアを除くアジア、ヨーロッパの両大陸、北アフリカのモロッコに分布する。フクドジョウ亜科は一〇〇種以上からなり、数属に分けられる。アジア、ヨーロッパの両大陸のほぼ全域、東アフリカ、ナイル川水系タナ湖に分布する。[澤田幸雄][出口吉昭]【生態】すべて底生性で、砂泥底や砂礫(されき)底にすむ。食性はおもに雑食性であるが、草食性のものもある。卵は、付着糸で他物に付着する沈性卵である。[澤田幸雄][出口吉昭]【日本産のドジョウ】日本産のドジョウ類は側線、鱗、眼下部の小棘(しようきよく)、胸びれの骨質板などの有無、口ひげの数、体色、斑紋(はんもん)、尾びれの形状などによって、三亜科に属する六属九種二亜種に分ける。おもな種類を次にあげる。アユモドキLeptobotia curta アユモドキ亜科に属し、日本特産で、琵琶湖(びわこ)淀川(よどがわ)水系と岡山県のいくつかの河川にのみ分布する。体長約一五センチメートルに達し、体はほかのドジョウ類と異なり、短くて側扁する。尾びれは二またで、体の色彩はややアユに似る。ドジョウJapanese weather fish/Misgurnus anguillicaudatus シマドジョウ亜科に属し、日本、ロシア連邦沿海州、中国、台湾など東アジアに広く分布し、ベトナム、タイ北部からも知られている。日本では全国の平野部の河川・湖沼などに生息し、ヤナギハ、ジョウ、ジョジョ、オドリコなど多数の地方名がある。体長は一五センチメートルくらいで三〇センチメートルに達することもある。ひげは五対で、上顎に三対、下顎に二対ある。鱗は小さく、側線は明瞭(めいりよう)である。雄は雌より体は小さいが、胸びれは大きく、その基部には丸い骨質板があり、背びれの基部付近の側背部に左右一対の細長いこぶ状の筋肉隆起がある。一般に体色は背側が暗橙緑(とうりよく)色、腹側が淡橙色で、体側には小暗色斑点が散在するが変異が著しい。染色体数(二n)は五〇個。河川の下流域、湖沼、溜池(ためいけ)などの泥深い所を好む。水中の酸素欠乏に対して強く、えら呼吸のほかに、ときどき水面にあがって空気を吸い込み、毛細血管網の発達した腸後部で腸呼吸をする。冬は泥中に潜って越冬する。底生動物を主とする雑食性で、泥土中の有機物も食べる。産卵期は四月下旬から七月下旬ごろで、産卵行動は雨上がりの早朝に多く、卵は水草などに付着する。産卵時、一尾の雌に数尾の雄が口で吸い付くように追尾し、雄の一尾が骨質板と背びれ基部付近の隆起で雌の腹部を巻いて締め、雌の放卵を助けながら放精し、卵を受精させる。近縁種は、ヨーロッパに一種M. fossilis、東アジアにM. mizolepisなど数種がある。ヨーロッパ種とは骨質板の有無、体側の斑紋により、東アジア種とは体形、ひげの長さなどにより区別される。食用として天然産のものが出荷されてきたが、農薬の使用に伴い、生産量は激減した。シマドジョウCobitis biwae シマドジョウ亜科に属し、北海道を除いた日本各地に分布する。体長約12センチメートル。口ひげは三対で、眼下に小棘をもつ。体色は淡黄褐色で、体側に黒褐色の斑紋が並び、その上方にも不規則な小斑が散在する。水の澄んだ河川や湖沼の砂底を好む。観賞魚で、ほとんど食用としない。近縁種に九州西部に分布するタイリクシマドジョウC. taenia taenia、琵琶湖淀川水系、香川県、島根県に分布するスジシマドジョウC.taenia striataの二亜種と、島根県高津(たかつ)川にすむイシドジョウC. takatsuensisがある。アジメドジョウNiwaella delicata シマドジョウ亜科に属し、日本特産。本州中部、近畿の河川の上・中流に分布する。体長約10センチメートル。背びれや臀(しり)びれが体の後方にあり、骨質板を欠くので他種と区別される。口ひげは三対。水の澄んだ河川の礫底にすみ、おもに付着藻類を食べる。食用にされ、きわめて美味とされる。フクドジョウNoemacheilus toni フクドジョウ亜科に属し、北海道、樺太(からふと)(サハリン)、朝鮮半島、中国東北部に広く分布する。体長15センチメートル。口ひげは三対、胸びれの骨質板はない。ホトケドジョウLefua echigonia フクドジョウ亜科に属し、日本特産で、本州、四国に分布し、湧水(わきみず)を水源にもつ細流にすむ。体長約六センチメートル。口ひげは四対。体は太くて短く、側線はない。近縁種に北海道特産のエゾホトケL. nikkonisがいるが、本種とは縦列鱗数で区別できる。[澤田幸雄][出口吉昭]【料理】ドジョウの料理は、古くはみそ煮かどじょう汁であった。室町期の『大草家料理書』に濁り酒で煮てさらにみそ煮にする調理法が記され、江戸初期の『料理物語』にはみそ仕立てのどじょう汁がみえる。どじょう鍋(なべ)の出現は、文政(ぶんせい)(一八一八~三〇)初年以降といわれ、幕末には、江戸に「元祖どぜう」「ほねぬきどぜう」などの店があったが、すし屋、そば屋に比してその数はきわめて少なかった。東京地方のどじょう料理店で「どぜう」と書くのは四文字を避けるためといわれる。夏が産卵期で、脂(あぶら)がのって味がよい。タンパク質以外に、カルシウム、鉄、ビタミンB2をかなり含む。生きたものを求め、泥臭さがあるので真水に一~二日放して泥を吐かせてから用いる。丸ごと使用するときは、容器に入れて酒をふりかけてしばらく置くと、ぬめりもとれ骨も軟らかくなる。料理には、ささがきごぼうと卵とじ煮にした柳川鍋(やながわなべ)が有名。そのほか、みそ仕立てのどじょう汁、丸煮、蒲(かば)焼き、から揚げなどがある。[河野友美][大滝 緑]【民俗】ドジョウ祭りといって、祭りの日にかならずドジョウを食べることになっていた土地がある。秋田県男鹿(おが)市の飯森(いいのもり)の祭りや愛媛県西条(さいじよう)市の西条の秋祭などが知られている。ドジョウは農村では普通の食料の一つであった所が多く、みそ汁の中に入れたドジョウが白い腹をみせたところを、吹きながら食べるのが美味であるという。静岡県小笠(おがさ)郡横須賀(よこすか)町(現、掛川市)では、天狗(てんぐ)が火をともして殺生に出て、ドジョウの片目を抜き取っていくと伝え、片目のドジョウがたくさんいたという。片目のドジョウは山梨県甲府市相川の城跡の堀にも知られている。[小島瓔禮]
《参考文献・音響映像資料》
1,中村守純著『原色淡水魚類検索図鑑』(一九六四・北隆館)
2,宮地伝三郎・川那部浩哉・水野信彦著『原色日本淡水魚類図鑑 全改訂新版』(一  九七六・保育社)
3,円羽弥著『あじめ――アジメドジョウの総合的研究』(一九七六・大衆書房)
4,滋賀県立琵琶湖文化館編『湖国びわ湖の魚たち 改定版』(一九八六・第一法規出  版)
5,牧野博著『ドジョウ――養殖から加工・売り方まで』(一九九六・農山漁村文化協  会)

                  ※「赤い泥鰌」って知っていましたか?

近現代文学作品に於ける「どじょう」の表記用例
どじょう〔どぢやう〕【泥=鰌/×鰌】
1,・・・ 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸に米を啄み家鴨は水に泥鰌を追う・・・<芥川竜之介「久米正雄」青空文庫>
2,・・・手ぶらで、その手つきは、大石投魚を取返しそうな構えでない。鰌が居たら押えたそうに見える。丸太ぐるみ、どか落しで遁げた、たった今。……いや、遁げたの候の。……あか褌にも恥じよかし。「大かい魚ア石地蔵様に化けて・・・<泉鏡花「貝の穴に河童の居る事」青空文庫>
3,・・・ 向うの溝から鰌にょろり、こちらの溝から鰌にょろり、と饒舌るのは、けだしこの水溜からはじまった事であろう、と夏の夜店へ行帰りに、織次は独りでそう考えたもので。 同一早饒舌りの中に、茶釜雨合羽と言うのがあ・・・<泉鏡花「国貞えがく」青空文庫>
4,・・・ いま現に、町や村で、ふなあ、ふなあ、と鼻くたで、因果と、鮒鰌を売っている、老ぼれがそれである。 村若衆の堂の出合は、ありそうな事だけれど、こんな話はどこかに類がないでもなかろう。 しかし、なお押重・・・<泉鏡花「神鷺之巻」青空文庫>
5,・・・蒟蒻の桶に、鮒のバケツが並び、鰌の笊に、天秤を立掛けたままの魚屋の裏羽目からは、あなめあなめ空地の尾花が覗いている……といった形。 ――あとで地の理をよく思うと、ここが昔の蓮池の口もとだったのだそうである。・・・<泉鏡花「古狢」青空文庫>
6,・・・麦畑はようやく黄ばみかけてきた。鰌とりのかんてらが、裏の田圃に毎夜八つ九つ出歩くこの頃、蚕は二眠が起きる、農事は日を追うて忙しくなる。 お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作に逢うて、将来の・・・<伊藤左千夫「春の潮」青空文庫>
7,・・・「ねい伯父さん何か上げたくもあり、そばに居て話したくもありで、何だか自分が自分でないようだ、蕎麦饂飩でもねいし、鰌の卵とじ位ではと思っても、ほんに伯父さん何にも上げるもんがねいです」「何にもいらねいっち・・・<伊藤左千夫「姪子」青空文庫>
8,・・・阿片の臭いが鼻にプンと来た。鰌髭をはやし、不潔な陋屋の臭いが肉体にしみこんでいる。垢に汚れた老人だ。通訳が、何か、朝鮮語で云って、手を動かした。腰掛に坐れと云っていることが傍にいる彼に分った。だが鮮人は、飴のよ・・・<黒島伝治「穴」青空文庫>
9,・・・「水清ければ魚住まずと言うが、」私は、次第にだらしない事をおしゃべりするようになりました。「こんなに水が汚くても、やっぱり住めないだろうね。」「泥鰌がいるでしょう。」生徒の一人が答えました。「泥鰌が・・・<太宰治「みみずく通信」青空文庫>
10,・・・ ある柳の下にいつでも泥鰌が居るとは限らないが、ある柳の下に泥鰌の居りやすいような環境や条件の具備している事もまたしばしばある。そういう意味でいわゆる厄年というものが提供する環境や条件を考えてみたらどうだろ・・・<寺田寅彦「厄年と etc.」青空文庫>
11,・・・浅草の興行街で西洋風のレヴューがはやり初めたのも昭和になってからの事で、震災頃までは安木節の踊や泥鰌すくいが人気を集めていたのであるが、一変して今見るような西洋風のダンスになったのである。 裸体の流行は以上・・・<永井荷風「裸体談義」青空文庫>
12,・・・それまでは、豆腐ん中に頭を突っ込んだ鰌見たいに、暴れられる丈け暴れさせとくんだ。―― セコンドメイトが、油を塗った盆見たいに顔を赤く光らせたのから、私は、彼の考えを見てとった。 私とても、言葉の上の皮肉・・・<葉山嘉樹「浚渫船」青空文庫>
13,・・・ 鍋の中で、ビチビチ撥ね疲れた鰌だった。 白くなった眼に何が見えるか! ――どこだ、ここは?―― 何だって、コレラ病患者は、こんなことが知りたかったんだろう。 私は、同じ乗組の、同じ水夫とし・・・<葉山嘉樹「労働者の居ない船」青空文庫>
14,・・・ 新らしい鳥屋に入ってそこに馴れるまでは卵は生まないとか、たまには泥鰌の骨を食べさせて、新らしい野菜をかかさない様にと教えてやったそうだけれ共あんまり功はなかったらしい。 段々庭の様子に馴れて来た鳥はせ・・・<宮本百合子「二十三番地」青空文庫>

さんざくわ【山茶花】

2024-03-11 02:27:57 | 日記
2016/02/05 更新
サンザクワ→サザンクワ【山茶花】

室町時代の連歌辞書『和歌集心躰抄抽肝要』〔京都大学図書館蔵〕に、
  山茶花ハ 濱椿 八入ノ椿 〓〔山+香〕ノ椿 片山椿 列々椿
とあって、「山茶花(さざんか)は浜椿(はまつばき)、八入(やいれ)の椿(つばき)、〓〔山+香〕の椿(つばき)、片山椿(かたやまつばき)、列々椿(つらつらつばき)」として、ふりがなはないものの「片山椿」を所載する。ここで、「山茶花」の別名「ひめつばき【姫椿】」とも云う、これを安楽庵策伝『百椿集』〔一六二〇(元和六)頃か〕に、
   七 山茶椿
 葉形タ花ノ姿、山茶花ト云ニ能似タル。侭別ニ意趣モナク淺々ト名唱フル者欤。山茶花ト云事モトヨリ椿ヲ異國ニ云名ナリ。又山茶花ハメツバキ也ト何レモ花ノ先トカリテ興アリ。

とあって、ここでは異國と称しているが大陸中国では「椿」は別種の樹木名を言い、日本ではこれを春に魁けて花開くところから春の木で「つばき」と呼称したということであって、江戸時代の初期に成る『小野篁歌字盡』の冒頭部「椿榎楸柊桐」と漢字を列ね、「木に春ハつばき……」と唱えてきているのであることが知られるように国字に類するとみたい。そして、「山茶花」を策伝は「めつばき」=「ひめつばき【姫椿】」と呼称すると云う。今本邦で、「山茶花」は、「さざんか」と呼称するが、もとは「さんざか」と呼称してきたことは、小学館『日国』第二版の両語の見出し語例で確認出来るので参照されたい。そのなかで『日葡辞書』〔一六〇三(慶長八)〜〇四〕の、
 Sanzaqua(サンザクヮ)。Tcubaqinofana.(椿の花)」Tcubaqi(椿)と呼ばれる木の花。〔邦訳557l〕〔影印765l383l〕
とある記載は注目すべきものがある。すなわち、「山茶花(サンザクヮ)」で語意を「つばきのはな」としているからである。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
さざん‐か[:クヮ]【山茶花】〔名〕(ツバキの漢名、山茶に由来する「さんさか」の変化した語)ツバキ科の常緑小高木。九州の山地に生え、広く観賞用に庭木として植えられる。幹は高さ三〜八メートル。若枝や葉柄に細毛を密生。葉は互生し短柄を持ち厚く、長さ三〜七センチメートルの長楕円形で両端はとがり縁に細かい鋸歯(きょし)がある。一〇〜一二月、枝先に径四〜七センチメートルの白色の五弁花を単生する。果実は蒴果で長さ約二センチメートルの倒卵状球形。材は細工物に使い、種子からとれる油は、食用油、髪油などに用いる。園芸品種も多く、花色は白、淡紅、紅などで絞りや八重咲きもある。漢名、茶梅。ひめつばき。こつばき。さんざか。学名はCamellia sasanqua《季・冬》*俳諧・冬の日〔一六八五(貞享二)〕「水干を秀句の聖わかやかに〈野水〉 山茶花匂ふ笠のこがらし〈羽笠〉」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一二「茶梅(サザンクヮ) 山茶(つばき)の類にて、葉も花も小なり。白あり。香よし」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「山茶花 サンザクヮ サザンクヮ」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「サザンクヮ 茶梅」*寒山落木〈正岡子規〉明治二八年〔一八九五(明治二八)〕冬「山茶花のここを書斎と定めたり」【語誌】(1)「山茶花」の表記は中世後期に見られるが、当初は「さんざか」と読まれていた。『日葡辞書』や俳諧『毛吹草』などにその形がみえる。群書類従本『尺素往来』には「茶」の右に「サ」の音注が見えるが、「さんさか」という清音形の存在は不確実である。同書の東京大学国語研究室蔵本(室町時代写)には「茶」に「チャ」とあり、「さんちゃか」という読みがあった可能性もある。(2)訛形「さざんか」は一七世紀から見える語形である。挙例のように『書言字考節用集』では「サンザクヮ サザンクヮ」と、両形を挙げ、かつ「サンザクヮ」を第一としているが、その後、「さざんか」が「さんざか」に取って代わった。【方言】植物、にほんすもも(日本李)。《さざんか》岡山県一部030【発音】〈なまり〉サザンクワ〔長崎〕〈標ア〉[ザ]〈京ア〉[サ]【辞書】書言・ヘボン・言海【表記】【山茶花】書言・ヘボン
さんざ‐か[:クヮ] 【山茶花】〔名〕(「さんさか」とも)「さざんか(山茶花)」に同じ。*尺素往来〔一四三九(永享一一)〜六四〕「李花(すもも)。山茶(さんサ)花。海棠花等」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)〜〇四〕「Sanzaqua (サンザクヮ)。ツバキノ ハナ」*俳諧・毛吹草〔一六三八(寛永一五)〕二「十月〈略〉山茶花(サンザくゎ)」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「山茶花 サンザクハ サザンクハ」【辞書】日葡・書言【表記】【山茶花】書言

いわし【鰮・鰯】─古辞書『和名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ─

2024-02-03 13:22:49 | 日記
  いわし【鰯】
                               萩原義雄識
  はじめに
 二月三日は「節分(せつぶん)」季節の分かれ目として、「豆撒き」(=邪鬼祓い)、「恵方巻」などが主流だが、邪鬼祓いに玄関軒下に「鰯」の頭と柊(ひいらぎ)の葉を餝る風習(諺に「鰯の頭も信心から」と云う)を行って来た。近ごろなかなか見ることのないものとなっている。腥い鰯の匂いを鬼が厭がり近づきにくくなる。庶民にとって手軽な安値で入手する魚でもあった。
 一月まえのお正月の御節料理にも素干しの「片口鰯(かたくちいわし)」を其年の田作り豊年を願う意味を込めて重箱に添えてきていた。此の魚名「いわし」について、平安時代の宮廷でも女房ことばで「むらさき」(色あい)、石清水(いはしみづ)八幡宮の「いはし」に懸けて密かな食味魚として知られている。『源氏物語』作者、紫式部がその女房名「むらさき」につながりこよなく食したとも云う。此の「いわし」は、傷みやすく鮮度が落ちやすい難点もあって、都人にとって素干し魚の代表格だったのだが、紫式部が父為時の任国に暮らしたことも幸いして、新鮮な刺身や焼き魚として食する機会を得ただろうと思うと、彼女が大好物だっただろうという説も満更ではなかろう。

  本邦古辞書と魚名「いわし」
 本邦古辞書にはどう表記されているかと云えば、昌住編『新撰字鏡』〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)年頃〕巻九第八十七魚部〈次小學篇字卅三字〉に、
天治本 享和本
𩺮 𩺮 伊和志 〔巻九、五、ウ〕 ※天治本「波」字疑うべしとあり。
とし、標記語「𩺮」で真字体漢字表記(=万葉仮名)「伊波志」「伊和志」と記載する。

 さらに源順編『倭名類聚抄』〔九三四(承平四)年頃・内閣文庫蔵補訂本〕にも、
十巻本巻第八「 楊氏漢語抄云鰯〈伊和之 今案夲文未詳之〉←棭齋は此字とする。
廿卷本卷十九「(イワシ) 漢語抄ニ云鰯ハ[以和之今案本文未タレ詳]〔鱗介部第30竜魚類第236・五丁裏五行目〕」林羅山手沢本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕

とあって、万葉仮名表記で「伊和志」「伊和之」と記述されていて、藤原宮木簡、平城宮出土址木簡なども此に倣う。藤原宮跡から発掘された木簡に「伊之」と記載する。
続いて、平安時代末の橘忠兼編、三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕に、
イハシ/云未詳 〔伊部動物門五ウ6〕
※和訓「イハシ」で、注記「云未詳」(云ふに未詳)としているが、『和名抄』の典拠資料とする『楊氏漢語抄』(十巻本)、『漢語抄』(廿巻本)が検証できない佚文資料となっていることを示唆するか。

とし、標記語「鰯」で、訓みを「イハシ」とし、第二拍の表記「ハ」としている。語注記は、『和名抄』(村田正英「三巻本色葉字類抄における和名類聚抄和訓の受容」鎌倉時代語研究に詳しい、但し当該語については未載)を継承する。
鎌倉時代の観智院本『類聚名義抄』僧下十四に、
 ⑴いはし【鰮】× 〔古辞書には未記載表記〕
 ⑵いはし【鰯】
イ(上)ハ(上)シ(上) 未詳 〔僧下五ウ6〕
 ⑶ひしこいはし【鯷】
音題 ヒ(平)シ(上)コ(上)イ(上)ハ(上)シ(平) アユ フク
クソナメル 音鼓
 ⑷いはし【𩺮】
𩺮 イルカ イハシ〔僧下八ウ・十四4〕
 ⑸いわし【𮬏〔魚扁+「集」旁〕
𮬏 イ禾シ〔僧下八ウ・十四8〕
 ※離合字とし、「魚」が「集まる」意の国字欤
  K1001484𮬏イワシ
とあって、第二拍のかな表記に「は」⑴⑵⑶⑷と「わ」⑸とユレが生じはじめている。茲で表記漢字⑸について触れておく必要がある。これ以前の資料には未収載の標記語であり、これ以後の聯関資料にも未収載という当に『名義抄』単独収載の語例となっているからだ。そして、『名義抄』が如何なる原資料から抽出収載したものなのかも検証されて行かねばなるまい。
 こうした語例を纏めて検証していく時代が今や到来し、北大の池田証壽代表による古辞書グループが成し得た『類聚名義抄』データベースでの連繫抽出作業が重要不可欠なものとなってきたと言える。近時、池田さんは『日本辞書史研究─草創と形成』〔二〇二四年一月、汲古書院刊〕をご発表なされている。基礎的な判断を求めるうえで重要な役割を果たすご論と云えよう。机上近くに置いて語の端々を知る標べとなろう。
 室町時代の古辞書になると、先ずは東麓破衲編『下學集』〔一四四四(文安元)年〕に、
(イワシ) 〔氣形門六十四頁4〕
とする。次ぐ広本『節用集』〔文明年間〕には此の語を欠く。だが、飛鳥井榮雅編の増刋『下學集』には、
(イワシ) 〔伊部畜類門五ウ4〕
の語を収載していく。『伊京集』・明応本『節用集』にも収載する。
刷版系の天正十八年本・饅頭屋本・易林本も同様に収載する。
印度本系『節用集』系のA黒本本・弘治二年本、B永禄二年本、尭空本、両足院本、経亮本、高野山本も同様に語注記を記載せずに収載する。その一本である経亮本の図絵を記載する。
(イハシ) (同) (同) (同)〔伊部氣形門、巻五・四十、三八二頁7〕
 『和名集』廿六魚類部〔亀井本・有坂本〕にも、標記語「鰯」で「イワシ」を記載する。
慶長十五年板『倭玉篇』には、
(テイ) ヒシコ イハシヒシコ イハシ 〔四〇五1〕
(ジヤク) イワシ 〔四〇八4〕
という標記語は、なぜかこの字書にあっても「いはし」と「いわし」にかな表記が二分して所載する傾向にある。此れも、寛永版『倭玉篇』になれば、「鯷」「鰯」の両語とも、「いはし」で処理するものへと変改していたりする。
江戸時代の惠空篇『節用集大全』には、
(いはし)鰮 (同)鰯 順カ和名ニ漢語抄ニ云鰯ハ/以和之今按スルニ本文未タ詳ナラ (同) 鯷 (同)鰣 (同)鱹 (同)鮻 〔伊部氣形門十九頁4・5〕
とあって、はじめて標記語に「鰛」字を先頭に「鰯」「鯷」「鰣」「鱹」「鮻」の標記語を記載する。そして、語注記は「鰯」字にあって『和名抄』を再び継承し、引用するが、この文字がどのような本文資料に依拠しているかは定かでないとしていて、その原拠には辿り着けていない。所謂、国字と称する標記語であって、平安時代には既に用いられていて、その表記が世話字として通用していたことを知るものとなっている。
 江戸時代中期には槇島編『書言字考節用集』〔一七一七(享保二)年刊〕に、
(イハシ) 〔伊部氣形門、巻五・四十、三八二頁7〕
とだけ記載するに留まる。それ以前の江戸期資料、中村惕斎編『訓蒙圖彙』〔一六六六(寛文六)、一六九五(元禄八)、〕には、
(をん) いわし
○鰛(いわし)は五臓(さう)を利(り)しよく湿熱(しつねつ)をたすけかさを發(はつ)すをゝく食(しよくす)へからす
(じやく)同
と林羅山が招来した『本草綱目』に触発され、茲に「いわし」の食材薬効を述べている。その意味から「鰯」字を「同」とし、世俗字を単簡に所載している。
 寺島良安編『和漢三才圖會』〔一七一二(正徳二)年刊〕巻第四八では、
〔巻四八〕
         鰛
(いわし) 俗字
和名 以和之
 聞書云鰮似馬鮫而小有鱗大者僅三四寸
 △按鰮俗云鰯四方皆有之形似小鯯而其鱗細易脱
 背蒼黒腴黄白而脂多小者一二寸大者五六寸群行
 至時海波稍赤漁人預知下網采之鯨好吃鰯爲所逐
 者數万爲群浪如樓取之作膾可熬可炙又取脂爲燈
 油
(ヒシコ)和名比之古以和之用一二寸許小鰯爲醢造法鮮鰯一升不洗
 鹽三合三日而後以石壓之如自初日置壓則腹破出不隹或同茄
 子生薑穗蓼番板等漬。亦佳鯷字未詳
 五万米(コマメ)(イハシ)正字未詳一名田作又云古止乃波良漁家海邊石上或簀上
 擴乾小鰮也阿波之産爲上野之耐久無脂臭和諸物
 煮食亦佳常爲嘉祝之供與鮑熨斗並用
 干鰯(ホシカ)保之加 與五万米同乾時不撰地不論大小數万覺
 乾盛莚運送市中用爲田畠培糞諸國多出房州最多
 鰯䱒(シホモノ) 豫州宇和島常州水戸之産爲上肥前松浦丹後
 由良之産頭畧大扁亦得名炙食脂氣酷烈以賤民爲
 食用痰咳痞滿人忌之産婦小兒不可食其味美有頭
 凢ソ鯨ト與本朝海中寳也其利用不可計フ
とある。
 江戸時代になると、第二拍を「は」で表記するようになる。だが、『和漢三才圖會』や『訓蒙圖彙』は、平安時代の『和名抄』の和訓表記を遵守して記載する方針をとっていることになる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いわし【鰯・鰮】〔名〕(1)ニシン科の海魚、マイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシなどの総称。《季・秋》*平城宮出土址木簡〔七五六(天平勝宝八)頃〕「青郷御贄伊和志腊五升」享和本新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「𩺮 伊和志」十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕八「鰯 楊氏漢語抄云鰯〈伊和之 今案本文未詳〉」中外抄〔一一三七(保延三)~五四〕久安六年一一月一二日「鰯はいみじき薬なれども不公家*御伽草子・猿源氏草紙〔室町末〕「和泉式部、いわしと申す魚を食ひ給ふところへ、保昌来りければ、和泉式部はづかしく思ひて」*料理物語〔一六四三(寛永二〇)〕一「鰯は、 なます、しゃか汁、すいはし、くろつけ、やきて、かすに」(2)マイワシ。全長三〇センチメートルに達する。背は暗青色で、他は銀白色。体側には円い黒斑が数個一列または二列に並ぶ。大きさにより大羽、中羽、小羽と区別する。各地の沿岸に多量に生息し、産業上重要な魚の一つだが、その漁獲量は年による豊凶がはなはだしい。塩焼きや煮付けなどにするほか、丸干し、目刺し、缶詰などに加工する。(3)切れない刀。鈍刀。赤鰯。*浄瑠璃・義経千本桜〔一七四七(延享四)〕三「此鰯(イワシ)で切るか、此目でおどすか、前髪を一筋づつ抜くぞよ」*雑俳・柳多留‐二三〔一七八九(寛政元)〕「本阿彌は鰯は見れど鯨見ず」(4)節分の夜、鬼を避ける呪(まじない)として、柊(ひいらぎ)の枝と共に門口にさした小型の鰯の頭をいう。*夫木和歌抄〔一三一〇(延慶三)頃〕二九「世の中は数ならずともひひら木の色に出でてはいはしとぞ思ふ〈藤原為家〉」*談義本・根無草〔一七六三(宝暦一三)~六九〕後・一「去年と今年の堺町、節分の夜のにくまれ役も、いやとの臭さをこらへ、狗骨(ひいらぎ)で目をつくづくと、路考に見とれし贔屓の証拠」(5)看守をいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{一八九二(明治二五)}〕【語誌】(1)(1)に挙げた『新撰字鏡』の例、天治本では「𩺮 伊波志」とあって仮名づかいが違っている。(2)(1)の『中外抄』の例から、平安期の貴族が食さなかったことが知られる。また、『古今著聞集』巻第一六には、藤原師長が、言いつけにそむいて祗候しなかった弟子・藤原孝道に「麦飯に鰯あはせ」の食事を供した話を載せるが、これも鰯が下賤の食するものと考えられていたことによる。(1)の挙例『猿源氏草紙』も同様。(3)鰯が秋の季語として定着したのは一八世紀の末ころからだが、「鰯引く・鰯雲」などはそれ以前から季語として扱われていた。【方言】養子。《いわし》新潟県中魚沼郡062語源説(1)死にやすい魚であるところから、ヨワシ(弱)の転〔滑稽雑談所引和訓義解・東雅・大言海〕。イヲヨワシ(魚弱)の義〔和句解〕。(2)賤しい魚である意から、イヤシの転〔日本釈名〕。(3)イワシ(祝)の義〔紫門和語類集〕。【発音】〈なまり〉イアシ〔栃木〕イバシ〔富山県〕イワス〔石川〕イワヒ〔NHK(鹿児島)〕イワヒ〔鹿児島方言〕エワシ〔栃木・富山県・鳥取〕シワシ〔岩手〕ヤシ〔八丈島・静岡〕ユアシ〔栃木〕ユワシ〔津軽語彙・岩手・仙台音韻・秋田・山形・山形小国・福島・茨城・埼玉・埼玉方言・千葉・八丈島・福井大飯・静岡・志摩・伊賀・大阪・大和・和歌山県・和歌山・紀州・NHK(和歌山)・島根・島原方言・鹿児島〕ユワス〔NHK(岩手)・秋田〕ヨワシ〔岩手・秋田〕ヨワス〔千葉〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安●●●〈京ア〉[0]【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・下学・和玉・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【鰯】和名・色葉・名義・下学・和玉・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【𩺮】字鏡・名義【箙】名義(僧下十四)【鯷・陀】和玉【図版】鰯(2)((https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=2002005701aeUpdx8SKl 参照 2021年3月18日)

くわゐ【烏芋】『和名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ

2023-12-25 11:23:51 | 日記
2023/06/02~2023/12/25更新
くわゐ【烏芋】
                               萩原義雄識
『和名類聚抄』廿巻本
 福田本『倭名類聚抄』〔大阪公立大学図書館蔵〕
 林羅山手沢本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕
 【翻刻】
廿巻本『倭名類聚抄』巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百二十四〔十五丁表8行〕
 烏 蘇敬本草注云烏芋[和名久和井]生水中澤写之類也
 十巻本『和名類聚抄』卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏 蘓敬本草注云烏芋[  久和為]生水中澤舄之類也
※注記「和名」有無。真名体漢字表記「久和井」と「久和為」で「井」と「為」字に異同。注記字「写」と「舄」の異同。

【訓読】
(クワ井) 『蘇敬本草注』に云はく、「烏芋」[和名(ワミヤウ)やまとなは、「久和井」]、水-中に生ず。「澤寫」の〈之〉類なり〈也〉。
『蘇敬本草注』に云はく、「烏芋」[「久和為(くわゐ)」]は、水中に生ゆる「沢舄」の類なりといふ。
※茲で、標記語「烏芋」字に、和名「久和井(くわゐ)」と「久和為(くわゐ)」で「井」と「為」字に異同。

 【影印】
天正三年書写『倭名類聚抄』〔大東急記念文庫蔵〕巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百二十四
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[和名久和井]生水中澤舄之類也
※典拠書名「蘓敬本草注」で「蘓」字表記。「澤舄之類」で「舄」字にて表記する。
伊勢廣本『倭名類聚抄』〔東京都立中央図書館河田文庫蔵/神宮文庫蔵〕巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百廿四
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[和名久和井[○・上・上]]生水中澤舄之類也
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[和名久和井[平・上・上]]生水中澤舄之類也
※典拠書名「蘓敬本草注」で「蘓」字表記。「澤舄之類」で「舄」字にて表記する。真名体漢字表記「久和井[○・上・上]」と「久和井[平・上・上]」に差声点あり。
※河田文庫蔵と神宮文庫蔵との相異点は、「蘓敬本草注」の「草中( ― )」に墨線、真字体漢字表記の「久」字に平聲の差声点の有無の異なりを見る。神宮文庫書写者が「注」を附記するか迷ったとみる。
※廿巻本古写本の天正三年本と伊勢廣本共に同じ。那波本(元和版)の後の慶安板以下は、『蘓敬本草』として異なる。
昌平本『和名類聚抄』〔東京国立博物館蔵〕卷九菜蔬果蓏は欠。
下總本『和名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕
天文本『略抄和名類聚抄』〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕
松井本『和名類聚抄』〔静嘉堂文庫蔵〕乾冊卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[○{和名}久和為○{又和名奈萬井}]生水中澤舄之類也
※注記部に朱筆記載があり、○「和名」字に朱筆で記載する。

京本『和名類聚抄』〔国会図書館蔵〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏(クワ井) 蘓敬本草注云――(烏芋)[久和為[平・上・上]]生水中澤舄之類也
※注記内容は松井本に共通する。真名体漢字表記「久和為[平・上・上]」の差声点あり。
同じく前田本〔下56ウ5〕も同じで、京本を忠実に転写する。

狩谷棭齋『倭名類聚鈔訂本』〔内閣文庫蔵〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏 蘓敬夲草注云瑰芋[久和為]生水中澤舄之類也
※頭注に「烏」字。注記「夲」の字に作く。

慶安元年板『倭名類聚抄』〔棭齋書込宮内庁書陵部蔵〕巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百廿四
 (クワ井) 蘇-敬カ本草ニ云烏-芋[和名久和井]生ス二水-中ニ一澤寫之類也
※典拠書名「蘇敬本草」と記載。注記「和名」の語有無については有り。真字体表記「久和井」と「井」字に作く。「澤寫之類」と「寫」字に作く。

【古辞書】
深江輔仁『本草和名』〔下冊31ウ1~4〕
醫心食治部作萍新修作〓〔艹+冴〕並非
鳥(烏 新)芋 一名籍姑一名水〓(萍)〔氵+芋(無翼誤也)〕鳬茨[仁𧩑音上府下在/此反出陶景注] 一名槎牙[仁𧩑音錫加反]一名茨菰[澤泻(舄)之類也已/上出蘇敬注]鳥茈[出崔/禹]一名水芋[出兼名苑]一名王銀[出雜要訣]和名於毛多加一名久呂久和爲

立之案茨蘓敬/慈姑々々之反爲
藷(シヨ)云慈姑亦山藷之義謂塊然山根也
按鳥証類作烏医心引養生要集同
按医心食性引兼名苑一名玉銀
とあって、「仁𧩑」の語を示す。注記語「籍姑」の「籍」字は、棭齋『倭名類聚鈔箋注』で「藉姑」と補正表記する。

三巻本『色葉字類抄』〔一一七七(治承元)~八一〕年〔前田本中卷欠→黒川本〕
 烏(ヲウ) クワヰ 澤冩之類濱 鳥茈 同〔黒川本中卷久部植物門〕
※『和名抄』と接点となる語注記「澤寫之類」
 十巻本『伊呂波字類抄』卷八〔大東急記念文庫蔵〕
  クワイ 澤冩類也〔中卷久部植物門(三八六頁)3・4〕
※標記語「瑰芋」の注記の「之」は削除され、「澤冩類也」と記載する。
観智院本『類聚名義抄』
 烏―(芋) ク禾井 〔八一艸部・僧上三六頁3〕
※標記語「瑰芋」、和名「クワ井」のみで注記語は削除し未収載にする。
このように、『字類抄』『名義抄』共に『和名抄』からの継承が濃厚なのかの注記記載となっていて、この表記と注記の一部分に継承記載が覗いているということにもなる。

室町時代の古辞書として、広本『節用集』に、
烏芋(クワ井)[平軽・去] ウ・カラス、ウ・イモ一名茨菰(シコ)/又田烏子〔久部四九九頁7〕
と記載する。茲での注記は『和名抄』には未収載の一名「茨菰(シコ)」と「田鳥子」を収載していて、「茨菰(シコ)」の語は『本草和名』に見えるのだが、「田烏子」の語例は別の資料からの引用となる。此語は俗用としていて、他写本『節用集』類には未記載とし、広本『節用集』の独自の記載と見て良い。因みに、同時代の『庭訓往来』十月日返状に、
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ)フクホンシ・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨御自愛ニ思歟。浦山ノ二字万雜也。莫如クハ彼二ニ也。〔謙堂文庫所蔵『庭訓往来註』五九右8〕

文明十四年寫『庭訓往来』〔龍門文庫蔵〕
 更に、『撮壤集』〔飯尾永祥著、一四五四(享徳三)年成立〕茶の子に此語を所載し、その存在を知ることになる。
 此外、印度本『節用集』〔弘治二年本・永禄二年本・尭空本・両足院本〕・易林本などの『節用集』類、そして、江戸時代に編まれた『書言字考節用集』などにも和語「くわゐ【烏芋】」の語は記述されてきている。

次に、江戸時代の注釈書での当該語の記載内容をみておくことにする。
契沖編『和名抄釋義』龍・第十七飲食部〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕
 烏芋
 俗用田烏子三字愚按烏黒義乎
 奈万為ハ黒久和為ハ白然則奈(クワ井ハ鍬藺ナルヘシ葉形鍬ニ似タリ)万為可用烏芋欤〔契沖全集第十六卷三八七頁下段〕
と記載し、標記語「烏芋」の語に俗用として「田烏子」について「烏黒義」と注解を以て示す。そのあとに「奈万為(なまゐ)」→「黒久和為」とし、右傍らに「クワ井ハ鍬藺ナルヘシ葉形鍬ニ似タリ」と記す(この箇所は全集未記載)。

狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九〔八四オ・ウ〕
【翻刻】
烏芋 蘇敬本草注云烏芋[和名久和井○下總夲有和名二字夲草和名云和名於毛多加一名久呂久和爲]生水中澤舄之類也[○所引果部中品文下總夲作寫那波本同與原書合夲草和名引作舄與舊同證類夲草引作瀉夲草云烏芋一名藉姑二月生葉葉如芋陶注云今藉姑生水田中葉有椏狀如澤寫不正似芋其根黄似芋子而小煮食乃可噉疑其有鳥名今有烏者根極相似細而美葉乖異狀頭如莞草呼爲鳬茨恐此非也蘇注云此草一名槎牙一名茨菰葉似錍箭鏃按陶注藉姑蘇注茨菰槎牙詳其形狀可充久和爲陶注𦳓茨其個不可讀雖似有誤𦳓茨即烏芋故夲草圖經云烏芋今𦳓茨也苗似龍鬚而細正青色根黒如指大輔仁訓爲久呂久和爲是也然夲草統言以藉姑爲烏芋一名陶注混個二物蘇所個亦是藉姑故源君訓久和爲也其實藉姑訓久和爲烏芋訓久呂久和爲爲允久和爲钁藺也其莖似莞其葉似钁鑱故名之烏芋根似藉姑而黒故名久呂久和爲其葉不似钁鑱也又輔仁烏芋或訓於毛多加按於毛多加其葉如人仰見之狀故有是名當以東醫寶鑑野慈姑草花譜慈姑花充之其草頗似藉姑則知輔仁所云於毛多加以訓藉姑非訓烏芋也]

狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』〔明治十六年刊森立之〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
【翻刻】〔曙出版下冊卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九〔八九四頁〕
烏芋 蘇敬本草注云、烏芋、[久和爲下總本和名二字、」本草和名云、和名於毛多加、一名久呂久和爲、]生水中、澤舄之類也、[○所引果部中品文、下總本寫、那波本同、與原書合、本草和名引作舄與舊同、證類夲草引作瀉、」本草云烏芋、一名藉姑、二月生葉、葉如芋、陶注云、今藉姑生水田中、葉有椏狀、如澤寫、不正似一レ芋、其根黄、似芋子、而小検食乃可噉疑其有鳥名、今有烏者、根極相似、細而美、葉乖異、頭如莞草、呼爲鳬茨、恐此非也、蘇注云、此草一名槎牙、一名茨菰、葉似錍、箭鏃、案陶注、藉姑、蘇注茨菰槎牙、詳其形狀、可久和爲陶注𦳓茨其說不讀、雖誤、𦳓茨卽烏芋、故本草圖經云、烏芋今𦳓茨也、苗似龍鬚一而細、正青色、根黑如指大輔仁訓爲久呂久和爲是也、然本草統言藉姑烏芋一名陶注說二物、蘇所說亦是藉姑、故源君久和爲也、其實藉姑久和爲、烏芋訓久呂久和爲、爲允、久和爲、钁藺也、其莖似莞、其葉似钁鑱、故名之、烏芋根似藉姑、而黑、故名久呂久和爲、其葉不钁鑱也、又輔仁烏芋或訓於毛多加、按於毛多加、其葉如人仰見之狀、故有是名、當以東醫寶鑑野慈姑、草花譜慈姑花之、其草頗似藉姑、則知輔仁於毛多加、以訓藉姑、非烏芋也]
【語解】
○「允」に爲り、「久和爲」は、「钁藺」なり〈也〉。
○故に、『本草圖經』に云く、「烏芋」は今、「𦳓茨」なり〈也〉。
烏芋 烏芋味苦甘微寒無毒主消渴痹熱温中益氣一名藉姑一名水萍二月生葉如芋三月三日採根暴乾 圖經曰烏芋今𦳓茨也。舊不著所出州土 苗似龍鬚而細正靑色根黑如指大皮厚 有毛又有一種皮薄無毛者亦同田中人 并食之亦以作粉食之厚人腸胃不饑服 丹石人尤宜蓋其能解毒爾又爾雅謂之
芍 陶隱居云今藉姑生水田中葉有椏狀如澤瀉不正似芋其根黄似芋子而小煮之亦可饌疑其有烏者根極相似細而美葉乖異狀如莧草呼爲𦳓茨恐是此也。
○椏 烏牙/切 唐本注云此草一名槎牙一名茨菰主百 毒産後血悶攻心欲死産後難衣不出搗汁服一升生水中葉似錍箭鏃澤瀉之類也。[卷三五・39ウ]

○當に『東醫寶鑑』には「野慈姑」、『草花譜』には、「慈姑花」を以て之れに充るべし。
『東醫寶鑑』「野慈姑」
 李氏朝鮮時代の医書。廿三編廿五巻。許浚著。一六一三(慶長一八)年に刊行。
 湯液編(全三巻)薬物に関するもの
 巻一  湯液序例、水部、土部、穀部、人部、禽部、獣部
 巻二  魚部、蟲部、果部、菜部、草部(上)
 巻三  草部(下)、木部、玉部、石部、金部
江戸時代の將軍徳川吉宗公は、此の湯液編(全三巻)にとりわけ関心を示し、棭齋は此の内容を以て備忘参考資料書を元に記述したものと見る。
実際、「野慈姑」の標記語では見えず、「野茨菰」で記載する。
『草花譜』「慈姑花」
飯室庄左衛門著、一八〇〇(寛政一二)年刊〔写本で国会図書館蔵〕
実際、「慈姑花」の標記語では見えない。

新井白石『東雅』三冊〔享保四年成、明治三十六年刊〕
烏芋クワヰ 白地栗 剪刀草 槎丁草 雨久花
烏芋クワヰ 倭名鈔に、澤寫一名芒芋、ナマヰといふ、烏芋はクワヰ、生水中、澤寫の類也と註せり、ナマヰといひ、クワヰといふ。義不詳。
ヰといふはイモといふ語の急なるなり。二物幷に芋の名ありて倭名鈔に、亦芋類に収載せし卽是也。ナマとは生也。クヮとは鍬也。その莖葉をつらね見るに、鍬の形に似たる故也。鍪の飾に鍬形といふものを古語に相傳へてオモタカの葉のひらけたるに、かたとれりなどいふも此義なる也。《注略》それをシロクワヰといふは、倭名鈔に見えし烏芋、彼俗に葧臍なといひ、此にクワヰといふものに、紫黑二種あるに對しいふなり。其慈姑は、三瓣の小白花を開くなり。慈姑の如くにして深藍色の花を開きぬるをも、雨久花などいふなり。〔卷十三○穀蔬第十三、三七八頁~三七九頁〕
※白石は『和名抄』を引用し、此語を記載し、俗用に「葧臍」の語を示す。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
う-う【烏芋】〔名〕(1)植物「くろぐわい(黒慈姑)」の漢名。*異制庭訓往来〔一四C中〕「柏実椎榛栗烏芋芡生栗干栗」(2)植物「くわい(慈姑)」のこと。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「烏芋 蘓敬本草注云、烏芋〈久和為〉生水中、沢舄之類也」
からす-いも【烏芋】【方言】〔名〕(1)植物、からすびしゃく(烏柄杓)。《からすいも》長野県北佐久郡485静岡県524(2)烏瓜(からすうり)の実。《からすいも》栃木県西部198(3)植物、きからすうり(黄烏瓜)。《がらすいむん》鹿児島県奄美大島965
くわい[くわゐ]【慈姑】〔名〕(1)オモダカ科の水生多年草。中国原産で、古くから各地の水田で栽培される。高さ九〇~一二〇センチメートル。ほぼ球形で径三~四センチメートルの青色の塊状の地下茎から、長柄のある鏃(やじり)形で長さ二〇~三〇センチメートルぐらいの葉を叢生する。秋、葉間から花茎をのばし、白色の三弁花を円錐状につける。地下茎は食用になり、その液汁は、やけどに効くという。漢名、慈姑。しろぐわい。ごわい。学名はSagittaria trifolia var. edulis 《季・春》*堀河百首〔一一〇五(長治二)~〇六頃〕雑「種つ物み園にまきついさこ共外面の小田にくはひひろはん〈藤原顕仲〉」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕末春「くはゐ はすの根ほる」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕五「慈姑(クワイ) 其子は根蔓の末より生ず。旧本はかれて、母子は、のこりて又来春生ず。水田に多くうゑて利とす。甚繁生す。味美し」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「慈姑 クハヰ シロクハヰ」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「クワヰ ゴワヰ スイダグワヰ アギナシ 慈姑」(2)植物「くろぐわい(黒慈姑)」の古名。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「烏芋蘓敬本草注云烏芋〈久和為〉生水中沢舄之類也」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「烏芋 クワヰ 沢瀉之類也」*名語記〔一二七五(建治元)〕八「くはい 如何、答烏芋とかけり、くろはたやきの 反、くはいをくわいといへる也」【方言】【植物】(1)「くろぐわい(黒慈姑)」。《きわいつる》播州†034《ごや》阿州†039香川県037《ごよ・ごい》新潟県一部030(2)「おもだか(沢瀉)」。《くわい》香川県037《くわいぐさ〔─草〕》和歌山県690692《ごわい》能州†039《ごおわゃあ・ごわ》京都府竹野郡622(3)「あまな(甘菜)」。《ぐわい》広島県比婆郡773(4)「つるぼ(蔓穂)」。《くわい》西州†035(5)「ががいも(蘿藦)」。《くあい》山口県玖珂郡・都濃郡794(6)「あぎなし(顎無)」。《くわいぐさ》和歌山県新宮市692【語源説】(1)葉の形から、「クヒワレヰ(噛破集)」の義〔大言海〕。(2)「クリワカレヰ(栗分率)」の義〔名言通〕。(3)根は黒くて丸く、葉は藺に似ているところから、クワヰ(黒丸藺)の義か〔和字正濫鈔〕。(4)「クアヰ(顆藍)」の義〔言元梯〕。(5)味が栗に似ているところから、「クハヰグリ」の略。ハヰは若い意〔滑稽雑談所引和訓義解〕。(6)水生であるところから、「カハイモ(河芋)」の転略か〔和語私臆鈔〕。【発音】〈なまり〉カヰ〔福岡〕グアイ〔島根〕クアエ〔紀州・和歌山県〕クヮイ〔長崎〕グワイ〔愛知・島根〕クワエ〔徳島〕グワエ〔周防大島〕クヮヤー〔佐賀〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安○●●〈京ア〉(0)【辞書】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・言海【表記】【烏芋】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林【慈姑】書言・言海【鳬茈・沢瀉】色葉【鳬茈】天正【図版】慈姑(1)

補注「田烏子(くわゐ)」は、『庭訓往来』十月返狀に付載語で、同時代の『庭訓往来注』に引用されていて、拙論「『庭訓往来註』にみる室町時代の古辞書について―その十六 十月日の返状、語注解―〔駒澤大学総合教育研究部紀要第十号、二〇一六年三月刊の六八一頁~六八四頁に所載〕