武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

091. 再度、エストレラへの旅 -Estrela-

2018-12-25 | 旅日記

 日本からポルトガルへ戻って、車検を受けたり、固定資産税を払ったりその他にも諸々の雑用を早々に済ませて、未だ野の花が残っている内に小さな旅に出ようと思っていた。
 ところが今年は野の花の咲くのが早かったらしく、パルメラの野原にも殆ど目ぼしい花は残ってはいない。
 これは標高の高いエストレラ山地方へ行くしかない。でもエストレラ山には一昨年にも行ったばかりだ。しかも同じ時季に。
 そこで、前回に訪れたコースとは違うルートを考えて計画を練った。
 以前から行ってみたいと思っていたピオーダンとテルマス・デ・モンフォルティーニョをコースに盛り込んだ計画にした。

 

201112 Setubal - Arraiolos - Estremos – Covilhã

 

 家を比較的ゆっくりの出発だ。
 殆どの花が終わっているのに、セトゥーバルを出たあたりから沿道のところどころにチコリの鮮やかなブルーが目立つ。
 アライオロスを過ぎたところの時々寄るドライヴインで最初の休憩。ドライヴインの空き地では水撒きをする為にか、野の花が綺麗に残っている。アナガリス・モネリとシャゼンムラサキの群生が美しかった。
 もう少し走ったところでも濃いピンクの花が目に付いたのでシレネかなと思って停まってみると、ベニバナセンブリの群落であった。しかもその中に珍しい白花を見つけた。その他にもいろいろと咲いている。初めて見る花もある。これは期待できる。
 花を観賞しているところで、白バイの先導で自転車競走の一群が通り過ぎるのを見送った。恐らく100人以上の一群だろうが一瞬だ。
 やがて道は立派な高速になったが、フンダオンの手前から高速を下りて田舎道を行く。このあたりはサクランボの産地であるから、その様子を見ようと思ったのだが、以前見かけた時とは違う道に入ってしまったらしく、あまりサクランボの木は見かけない。
 でも今日がたぶん最終日だろうと思っていた「セレージャ(サクランボ)祭り」に迷いながらも巧く入り込んだ。それを充分見学した後でも、予定していたコビリャンのホテルに明るいうちに到着。

 

13 Covilhã – Piodão

 

 ビュッフェ式朝食を済ませ、フロントでピオーダンへの道を訊ねて出発。フロントのおじさんは細かいところまで教えてくれて的確だ。尋ねて良かった。「ほんの1時間で着きますよ。」とえらく簡単に言ってくれる。
 今日は楽勝だ。途中ゆっくり野の花探索ができるし、スケッチもたくさんできそうだ。

 ピオーダンはかなりの秘境らしく、最近ポルトガル人の間で評判の土地だ。
 ピオーダンにはホテルはイナテルの1軒しかなくそこを予約している。イナテルは半分官営的な宿舎で以前のエストレラの旅でもマンテイガスというところで泊った経験はある。その時も悪くはなかった。今回の旅では一番宿泊料の高い62ユーロである。朝食付き2人の値段でこれが1番高いのだからポルトガルの旅は安あがりで助かる。

 コビリャンのホテルのフロントのおじさんが教えてくれたウニャイスで休憩。水が豊富で古い水車小屋があった。無理やりスケッチをしたがあまり面白くない。黄色のヒメキンギョソウとジャシオネ・モンタナが大株で咲いていた。その後にも今回の旅ではジャシオネ・モンタナが今が最盛期といたるところで咲き誇っていた。

 1時間どころかもう随分と走っている。もうそろそろピオーダンかなと思ったところに標識があった。右もピオーダン、左もピオーダンである。どちらでも行けるのは、まあ、近い証拠。迷わず2人の意見は一致。少し下っている左の道を取った。


01.ウニャイスの町並み


02.右も左もピオーダンの標識

 ところが道はすぐに上りになり、しかもガードレールもない山道である。舗装はされているがガタガタ道である。2~30キロで慎重にのんびり走っているが後ろから追い越していくクルマもなければ、前からの対向車もない。もし対向車が来たら離合は出来ない狭さだ。ところどころで離合ができるふくらみはあるが、そこまでどちらかが下がらなければならないことになる。そのふくらみに停車して野の花探索だ。

 ムスク・マロウやカンパニュラが生き生きと見事に咲いている。停車時間が多かったせいか随分と時間がかかってしまった。やがてピオーダンに着いたのはお昼をかなり過ぎていた。

 ツーリスモでイナテルの場所を確かめて、というより、あれかなと思うところにそれしかなかったのだが、先ずは昼飯である。広場のまん前のカフェテラスで簡単に豚肉のビットークで昼食。
 昼食後、ピオーダンの村を歩き回るが、急な階段道の脇を水が勢い良く流れている。黒豚の子豚かなと思うような黒犬がわき目も振らずに水を飲んでいた。そんな水際にカンパニュラが美しく群生している。


03.ピオーダン全望


04.一心に水を飲む黒犬

 ピオーダンはポルトガルには珍しく黒いスレート石で屋根が葺かれ家の壁も黒っぽい石だ。それに扉がどこも同じ鮮やかな青色に塗られ独特の雰囲気を醸しだしている。
 ぱらぱらと観光客がやってくる様だが、本当にぱらぱらだ。広場に観光客相手のスレート石で家の模型を手作りして売っている露天が2軒あるがあまり売れている様子はない。

 イナテルにチェックインして部屋に入る。部屋からもピオーダン村の全貌が見える。そしてその遥か上方に先ほど自分たちがクルマを走らせてきた道路も見える。恐ろしげなところだ。例えばガラスのコップを型に砂糖をぎっしりと詰め、それを裏返しにして砂糖の山を作る。それに箸の先で横に一本線を引いた、そんな感じの道路だ。

 屋内プールで少し泳ぐ。イナテルのビュッフェ式夕食はワイン以外は恐ろしく不味かった。

 

14 Piodão – Seia

 

 遅い朝食時間の8時半になっても朝食室は未だ開かない。我々を含め数人がホールで待たされている。それから10分が過ぎてようやく扉が開いた。「遅れてごめんなさい」の一言もない。ビジネスマンが決して泊らない宿だから誰も文句は言わない。
 ビュッフェ式朝食は夕食に比べればまあまあであったが、今回のホテルでは料金が1番高い割には最悪と言わざるを得ない。

 昨日来た道とは別の道で引き返した。イナテルのフロントで道を尋ねたが、その入り口は判りづらく、難解であったが何とかパズルを解く要領で道を見つけた。

 このあたりにはピオーダンと同じ黒いスレートの村が点在しているがピオーダンよりさらに小さい。ピオーダンの特徴は白く可愛らしい教会を黒い家々が取り囲んで山の上まで伸びていっそう特徴を作っているところだろう。
 昨日の道の三分の一程で分岐点まで来てしまった。

 ヴィデからいよいよエストレラ山国立公園内の道路になるが、以前のエストレラ山の道とは随分と雰囲気が違う。やはり停まり停まりでゆっくり進む。前回は山頂を過ぎた付近で見事なエリカの群生地に感動したが、このあたりでもピンクや白のエリカが今が盛りとたくさん咲いている。

 きょうの予定地セイアに昼前に到着。ホテルにチェックイン。表は2階なのに裏から見れば6,7階の最上階である。

 早速お昼を食べにパン博物館へ向う。博物館併設のレストランは評判のレストランだ。前菜とデザートは食べ放題のビュッフェ式でメインディッシュはその日の魚料理と肉料理の両方が付く。
 僕たちが入った時には未だ少し空席があったがすぐに満席になった。比較的広い店内だが余程人気が高いのだ。前菜もメインも昨日とは打って変わって美味しかった。そしてウエイトレスやボーイもてきぱきとして感じが良く、もっと近ければたびたび訪れたいレストランだ。


05.パン博物館併設レストラン


06.パン博物館のショップ

 ひと通りパン博物館も見学して帰りにバン切りまな板と博物館製手作りクッキーをお土産に買う。
 食事の前には小学生の団体で大勢だったパン博物館はその時間になると、レストランに比べると空いていて殆ど僕たちだけであった。博物館は観ないで食事だけに来る人が殆どなのだろう。まあ、1度観ればそれで良いところだ。ポルトガル国内の地域のパンが模型で展示されていて興味深かった。本当に地域によっていろいろとあるのだ。

 僕たちもポルトガルに来てパンの美味しさに目覚めたと言ってよいのかも知れない。日本に帰って「このパン美味しいから食べてみ」と言われても、全く違うのだ。日本のパンはどれを食べても同じ、ポルトガルのパンに慣れてしまうと日本のパンの味が判らなくなってしまう。

 昼食はゆっくりたっぷりだったので夕食は町角のカフェでビールとつまみのトレモス(ハウチワマメ)だけ。

 

15 Seia - Gouveia - Folgosinho - Linhares – Covilhã

 

 今夜のホテルだけ予約はしていない。どこまで行けるかが判らなかったので、予約はしなかったのだ。明日のホテルはスペインとの国境にあるテルマス・デ・モンフォルティーニョにとってある。そこまで行くにはグアルダかベルモンテに今夜の宿を取れば楽勝なのだが、もっと先の先日泊ったコビリャンまで行けるともっと良いと思っていた。


07.ゴウヴェイアの教会前でエコを訴えるパレード


08.フォルゴシーニョの洗濯場

 先日のコビリャンのホテルは安くて良かったのだが、ネットで調べてみると、グアルダやベルモンテにはあまり安くて良さそうなホテルは少ない。その点、コビリャンは安売り競争をしているのかも知れない。といっても旅を急いでも仕方がない。見るべきところはしっかりと見ておきたいし、野の花も見逃せない。
 この辺りにも絵になる小さな村々が点在している。ただどこも黒い石作りの家々で、僕の絵の色彩が変ってしまいそうだ。

 グアルダからは高速に乗り一気にコビリャンに着いてしまった。同じクルマでも山道を30キロで走るのと高速を120キロで飛ばすのでは勿論違うはずだ。今まで地図上の小さな文字を追っていたのが、こんなに飛ばしてしまって良いのだろうか?と思ってしまう。

 コビリャンに着いて先日のホテルに電話をしてみた。料金はネット料金にはならなかった。でも普通料金よりは少し値引きをしてくれた。

 

16 Covilhã - Idanha a velha - Monsanto - Termas de Monfortinho

 

 今回の旅の締めくくりは温泉である。アルガルヴェ地方の温泉地カルダス・デ・モンシックにはたびたび出掛けていたが、昨年通ってみると、残念ながら愛用していたレシデンシアルが閉鎖されていた。しかたなく水だけ汲んで帰ったが、非常に残念である。そのレシデンシアルの風呂に入ると肌がすべすべになりポルトガルでの温泉気分が味わえたのに。
 テルマス・デ・モンフォルティーニョも温泉として有名なところらしく一度行ってみたいとかねてから思っていた。そして手ごろなホテルをネットで予約しておいた。

 そこに行く前に何年ぶりになるだろうか?恐らく10年以上は経っているだろう。イダーニャ・ア・ヴェーリャとモンサントに寄り道をして行く。


09.イダーニャ・ア・ヴェリャの町角


10.モンサントの家

 以前に訪れた時はは寒い12月だった。
 イダーニャ・ア・ヴェーリャは大規模な発掘調査中であちこちが掘り返されていた。カフェに入ると暖炉の火がぱちぱちと爆ぜていたのを覚えている。

 モンサントでは一軒しかなかったポウサーダに大晦日に泊った。元旦の朝、窓を開けるとその晩に降った雪で風景は雪化粧に一変し印象的な出来事であった。

 今回は夏、6月の昼間の一番長い時である。イダーニャ・ア・ヴェーリャの発掘調査は未だ続いている様であったが、すっかり整備されて綺麗に生まれ変わっていた。
 村の入り口には観光バスが何台も駐車できそうな駐車場ができ、そこから鉄板の遊歩道を歩いて村に入る仕組みになっていた。でもその日は観光客は全くなく、村人は僕たちの訪問を怪訝そうに見ていた。
 古い教会の鐘楼の上にはコウノトリの家族が大きくなってしまったひな鳥に手狭そうだった。
 昔も訪れたローマ橋まで行ってみると、突然大音量のファドが聞こえてきたかと思うと、移動魚屋さんのクルマがのんびりと走ってきた。何だか日本と良く似た田舎の風景だ。

 モンサントでも入り口の駐車場にクルマを停めて歩いた。
 以前止まったポウサーダは民間のホテルに売却したらしいが、そのホテルも営業を止めている様子だった。
 遊歩道は以前より整備されていて、お城の裏側から登れる道がハイキングコースの様に出来ていて、その道を上ったが、岩山の花々が美しかった。鮮やかなピンクのシレネ(ナデシコ)の群落あり、黄色いキスティスの群落あり、可愛く矮小化したジキタリスがひっそりと花を付け、又、白いキンギョソウが岩の僅かな隙間に生育し、本当の天然のロックガーデンが見事であった。この長い道のりで真っ黒に陽焼けしてしまった。

 モンサントからペーニャ・ガルシアを横目でにらみテルマス・デ・モンフォルティーニョまでは僅かな距離である。その町自体は何だか寂れた感じを受けたが、ホテルは素晴らしく部屋も申し分なかった。早速、シャワーを浴びプールでひと泳ぎ、プールサイドで冷たいビールを飲んだ。


11.モンフォルティーニョのホテルのプール

 スペイン国境にあることもあるが、スペインからの観光客が殆どだったが、空いていた。スタッフもスペイン語訛りのポルトガル語で聞き取りづらかった。
 昼食はモンサントの麓のレストランでたっぷり食べたので夜はビールだけ。旅に出ると外食ばかりだから、量が多く、どうしても食べすぎるので夕飯を食べないことがよくある。
 プールとお風呂で肌はすべすべになっていた。やはり温泉成分があるのだろう。

 

17) Termas de Monfortinho - Idanha a Nova - Crato - Ponto de Sol – Setubal

 

きょうは帰るだけ。夜遅くに着いても一向に構わない。
 以前にはイダーニャ・ア・ヴェーリャには行っているが、イダーニャ・ア・ノヴァには行っていないから寄って行くことにした。

 テルマス・デ・モンフォルティーニョで温泉水を汲んでくるのを忘れたので、そのあたりの温泉を地図で調べると、モンテ・ダ・ぺドラという地がある。そこまで田舎道をのんびりと走ってその町の中心地に着いたので聞いてみると「今は出ていない。数年前に枯れてしまった。」と言う。この辺りも山火事が多かったので枯れてしまったのかも知れない。でも温泉の標識はそのまま残されている。

 そしてクラトのお城の下あたりで以前にもスケッチをしているが、そこで再度スケッチをしたくて寄ることにした。


12.クラトでスケッチ

セトゥーバルの我が家に戻ったのは未だようやく薄暗くなりはじめた頃だった。セトゥーバルの6月は10時になっても未だ明るい。
VIT

 

(この文は2011年7月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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