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第二次大戦中 DDTは大量に必要とされた。
腸チフスやペスト マラリアと言った死を招く伝染病を媒介する
シラミやハエやカの駆除に効果を発揮した。
連合軍がナポリを開放したときには
腸チフスの蔓延を一掃するために
住民はひとり残らずDDTを浴びせられた。
徴兵された兵士たちも まずDDTの洗礼を受けた。
下着にも毛布にも粉末がふりまかれた。
特に熱帯地方では 日常的に使用された。
死病を媒介する昆虫を殺す能力から
DDTは連合軍の新兵器と讃えられた。
当初 DDTは現代科学がもたらした新たな奇跡と思われた。
それまでの農業は虫害との闘いだった。
作物はしばしば全滅し 昆虫は人間にとってだけでなく
「大地の健康」にとっても大きな脅威だった。
DDTは昆虫との戦いに勝利を約束した。
家庭でも「昆虫爆弾」と呼ばれる噴霧器でふんだんに使用された。
1950年代の広告は アリやハチに襲われて大慌てのピクニックや
虫害で全滅した畑は もう過去の出来事だと宣伝した。
DDTは人畜無害の素晴らしい発明とされ
極端な例では アルコールがよく回るからという触れ込みで
ジンにDDTを一滴たらした「ミッキィ・スリム」なる飲み物が出来たほどだ。
DDTは20年以上もの間最もよく使われる殺虫剤として親しまれ
世界各地で 食物生産の増加や 昆虫媒介伝染病の抑制に大きな役割を果たした。
熱烈な使用推進者たちは DDTおよび関連の殺虫剤は
世界中で一億人以上の命を救ったと評価していた。
人々の祈りにこたえるかのように この驚異的な薬剤は
第三世界でいくつかの恐ろしい病気を根絶し
それにも増して不可欠な食料供給の増大を実現した。
1948年 パウル・ミュラーは
DDTの強力な殺虫力を発見した功績から
ノーベル医学生理学賞を受賞した。
ストックホルムの授賞式でミュラーが人々の拍手と
カメラのフラッシュを浴びていたころ
ニューヨークでは彼とは対照的に無名な二人の科学者が
DDTに関して妙な実験をしていた。
シラキュース大学のフランク・リンデマンとハワード・バーリントンは
DDTが昆虫だけでなく動物にも影響を与えるかどうかを調べていた。
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この研究こそDDTの遅効性でわかりにくい効果について
はじめて警告したものだった。
だがこれらの発見に関する論文は1950年に発表されたものの
直ぐに忘れ去られその重要性が理解される事も無く
何年もの間埋もれていた・・・
2020年 4月 古き良き時代
ずっとずっと昔
このドラム缶でごみを燃やしていました
焼き芋もできたけれどなぁ・・・
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