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マクラクランと共にDESと前立腺がんに関する研究をしたこともあるリスト・サンティ教授は
フィンランドで輝かしい業績を築いた。
彼はフィンランド医療審議会の会長や トゥルク大学医学部の副学部長をつとめた。
彼が全キャリアを通じて深い興味を持っていたのは
合成エストロゲンDESが男性生殖器 とくに前立腺に及ぼす影響を解明する事だった。
彼は数多くの論文を発表し 国際会議で講演し この研究に全身全霊を打ち込んだ。
1993年に父親が死んでまもなく 彼のもとへ母親から
思いがけない要件の電話がかかった。
母親は第二次大戦中フィンランド陸軍に従軍した夫が
戦地から送ってよこした手紙を整理していた。
その中から 1942年の妊娠中に診察を受けていた
フィンランドの一流産婦人科医からもらった処方箋が何枚かあったというのだ。
「あなたがお腹の中にいたときにどんな薬を飲んだか 知りたい?」と彼女は尋ねた。
「もちろん聞きたいとも」彼は答えた。ごく普通の鎮痛剤か何かだろうと思っていた。
母親は処方箋を読み始めたが 専門用語につまずいた。
そこで つづりを一つひとつ読み上げた。
それを聞いた彼の驚きとショックは およそ表現しきれない。
母親は息子の逃れようのない未来を読み上げたのだ。
妊娠中に飲んだ薬は まさに彼が生涯かけて研究してきた
あの悪名高いDESだった。
運命などという非合理な力は信じない科学者ではあっても
あまりにも残酷な偶然だった。
最初 頭から否定してかかった。母親は息子の激しい反応に当惑した。
息子の研究について詳しく理解していなかったし 彼も母親には教えなかった。
息子に頼まれた通り 母親は処方箋を郵送した。
いざ黄色い用紙に書かれた処方箋をまのあたりにすると
彼は激しい動揺を抑えきれなかった。
はっきり書かれた日付 短い殴り書きの古びた処方箋は 彼の心をかき乱した。
さらに悪い事に 母親がこの薬を処方された時期が決定的だった。
唯一の希望は何らかの理由で彼女が薬を飲まなかったことだ。
母親はすでに80歳をはるかに超えているので 彼はあえて聞こうとはしなかった。
長年の研究からDESと前立腺がんとのつながりを知りすぎているほど知っていた彼は
その代わりに検査を受けた。
前立腺がんの初期の警告である抗原の存在は 簡単な血液検査だけで調べられる。
腫瘍の有無を知るには時期が早すぎたものの 結果は陽性だった。
「これ以上の検査をお望みですか?」担当医が訊いた。
すべては戦争中 自分の誕生以前にあらかじめプログラムされていたのだ。
彼はその事実をかみしめた。
もちろん 症状が出ればそれを治療することはできる。
だが 癌の成長を止めることができないのは
長年の経験からわかりすぎるほどわかっていた。
がんは着実に進行する。医師としてこの病気の経過を
一部始終知り尽くしてはいても それから逃れるすべはなかった。
不妊症・不育症難民の苦悩 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と不要不急
tamara-de-lempicka:
Portrait of Suzy Solidor, 1933, Tamara de Lempicka
2 weeks ago / 34 notes / Source: tamara-de-lempicka
https://fancylady2012.tumblr.com/post/615436645251039232/tamara-de-lempicka-portrait-of-suzy-solidor
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