
「明治日本の産業革命遺産」は8県11市にわたる23の資産が指定されています。萩市にはその内5資産が指定されています。
1.恵比須ケ鼻造船所跡
萩藩は1856年から造船所を作り、幕末に2隻の西洋式帆船を建造しました。
1隻はロシアの技術で作られた「丙辰丸」、もう一隻はオランダの技術で作られた「庚申丸」です。
その造船所の遺構が確認されています。
2.ペリーの黒船来航後
江戸幕府はペリーの黒船来航後の1853年に大船建造禁止令を解禁し、翌年萩藩に軍艦を建造するよう命令を出します。
3.萩藩の洋式軍艦建造の決定
1855年に萩藩は洋式軍艦を建造することを決定します。
当時伊豆半島でロシア人海軍将校が地元の船大工を使い西洋式木造船を建造しており、萩藩の船大工棟梁を製造現場へ派遣します。
建造に携わった技術者を招へいし、1856年に造船所の建設を開始しました。
5.切組小屋跡地
完成した2隻の西洋式軍艦です。
丙辰丸:全長25m 1856年に進水 藩の主力艦として海軍の練習と国内交易に利用
庚申丸:幕府が開設した長崎海軍伝習所のオランダ人教官が教えた技術が用いられました。
全長44m 1860年に進水 1863年の下関4か国艦隊との交戦で撃沈されました。
4.史跡萩反射炉
もう一つの世界遺産構成資産は「恵比須ケ鼻造船所跡」の南側の丘の上にある「萩反射炉」です。
5.萩反射炉
高さ10.5mの煙突にあたる構造体がほぼ当時の形で保存されています。
6.萩反射炉の説明
幕末に蘭書によって日本に反射炉の知識がもたらされ、旧来の大砲に変わる鉄製の洋式大砲を必要とした幕府や一部の藩がその導入に踏み切りました。
九州の佐賀藩が日本で最初に反射炉を完成させ、薩摩藩、伊豆韮山代官所(幕府)、水戸藩、萩藩が続きました。
7.反射炉の構造
萩の反射炉は1858年の一時期に「雛形」が操業された記録のみが残っています。
このことからこの反射炉は試作的に造られたものと考えられています。
9.萩の世界遺産
このほか「大板山たたら製鉄遺跡」、「萩城下町」と「松下村塾」が世界遺産に指定されています。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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