聖福寺の北側、かつて普賢菩薩をまつる仏堂がありましたが、江戸中期には消息不明となっています。
明治期から大正期にかけて浪曲師などの芸人が多く住み、「芸能横丁」とも呼ばれたそうです。 . . . 本文を読む
1.大博通り蔵元交差点付近
大博通り呉服町交差点の一つ北に位置し今ではビジネス街となっていますが、江戸期は豪商の屋敷が集まっていました。
2.島井宗室屋敷跡の碑
織田豊臣期に神屋宗湛とともに活躍した豪商島井宗室の屋敷跡の碑があります。
島井宗室は慶長15年(1610年)に「遺訓十七条」を子孫に書き残し、5年後に77歳で他界しました。
遺訓は分散投資や人付き合いの注意点、倹約など現代にも通じる . . . 本文を読む
1.神屋町交差点付近
新しい町名では交差点西側の左側が奈良屋町、右側が神屋町です。
2.下市小路の碑
北から旧「下市小路」「中一小路」「上市小路」がありましたが、大博通りが拡幅され、ほとんど消滅しました。
3.魚腹地蔵
下市小路の碑の角を西に入ると、すぐ左手のビルの陰に大きな地蔵が祀ってありますが、長い説話が残されています。
平家が壇ノ浦で滅亡する頃、源氏一族の父が戦死した「六郎」と . . . 本文を読む
ご挨拶
2010年よりスタートした「上海下町写真館2010」は、画像ファイルが5000枚以上となり、3Gの制限を超えてしまいました。
9月19日より新しいアドレス「上海下町写真館2014」にて継続しますので、お手数ですがブックマークの変更をお願いします。
引き続きご来訪をお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。
haichaolu . . . 本文を読む