
室町時代周防国からから勢力を広げ、最盛期には山陰・山陽・北九州を治た大内氏滅亡の後、館跡には毛利氏によって龍福寺が建立されました。
1.大内氏館跡
西国唯一の戦国大名となり隆盛を誇っていましたが、家臣の謀反により31代で滅亡しました。
その後、周防の実権を握った毛利氏により1557年に大内氏の菩提を弔うために龍福寺が建立されました。
2.大内氏館跡の説明
山口を拠点とした大内氏は海外との交易で得た富の蓄積により、山口を西日本の政治経済の中心地とし、京都をしのぐほどの富と文化を誇りました。
3.参道の紅葉
大内氏24代の当主大内弘世が山口を本拠地としたとき、京都を模し「城」ではなく「館」として1360年頃建てられました。
4.大内氏の隆盛
大内氏の繁栄とともに「西の京都」として栄えましたが、弘世の子大内義弘の代から手狭となり、以後最低5回は増築が繰り返されたことが発掘調査により確認されました。
5.大内氏の衰退
1551年、家臣の陶孝房の謀反による騒乱で義隆は自害、山口は灰塵と帰しました。
義隆の死後、陶氏は義隆の身内を擁立し傀儡政権を樹立しました。
6.大内氏の滅亡
1556年毛利元親が侵攻し陶氏傀儡政権を駆逐しました。
翌年、同地に毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うために龍福寺を建立しました。
昭和34年に国指定史跡となり、発掘調査や復元整備が進められました。
平成29年には続日本100名城に選定されました。
今回の旅は山口県の歴史と文化に触れることができました。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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