フィリピンライフ「バタンガス海の家」&ドゥマゲティ「ゲストハウス」シエスタカーサ。

バタンガス「海の家」ドゥマゲティ「ゲストハウス」(2019年8月オープンも現在休業中)。現地情報&日々の出来事。

フィリピンへの道、その7。

2020-04-17 16:00:46 | フィリピン暮らし

ゲスト数も、倍々で増えて行き、同時に増築を進めた。3年目には、部屋数14室、スピードボート3隻、気が付くとスタッフも正規15名、パートタイム15名に膨らんでした。超忙しい正月の二日に信頼していたスタッフのベットが反乱を起こした。「悪いけど今日で全員辞める」、ゆっくり話を聞いても同じ答えだった。直ぐマカティに居るカミさんに電話して対策を考えた。当時、税務署に努めていたカミさんは会社の代表、雇用問題にも詳しかった。直接彼女からベットに電話を入れ、先ず退職勧告は最低2週間前と定められており、退職金は出せない。さらに、全員が辞表を出す事を条件とした。その日の夕方、15名のパートタイマー全員に、明日から働いてもらう為、兄弟姉妹を引っ張って来させた。翌日は、難なくクリアー。次の日ベットが、あれは冗談だった。と、言って来たがカミさんは拒絶。しかし、惜しい人材も3人ほど居たのでアルバイトで再雇用。ベットは捨て台詞で去って行った。結果的に、膨らみ過ぎた人間を一気に整理できたし、適材適所が行き届きコストも大幅に下げられた。続く。https://www.youtube.com/watch?v=yt_k70KHX7Q&t=13s

当時の写真

 


フィリピンへの道、その6。

2020-04-17 08:58:50 | フィリピン暮らし

セブでやり始めた、その少し前に、バタンガスで日本人学校中学部生徒1名がダイビング事故で死亡。詳しい事故の経過を、ダイビング仲間のピーター(アメリカ海軍MP、軍の中の警察)から聞かされた。彼は、事件当時現場に居た。北海道からフィリピン駐在にやって来た家族3人は、日本人インストラクターとそのリゾートにやって来た。生憎と台風が通過した後で濁っており、そこに魚突き目的で来ていたピーター達はダイブを断念していた。やって来た日本人グループに対し、今日は無理だと言ったものの日本人家族とイントラはエントリー。直ぐに親父さんとイントラは浮上、しかし母親と息子は揚がって来なかった。直ぐにピーター達が捜索開始、夕方頃に母親のみが浜に打ち上げられた。息子は翌日朝死体となって発見された。この痛ましい事故で大使からも自粛要請が出された。マニラ近郊でのダイビングがいきなり下火となり、当時のインストラクター2名は帰国。セブからバタンガスに戻った頃もダイビングは敬遠ムードが漂っていた。しかしながら大使の帰任と共にダイビングが復活。急に忙しくなった、気が付けば日本人インストラクターは自分だけ。とてもハンドリングできなくなり、拠点造りを決意。日本人初の施設が完成した、土地はレンタル、器材はマニーさん、宿泊はテント。まるでキャンプ地だった。続く。https://www.youtube.com/watch?v=yt_k70KHX7Q&t=12s