フィリピンライフ「バタンガス海の家」&ドゥマゲティ「ゲストハウス」シエスタカーサ。

バタンガス「海の家」ドゥマゲティ「ゲストハウス」(2019年8月オープンも現在休業中)。現地情報&日々の出来事。

フィリピンへの道、その9。

2020-04-18 14:46:38 | フィリピン暮らし

セブ最南端、バタンガス、そして3度目のダイビング拠点。浜辺の掘立小屋がスタートとなった。スタッフの棲家に最小限の器材で開始。頼りにして来たマニーさんは病気で既にダイビングから身を引いていた。そんなある日、俺の従妹に会ってくれと言うので「各国の大使連中」が住むエリアに出掛けた。挨拶の後「マニーが借りてるお金」を清算してあげると言って小切手を2階から持って来た。しかし、今は残金が足りないので連絡する。良く判らない訪問だったが、元大金持ちだった事は察せられた。それから数ヵ月経って、マニーさんは息を引き取った。そんな状況下でも、運営の方は割に順調に推移。カミさんの経済感覚に助けられている。続く。https://www.youtube.com/watch?v=yt_k70KHX7Q&t=4s

拠点のバリテ村。

 


フィリピンへの道、その8.

2020-04-18 08:31:19 | フィリピン暮らし

当時、下宿近所の雑貨屋は数件あった。何故同じ所に行ったかと言うとカミさんが店番をしていたから。関心のあるような素振りは一切見せなかった、常に話し相手はおばさん。母親から娘を連れだしてくれと言われる始末、役者になりながらも交際が始まった。結婚式は、ドマゲッティの実家。そして、下宿部屋がそのまま住居になった。なんせ大家族、ざっと20人が同じ屋根の下で暮らしていた。ダイビングリゾートも順調に動いていたが、持病の腎臓でダウン。入院、手術の展開中に施設の売却を決意。結局自身の力不足、スタッフの反逆もかさなり、全てがパー。振出しに戻った、精神的肉体的にも最低ライン。何かをしなければ。プレッシャーを課していた時に、ヨットスクールをやりたくなり近郊の湖でスタート。同時に小型ヨット製作も開始、週末は模擬レースに明け暮れた。5年近くやったが、カミさんから退却命令。これ以上は、経済的に無理。もう一度ダイビングに戻って娘の学費を稼げと尻を叩かれた。続く。https://www.youtube.com/watch?v=yt_k70KHX7Q&t=4s

近郊の湖。