最後の私の付添いはトランジスターラジオ か

2015-10-04 16:28:47 | 日記

2009年度あたりから 私は 何かの業に取り付かれたように 入院生活に入った。

それまで 病気らしい病気は何一つなかった。軍隊生活で鍛えられた 体は そんなに

もろいものではなかった。

登山なんかの行事では 生徒たちと登山競争を引けをとったことはなかった。

ところが80の坂を越えたころから 血圧が上がってきた。血圧ということなんか頭の隅にもなかったから

バイクを駆って200キロくらいは走っていただろうか。そんな時 はょうは頭がふらつくなあと思って

循環器の診察を受けた。血圧計輪は買っていた先生が急に怒りだした。

「あんた 自殺でもするつもりか。ぬ血圧200も出して よくバイクは知らせられたものだね。

すぐ入院してもらいます。」そのまま九州大学に連れて行かれた。

入院生活というのは 生まれてはじめてであったから 珍しさもあって 2,3日は好奇心もあったか

診察や諸検査の結果がわかるにつれて、大変な事態になっているということがわかった。

煮誘引は一ヶ月も続いた。退院の日の担当の先生から『あんたはまた直ぐも取ってくるかもしれない

 そのときは直ぐに入院してくださいよる」

毎日の入院生活というものは ほんとに味気ないものだ。入院食も同じことだ。

それを 慰めてくれたのか 100円ショッブでかい求馬手板トランジスターラジオだった。

 

年が明けて 年末も地被くころ 潰瘍性大腸炎と診断されて、再び入院生活に入った。

そのときの付き添いも 例のトランジスターラジオであった。12月31日だめだという担当医

の助言を無視して強制退院した。

 

天罰であろうか。翌年は狭心症を起こして入院、その最中に 「肺がんが」発見された。

80才異常を長高齢者というらしい。生存率35%だそうである。

手術は最近の可視化手術で右肺二室を虫の取った。そのときも長い入院になったが

付き添いは トランジスターだけである。女房も80を超えているる老老介護といっても

つき財布可能である。病気になったら不義理をしてもご免なという間柄だ。

頼る歯彼も年老いて付き添ってくれる 私の忠実な友である


情けない国会。議員 総入れ替えを。

2015-10-04 06:26:59 | 日記

私たちは つい此の前 国の形に 大きなかかわりを持ち 国民の生活基盤をを

大変容させるような 法律を 札決した。

私たちは 民主主義な議会で 手続きを踏んで 決定されるものと思っていた。特に 今回のように 

国論が半部に分かれてしまうような 問題は特に拙速に ことを決めてはならない。

ましてや 52%程度の投票率で 多数を得て内閣を作っているものが 憲法を無視して

決定すべきものではない。

民主主義という政治のルールは 必ずしも完全なものではない。選択肢の一つに過ぎない。

その中から独裁者ヒットラーという 魔王が誕生したのである。

「決める政治に」国民は酔うているようだ。政治には決めていいものと、決め手はいないものがある。

政府がいかなる弁解をしようとも 此の法律では 総理大臣の鶴るの一声で戦時体制が

取れるからである。

最近の 公安警察の動きは活発だ。しかし是に対してその非民主政治を抗議するものは独りもいない、

穂が国は いまや無法地帯でもある

激しい自然災害。公務員 特に警察官、学校職員、上場企業 、ゆきずり殺人などむしろそちらが国民の生命財産んを根底から覆している。

しかし 政府は口を開けば国民のというが あれは虚言か。

串間東北父として 視う服は進まないうちに 再び冬を迎えようとしている