2009年度あたりから 私は 何かの業に取り付かれたように 入院生活に入った。
それまで 病気らしい病気は何一つなかった。軍隊生活で鍛えられた 体は そんなに
もろいものではなかった。
登山なんかの行事では 生徒たちと登山競争を引けをとったことはなかった。
ところが80の坂を越えたころから 血圧が上がってきた。血圧ということなんか頭の隅にもなかったから
バイクを駆って200キロくらいは走っていただろうか。そんな時 はょうは頭がふらつくなあと思って
循環器の診察を受けた。血圧計輪は買っていた先生が急に怒りだした。
「あんた 自殺でもするつもりか。ぬ血圧200も出して よくバイクは知らせられたものだね。
すぐ入院してもらいます。」そのまま九州大学に連れて行かれた。
入院生活というのは 生まれてはじめてであったから 珍しさもあって 2,3日は好奇心もあったか
診察や諸検査の結果がわかるにつれて、大変な事態になっているということがわかった。
煮誘引は一ヶ月も続いた。退院の日の担当の先生から『あんたはまた直ぐも取ってくるかもしれない
そのときは直ぐに入院してくださいよる」
毎日の入院生活というものは ほんとに味気ないものだ。入院食も同じことだ。
それを 慰めてくれたのか 100円ショッブでかい求馬手板トランジスターラジオだった。
年が明けて 年末も地被くころ 潰瘍性大腸炎と診断されて、再び入院生活に入った。
そのときの付き添いも 例のトランジスターラジオであった。12月31日だめだという担当医
の助言を無視して強制退院した。
天罰であろうか。翌年は狭心症を起こして入院、その最中に 「肺がんが」発見された。
80才異常を長高齢者というらしい。生存率35%だそうである。
手術は最近の可視化手術で右肺二室を虫の取った。そのときも長い入院になったが
付き添いは トランジスターだけである。女房も80を超えているる老老介護といっても
つき財布可能である。病気になったら不義理をしてもご免なという間柄だ。
頼る歯彼も年老いて付き添ってくれる 私の忠実な友である。