創作 「不思議な半年」-②
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事務の女性に奇麗な子がいた。制服のせいで24歳くらいに見えたがまだ20歳の名を鳥飼美由紀といった。営業所のマドンナ的な存在だった。私は年甲斐もなく自然に惹かれていった。つまり片思いの恋に落ちた。そんなせいもあって仕事をするのが会社に行くのが楽しくて仕方がなかった。私は今までどんな会社で働いてきたのだろう。どんな仕事を選んできたのだろうと思えた。一方川本と云う男が理不尽に私に接し教育した。恐ろしく車の運転やフォークリフトの操作がうまかった。特にフォークリフトの寸分たがわぬその運転は見事だった。
この男、実際に路上で運転しても良いかの試験官もしていた。私は運転にはいささか自信があったが同期入社のもう一人は「こんな運転じゃとてもじゃないが駄目だ」と班長に伝えるため無線で言うものだから全車に聞こえるのだった。夜、所長と係長と私と川本の4人になって雑談をしていて、私が意見を言うと飛び掛かって来て椅子ごとひっくり返したりもした。そんな時、ふわりと床に落ちどこも痛くはなかった。まるでスローモーションで落ちたかのように不思議な落ち方をした。
川本は「お前なんぞ何時でもクビに出来る」と息巻いた。私はホーム作業は一人だったので自由にアイデアを実現し、工夫し仕事を楽しんだ。所長が私を二階に連れて行って「私が所長になる時会社はテストをした。自然に普段の生活の中で教育される。30キロのところは30キロで走るようになる。」と言った。別の日には「あなたはおかしいという人が居る」とも言われた。おかしくもなる。通勤は50ccのバイクでしていたが、家でも出勤途中でも職場でも常に様々な方法でメッセージが届くというか、他人には言えない事だった。当時私はM運輸が5万5千名の組織力を以てやっていることだと思っていた。
日経のコラムにしても東京本社の人が何らかの意図で記者に書かせようと思えば可能だと思っていた。ローカル局のKBCの深夜番組「ドオーモ」がドオーモ新聞を作っていて市内の各所に置いていた。それを持って来て二階の休憩室に置いた。そして机に向かって電話を取ると「どおーも、や、どおーも、こりゃまた、どおーも」と男は言うのだった。おかしいというよりまた始まったなと思って平静を装って処理したけれど、それは主管支店からのもので一応用件はあった。しかし、何処かにカメラが仕掛けてあると天井を見回したりした。
また例の所長候補は電話を受けて「なんだあ、この電話は・・」と立ち上がって明らかに狼狽して後退りした。そんな時私はああこの男にも何かが起こっているなと思った。
私は50ccの原付バイクで通勤していたが、M運輸は安全運転の規則も徹底していた。集配中は40キロ、地区への行き帰りも50キロを超えて運転することはできなかった。タバコを吸いながらの「ながら運転」も禁止。原則としてバックも禁止だった。バックしないで一周するように・・。
原付バイクも30キロを守って運転するようになったが川本の言動に憤って帰ることもあった。国道は気のせいではなく私が憤って走ると全体が素早く流れ落ち着いて走ると静かに流れるのであった。そんなはずは無いと途中でバイクを止めて気味悪がったりもした。
ーつづくー