「浮かない顔してどうしたの?心配事?」
「心配事・・・に、なるんすかねぇ」
「ハッキリしないねぇ。折角のハンサム顔が台無しだよ」
「ハンサム顔って・・・久々に聞きましたよ」
愛妻弁当に箸をつけていた総二郎は、職場の貫禄ある熟女先輩の言葉に思わず苦笑いすると、その手をふと止め軽く息を吐いた。
つくしの退院祝いと称し、あきら達が牧野邸に押し掛けてきたのは2ヶ月前の事。
多忙を極める三人が一堂に会する事などなきに等しく、それを充分承知しているからこそ、総二郎はつい三人を引き留め夜通し盛り上がってしまった。
あきらと類はそうなる事を見越していたのか、翌日の午前中まで休みをとっていたようだが、司はそこまで気が回らなかったらしく、夜明け前に何処からか現れた秘書に叩き起こされると、そのまま連行されてしまった。
そして何故か、この日を境に妻であるつくしの様子がおかしくなっていった。
一点を見つめ厳しい顔をのぞかせたり、眉間にシワを寄せ思い詰めた表情を浮かべたりなど、物思いにふける時間が増えていったのだ。
それとはなしに何かあったのかと訊ねてみたものの「何でもない」の一点張り。
話が平行線で終わる。
正直、総二郎もお手上げ状態だ。
「問い詰めれば問い詰めるほど、意固地になりそうだしなぁ。いや、なりそうって言うか、絶対意固地になる。どうしたもんか」
「術後の経過が思わしくないだとか、実は違う病気も併発していたのが発覚しただとか、病気にまつわる事を言えずに悩んでるのかもよ?」
「それはないっすよ。経過は順調だし、心臓以外は問題ないし」
「う~ん・・・じゃあ、何で悩んでるんだろうねぇ」
「ですよねぇ」
100%大丈夫とは言いきれないが、今のところはつくしの体に異常はないし、術後の経過も安定している。
定期検診には総二郎も必ず付き添っているので、彼女の体が病魔に蝕まれていない事も承知している。
こちらが驚くくらい、心臓以外は丈夫なのだ。
となると、病気以外で頭を悩ませている事が分かってくる。
ただそれが、何に対しての悩みなのかが分からないのだ。
「アイツらが遊びに来た直後から、様子がおかしくなったんだよなぁ」
「アイツらって、牧野君のお友達の事かい?」
「ええ。俺の幼馴染み達ですよ」
「・・・それだ」
「はっ?」
「だから、気が鬱(ふさ)いでる原因だよ」
明後日の方向を見ながら不気味な笑みを浮かべた熟女先輩は、怪訝そうな顔をする総二郎を置き去りに、お弁当をつつきながらまくし立てた。
「ほら、アレだ。焼け木杭(ぼっくい)に火が付いたってヤツよ」
「はぁ!?」
「遊びに来た友人の中に奥さんの元彼氏か、奥さんが好きだった人、いたんじゃない?」
「・・・ああ、いましたね」
「それそれ!旦那の事は好きだけど、でも元彼氏や好きだった人の事も忘れられない。久しぶりに再会して、胸のトキメキを覚えたんだね。抑えられなかったんだよ。幸せな家庭を壊したくないけど、女としての自分の幸せも手に入れたい。正に、板挟みだよ。胸が苦しくて切なくて、憂いちゃってんのよ。熱いパッションがたぎっちゃってんのよ。昼ドラの世界だねぇ~」
自分がたてた仮説に熱弁をふるい、どこぞのラブソングの歌詞みたいな事を口にしてウットリ酔っている熟女先輩を後目に、総二郎は愛妻弁当をひたすら掻きこみながら、今夜にでも膝をつきあわせ話し合ってみるかと呟いた。
そして、その日の夜。
修平を寝かしつけ、一息つく頃合いを見計らった総二郎は、つくしを寝室に誘(いざな)い、胸の奥につかえているモンを吐き出してみろと、穏やかな口調で促した。
「そろそろ打ち明けてくれてもいいんじゃね?一人で悩んでても答えは出ねぇだろ。そんなに俺は頼りない夫か!?」
「ち、違っ!そうじゃないの!」
「じゃあ何だ?俺らは夫婦だろ、一つの家族だろ。デケェ壁が立ち塞がっても、一緒に乗り越えていこうって約束したじゃねーか。まさか忘れたのか!?」
「忘れてないよ!」
「じゃ、話してくれよ。俺はさ、お前の翳(かげ)った顔なんざ見たくねぇんだ。お前には笑顔でいて欲しい。憂いがあるなら取り除いてやりたい。だから頼む、何を悩んでいるのか教えてくれないか?じゃなきゃ、前に進めない」
まさか、熟女先輩の言うような『焼け木杭に火が付いた』という訳ではないだろうが、それでも全くないとは言いきれない。
司は兎も角、類に対する不安は少なからずある。
と、包み隠さず己の胸の内を話す総二郎に、つくしは首と手を左右に振りながら「ないない」と、力強く否定した。
そして否定した後、軽く深呼吸をしたつくしは、意を決して悩んでいる事を口にした。
「盗み聞きするつもりじゃなかったの」
「あん?」
「夜中に喉が渇いて、水を飲もうと台所に行こうとしたんだ。その時に偶然、みんなの会話を聞いちゃって・・・」
「俺達の会話?」
「うん。その・・・こ、子作りの話とか・・・その・・・」
「あ~・・・聞かれてたか」
苦笑いを浮かべながら、照れを隠す為に口許を手で覆う総二郎を他所に、つくしの顔色はどこか優れない。
何とも言えない感情が身体中を駆け巡って、この気持ちをどう表現すればいいのか分からないのだ。
しかし、これ以上ノラリクラリと総二郎の追及をかわしていても、何の解決にも至らない。
そう観念したつくしは、上手く伝えられるか分からないと前置きしてから、ポツリポツリと自分の気持ちを伝え始めた。