現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

相互学習の可能性

2009-02-02 14:45:32 | 学問

(ラバウル実験学校の試み、「面白中学の三年間とその後」より。)

 名南製作所(このことは、相当後になって知ったことである。)や先生の行った模擬裁判所他のことから生徒並びに人々が相互学習すればよいということに気が付いた。

もちろん、中学生時代に吹奏楽ができたのだが、単一の楽器の持つ特性と全体の演奏との違いを感じ取ってはいたが「このことだったのか。」と気が付くまでにしばらく時間がかかった。私の脱線授業は時間がかかってしまうのが最大のネックである。

具体的事として、我々の師父の時代に行われた「ラバウル実験学校」を取上げてみようと思います。第二次世界大戦において連合軍が唯一占領できなかったところがラバウルであった。

多くの人が知っていてよい事柄であるが、米軍の占領政策や戦後の混乱の中でどうでもよいこととされたか、隠されたものと思われる。ラバウルはアメリカ軍も恐ろしくて近寄れない島であった。この島は硬い岩石で出来ている上にいくら艦砲射撃しても、飛行機で爆弾を落としてもびくともしないだけでなく、アメリカ軍が攻撃をしている間は洞窟の中で将棋や碁などをしてリラックスしていて、敵さんが痺れを切らして引き上げにかかるところを見計らい魚雷や砲撃をして甚大な被害を及ぼしていたのである。

こんな理由があり本国が降伏してから一か月の後にようやく、武器は島の北側に集めさせ、兵隊は南側に集められて【どちらがどうだかハッキリしないが、武装解除が行われ、】初めて占領がかなった島である。軍事的なプロセスについては父親が話したのかも知れない。中学時代のことである。

司令官は自害したものの、残された人がこれからつらい捕虜生活が始まるのだが、残された上官が「これからの日本は文化、経済で立国するしか路が残されていない。戦争に来る前に農業をしていたものは農業の仕方を、商人だったものは商売の仕方を、俳句を、歌を、裁縫を、漁業に携わっていたものは魚の釣り方を、いままでの軍の階級に関係なくその人が先生となり他の人が生徒になることで国に帰るまでの間相互教育が行なわれたのである。」

このことは私が名古屋に旅立って二年目にどれかの本の中で読んだ記憶がある。

ひょっとするとラバウル小唄の中にそんな想いが込められているのかもしれない。だとしたら何かロマンを感じてしまう。その本が現在でも家の何処かに残されているはずであるがどこへ紛れ込んでしまったのか分からなくなっているので、なんという本の中にあつたことなのか良く分からない(その本を知っている方や「ラバウルの実験学校の体験者」は情報を寄せていただきたい。)。

名古屋で定時制に通う段になり始めたころから幾分過ぎた時期であり、其れでなくても時間的に無理のある夜学の生活を皆で協力して乗り切る方策に「ラバウルの相互教育の実験」と「個性豊かな楽器とその調和の事」や「中学生時代に担任のした幾つかのこと、ついで学と呼んでいる。」を何人かに話して理解をとりつけ、ある人が先生になりそのほかの人は生徒という相互学習を試みた。もちろん有志だけの参加である。

教科だけではなく誰かがよんで感銘を受けた本や映画などもその対象になっていたようだ。又、日曜出勤や家の都合により参加できないときはそちらを優先するなどとして、休んだ人は何をやったのか誰かに確認しておく(クオリファイ)ということを最低条件にして、場所も学校でする時、県立図書館であったり、時には喫茶店であったり、友達の家であったり、このことは長い夏休みや冬休みに集中していたと考えられるが、

長野県
の出身で先生をしていた人であったりもした。

先生のいない教科に関しては皆で智恵を出し合い、生活上の問題点(残業と学業の両立)も皆で協力しあうことで解決できた問題も多かったと思う。

そうこうしているうちに、山里の中学でやってきた先生の何気ない実験と似ている部分があることに気が付いたということである。もちろん、場所と時間的なずれはどのようにしても埋めることが出来ないものの、特にホームルームや道徳といった時間に行われたことが(教科の中でもさまざまなことをしているが省略している。)、生徒の自主性と旨く合致した方法で行われたのではないかと考えられる節が随所に見られたのである。

もう少し時間がたって、学生時代にもこれと同じことをしてきたし(覚えなければいけないテクニカルタームについて議論しあった。)、卒業してからも幾分メンバーが異なっていたが、このときはオペレーション・リサーチの具体的なこととしてミッドウェー海戦に参加した艦船のすべてのプラモデルを作り、その装備や時間等をパソコン並びに計算式に当てはめて作戦のあり方を研究しあった(それを、フィクションにしたものが「ジャンボを釣った人々」である。電卓を用いて時間のかかる作業をしたときもある。


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