現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

ピーターの法則

2009-02-06 11:09:53 | 学問

生涯学習の理論的なバックボーン

 かなり若いころ、高校時代であったかもしれない。「ピーターの法則」ということを知る機会があった。友人の影響かもしれない。「今は何とも言えないけれど、この本を読んでおくょうに」と差し出されたものである。すっかり読んでしまったので彼に返して自分用に一冊かって置いた。

 今でも時々、彼の顔は夢に出てくる。同級会などの案内も来ているがなかなかタイミングが合わないのでしばらく会っていない状態であるが、元気で頑張っているものと推測している。

 何のことかというと「階層社会において絶えず学び続けなければ無能レベルに限りなく近づくということらしい。」多くの人が、学校を卒業してしまえば、机に向かって学ぶという行為を止めてしまう。卒業と同時に多くの学んだこと、日常生活に対して影響のないものを返品してしまうということが起こる。「自分だけはそのようなことのないようにしよう。」という決意とともに・・・・・。

この決意の最大のメリットは専門的な事を優しい言葉に置き換えなければならないことである。その全部をするには時間的に問題があるが、関心のあるものだけはそのようにしてきた。そうすると、何年も忘れずにいることが出来るのである。如何しても使用しなければならないときは言い換えて説明するようにしている。

もちろん机なんかいらないのだが、日常生活の中でその時々の課題を見つけて解決するという方法でも、なかなか学びのチャンスはないと考えられる。多くの会社の現場ではまだ、作業と習練ということを主眼においている所が多い。それも大事なことであるけれど、仕事の現場がクリェィテブな環境になっていないこともある。

最近、この反省から一人の人が一つの製品を全部組み立てるなどの改善が見られるが、多くの現場はライン生産である。

この点、女性のほうが人生のおのおのの機会に学びのチャンスはあるのかもしれない。家庭のこと、子供のこと、健康のこと、台所や料理のこと、地域社会のこと、趣味のことなどなど問題提起される環境にいることになる。忙しさのなかで継続するということが出来ない可能性は十分あるが、その点だけクリアーすればより多くのことが学べる環境に居ることになる。

中学時代のホームルームの時間に図書館で読んだイソップ物語【狐の王さまの話】の中にもピーターの法則と同じような記述があったような気がしてきて何度か読み返してみた。上記の事柄を理論的な面でバックアップしてくれる事柄ではないかと考えていた。

関心のある事柄を優先しながら一生涯学び続けるという決意は、生涯学習の決意は、理論的なバックアップをえたことで確かな確信となったのである。生涯、それが体力的に不可能となるまで学び続ける決意を(人生大学)と呼ぼうではないか。死を持って卒業式としよう。またもや変な決意をしたことになる。

そんな訳で50歳の手習いもたいした苦痛ではないのである。長野発明研究会の最高齢者は80歳を越えている人が三人ほどいる。まだ、彼らの年までは頑張れるということである。年に3、4回しか例会に出席しないが、体と時間的な都合と新たな着想が合致したときはでてくるみたいである。彼らに表彰状を差し上げたいと思っている次第である。こればかりは私独りではどうにもなるものではないが、チャンスがあったら会員に提案してみたいのである。見習いたいのはそのバイタリテーである。

 注 体験、経験プラス理論的裏付けイコール信念、確信ということだと思われる。

   【参考文献、ピーターの法則、L.J.ピーター他 ダイヤモンド社】

   【老い学や我は学徒か60歳いつまで続くこの道はるか】


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