「麒麟がくる」の最終回はどこにも載っていません。従って「完全に私の予想」ですが、史実を含めてネタバレがあるので、気を付けてください。徐々に加筆します。
最終版の予想はここにあります。麒麟がくる・最終回・第四十四話「本能寺の変」・あらすじ・予想・多少ネタバレ・最終版
間をおきます。予想は12月12日にしたものです。「義昭、迷いの中で」が放送された段階です。
当然ながら、史実ではありません。ただ一部は史実です。
天正10年=1582年6月2日が本能寺の変の日付です。
1582年 本能寺の年
光秀は55歳となって疲れています。というのも信長は京都の政治には興味がなく、全てを十兵衛に任せているからです。土地をめぐる訴訟で、十兵衛は多忙を極めています。(史実としては京都代官は村井さん)
織田家の京都における筆頭者は信長の息子の信忠です。
1、十兵衛は信長に不満を持っていました。「義昭追放」「松永討伐」など、思い出すだに「自分が不甲斐ない」と思う日々です。
2、信長は正親町帝にも不遜な態度をとることが多くなっています。帝への挨拶など「信忠がやっていればそれでいい」という事です。関白の近衛などにも「大きな態度」で上から臨んでいます。
3、信長は天皇に「ほめらること」にも飽き、ただ「戦争をして勝つ、相手を滅ぼす」ことに夢中になっています。帰蝶もそれを止められません。
4、四国、長曾我部との「仲介」は光秀でした。しかし信長は約束を反故にして四国討伐を決めます。それもただ「息子の信孝に武功を上げさせたい」というだけの理由です。十兵衛は反対しましたが、頭ごなしに怒鳴られ、却下されます。(本能寺の原因1)
5、信長のこうした態度の後ろには藤吉郎の影が見え隠れします。藤吉郎の色眼鏡でみた情報を、信長に流しているようです。
6、「たま」とのひと時が光秀の心の支えでした。光秀はもう自分は引退し、たまの婿である細川忠興ら、若い者が国を担うべきかなとも考えます。
7、そんな中、信長は「暦の問題」にまで口を出すようになります。「暦」は「時の支配者」としての「天皇の大権」でした。「天皇の大権」にまで介入してきたことに十兵衛は衝撃を受けます。(本能寺の原因2)
8、この年、ついに武田勝頼を滅ぼします。十兵衛は信長に従軍して甲斐へ向かいます。そこで衝撃的な事件が起きました。信長が「武田勝頼の首」を面罵した上、足で蹴飛ばしたのです。武士の誇りを平気で傷つける信長を見て、十兵衛の中で打倒信長の決意が芽生えてきます。(本能寺の原因3)
9、十兵衛家臣の斎藤利三は稲葉のもとから出奔してきた男です。稲葉からは返せという要求が信長に伝わっています。一度は解決した問題でしたが、稲葉の要求で、信長はまた返せと十兵衛に命じます。返したら斎藤利三は殺されます。「6月中に返せ」というのが信長の命令です。いよいよ十兵衛は追い詰められます。(本能寺の原因4)
10、十兵衛はそれでも信長を見捨てられません。最後の願いとして「幕府を開く」ことを要望します。「武士は幕府なしでは生きられない」、しかし信長はそれを否定します。朝廷や征夷大将軍とは関わりのない、スペイン王のような「専制君主」を信長は目指していました。拠点は安土です。宣教師からその知識を得ていたのです。朝廷をつぶしたりはしない、帝は京でただ祈っていればいい、と信長は言います。そして今の帝に変えて、お気に入りの誠仁親王を帝にするつもりだと言います。(本能寺の原因5)
11、十兵衛の気持ちなど知らず、信長は「上洛した徳川家康の接待」を命じます。家康と深く話をした十兵衛は、家康もまた「武士の誇りを守るため幕府を開くべきだ」と考えていることを知ります。「幕府は武士のためにあると思っていたが、帝を守り、殺戮を避け、日本を平和に統治する仕組みなのだ」と十兵衛は気が付きます。自分の謀反が失敗した場合、後継者は家康だと十兵衛は思います。この接待の場では信長による光秀への暴力があったと書く二次史料があります。これも採用されるでしょう。
12、5月末、信長と信忠が京に逗留することを知った十兵衛は、謀反を決意します。気になるのは帰蝶です。しかし当日帰蝶は本能寺にいないことを確かめます。
13、十兵衛は「駒だけに」、この計画を漏らします。「十兵衛様がやりたいようにするのが正しい」と駒は言います。
14、6月2日、早朝、光秀は本能寺の変を起こします。ところがいないと思っていた帰蝶が本能寺にいることを知ります。燃え盛る炎の中、十兵衛は叫びます。「帰蝶さま、信長さま!」、本能寺には駒の姿もありました。帰蝶の死は光秀の心に気がついていた帰蝶なりの責任のとり方でした。(この展開はあまりに悲しいので、やめてほしいと思っています)
15、十兵衛は「自分が征夷大将軍になって朝廷と日本と武士と民を守る」つもりでした。朝廷も十兵衛の行為を認めます。またはある程度時間をおいてから信忠を推すつもりだったが、信忠が頑強に抵抗したため、心ならず討ち取ったという展開もありえます。
16、堺にいる家康は十兵衛から文を受け取ります。伊賀を越えよ。明智の兵は決して襲わないと書いてありました。家康は十兵衛を信じてみようと思います。
17、本能寺を知った秀吉が、中国方面から「大返し」をしてきます。決戦地は山崎でした。細川藤孝は信長の恩を理由に味方になることを拒みました。それも仕方なしと十兵衛は考えます。
18、十兵衛は破れ、坂本に向かいます。OPと同じ映像が流れます。やがて小栗栖の里で農民の竹やりによって致命傷を追います。最期をみとったのは菊丸でした。十兵衛は言います。「家康殿にあとは任せた。家康なら必ず麒麟がくる世を作れる」。菊丸は深くうなづきます。
19、時は移って、1615年。大阪の陣が終わります。駒と菊丸は十兵衛の思い出を語ります。「これでやっと十兵衛さまが描いた麒麟がくる世がやってくる」、二人は笑顔でした。
20,光秀は亡くなりました。帝も、公家も、細川も、家康も表立って光秀を支持することはできません。しかしあの秀吉ですら、「心の底では」、光秀が新しい時代を開いたことがよくわかっていました。ナレーションが入ります「十兵衛光秀は死なない。世の平穏を願った光秀は今も生きている。生き続けている」。
以上。わたしが書いた、光秀天海説に基づいて「みんなを生かしてしまう小説」もありますので、よかったらどうぞ。
麒麟がくる・スピンオフ・「天海光秀、信長と再会す」・「明日を捜せ!」
蛇足
1、駒と帰蝶の運命は全く分かりません。完全に私の創作です。光秀が炎の中で叫んでいるのは「帰蝶さまー」だろうと考えたわけです。
2、四国問題、「ただ信孝に武功をあげさせたい」なんて史料はありません。
3、暦問題、天皇大権を犯していないと、最近はよく言われます。時代考証の小和田さんは「それは多少疑問だ」としています。
4、信長が正親町帝に礼を欠いた、ということはなさそうです。そもそも「正式には」一回も信長は参内していません。嘘みたいだけど本当らしいのです。さらに官を辞してからは、任官は避けており、朝廷とは距離があったように私は感じています。蘭奢待で多少信長と天皇は齟齬を生じたという設定みたいです。でも「朝廷」がやるのはせいぜい本能寺の「教唆」でしょう。なぜなら「大河は黒幕論を採用したことが過去にほぼない」からです。「おんな城主直虎」ぐらいか。「利家とまつ」も「秀吉が知っていた感じ」にしてました。それぐらいでしょう。黒幕論と大河は相性が悪いのです。
5、斎藤利三を「6月中に稲葉に返せ」、、、そんな史料はありません。
6、関白近衛への無礼は甲陽軍鑑です。昔は俗書でしたが、今の扱いはちょっと違います。
7、勝頼の首を蹴飛ばした、史料は細川家の「綿考輯録」(めんこうしゅうろく)です。私のネタ元は小和田さんです。
8、スペイン王のような専制君主、、、ネタ元はありません。神になるという自己神格化そのものは描かず、それに近い皇帝願望を描くと想像しました。これはないでしょうね。
9、どうして十兵衛が幕府再興にそこまでこだわるのか。私にはよく分かりません。ただ小和田さんはそう書いています。これから考えます。
10、平氏の信長が将軍になることを阻止しようとした、小和田さんはそう書いていますが、採用されないと考えました。
11、誠仁親王を天皇にする。正親町帝に譲位をせまる。一般には「上皇になれるので、正親町帝は大歓迎」とされます。
13、細川藤孝の「理由」をどう設定するのか。面白いところだと思います。
14,言わずもがなですが、「伊賀を越えよ」なんて手紙あるわけありません。
最終版の予想はここにあります。麒麟がくる・最終回・第四十四話「本能寺の変」・あらすじ・予想・多少ネタバレ・最終版
間をおきます。予想は12月12日にしたものです。「義昭、迷いの中で」が放送された段階です。
当然ながら、史実ではありません。ただ一部は史実です。
天正10年=1582年6月2日が本能寺の変の日付です。
1582年 本能寺の年
光秀は55歳となって疲れています。というのも信長は京都の政治には興味がなく、全てを十兵衛に任せているからです。土地をめぐる訴訟で、十兵衛は多忙を極めています。(史実としては京都代官は村井さん)
織田家の京都における筆頭者は信長の息子の信忠です。
1、十兵衛は信長に不満を持っていました。「義昭追放」「松永討伐」など、思い出すだに「自分が不甲斐ない」と思う日々です。
2、信長は正親町帝にも不遜な態度をとることが多くなっています。帝への挨拶など「信忠がやっていればそれでいい」という事です。関白の近衛などにも「大きな態度」で上から臨んでいます。
3、信長は天皇に「ほめらること」にも飽き、ただ「戦争をして勝つ、相手を滅ぼす」ことに夢中になっています。帰蝶もそれを止められません。
4、四国、長曾我部との「仲介」は光秀でした。しかし信長は約束を反故にして四国討伐を決めます。それもただ「息子の信孝に武功を上げさせたい」というだけの理由です。十兵衛は反対しましたが、頭ごなしに怒鳴られ、却下されます。(本能寺の原因1)
5、信長のこうした態度の後ろには藤吉郎の影が見え隠れします。藤吉郎の色眼鏡でみた情報を、信長に流しているようです。
6、「たま」とのひと時が光秀の心の支えでした。光秀はもう自分は引退し、たまの婿である細川忠興ら、若い者が国を担うべきかなとも考えます。
7、そんな中、信長は「暦の問題」にまで口を出すようになります。「暦」は「時の支配者」としての「天皇の大権」でした。「天皇の大権」にまで介入してきたことに十兵衛は衝撃を受けます。(本能寺の原因2)
8、この年、ついに武田勝頼を滅ぼします。十兵衛は信長に従軍して甲斐へ向かいます。そこで衝撃的な事件が起きました。信長が「武田勝頼の首」を面罵した上、足で蹴飛ばしたのです。武士の誇りを平気で傷つける信長を見て、十兵衛の中で打倒信長の決意が芽生えてきます。(本能寺の原因3)
9、十兵衛家臣の斎藤利三は稲葉のもとから出奔してきた男です。稲葉からは返せという要求が信長に伝わっています。一度は解決した問題でしたが、稲葉の要求で、信長はまた返せと十兵衛に命じます。返したら斎藤利三は殺されます。「6月中に返せ」というのが信長の命令です。いよいよ十兵衛は追い詰められます。(本能寺の原因4)
10、十兵衛はそれでも信長を見捨てられません。最後の願いとして「幕府を開く」ことを要望します。「武士は幕府なしでは生きられない」、しかし信長はそれを否定します。朝廷や征夷大将軍とは関わりのない、スペイン王のような「専制君主」を信長は目指していました。拠点は安土です。宣教師からその知識を得ていたのです。朝廷をつぶしたりはしない、帝は京でただ祈っていればいい、と信長は言います。そして今の帝に変えて、お気に入りの誠仁親王を帝にするつもりだと言います。(本能寺の原因5)
11、十兵衛の気持ちなど知らず、信長は「上洛した徳川家康の接待」を命じます。家康と深く話をした十兵衛は、家康もまた「武士の誇りを守るため幕府を開くべきだ」と考えていることを知ります。「幕府は武士のためにあると思っていたが、帝を守り、殺戮を避け、日本を平和に統治する仕組みなのだ」と十兵衛は気が付きます。自分の謀反が失敗した場合、後継者は家康だと十兵衛は思います。この接待の場では信長による光秀への暴力があったと書く二次史料があります。これも採用されるでしょう。
12、5月末、信長と信忠が京に逗留することを知った十兵衛は、謀反を決意します。気になるのは帰蝶です。しかし当日帰蝶は本能寺にいないことを確かめます。
13、十兵衛は「駒だけに」、この計画を漏らします。「十兵衛様がやりたいようにするのが正しい」と駒は言います。
14、6月2日、早朝、光秀は本能寺の変を起こします。ところがいないと思っていた帰蝶が本能寺にいることを知ります。燃え盛る炎の中、十兵衛は叫びます。「帰蝶さま、信長さま!」、本能寺には駒の姿もありました。帰蝶の死は光秀の心に気がついていた帰蝶なりの責任のとり方でした。(この展開はあまりに悲しいので、やめてほしいと思っています)
15、十兵衛は「自分が征夷大将軍になって朝廷と日本と武士と民を守る」つもりでした。朝廷も十兵衛の行為を認めます。またはある程度時間をおいてから信忠を推すつもりだったが、信忠が頑強に抵抗したため、心ならず討ち取ったという展開もありえます。
16、堺にいる家康は十兵衛から文を受け取ります。伊賀を越えよ。明智の兵は決して襲わないと書いてありました。家康は十兵衛を信じてみようと思います。
17、本能寺を知った秀吉が、中国方面から「大返し」をしてきます。決戦地は山崎でした。細川藤孝は信長の恩を理由に味方になることを拒みました。それも仕方なしと十兵衛は考えます。
18、十兵衛は破れ、坂本に向かいます。OPと同じ映像が流れます。やがて小栗栖の里で農民の竹やりによって致命傷を追います。最期をみとったのは菊丸でした。十兵衛は言います。「家康殿にあとは任せた。家康なら必ず麒麟がくる世を作れる」。菊丸は深くうなづきます。
19、時は移って、1615年。大阪の陣が終わります。駒と菊丸は十兵衛の思い出を語ります。「これでやっと十兵衛さまが描いた麒麟がくる世がやってくる」、二人は笑顔でした。
20,光秀は亡くなりました。帝も、公家も、細川も、家康も表立って光秀を支持することはできません。しかしあの秀吉ですら、「心の底では」、光秀が新しい時代を開いたことがよくわかっていました。ナレーションが入ります「十兵衛光秀は死なない。世の平穏を願った光秀は今も生きている。生き続けている」。
以上。わたしが書いた、光秀天海説に基づいて「みんなを生かしてしまう小説」もありますので、よかったらどうぞ。
麒麟がくる・スピンオフ・「天海光秀、信長と再会す」・「明日を捜せ!」
蛇足
1、駒と帰蝶の運命は全く分かりません。完全に私の創作です。光秀が炎の中で叫んでいるのは「帰蝶さまー」だろうと考えたわけです。
2、四国問題、「ただ信孝に武功をあげさせたい」なんて史料はありません。
3、暦問題、天皇大権を犯していないと、最近はよく言われます。時代考証の小和田さんは「それは多少疑問だ」としています。
4、信長が正親町帝に礼を欠いた、ということはなさそうです。そもそも「正式には」一回も信長は参内していません。嘘みたいだけど本当らしいのです。さらに官を辞してからは、任官は避けており、朝廷とは距離があったように私は感じています。蘭奢待で多少信長と天皇は齟齬を生じたという設定みたいです。でも「朝廷」がやるのはせいぜい本能寺の「教唆」でしょう。なぜなら「大河は黒幕論を採用したことが過去にほぼない」からです。「おんな城主直虎」ぐらいか。「利家とまつ」も「秀吉が知っていた感じ」にしてました。それぐらいでしょう。黒幕論と大河は相性が悪いのです。
5、斎藤利三を「6月中に稲葉に返せ」、、、そんな史料はありません。
6、関白近衛への無礼は甲陽軍鑑です。昔は俗書でしたが、今の扱いはちょっと違います。
7、勝頼の首を蹴飛ばした、史料は細川家の「綿考輯録」(めんこうしゅうろく)です。私のネタ元は小和田さんです。
8、スペイン王のような専制君主、、、ネタ元はありません。神になるという自己神格化そのものは描かず、それに近い皇帝願望を描くと想像しました。これはないでしょうね。
9、どうして十兵衛が幕府再興にそこまでこだわるのか。私にはよく分かりません。ただ小和田さんはそう書いています。これから考えます。
10、平氏の信長が将軍になることを阻止しようとした、小和田さんはそう書いていますが、採用されないと考えました。
11、誠仁親王を天皇にする。正親町帝に譲位をせまる。一般には「上皇になれるので、正親町帝は大歓迎」とされます。
13、細川藤孝の「理由」をどう設定するのか。面白いところだと思います。
14,言わずもがなですが、「伊賀を越えよ」なんて手紙あるわけありません。
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