割と有名な話ですが、司馬遼太郎さんは「国盗り物語」を斎藤道三編だけで終える予定でした。でも編集者から信長も描いてくれと言われた。で、仕方なく描くわけです。その後も、織田信長をまともに描いた作品はありません。「新史太閤記」他、信長が出てくる作品はあります。しかし信長を主人公とした作品はありません。小説「功名が辻」には信長は登場しません。「国盗り物語」後編にしてからが、光秀とのW主人公です。
大河ドラマで信長ブームが起きたのは1965年「太閤記」の時です。私はむろん見てません。ビデオも本能寺の回しか残っていません。高橋幸治さん演じるクール極まりない織田信長に人気が集まり、助命嘆願が起きます。その結果「本能寺の変」は全52話の42話になるのです。10話だけが「太閤の時代」です。
作家は吉川英治さんなんですね。だから司馬さんが昭和の信長ブームの火付け役ではありません。
大河「国盗り物語」は遅れて1973年です。
もちろんこの作品で大河の信長の原型はできます。その後1983年の「徳川家康」ぐらいまではさほどの信長のデフォルメはありませんでした。大河「信長」は1992年の作品ですが、意外なほど「中世的な」信長なんですね。祈祷師とか雇ってます。
それが2002年の「利家とまつ」になると、なんか「典型化した信長」という感じで「デアルカ」ばかり口にします。2006年の功名が辻、司馬さんの原作なんですが、司馬作品には決してなかったセリフ「もはや朝廷もいらぬ。余は神じゃ」なんてこと言い出すわけです。私個人としては「まずいな、このデフォルメは」と思いました。「信長の自己神格化」は大河「信長」でも大河「秀吉」でも描かれています。
そっから後は司馬さんとは関係なくというか、「信長の野望」的になって、「魔王」になっていきます。2009年の「天地人」、2016年の「真田丸」などです。
魔王の最終形態は「おんな城主直虎」で、ほぼゲームの世界から飛び出してきたような信長でした。
司馬さんは天皇制を抽象的権威、透明な権威として認めていましたし、信長に南蛮胴を着せたりもしませんでした。「天才」または「天才と紙一重の人」とは描きました。室町将軍に関しては「よく分かっていなかった」と描きます。「義昭をかついで失敗した。こいつはうるさい。朝廷をかつげば良かった」なんて考えるのです。仏は「人が作ったもの」とは言います。合理主義者としては描きました。
「司馬が描いた信長を信じて」なんて人がいますが、司馬さんが描いた信長をちゃんと読んでいるのでしょうか。ちゃんと読めば「小説の中の人」だと気が付くはずです。
司馬さんは信長の晩年を描きたくなかったでしょう。虐殺の歴史です。秀吉の晩年も描いていません。「新史太閤記」は「家康の上洛」で終わりです。
描きたくもないのに書いて、それが「信長の原型」とされ、「原型が維持された」ならいいけど、とんでもないデフォルメをされ、そのデフォルメまで含めて「司馬のせいで」とかトンチンカンなことを言われる。国民作家はつらいものです。
大河ドラマで信長ブームが起きたのは1965年「太閤記」の時です。私はむろん見てません。ビデオも本能寺の回しか残っていません。高橋幸治さん演じるクール極まりない織田信長に人気が集まり、助命嘆願が起きます。その結果「本能寺の変」は全52話の42話になるのです。10話だけが「太閤の時代」です。
作家は吉川英治さんなんですね。だから司馬さんが昭和の信長ブームの火付け役ではありません。
大河「国盗り物語」は遅れて1973年です。
もちろんこの作品で大河の信長の原型はできます。その後1983年の「徳川家康」ぐらいまではさほどの信長のデフォルメはありませんでした。大河「信長」は1992年の作品ですが、意外なほど「中世的な」信長なんですね。祈祷師とか雇ってます。
それが2002年の「利家とまつ」になると、なんか「典型化した信長」という感じで「デアルカ」ばかり口にします。2006年の功名が辻、司馬さんの原作なんですが、司馬作品には決してなかったセリフ「もはや朝廷もいらぬ。余は神じゃ」なんてこと言い出すわけです。私個人としては「まずいな、このデフォルメは」と思いました。「信長の自己神格化」は大河「信長」でも大河「秀吉」でも描かれています。
そっから後は司馬さんとは関係なくというか、「信長の野望」的になって、「魔王」になっていきます。2009年の「天地人」、2016年の「真田丸」などです。
魔王の最終形態は「おんな城主直虎」で、ほぼゲームの世界から飛び出してきたような信長でした。
司馬さんは天皇制を抽象的権威、透明な権威として認めていましたし、信長に南蛮胴を着せたりもしませんでした。「天才」または「天才と紙一重の人」とは描きました。室町将軍に関しては「よく分かっていなかった」と描きます。「義昭をかついで失敗した。こいつはうるさい。朝廷をかつげば良かった」なんて考えるのです。仏は「人が作ったもの」とは言います。合理主義者としては描きました。
「司馬が描いた信長を信じて」なんて人がいますが、司馬さんが描いた信長をちゃんと読んでいるのでしょうか。ちゃんと読めば「小説の中の人」だと気が付くはずです。
司馬さんは信長の晩年を描きたくなかったでしょう。虐殺の歴史です。秀吉の晩年も描いていません。「新史太閤記」は「家康の上洛」で終わりです。
描きたくもないのに書いて、それが「信長の原型」とされ、「原型が維持された」ならいいけど、とんでもないデフォルメをされ、そのデフォルメまで含めて「司馬のせいで」とかトンチンカンなことを言われる。国民作家はつらいものです。
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