NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が好調とのことです。
史実からは「こんなんでいいの・・・」という場面の続出ですが、歴史に場面を借りた現代劇と思えば結構おもしろいと感じています。
半田支部の管内にも、江の最初の嫁ぎ先、常滑市の大野があります。
そこで、大野地区の歴史について紹介したいと思います。
先ずは、支部だよりにかつて掲載しました大野宮山城について改めて紹介します。
青海山頂(せいかいさんちょう)に大野宮山城はあった。現在は城郭風の展望台が築かれている。
眼下には大野の町並みが続き、青々と広がる伊勢湾のかなたに鈴鹿の山並みが美しく望まれる。
室町後期から戦国期にかけての約百年、大野宮山城は佐治氏四代の居城として栄えた。
佐治氏は江州(滋賀県)佐治郷の出とされる以外、その出自は不明であるが、一色氏衰退の後頭角を現し、半島西海岸に勢力を伸ばした。
佐治氏の繁栄は商港・大野の経済力を背景にして伊勢湾の海運を支配したことによる。配下の船舶は、戦時には兵を満載し軍船となり、大野水軍として勇名を馳せた。その実力は高く買われ、信長は妹・お犬を三代八郎信方に嫁がせ織田陣営に取り込み、天下統一への助けとした。
更に、四代与九郎は、秀吉に養われていた浅井三姉妹の末娘・小督(おごう)を与えられる。小督は信長の妹・お市の子であるから二人はいとこ同士ということになるが、大野水軍の力を秀吉が認めていた証であった。
ところが、小督は二年足らずで掟城に呼び戻され、離縁させられる。いかなる事情があったか不明であるが、大野水軍の存在価値が急速に失われたとしか考えられず、その後間もなくして
与九郎は大野を追われ、四代続いた佐治氏は知多から姿を消した。
大野城見取り図
入り口、上が城跡
大野城跡の石碑
大野城の遠景