★今日から「冬時間」時差が8時間になりました。日本が夜の8時だと、こちらは昼の12時です。★
まずはピアノ科卒のみなさんにクイズです。
第1問:シューベルトのB-Durで、最初がかわいいフレーズでたしか「し~し~ら~し~ど~~~」で、その後、低い所でお腹がぐ~っと鳴るみたいなトリルが入る曲はなに?ソナタかなぁと思っていたら、なんか5楽章くらいまであったような感じなので、なにかわからないです。
第2問:アンコールで3分くらい。一瞬フーガみたいに聞こえる。早い。レからはじめる。曲の中で3~4回、低い所でトリル。そのトリルでフレーズが終わる。これなあに?
さて、今日は「アンドレア・シフ」ベートヴェン全曲演奏の第2回目に行ったはずだった。なのに行ったら、「シュテファン・ヴラダール」という人に変わっていた。シフはキャンセルしたらしい。入り口のお姉さん曰く、「シフはもうこの劇場では弾かないのよ。」なにが気に入らなかったんだろう?
このテアターアンデアウィーンはナッシュマルクトという市場の前にある、とっても古い劇場で、建物が当時のままなのか、それとも補修するお金がないのか、とっても古い劇場なんです。たしか、モーツァルトの「魔笛」を初演をした劇場だったはずです。今日の演奏中も、誰も動いていないのに、どこからかミシッっと音がする劇場です。でもその作りや、天井の絵なんかは雰囲気あります。
さて、シフの代わりに急きょ舞台に立ったのが「シュテファン・ヴラダール」ウィーンでは有名だと帰りに声をかけたおばさんが言ってました。悪くない。
演奏曲目は、前半は予定のベートーベン「月光」と「熱情?情熱?」どーらふぁ~らーどふぁ~ら~どふぁ~はなに?(ピアノ科の皆さんよろしく)本来は後半もベートヴェンの後期の作品だったはずなんですが、これ以上は無理と判断したのか、
後半はクイズの1問目のシューベルトになっていました。
「月光」の最初の3つくらい音が鳴った瞬間、涙がふっと出てきたので、自分でもびっくりしました。その後のベートーヴェンは粗野な感じのする、でもこの人らしいのだろうなぁという感じ満載の演奏でした。「月光」の3楽章の「ジャカジャカジャカジャカジャカジャカチャンチャン」がひとまとめで聞こえたのは久しぶりです。
後半のシューベルトは、繊細な部分まで行き届いていて、いい気分で聞けました。会場は急な変更でキャンセルした人が多かったのか、空席が目立つ状態でしたが、居合わせたお客さんは私も含め満足そうでした。(ちなみに2階3列目端のほう11ユーロ)
お客さんが少ない上に、キャンセル公演に急きょ出演だけでもプレッシャーなのに、月光が終わり、次の曲のために出てきて、椅子に座った瞬間、どこからか大声で「○○さんいますか!」1階のど真ん中のご婦人が手を上げてあわてて出て行きました。で、雰囲気悪くなってしまったので「ちょっと引っ込みますね。」と戻ったきり出てこない。当のご婦人はとっくに席に戻っている。そんな急用でもなかったのか?あまりに長い間でてこなかったので、怒って帰るって言ってるんじゃないかって心配してしまうくらいでした。ちゃんと演奏会成り立ってよかったです。
さて、話し変わって、今朝はテレビで「トーマスハンプソン・マーラー不思議な角笛講習会」みたいなのをやってました。昨年ハイデルベルクで行われた講習会で、すでに歌手としてやっている人~大学入ったばかりの学生まで、一連の曲を習っていました。一人20分×2回のレッスンですが、生徒がインタビューに「この1回では何かをすぐにできるようになるわけではないが、この先どうしたらいいかという重要な起点になる」みたいなことを言っていました。声はやはりどの生徒も、ハンプソン自身も、日本でよく聴く声より、顔の前面で響くあかるい声です。しかし、前にペチャっと出過ぎない、絶えず縦を意識した声でした。
ハンプソンがある人に「あなたは、あなたの声が何を出来るか、どんな声が出るのか見せたいんですか?」と言っていました。もちろんNO!です。声を通してこの曲の何を歌いたいのかが大切だと。ああ、耳の痛いお言葉です。
また講習会の合間に文学者の解説が入っていました。例えば私も歌ったことがある「ナイチンゲールとカッコウの歌合戦」の曲は、ただかわいい歌合戦ではなく、ナイチンゲールが芸術家の例え、カッコウや審査員のロバが、そのよさをわからない民衆のたとえなんだそうです。そのほかもいろいろ解説してもらってましたが、よくわからないことが多いのが残念。しかしここでもハンプソンが図書館でこの詩の背景となる絵や本を手にとって見ていたのを見て、やはりこういう部分が足らないんだなぁと実感。
いつぞやその昔、ドイツリートばかりを研究する会を同窓会を中心に興しました。今もその会は続いていますが、最初私が望んでいたのと、今は少し路線が違ってきています。(なのであまり出席していないのが現状。もちろん忙しいというのもあるんだけど)ドイツリートも日本歌曲も詩の背景を学ぶことがとても大切だと、なぜかこっちにいると痛感するんですよね。なんで?答えはいつも同じ。こちらは「まず文学があり、そこへ音楽がついた。」もちろん演奏する人も聞く人もその背景がちゃんとわかっている。だからその「わかっている」という雰囲気に圧倒されることがリートのコンサートなどではよくあります。
日本では「演奏家もドイツ語(そしてその背景)がわからない。ピアニストもわからない。そしてお客さんはもっとわからない。みんながわからないから、声がきれいかどうかが判断基準になっている。」そんな時代が長く続きました。もちろん意味がわからなくてもディスカウのドイツリートはじ~んときたりします。それはディスカウがとってもよくわかっているから。だから少なくとも演奏家はわかってないといけないですね。(ほんとに当たりまえだのクラッカーなんですけど、日本にいると忘れるんです。)
講習会のある生徒が言ってました。「テクニックがすべてうまく行って、その曲の言葉(意味や背景)を伝えるだけに集中できることほど幸せなことはない。」ほんとそうなりたいです。
今日はこの後、フォルクスで「ティーフランド」というオペラの立ち見に並びます。(見たことも聞いたこともないオペラだ!)なので「はにゅうす」夜中にもう一度書きますね。
まずはピアノ科卒のみなさんにクイズです。
第1問:シューベルトのB-Durで、最初がかわいいフレーズでたしか「し~し~ら~し~ど~~~」で、その後、低い所でお腹がぐ~っと鳴るみたいなトリルが入る曲はなに?ソナタかなぁと思っていたら、なんか5楽章くらいまであったような感じなので、なにかわからないです。
第2問:アンコールで3分くらい。一瞬フーガみたいに聞こえる。早い。レからはじめる。曲の中で3~4回、低い所でトリル。そのトリルでフレーズが終わる。これなあに?
さて、今日は「アンドレア・シフ」ベートヴェン全曲演奏の第2回目に行ったはずだった。なのに行ったら、「シュテファン・ヴラダール」という人に変わっていた。シフはキャンセルしたらしい。入り口のお姉さん曰く、「シフはもうこの劇場では弾かないのよ。」なにが気に入らなかったんだろう?
このテアターアンデアウィーンはナッシュマルクトという市場の前にある、とっても古い劇場で、建物が当時のままなのか、それとも補修するお金がないのか、とっても古い劇場なんです。たしか、モーツァルトの「魔笛」を初演をした劇場だったはずです。今日の演奏中も、誰も動いていないのに、どこからかミシッっと音がする劇場です。でもその作りや、天井の絵なんかは雰囲気あります。
さて、シフの代わりに急きょ舞台に立ったのが「シュテファン・ヴラダール」ウィーンでは有名だと帰りに声をかけたおばさんが言ってました。悪くない。
演奏曲目は、前半は予定のベートーベン「月光」と「熱情?情熱?」どーらふぁ~らーどふぁ~ら~どふぁ~はなに?(ピアノ科の皆さんよろしく)本来は後半もベートヴェンの後期の作品だったはずなんですが、これ以上は無理と判断したのか、
後半はクイズの1問目のシューベルトになっていました。
「月光」の最初の3つくらい音が鳴った瞬間、涙がふっと出てきたので、自分でもびっくりしました。その後のベートーヴェンは粗野な感じのする、でもこの人らしいのだろうなぁという感じ満載の演奏でした。「月光」の3楽章の「ジャカジャカジャカジャカジャカジャカチャンチャン」がひとまとめで聞こえたのは久しぶりです。
後半のシューベルトは、繊細な部分まで行き届いていて、いい気分で聞けました。会場は急な変更でキャンセルした人が多かったのか、空席が目立つ状態でしたが、居合わせたお客さんは私も含め満足そうでした。(ちなみに2階3列目端のほう11ユーロ)
お客さんが少ない上に、キャンセル公演に急きょ出演だけでもプレッシャーなのに、月光が終わり、次の曲のために出てきて、椅子に座った瞬間、どこからか大声で「○○さんいますか!」1階のど真ん中のご婦人が手を上げてあわてて出て行きました。で、雰囲気悪くなってしまったので「ちょっと引っ込みますね。」と戻ったきり出てこない。当のご婦人はとっくに席に戻っている。そんな急用でもなかったのか?あまりに長い間でてこなかったので、怒って帰るって言ってるんじゃないかって心配してしまうくらいでした。ちゃんと演奏会成り立ってよかったです。
さて、話し変わって、今朝はテレビで「トーマスハンプソン・マーラー不思議な角笛講習会」みたいなのをやってました。昨年ハイデルベルクで行われた講習会で、すでに歌手としてやっている人~大学入ったばかりの学生まで、一連の曲を習っていました。一人20分×2回のレッスンですが、生徒がインタビューに「この1回では何かをすぐにできるようになるわけではないが、この先どうしたらいいかという重要な起点になる」みたいなことを言っていました。声はやはりどの生徒も、ハンプソン自身も、日本でよく聴く声より、顔の前面で響くあかるい声です。しかし、前にペチャっと出過ぎない、絶えず縦を意識した声でした。
ハンプソンがある人に「あなたは、あなたの声が何を出来るか、どんな声が出るのか見せたいんですか?」と言っていました。もちろんNO!です。声を通してこの曲の何を歌いたいのかが大切だと。ああ、耳の痛いお言葉です。
また講習会の合間に文学者の解説が入っていました。例えば私も歌ったことがある「ナイチンゲールとカッコウの歌合戦」の曲は、ただかわいい歌合戦ではなく、ナイチンゲールが芸術家の例え、カッコウや審査員のロバが、そのよさをわからない民衆のたとえなんだそうです。そのほかもいろいろ解説してもらってましたが、よくわからないことが多いのが残念。しかしここでもハンプソンが図書館でこの詩の背景となる絵や本を手にとって見ていたのを見て、やはりこういう部分が足らないんだなぁと実感。
いつぞやその昔、ドイツリートばかりを研究する会を同窓会を中心に興しました。今もその会は続いていますが、最初私が望んでいたのと、今は少し路線が違ってきています。(なのであまり出席していないのが現状。もちろん忙しいというのもあるんだけど)ドイツリートも日本歌曲も詩の背景を学ぶことがとても大切だと、なぜかこっちにいると痛感するんですよね。なんで?答えはいつも同じ。こちらは「まず文学があり、そこへ音楽がついた。」もちろん演奏する人も聞く人もその背景がちゃんとわかっている。だからその「わかっている」という雰囲気に圧倒されることがリートのコンサートなどではよくあります。
日本では「演奏家もドイツ語(そしてその背景)がわからない。ピアニストもわからない。そしてお客さんはもっとわからない。みんながわからないから、声がきれいかどうかが判断基準になっている。」そんな時代が長く続きました。もちろん意味がわからなくてもディスカウのドイツリートはじ~んときたりします。それはディスカウがとってもよくわかっているから。だから少なくとも演奏家はわかってないといけないですね。(ほんとに当たりまえだのクラッカーなんですけど、日本にいると忘れるんです。)
講習会のある生徒が言ってました。「テクニックがすべてうまく行って、その曲の言葉(意味や背景)を伝えるだけに集中できることほど幸せなことはない。」ほんとそうなりたいです。
今日はこの後、フォルクスで「ティーフランド」というオペラの立ち見に並びます。(見たことも聞いたこともないオペラだ!)なので「はにゅうす」夜中にもう一度書きますね。
何を隠そう、私が卒業試験で弾いた曲。全4楽章だけど演奏時間かるく35分くらいあります。最高傑作です。もちろん全部弾いたよ、信じがたいが(笑)。
第2問はそれだけじゃあわからん!
ベートーベンは「熱情」ですね。f-mollだったでしょう?
他はサンキュー。文章訂正しておきます。