日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山と河にて (7)

2023年08月26日 03時18分54秒 | Weblog

 美代子は、長い髪をターバンで束ね、胸元にフリルのついた白い長袖のワイシャツに長めの黒いスカート姿で、紫色のソックスと白い運動靴を履いて、玄関先で、大助が出てくるのを、もどかしそうに自転車の脇に立って待っていた。
 大助が、スーツを脱ぎ、白いワイシャツと黒のズボン姿で彼女が用意してくれた運動靴を履いて外に出ると、彼女は新しい自転車を彼に渡たし
 「これ、大ちゃんが乗るために、朝、大急ぎで寅太君に頼んで貸してもらったの」
と言ってニコット笑い、二人揃って遊び慣れた裏山の方に向かった。
 途中、街の人達に会ったが、皆が、笑顔で軽く頭を下げて挨拶をしてくれたが、大助は、こんな素朴な人達の住む街がこよなく好きである。

 裏山のゆるい下り坂の農道にさしかかると、大助は自転車をこぐこともなく両足をたらして惰性で先になり進み、美代子も後に続いた。
 五月晴れで澄み渡った青空のもと、遥かに望む山脈の稜線がくっきりと浮かび、遠くの飯豊山脈の峰々の残雪も陽光に照り映えており、そよ風が心地よく頬を撫でる様に、音もなく静かに流れていった。
 細く、なだらかな段丘の道を行くと、青草の中にフキの若い葉が道端一杯に揃って覆っていた。やがて、道の脇に覆い被さる様に群れなして咲く菜の花畑が広がり、その先には、村人が手入れしたチューリップの赤・白・紫の花が整然と列をなして見事に咲き誇り、丘陵を塗りつぶす若い緑の草原には、所々、ヤマツツジの真紅な大きい花が咲いてた。
 大助は、都会では見られない燃えるような春の風景に心を奪われ、日頃の煩雑さを忘れさせてくれた。 

 牧場の近くに林立する白樺の並木道が、少し上り勾配になっており、大助の後ろについてきた美代子は
 「大ちゃん、そんなに急ぐこともないゎ。自転車を降りて歩きましょうよ~」
 「お話しも出来ないしつまんないわ」
と声をかけたので、二人は自転車から降りて白樺の小道を木漏れ日を縫うように自転車を曳いて並んで歩きだした。
 美代子は、大学生活や最近の村の様子等を取りとめもなく話しながら、爽やかな微風に心地よく吹かれて、彼と歩いているだけで、清々しい気分になり、時々、彼の健康的で清潔感に満ちた姿を見ては、彼の中に自然と心が吸い込まれていくようで、どうして、こんなにまでも、彼が好きなんだろう、これが恋愛小説で漠然と知っていた愛とゆうものかっしら・・。と思うと、幸福感で心が満ち溢れ、彼に巡り合えた幸せを、心の中でマリア様に感謝した。
 そして、どの様なことがあっても、彼なくしては生きてゆけない自分をはっきりと自覚した。
 大助は、美代子が電話で話したときの悲壮感と違い、元気よく溌溂とした様子に、彼女の話かけにも、とまどって、時々、フーンと答えて歩きながら、彼女とのめぐり逢いは自分でコントロールできない不思議なことだと考えていた。

 柵で仕切られた牧場には乳牛が3頭青草を食んでいたが、美代子が
 「おとなしくて可愛いわね」「診療所に来る飼い主のお爺さんも可愛いがって育てており、時々、搾りたての牛乳を持ってきてくださるの」
と彼に説明していたら大助は、またしてもフーンと返事しながら牛を手招きすると、人に慣れているのか、ゆっくりと二人の近くに寄って来たので、大助は独り言の様に
 「じゃ。僕もこの牛にお世話になっているんだ~」
 「君の家に来るたびに、ご馳走になる牛乳はとても美味しいわ」
と呟きながら額をなでてやったが、美代子が
 「大ちゃん、怖くないの?。牛も気持ち良さそうに静かにしているようだけど・・。指を噛まれない様に注意してよ」
と言って笑ったら、大助は美代子の顔を見てニヤット笑い返して、彼が悪戯するときの癖である、片目をパチパチとさせて
 「君が不機嫌なときに、突然、僕の脇腹を突っくよりよっぽど安心だわ」
と冗談を言って牛の鼻先を撫でていた。 乳牛も目を細め大助に親近感を寄せているようだった。
 美代子は、そんな大助の返事に少し嫉妬心をにじませて
 「そんな風に言はないでょ。わたしは、大ちゃんの話が脱線気味になったようなときに注意の意味で親切に合図しているつもりょ」
と答えて拗ねていた。

 牧場を離れて少し行くと、棚田に注ぐ小川に雪解け水が流れ落ちていたが、その脇には山吹の黄色い花が咲いていた。やがて小川に架かる木橋を渡ったら、先の方の草薮の中から明らかに寅太の声とわかる喋り声が聞こえてきて、やがて姿を見せたら、大声で
 「お~い、大助君。あの喧しい老先生も君が来たら機嫌がよいだろう」
と声をかけて足早に近寄ってきた。
 彼は相棒の介護施設に勤める同級生の三太と、村でも狩猟の名手と噂されている、お爺さんとの三人連れで、竹竿の先に山鳥一羽と野兎を一匹ずつぶら下げていた。
 寅太は笑いながら大助に
 「この連休には必ず美代ちゃんに逢いに来ると思っていたよ」
 「何しろ、美代ちゃんは君のことで頭が一杯で、大学の勉強どころでなく、時々、お爺さんに八つ当たりして、流石に老先生も手を焼いて俺に救援の電話をしてきて困っているわ」「なぁ、三太。そうだよな」
と彼に同調を強要する様に促していた。 美代子が少しすねた表情で
 「寅太君、先程は駅迄送迎してくれて有難う。でも、そんなに大袈裟な話をしないでよ。意地悪っ!」
と薄笑いを浮かべて話しを遮ったが、寅太はお構いなく 
 「この鳥と兎の肉を届けておくから、賄いの婆やさんに鍋にしてもらえよ。この時期、脂がのっていて旨いぞ~」
と言ったあと、ニヤット笑って
 「今晩、美代ちゃんを泣かさないでくれよ。近頃、いやに泣き虫になったようで、俺にはわからんが大きな悩みがあるんでないかなぁ-~?」
と、薄々知っている美代子の家庭内の騒動を知らぬ振りして、何時もの寅太らしく陽気な顔で
 「年頃で美人だから、人が放っておく訳ないしなぁ」「村の有志達も漏れてきた噂話に気を揉んで大変な騒ぎだよ」
と意味ありげに笑って言いたい放題喋っていた。
 大助は、寅太と三太に明日会う約束をして彼等と別れた。

 近くの草原の中程に芝生の原っぱが広がり、美代子が手を当てて乾いていることを確かめると
 「大ちゃん、此処で休んでゆきましょうよ」
と先になって腰を降ろしたので、彼もその隣に腰を降ろし足を投げ出し両手で身体を支えて、やや反り返る姿勢になり皐月晴れの空を見あげた。
 美代子も、最初は彼と同じ姿勢で足を揃えて伸ばし、濃く淡く折り重なる山々の稜線を見ていたが、大助が
 「あぁ~、空も澄んでいて、いい景色だなぁ~。こんなにしていると、日頃の厳しい生活もすっかり忘れてしまうわ」
と言うと、美代子も、彼に合わせるように
 「本当だわ。心が洗われるようで、いつも、こんな気持ちでいられれば幸せなんだけれどもね」
と、静かな声で答えた。
 美代子は小さなバックからレモンの香りがする飴玉を取り出すと大助に一つ渡し、自分も口にいれ、二人は語ることもなく景色を眺めていたが、そのうちに大助が、彼女のすっきりと伸びた健康的な脛を見ながら
 「大学生ともなると急に成長した様で、益々、大人の艶気をかもし出して、魅力的な足になったなぁ~」
とニコットして呟くと、美代子は急に膝を軽く立て、両手でスカートの裾を抑える様にして膝の下で手を組んで
 「イヤネ~、足ばかり見ないでよ。なにも変っていないゎ」
と言って、横崩しにしてスカートで足を隠してしまったが、彼はそんな仕草を見ていて可愛いなと思ったが、少し間をおいて
 「ところで、僕に大事な相談があるって言っていたけれど、なんの話なの?」
 「僕の貧弱な頭で理解出来ることなのかい。難問はご免だよ」
と聞くと、美代子は、黙って答えることもなく、甘える様に彼に寄りかかり頬を近ずけてきたので、大助は彼女の背中に片手を添えて口ずけをしたが、彼女はそれを待ち望んでいたのか、燃え盛る情熱をたぎらせて長く離れ様とせず、終わると、彼の左腕に両手を絡ませ、もたれかかる様に頬を寄せて
 「見慣れている景色でも、大ちゃんと眺めていると、随分、違って見えるものなのね」
 「こんな美しい景色の中で、君と二人だけでいられる、いまの幸せな気持ちを失いたくなく、つまらない愚痴を話す気になれないわ」
 「いまは、この景色の様に、大ちゃんと二人だけの美しい想い出を、心の中に沢山残しておきたいの」
と感傷的に沈んだ表情で答えたので、大助は
 「君らしくないなぁ~。大事な話があるって言っていて・・。いざとなったら中途半端な話なんて・・」
 「昨晩、珍しく、お袋と姉にも行ってきてあげなさい。と、強く言はれて僕なりに心配して飛んで来たのに・・」
 「例え、僕達にとって良い話でなくてもいいから話して欲しいな。 お袋や珠子姉の態度から判断して、例えどんな話になろうとも、僕なりに覚悟はして来たんだよ」
と、青草を摘み取っては放りなげながら、彼女に話しを続けるようにうながすと、美代子は顔を伏せながら元気なく小さい声で
 「家庭内の複雑なことなので・・。君にも多少関係あるかも知れないが・・。あとでお話するわ」
と言って、彼の胸に持たれかかるように顔を沈めたので、大助はそのまま抱き寄せ、久し振りに抱擁した彼女のしなやかな体と移り香に魅せられて、再び唇を合わせ、話を聞くことを止めてしまった。
 大助にしてみれば不吉な予感が残ったが、出発前に珠子姉から忠告されたことが頭をよぎったからである。
 美代子は、彼から離れると、そよ風に優しく揺れる長い金髪を、時々、手で押さえて、遠くに霞む山脈を指差し
 「あの山奥の渓流に、去年の夏、お爺さん達と釣りに行ったのよ。覚えているかしら」
 「もう、あんな楽しい山歩きは、わたし達二人には二度と訪れないわね」
 「なんだか、大人になるのが怖いみたいだゎ」
と、そのときのことを懐かしむ様に話したが、大助は、彼女の相談事を無理して深く聞くこともなく、ただ、鼻筋の通った細面の白いその横顔が、心なしか憂いを含んで寂しく映って見えた。

 二人は、帰り道に野イチゴを見つけては摘んで遊び、今度は美代子が先になり、ゆっくりと走りながら銀輪を光らせて、診療所に帰ってきた。
 美代子が、玄関先で帰りを告げると、お爺さんが頼んだのか、彼等の間柄を熟知して影で喜んでくれているいる、賄の小母さんが
 「お天気も良かったし、のんびりした牧場の風景もよかったでしょうね」
と笑顔で声をかけて迎えてくれ、お風呂の用意が出来ていると言ってくれた。
 
 
 

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