今日は、仕事から帰っても、いつものビールも1杯だけすすまず、どうも体調が悪かった。(ーー;)
熱測ったら、37.5℃あったんで、冷えピタしながら8時ころ床についたが、アルコールが入ってないせいかどうも寝れん。
腹痛で、便所にも4,5回行く始末。<`~´>
さすがに、寝れんので、今、床から起きて、ビール片手に、暇つぶしにブログを書いておりまっすぅ。
することないんで、俺のしょーもない生い立ちでも書きまっすぅ。暇な方は、ぜひ、読んでください。
昭和49年12月10日生まれ 兄弟俺含めて5人 母生存・父死亡。
兄弟は、兄貴・姉ちゃん・妹2人。
兄貴は、今現在は、まじめに勤労に励んでいます。
姉ちゃんは、外国人と結婚して10年ほど前からずっとアメリカ(アメリカ人の旦那は、シャブ中で、姉ちゃんは今現在アメリカの夫の暴力等から母子を守ってくれるような国の避難所暮らし)
妹の一人は、母子家庭。(原因:夫の借金・浮気)
もう一人の妹は、おやじの妾の子で腹違い。一回しかあったことがなかった。
その一回あった時は、おやじの葬式の時。
妾とその子(当時その子は3歳位)が葬式にきて、おやじの棺桶にしがみついて「パパーパパー」って大声で泣いてたのが印象的。
葬式には、近所の人も来ており、妾の子なのがばればれで、おかんは、顔から火がでそうやったっていうてた。
その当時、おやじには4人の妾がいて、その妾の2人とはおかんも仲がよかった。
おかんもおかんやと思う。自分の夫の浮気相手と自宅に呼んでは、いっしょになっておやじの文句を楽しそうに言ってたから。
おかんから聞いた話では、ある一人の妾と別れるときに、おかんも一緒につれていかれたそうです。
おかんは、「あんたが好きで作った女と別れるのに何で私がついていかなあかんの!」と言ったらしくそれでも無理やり連れて行かれ、別れ話がもつれて、おやじは、妾の女はどつきまわすし、ついでに関係のないおかんまでどつきまわされたらしい。
次の日になって、おかんが「関係ないのに何で私がどつかれなあかんの!!」っておやじに言ったらしく、ちょっとは冷静を取り戻したおやじは、おかんに、「悪かった」と言って、10万手渡したらしい・・・・(-"-)
母親は、おやじが死んでから、自分の故郷の四国で一人暮らし・・・・
父親は、殺されて10年ほど前死亡。元極道でしたが、僕が生まれた時には、足を洗ったみたいです。小指欠損・背中には上り龍の刺青があった。今でも記憶に残っているのが、俺が4歳の時に父親と一緒に風呂入った時に、はじめて背中の刺青をみて「お父さん何これ??」って聞いたら「お母さんが、らくがきしたんや。もっとタオルでこすったらとれるから、もっとこすれ。」って言われたことが何か記憶にかなりやきついてます。
おやじは、4歳の子供が、この背中の絵をなにを物語ってるのかを理解できないとおもったんでしょう。
その後、僕ら子供が成長するにつれて、おやじは一切背中を見せんようになりました。
たまに、夏の暑い時期等は、上半身裸で、風呂から出てきて、僕らがいるのが分かると、背中を見せんようにカニさん歩きでよく食卓の椅子へついていました。
欠損した小指は、誰にも見られたくなく、いつも手はグーでした。運転するときも、本を読むときも・・・
兄弟のみんなが、おやじのことを嫌いだしてきたのは、小学校に入った頃からでっす。
というのも、おやじは、小学校に入ると、すぐに勉強・勉強・勉強ばっかりするようにスパルタ教育になってきたからです。
日曜日は、必ず、おやじとのキャッチボールが習慣となっていました。(おやじの強制で・・・)
それが、いやでいやで、たまりませんでした。
普通は、日曜日におやじとキャッチボールといったら、ほのぼのした光景でしょうが・・・・・
うちは、一日100球のキャッチボールと決められており、ボールをキャッチできひんかったら、また1からスタート。
ついでに、キャッチできひんかったら、おやじが一歩一歩近づいてきて、そのままのスピードでの球投げ。
しまいには、俺と、おやじの距離1メートル位のときは、恐ろしくで仕方なかったです。
1メートルの近距離で力いっぱいボールを投げられたら、キャッチできるはずもなく、もちろん腹か、顔面に直撃(>_<)
ほんで、顔面に青タンができる始末。
((キャッチボールが習慣になってたけど、おやじは一切野球に興味なっし。意味わからん。))
また、腹痛くなってきたんで、続きは今度にします。
便所行ってきます。
では、おやすみなさい。