俺は死への恐怖はない。
死へたどり着く苦痛には恐怖がある。
この鈴木家、親父は37箇所ブスブスに刺されまくって死んだありさま。
姉は、アメリカで首つり自殺したありさま。
次は、誰か・・・・・・・・・・・・
俺かもしれん、いや、俺がええ!
俺は、死を覚悟しての人生。
闇金が吠える。
「お前殺してしまうぞ!!」
あほうが、殺せ、くず。
「お前の言葉に恐怖なんぞ感じない。ワンワンないている犬と一緒。負け犬の遠吠え。」としか聞こえん。
あの世とはあるのか分からん。
俺は、あの世でおやじと姉貴に逢いたい。
つくづく思う。この俺の人生のしょーもなさが・・・・・・・・・・・
ポジティブに生きる??よく聴く言葉やけど、どうやってポジティブにいきるのか・・
人間、人それぞれあるが、ポジティブに生きることに何の意味があるのか?
単に、いい事があれば、そのポジティブ感に、因果関係を自分自身で結びつけているにすぎないかとも思う。
逆に、ネガティブに生きている人々にいっさいいい事はないのか?
簡単に言うと「いいことを思うといい事が起きる。悪い事を思うと悪い事がおきる。」ということを言っているだけにすぎない。
私個人的な意見としては、科学的に立証できないことに関しては、人間はそれにしがみつく。そして自分の弱さに嘆き、自己啓発で何とかしようと頼ると思う。
その人々が自己啓発で幸せを感じるんであれば、私は何も問題ないと思う。
私は、違う。
頼るのは自分だけ。自分で意思決定し、結果がどうなろうが、自分の意思決定の結果。
確かに、意思決定する前提として友人知人の知識をかりても、結局は意思決定するのは自分自身。
その結果がどう出るのかは、自己責任やと思う。
あまりにも自己啓発本が出過ぎているが、その中には「願えば他人の思いもかえられる。」などと記載している。
この言葉には憤りを感じる。
変えられるのは自分の思いだけ。
人の思いなど変えることはできない。確かに説得・説教して他人の思いを変えることができても、それは説得・説教されての他人の自己の意思決定に過ぎない。
「願う」とは、説得も説教もせずに単に、自己で他人の思いを願うだけの話。
誰でも「お金が欲しい」と思うが、よくある本には「こうすれば、お金が入る」等とうたっているが、本を出している本人が金が欲しいだけ。
金が入る方法が分かっている人間が、なぜ、人にその秘訣を教えるのか不思議で仕方ない。
私は、何百冊と自己啓発本を読んだが・・・私個人的な意見としては、結果は、上記のとおりに至った。
自己啓発本のすべてを批判するつもりはないが、それで幸せを感じる人にはもってこいの本。
でも、俺は、違う。
俺の結果論としては、人間は、「思考」→「感情」→「行動」と考えられると思う。
人間の思考は1度に2つの事は考えられないと思う。
一番の「思考」を変えれば、気分はよくなると思う。
しょーもない出来事で「思考」を一杯にすれば「感情」は落ち込み、「行動」は何もする意欲がなくなる。だから、「思考」をコントロールすることを覚えればいいと思う。
なかなか簡単ではないが・・・・・
落ち込んでいる時にいいことなんか考えられないのが人間やから。
俺の意見からしたら、人間は一度に2つの思考ということができないから、思考をコントロールすると感情も豊かになり行動も活発的になるかと思う。
賛否両論あるが、俺はこの方法を信じています。