幼馴染のお母さんのところに行くと、小さい頃と同じようにご飯をつくってくれて、
すこしでもいいから食べなさい。と。
大丈夫よ。きっとよくなるわ。と。
そして、
「こんな時にお父さんどうしたの?」
わたしは涙が止まりません。
そうだよ、、、、
普通、お父さんつきそうでしょうよ、、、、
母が、単身赴任の父が上京するとき、いつも憂鬱だったこと
小さい頃から警察沙汰になったり学校によびだされてばかりで弟にふりまわされてうんざりしてたこと
結婚してからも弟夫婦がもめると夜中にすっ飛んで行かざるを得なかったこと、お父さんと離婚したいのに経済的な理由で離婚できなかったことなどを教えてくれました。
ああ、そうだったのか、、、、、
弟夫婦のいざこざに関しては父にも内緒
わたしにもばれないようにふるまっていたから、わたしに
「弟ばっかり優遇されてる」と言われても何も言えなかったのか。
もっとうまいやり方あっただろうよ、、、
でも、、ひとりでかぶってストレス抱えて、、、、
それなのに、、、それなのにわたしは
父が上京するのはたまになんだからその時くらいきぶんよくさせてあげればあとは自由にしてられるのにと母に怒ってました。
母からしたら、わたしは何もわかってくれない娘。憎しみの対象であたりまえじゃないか。
わたしは、父と弟と共謀してわたしを蔑んで笑ってる毒母だと思っていました。
毒母だったことに変わりはないのですが、、、、
話してくれればよかったのに。
人生は一回きりなのに。
父は手をあげることはなかったけど、物を投げたり大声をあげたり、家庭内暴力に準ずることをお酒を飲むと繰り返しやるようになりました。
そのとき、とっさにわたしに罪をなすりつけて逃げる狡い母でしたが、わたしは何度か母に言ったことがありました。
引退してずっと家にいるようになったら、かならず暴力をふるわれる。
離婚しても十分やっていけるだけのお金はもらえるから、離婚したほうがいい。
と。
でも、孫かわいさ、息子かわいさに決断できなかった母。
相談してくれたら、いくらでも知恵を貸してあげたのに。
相談してくれたら、一緒に問題に立ち向かってあげたかった。
ま、死後、その時のわたしの気持ちは全く無駄だった、母は心からわたしを憎んでいたことを気付かされるのですが。苦笑
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