☆はぴはぴ☆のはっぴーすまいる

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ふと思うこと☆

2019-01-13 07:30:19 | 伝えること



以前、小学生だった頃に担任の先生からお願いされたことがありました。

よく教室の隅っこで泣いていた女の子をグループに入れてちょっと面倒をみてあげて、というものでした。

あの頃はまだその子は言われたことをどうやったら良いか理解できずにすぐに泣いてしまう子という印象でした。


もしかしたら今で言う《発達障害》と呼ばれる症状を持つ女の子だったのかもしれません。


卒業した後は校区が違うので違う中学校に通うこととなり、その子のその後は分からないなぁと、中学校は新しい環境になり、私自身もいっぱいいっぱいでずっと忘れていたなぁと、今になりあの子は大丈夫だったのかなぁと思い出されます。

おしゃべりをしたとか、大きな声で笑ってくれた印象、いえそもそも彼女から発する音声の記憶自体はありません。しかし泣き顔と一緒にちょっとした笑い顔の記憶も残っていることが自分の中で救いとなっています。

どうしているのでしょうか。


もう一人同じクラスにいつも授業中に立ち上がってウロウロしたり、奇声こそありませんでしたが先生が説明している最中やら誰かが何かを言った時などにいろいろ被せて発言したり、椅子に座っていてもいつもガタガタと揺れている男の子がいました。


担任の先生は4年生から卒業まで同じ先生でした。


ある時の席変えから私の隣には必ず彼が座っていました。


あの頃は彼が立ち上がろうとすると服を引っ張り引き止めて、ガタガタ揺れるとふくらはぎをピシャリと叩いていた、という記憶はありませんが(笑)


先日実家に泊まった時に母が懐かしい思い出話を始めて、その時の担任の先生が卒業近くの懇談の時に「 いつもそのように他の友だちに分からないようにいろいろやってくれた。」と言っていたよと教えてくれたのです。


そう言えばそんなこともあったなぁと思い出されました。


彼もまた今は《発達障害》という大きなくくりになるかと思いますが、ADHD(注意欠如・多動症)の可能性が高かったのでは?と思います。


当時はそのような名称の症状があることすら分からない時代でしたが多分ではありますがそのような落ち着きのないというお友だちはいました。今でもクラスに一人くらいの割合ではそのような症状の子どもがいるという話を聞きます。


私の子どもたちの時代、25、6年くらい以前でしょうか。《学級崩壊》という言葉が良く聞かれ、ADHD的な症状の子どもはその原因として挙げられた時代でしたが、今はそのようなお子さんたちの受け皿的なデイケア施設も増えてきたなぁと思います。


とても気持ちの優しい心根の真っ直ぐな子どもたちが多いです。商業的な目的のところではなくてきちんと将来のことを心配してくれる人に廻り逢って欲しいです。


見かけはまったく分からないのです。


生きづらさを抱えながらそれでも一生懸命生きているのです。


そんな人もいるということを認めて、伝えたいことは何かを聞いてあげられる人になりたい。



と思う今日この頃の私です。



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小さなステップアップも前進です☆

2018-12-25 05:02:18 | 伝えること



今年もあともう少しで終了します。

メリークリスマスです。

終了間際にちょっとした大きな動きがあってさらに忙しさに拍車をかけていますが、それは動いた方が良い動きであると「 YES・NOカード(ん〜、ちょっとなんか違う(笑)) 」もそう言ってくれたのでそうなのでしょう。

来年もまたいろいろなことがあり、忙しいのでしょうなぁ。

足踏み状態が続くのかと思いきや、それでも前進しているのはその以前の失敗したと思っている経験が生きてきているから(笑)


失敗は失敗ではなく成功へのワンステップ。

こちらの実験はこれがダメでこれは良しという結果が分かりました。

では良い結果を持って次のステップへ邁進しましょう。


ただし、新しい道はどんなことが待っているかは分からないので、進んで行くには勇気がいります。


【No Need To Worry 】。


ダメで元々(笑)


以前と変わらないだけでしょ(笑)


一度元に帰れば良い。


行きつ戻りつ少しずつでも、足を前に出すことが大切。

なんだかんだ山にも登ることができたし、21キロ三万歩(;´∀`)だって歩き通すこともできるんだから(笑)


平成としては最後の【天皇誕生日】のお休みと、クリスマスイブ、クリスマスと続きますが私は仕事に出勤します(笑)


雪も降ったり止んだりしていますがこれから年末にかけて雪も降りそうです。


皆さん、無事にふるさとに着くことができますように。



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この土地で生まれた者 ☆

2018-08-17 05:59:12 | 伝えること

Photo by☆hapihapi☆ 黒岳7合目からの景色



北海道命名の地「 天塩川 」


幕末に蝦夷地を6回にわたって旅した探検家・松浦武四郎。アイヌの人々と接して地名や彼らの暮らしぶりを記録し、世に伝える功績を残した。天塩川流域でアイヌ語の【 カイ 】が「 この土地で生まれた者 」を意味することを知った武四郎は後年、政府に対して蝦夷地に代わる呼称として【 北加伊(カイ)道 】などを提案。これが北海道の地名の元になったとされる。こうしたことから天塩川流域を【 北海道命名の地 】として、記念碑などが建てられている。


というコラムを見つけました(*´ω`*)


今年は北海道命名150周年ということで、開拓時代の特集が放送されたりいろいろ歴史について目に触れることが多いです。


今はきれいな道路や畑が整備されていますが、開拓の時代にはどんなにか大変な思いで土地を広げていったのでしょうか。

切なくなります。


北海道にはアイヌの方々が呼んでいた地名をそのまま漢字に当てはめて付けた難解な名前がたくさんあります(笑)


「 北海道 」はそのまま字の如く、北の海の向こうの島だからこうした名前なのだと思っておりました。


武四郎の行った功績も素晴らしいですが、人柄も半端なく素晴らしい方だったのでしょうね。

とても優しい方だったのでしょうね。

地名の語源がアイヌの方々の呼んでいた地名を元にして付けられた町が多いことにも現れている気がします。


先日、アイヌの方々が開拓時代にどれほどの苦労をされていたのかという内容のTV番組を見ました。

大変切なくなりました。


もしかしたらお近くでひっそりと暮らしていらっしゃるのかもしれません。




今私たちが当たり前のように便利に暮らして、あちらこちらに移動できること。


先人の方々が山を開き、道なき道を作り、土地を開いてくれたおかげです。


当たり前が当たり前ではなかった時代は、そんなに遠い昔の話ではなかったということなのですね。




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限界のあとのもうひと押し☆

2018-05-08 05:07:23 | 伝えること




ツボ押しのコツはここまでが限界💦💦💦のあとのもうひと押し。

何かを成す時に自分なり精一杯やったとしてもいつもと同じ百パーセントの力では同じところをぐるぐる廻っているだけです。


ここまでが限界💦💦💦のあとのもうひと押し(笑)


百パーセントの力プラスあと五パーセントもしくは十、いやいや二十パーは出ないかい?


くらいの気持ちがなければ高見には昇れません。

同じ高さをぐるぐる廻っているだけという無力感はたくさん味わって来ました。

何をやってもやっても「 また? 」という悪循環無力感。


もう堪忍袋の緒が切れた!(笑)


レレレのおじさんのようにホウキでものすごい勢いで掃き出してさらにかっ飛ばしてみた。


スッキリしてあとは知らん!(笑)


すると迷った時にも自分の楽しいと思うことを選択していくことが多くなりました。


そして人は誰かが楽しそうにしていると覗きたくなるらしく、いつの間にか様子を伺い始める、みたいな?(笑)



初めは濁っていた泥水が重たそうに動き始めましたが、今はあちこちに残っている石に当たりながら、引っ掛かっては止まりながらまた少し進みながら、また止まりながら逆らいながら(笑)



それでもとにかく動いている。



あとは上を向くと水の中の頭上に光が見えるはずだけど、気づいているのかいないのか?


私は水上にようやく顔を出して周りの景色が少し楽しめるようになりました。


手を引いて行くことも出来るのかもしれませんが、水上の景色も楽しいよと伝えて自分の力で見た方が心への焼き付き方が違う気がします。


限界のあとのもうひと押し。


人に押されると痛くなりすぎる可能性も高いです。

そうするとかえって痛みが増すことも考えられます。


自分の「 痛気持ちいい 」まで押すと、ツボも気持ちもスッキリしますなぁ。

心も身体も軽くなぁれヽ(´・`)ノ



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魂に刻み込む☆

2018-03-12 05:18:16 | 伝えること




もう7年経つのですね。

本当に時間の経つのは早くて、気持ちが追い付いていきません。


下の子はちょうど卒業で、PTA会長さんが壇上で「 こうして式を開催して無事に卒業できることがどんなに幸せなことかということを痛感しています 。」と、紙に書かれた文章ではなくご自分の言葉で語られたごあいさつを思い出しました。


人間が作り出したものは素晴らしいものがたくさんあります。

しかし自然の力はさらに大きいことを目の当たりにしました。


何かに頼って記憶に残してもいとも簡単に失ってしまうこともあるのだと痛感した瞬間でした。


なので卒業式には映像的な機器を一切持って行きませんでした。


映像を残すことに集中すると意外と記憶に残っていない。

それなら集中して記憶として残しておこうと思い立ちずっと式が進行していくのを見ていました。
ただただ見ていました。


機械に頼れば映像としては残りますが、多分しっかりこの目で見てはいない。


しかし魂に記憶しておくといつまでも残っているんだな。

そう感じたのでそのようにしたことを思い出しました。



この次の道が、楽しくて笑顔いっぱいの光輝く道でありますように。

生きている私たちはますます幸せに笑顔いっぱいの楽しい道でありますように。


私には祈ることしかできませんが
祈ることならできるのでそのように祈っております。

この次は幸せに。
これからますます幸せに。


なので一度自分の居場所に戻ってそこから少しでもいいので顔を上げて進んでみてください。


いろいろなことに関わり合いながら私たちは生かされているのだな、と思います。



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