☆はぴはぴ☆のはっぴーすまいる

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おかげさまで転院しました☆

2017-04-30 05:05:55 | 伝えること



二転三転しつつもとりあえず前よりも自宅近くに転院しました
ホッとしている間もなくただただ言われるがままに
言われたことをしていたというこの一ヶ月半です

たくさんの山積みの義母関連のいろいろを整理しなくてはと

支払った医療費の領収書を見てさらに衝撃です



入院してすぐに病院からアドバイスを受けて
役所に手続きをしに行きました

高額医療費の支払いの件です
なので多分最低限の金額で請求されていると思います
それでも・・・・・という金額でした


これは義母が高齢者医療費だからこれで済んだと考えるべきなのでしょうか?

本当にこの一ヶ月半でいろいろなことを考えさせられています

自分や家族が倒れないという保証はない

いつなんてない
倒れないということもない

自分の知らないところで分からなくなってしまっているのに
こんなに負担がかかってしまい
かかってしまっているから支払わなくてはならない

金銭面ばかりではなく
精神的にも実際に走り回るので肉体的にも
負担をかけさせてしまうのですね

義母から学ぶことはとても大きい


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どうしてなのでしょうか?☆

2017-04-29 06:03:11 | 伝えること



ここ数年間でいろいろなことができなくなり
と言いますか分からなくなり
私たちとの生活する上での約束ごとを
守ることもできなくなりました

いえ、人として生活するというための約束事を
守れなくなりました

このままの状態で勝手に外に出ていって
他の方に迷惑をかけてはもう一大事です

そう思い施設を探してグループホームに入居させました

グループホームの毎月の負担は大きいので
毎月の体質改善の飲み物もかなり良いお値段なので
入居するときに一度は止めようかと考えました

それでも見つけたグループホームは
家賃と呼ばれる部分の金額が他のホームより
格段お安かったので・・・

なので一般的なお家賃を支払っていると考えて
できるところまでは飲ませてあげようと続けることにしました

体質改善の飲み物は毎月ホームに持って行き
お昼に飲ませてくださいとお願いしていましたが

私は飲ませてくれていると信じていたのですが

2月の半ば過ぎに持って行くと
「 たくさん余っているから 」と置いていくのを断られたのです

いつも一ヶ月分30袋入りを持って行くのです
私の中で余るという感覚はありません

しかしそう言われて仕方なく
「 1日一袋を飲ませてください 」とお願いして
2月分は持ち帰りました

少しだけイヤな予感はありましたが

子どもの引っ越しの準備もあり
そこだけ集中している訳にもいかなかった

施設なのでクスリは欠かさず飲ませていたと思います

そんな中3月に入りホームから体調がすぐれないので
病院へ連れて行ってくれという連絡が入りました


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人生はドラマ☆

2017-04-28 06:07:41 | 伝えること




人は産まれて来るときも一人 死にゆくときも一人です
そんな言葉はよくよく聞きます


今回の義母の一件で いろいろなことを考えさせられました

身体は大変元気でした

と言いますか同居を始めたばかりの頃は
まるでトランプのババ抜きをしているかのように
「今日はどこの病院?」と診察券を開いて聞いていました

脳神経はもちろんのこと
整形、耳鼻科、歯医者、眼科、内科、皮膚科って
後は何科が残っているの???っていうくらい
ほぼほぼ病院でした

しかもお薬手帳には
認知症のクスリの記録があるために
一人では来ないように言われて
ほとんどの時間を付き添いで費やしていました

自分自身の時間がほぼほぼおばあちゃんの病院です


あの頃は自分の体調が悪くて
自分も病院にかかっていましたが
自分がクスリに違和感を感じてそっとクスリを飲むのを止めて
体質改善とダイエットを行っていた頃です

血圧も普通に安定して体重は15キロ減りました

なので義母にも私が体質の改善に飲んでいたものを
毎日毎日飲んでもらいました

血液の細胞が入れ替わるのに大体3、4ヶ月
そう健康のセミナーで教えてもらいましたが

義母は月に一度内科で血液検査をしていました

同居を始めたのが7月でした
そこから毎日飲み始めて
8、9、10、11月の血液検査の結果を聞くのが12月

忘れもしない12月の先生の言葉

「 いままではどっかこっか数値が引っ掛かっていたけど
今回はキレイだね、一つも引っ掛かっていないね
この調子でね 」


それ以来検査の結果で数値の悪いと言われたことは
一回もなかったのです

むしろ血圧がデイケアで測ると40、80という

・・・それって生きているの?と

看護師さんだった知り合いに言われるほどの数値のまま
病院にも伝えてクスリを一度止めて様子を見て欲しいと
お願いしながら1~2年ほど相手にされずに
大丈夫と言われてクスリは飲んでいました

自分では感覚で分かるので
自分のクスリは自己判断で止めました

しかし義母はクスリは飲むと言いました
なのでクスリを飲みながらの体質改善でした

デイケアの看護師の資格を持つ担当者さんから
血圧が低すぎて入浴をさせるのが心配でできませんと
連絡が届いてようやく病院でもクスリを止めてくれました

クスリを止めても突然に数値が上下するということもありません


しかし、血圧が低かった時期に
一気に認知症の症状は悪化していった気がします

血圧が高いのは圧が高くないと脳まで必要な血液が届かない

という人間という精密な働きがそうさせている

それを無理にクスリで血圧だけ下げるとどうなるのか?

その人に必要だから血圧のポンプを思いっきり押して
泥水のような血液を脳に届かせている

それを無理にクスリで血圧だけ下げるとどうなるのか?


想像の域ですが


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もうひとつのドラマ☆

2017-04-27 05:21:16 | 伝えること


実は引っ越しの直前にある出来事が平行して起こっていました
それは今も継続中です


以前にこちらでもUPしたことがありましたが
我が家は義母と同居していました

あまりにも認知状態がひどくて
昨年の今頃からいろいろとどうしたら良いのかを
探し続けていた義母のことです

状態から報告しますと
引っ越し直前に脳内出血で倒れたのです


お正月明けくらいに私はとある夢を見ました
具体的には夢なので理路整然とはしていません
しかし鮮明に覚えていました

自分では子どもに関する一大事だと思い込み
その時にしなくてはならないことに集中しようと
一度ブログも止めました
何故か以前にUPした内容もすべて削除しなくてはならない
そう感じてすべての記事も削除しました


義母のグループホーム入居の顛末も昨年の8月15日頃に
8月15日までに決まりますと宣言したら8月15日に
入居して良いという連絡をホームの責任者さんからいただいた

という内容でUPしていたはずでしたし
あの時は本当にまさにその通りの出来事だったのです


まさかの義母のことだったとは・・・(夢の話ね)

倒れた当時は大変危険な状態でした
病院に救急車で運ばれましたがお医者さんの説明では
今もうこの瞬間に息を引き取ってもおかしくはない状態です


えっ?


結論から申し上げますと
とりあえず今は出血は止まりました


危険な状態は脱したという担当の先生のお話がありまして
今まさに自宅近くの病院へ転院の手続きの真っ最中です



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ここに行くんだねρ(・・、)☆

2017-04-26 06:08:06 | ちっちゃな奇跡(少笑)


最終日は役所関係です

二人でナビを手にいざ地下鉄へo(`^´*)

おっしや!乗るよ!!!って
駅に止まっていた地下鉄に飛び乗ります

次の駅に近づくと・・・「ここで降りないと・・・」
何で!???(・_・)
「だって、多分・・・反対方向・・・」

σ( ̄∇ ̄;)・・・なんですと???


結局やっぱり反対方向に乗ってしまっていました
何故にもっと早く言わない!???などと叱られて

まあ大体が私の勘違いに端を発していることが多くて
子どもは叱られても淡々と進んで行きます

ふ~~~~~ん(・_・)


区役所にようやくたどり着くとやはり大都市半端なく混んでいます
待つしかありません

お昼時です

食堂で先にご飯食べて来ようか?

今回の東京での二人で食べる最終ご飯は区役所の食堂です
彼はカツ丼とお蕎麦のセット
私は天ぷら蕎麦

なぜなら

浅草でお蕎麦を食べたいと調べて行くも
あまりの混雑さに食べて行くことを断念した

という想いが我々の脳裏から離れずに
無意識にお蕎麦を注文させたと思われ(笑)


食べて戻るとちょうど完了していて住民票も発行できました
とりあえずこれで免許も住所変更してしまえば
後は免許提示で大体のものは変更できるかな

後は会社から給与の振り込みの銀行と支店を指定されていたので
とりあえず通帳の開設に向かいました

飛行機は4時50分発(´・ω・`)

銀行を出ると自分の中でのギリギリタイムリミット

もう行かなきゃ
ここからは自分一人でアパートに戻るんだよ


んじゃ!!!o(`^´*)


そこで別れて私は最寄りのJR駅に向かいました
歩道橋から下を見るとこちらを見ていたので手を振って

急がないと迷っている時間もない!と走り出しました

その後は本当にこれに乗って大丈夫なのかという不安と戦いながら
無事に羽田空港に着きました
まだまだ気が抜けません

手荷物の検査はどこで???

とりあえず「道民の翼」の矢印の示す方向へ向かいました
まだあまり人はいませんがここで大丈夫なのか尋ねるとそうだと

よし!
もう入っちゃえ !

そこからの道のりが長いこと・・・
一人で向かうと不安になりますが
前回子どもたちと一緒に来たので多分大丈夫(笑)

無事に搭乗し離陸して小さな窓を覗くと

背の高いビルや大きな川が夕陽に照らされてキラキラしていて

なんだか「んじゃ!!!o(`^´*)」って置いて来たけど
一人で今ここにいるんだ

そう思った瞬間に涙が出て来て恥ずかしいったら・・・
えっ(´;ω;`)って隣のお兄さん見たらもう寝てる

良かった

とても切なくなるけど後は自分でやるしかないので

まさか東京に行けるなんて思ってもいなかった
数ヶ月前まで(笑)

今日の彼の姿を思い出した
小さな頃の姿を思い出した

小さな頃から泣き虫で
いつも泣いている姿が思い出される

兄弟が多くて私の注意も一人に集中している訳ではなかったので
出かけるといつもはぐれないように手をぎゅっと繋いでいた

私の中でこんな大きな街に行くということを
まさか彼が選ぶとは思っていなかった

それでも昨年の今頃に
自分で行けると思ったら道内じゃなくても良いんだよって
まさか本当に行くとは思わずに言っていたのです


でも・・・(´・ω・`)


ほんのり行くのでは?とその時思ったのかもしれません


今日は私の中での彼はまだ幼い姿のままで
こんなに人がいっぱいなのではぐれないようにって

常に彼の姿を追いながら行動していたと思っていました

でも・・・(・_・)


彼もまた今度は私が迷子にならないようにと
逆に私の姿を心配して追っていたのかもしれません

歩道橋の下からこちらを見ていた彼


ふ~~~~~ん(・_・)



よっし!!!
今度からは大都会遊びに行けるんだね~(*´ω`*)

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