行く手に困難が待ち受けていたとしても行かなければならないのであれば行かなければなりません。
真っ直ぐに王道を進んでいたとしても時には王道がくねくねすることもなきにしもあらず(^_^;)))
そんな時にはくねくねしながら逆らわずに進んで行きましょう。
淡々と曲がりくねった道を信念曲げることなく進んで行くと目的地には着くのです。
曲がりくねった景色の良いルートを楽しみながら進んで行きましょう。
そんなことが書かれた文章を読みました。
大変そうです(´;ω;`)
と思ったとしてもやはりやらなくてはいけないことは数多くあります。
どうして私が?とか
何故にあなたはやらないのか?
とかとかヽ(´・`)ノ
思いがちになりますが、結局最後には自分で始末しなくてはならないようなことになってしまいがちです。
ならば、喜んで最初から引き受けよう(笑)
子どもたちが学生の頃はなり手のいない学校の役員は一番最初の時に立候補です(*´ω`*)
そうするとまずは自分のやりたい「広報部」に必ずなれます。
大変でしたがそういうことが好きだったのです。
一番最初の父母懇談会は役員決めが多いので、立候補した私と先生の個人懇談のようになっていたこともありました(笑)
だけどね、私は立候補した時のクラスの役員さんも広報部の皆さんも嫌な方は誰もいなくてとても楽しくかったという記憶しかありません。
転勤族なので転校するたびにどこかの学年で役員をやりました。
広報部です(笑)
しかし、一番上の子の時にはまだ幼稚園の子と乳飲み子がいたので、「できないからまだやらなくていいから。自分がやるからあなたは小さな子が手が離れたらやって。」と言ってくださる方々がいたのです。
なので上の子の時には一度も役員をしたことがありませんでした。
そんな時代でした。
下の子たちのときは小さな子がいても子どもの数だけ必ずどこかの学年では役員をすること、という暗黙のルールがありましたから、結局ちょうど三年から四年しかその土地にはいないので毎年どこかしらの学校で広報部(しつこい(笑))をやっていました。
ほぼほぼ転校先の新しい学校での活動でしたから、下っ端の顔で活動できました(笑)
引っ越しのない環境でしたら15年もの長い間「 小学生の母親 」という立場ですか・・・。
「 主(ヌシ) 」(;゜∀゜)
と呼ばれてもおかしくはないことになってしまうところでした(笑)
下の子の時には幼稚園の全体の役員とクラス代表をやって大変な思いをしましたが、ご一緒させていただいたお母さんたちがとても良い方々でしたからフォローしていただいたのでなんとか無事に終了しました。
その時以来広報部専門で引き受けました(笑)
一番下の子の時には四年生の二学期に転校して、五年生の春に広報部に立候補しました。
毎年出来上がった広報誌のコンクールがあるのですが、50校くらいの入選的な賞をいただき、最後の六年生の時にはもう本当に最後の最後だし、と( ´∀`)
やっぱり広報部に立候補しました(笑)
やっぱり先生と個人懇談的な(笑)
先生は「 昨年役員をやってくれたので今年はいいのですよ。本当にいいのですか? 」と聞いてくれました(笑)
最後の最後に選んだ広報部で作った広報誌で昨年以上の賞を取ろうねって集まったメンバーには昨年から引き続きの方々が何人かいました(笑)
そしてその年のコンクールの10校ほどの入賞を果たして表彰式の表彰台で表彰されました(*´ω`*)
最後の最後に自分の頑張りが表彰されたようでとても嬉しかったことを思い出しました。
もうすぐ四月です。
新しい生活が待っている方々がたくさんいるのでしょうね。
自分がイヤだからやらない、という方向ではなくて、「 自分がやらないと自分の心がイヤな想いをするからやってやるo(`^´*) 」という方向で攻めて行くとなんだか楽しく終了してしまったということが多くなる気がしますよ(笑)
今年もそれなり頑張る春になりそうで~す( ´∀`)
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