<おじいさんの事>
突然ですが、15日、午後7時35分に、
旦那さんのおじいさんが亡くなってしまいました。
老衰に近い状態でした。
もう80歳を越し、男性としては長生きだった方だと思います。
<おじいさんの思い出>
おじいさんは家の近所にあるグループホームで生活していました。
私はおじいさんとは結婚してからのお付き合いでしたが、
旦那さんが昔のおじいさんの様子など、よく話をしてくれました。
おじいさんは戦争の中を生き残り、
会計の仕事をしていて頭が良くて、
自分の生まれた年をしっかり覚えていて、
周りの人から「今何年?」と西暦を聞いて、
引き算して今の自分の年齢を答え、
ユーモアがあって、子供が大好きで、
あやかなちゃんが訪問するとすごく喜んでくれて、
と、私はすぐにおじいさんに親近感を持ち、
グループホームには定期的に会いに行っていました。
私が最後に会いに行ったのは5月2日の日曜でした。
おじいさんは耳が遠くて、なかなか話しが通じないのが難点だったけど、
耳元で話せばちゃんと応えを返してくれるし、
普段と変わらず元気に過ごしているようだったので、
私はおじいさんは元気なんだと思っていました。
実は私はその日、あやちゃんと一緒に東京ドームで巨人戦を見に来ていました。
そこで、たまたま膝に抱えていたバックから携帯がなっているのに気付きました。
見るとパパからのメール。
「おじいさんが危篤、すぐに帰ってきて」
私は突然のことに信じられず、
また野球も始まったばかりで、
不謹慎とは思いつつも
「帰らなきゃいけないの?」
と電話してしまいました。
あのおじいさんのこと、
危篤ったって、すぐに元気なるだろうとの希望もありました。
しかし、どうも話を聞いてみると本当にまずい様子。
私とあやちゃんは、試合の始まったばかりの球場を後にしました。
急いで電車に乗り、
おじいさんの運ばれた病院に急行したものの、
私はその瞬間には間に合いませんでした。
しかし、諸々の処置が終わり、
私の面会が許されました。
グループホームから運ばれたままの姿。
背の高かったおじいさんの、
まっすぐ長く伸びた足が目に止まりました。
そして顔に目を向けると、
本当に魂が身体から抜け出てしまったよう。
私は死んでしまったことを実感し、涙が止まりません。
よくよく話を聞くと、
ここ1週間はあまり食事を取らず、調子が悪かったそうです。
老衰で人生を全うしたおじいさん。
でもやっぱり悲しい。
なんで神様はこのタイミングでおじいさんを天国に呼んでしまったんだろう。
なんでもっと長生きさせてくれなかったんだろう。
病院からの帰り道、ずっと私はそんなことを考えていました。
でも、私はこうも考えるのです。
「いつまでも、この地上で私たちがおじいさんのことを想い、メソメソして、おじいさんのことを引き留めていては、おじいさんは天国に行けない。
おじいさんはきっと天国で、先に逝った奥さんや、仲間達に再会して喜んでいるはずなんだ。
そしてまた、生まれ変わってこの世のどこかで生きているんだ、
だからメソメソしてはいけない」と。
あやちゃんは、おじいさんの死が分かっているのかいないのか、
いつもと変わらぬ様子。
「大じいじ、死んじゃったんだよ?」と聞くと
「うん、分かってる」との答え。
でも別に悲しくはなさそうだ。
人の死がまだ理解出来ていない2人の娘たち。
でもそれで良いのです。
こんなに悲しい思いはまだ分からない方がいい。
しかし、おじいさんが生きていたことだけは、
大きくなっても忘れないでいてほしいと、願う母なのでした。
突然ですが、15日、午後7時35分に、
旦那さんのおじいさんが亡くなってしまいました。
老衰に近い状態でした。
もう80歳を越し、男性としては長生きだった方だと思います。
<おじいさんの思い出>
おじいさんは家の近所にあるグループホームで生活していました。
私はおじいさんとは結婚してからのお付き合いでしたが、
旦那さんが昔のおじいさんの様子など、よく話をしてくれました。
おじいさんは戦争の中を生き残り、
会計の仕事をしていて頭が良くて、
自分の生まれた年をしっかり覚えていて、
周りの人から「今何年?」と西暦を聞いて、
引き算して今の自分の年齢を答え、
ユーモアがあって、子供が大好きで、
あやかなちゃんが訪問するとすごく喜んでくれて、
と、私はすぐにおじいさんに親近感を持ち、
グループホームには定期的に会いに行っていました。
私が最後に会いに行ったのは5月2日の日曜でした。
おじいさんは耳が遠くて、なかなか話しが通じないのが難点だったけど、
耳元で話せばちゃんと応えを返してくれるし、
普段と変わらず元気に過ごしているようだったので、
私はおじいさんは元気なんだと思っていました。
実は私はその日、あやちゃんと一緒に東京ドームで巨人戦を見に来ていました。
そこで、たまたま膝に抱えていたバックから携帯がなっているのに気付きました。
見るとパパからのメール。
「おじいさんが危篤、すぐに帰ってきて」
私は突然のことに信じられず、
また野球も始まったばかりで、
不謹慎とは思いつつも
「帰らなきゃいけないの?」
と電話してしまいました。
あのおじいさんのこと、
危篤ったって、すぐに元気なるだろうとの希望もありました。
しかし、どうも話を聞いてみると本当にまずい様子。
私とあやちゃんは、試合の始まったばかりの球場を後にしました。
急いで電車に乗り、
おじいさんの運ばれた病院に急行したものの、
私はその瞬間には間に合いませんでした。
しかし、諸々の処置が終わり、
私の面会が許されました。
グループホームから運ばれたままの姿。
背の高かったおじいさんの、
まっすぐ長く伸びた足が目に止まりました。
そして顔に目を向けると、
本当に魂が身体から抜け出てしまったよう。
私は死んでしまったことを実感し、涙が止まりません。
よくよく話を聞くと、
ここ1週間はあまり食事を取らず、調子が悪かったそうです。
老衰で人生を全うしたおじいさん。
でもやっぱり悲しい。
なんで神様はこのタイミングでおじいさんを天国に呼んでしまったんだろう。
なんでもっと長生きさせてくれなかったんだろう。
病院からの帰り道、ずっと私はそんなことを考えていました。
でも、私はこうも考えるのです。
「いつまでも、この地上で私たちがおじいさんのことを想い、メソメソして、おじいさんのことを引き留めていては、おじいさんは天国に行けない。
おじいさんはきっと天国で、先に逝った奥さんや、仲間達に再会して喜んでいるはずなんだ。
そしてまた、生まれ変わってこの世のどこかで生きているんだ、
だからメソメソしてはいけない」と。
あやちゃんは、おじいさんの死が分かっているのかいないのか、
いつもと変わらぬ様子。
「大じいじ、死んじゃったんだよ?」と聞くと
「うん、分かってる」との答え。
でも別に悲しくはなさそうだ。
人の死がまだ理解出来ていない2人の娘たち。
でもそれで良いのです。
こんなに悲しい思いはまだ分からない方がいい。
しかし、おじいさんが生きていたことだけは、
大きくなっても忘れないでいてほしいと、願う母なのでした。