あるがままに高齢を生きる! シャンソン、菜園とともに・・

予測不可能な未来のドラマに期待を寄せつつ、明日を見つめてまだまだ濃い時間を紡げたらとブログを書き続けます。

89歳の誕生日を迎えて、久しぶりに再々再の書き込みです。

2022-03-21 19:30:19 | 日記

長いご無沙汰をしてしまいましたが、また書き始めます。

そしてそれが何処かの戦争の真最中にです。

思い出したくもない戦争がロシアとウクライナの間で行われていて、目の前の茶の間のテレビで体を固くして毎日眺めているのです。

私が小学校3年生の頃に第二次世界大戦が勃発し、女学校(現中学)1年生の8月まで続きました。終戦を迎えてそれは10年も続いていたように感じていましたが、3年8か月の期間でした。

在学中は、藁人形を作って竹やりで突く練習をしたり、敵は鬼畜米英であると嘘まみれの脅しを授業で教わったり、その上、主食のお米をはじめ食べるものはなく国民のすべてが栄養失調があたり前になり、最終的には鉄の鍋窯まで武器を作るために供出を強制される始末。

警戒警報、空襲警報が鳴り響くなか、私たちは自分たちで掘った防空壕での出入りが日常化する日々が続いた後で、終戦になったのです。

これは熊本県八代市の田舎での様子なのです。

熊本の大空襲の時は、八代から眺める暗い夜の空が真っ赤に染まり、空一杯に斜めの線のように流れて見えたあれは、焼夷弾の流れであったと後で理解しました。現在のようにネオンはなく灯火管制で夜は真っ暗闇だし、いま思い出しても恐怖を忘れるほどに美しかったのを記憶しています。

それによって、熊本は焼け野原になったのです。

どういう状況であれ戦争は、人間の命も含め大事な諸々を跡形もなく消し去るのです。

どんな理由であれ人間の英知は、みんなが手をつなぎ合って笑顔の絶えない方向に向けなければならないと思うことしきりです。


年頭の計画その(1)の二日目

2022-01-03 19:57:23 | 日記

今日も箱根大学駅伝の応援でした。往路は青山学園大学の優勝でしたが~

復路も、稀な内容で青山学園大学の圧勝でした。そしてやっぱり疲れました。

座りっぱなしと言うのは現在の私にとって最悪の条件です。それを又やらかしてしまいました。

骨折以後の体感バランスが悪いので、足の筋肉を鍛えないと菜園で草取りをしたりする時に後ろへひっくり返ったり、異なった動作に移るときに体がまっすぐ保たれずに、揺れて転びそうに何度なったことか分かりません。

でもね、それを矯正する為に本で知識を得たり、ストレッチの組み合わせを考えたりして実行することが楽しくて仕方がないのです。

どうしても実年齢より若い状態で生きていないと気持ちが悪い!!

今のところ、私には自分の死ぬ風景が見えないので、きちんと修正を続けたら100歳までの人生は送れそうだと何故か確信があるのです。

今日もちゃんと昨日と同じ距離を歩いてきましたよ!

 


年頭の計画その1!

2022-01-03 19:03:20 | 日記

昨日はゆっくりしていて、例年行われている箱根大学駅伝を見て過ごしました。

長年スポーツに親しんで来た私はつい興奮してしまい、ソファーに座ったままの姿勢で往路の最初から最後までを応援しておりました。

昨年の腰椎骨折のせいもあって腰の痛みがただ事ではなく、ゆっくり休養を決め込むことにした筈が、元旦に息子嫁が私のために大量に用意してくれた料理を絶え間なく食べ続けたことで、一人酒も手つだって動く意思を全く失ってしまいました。

疲れました! でも今年の目標の一つに筋肉の強化を設定したのを実行しなければなりません。

我が家の近くにある「元気の森公園」へ行って、一周630メートルの距離を3周と、我が家から公園までの往復の距離を合計すると2キロメートルを少し越えます。

とりあえず年頭の計画の一つは全うしました。あぁ~!

 


ドクターを説得して1か月早く退院しました。

2021-10-19 13:41:45 | 日記

骨折から1年4か月が過ぎました。

2か月の入院を宣告されて入院当時はベッドに横たわり、動けるのはトイレに行く時と食事の時だけです。動くのは車いすに頼るのですが、これは生まれて初めての体験で少しテクニックが必要なので初めは楽しかったですね。慣れると必要以外でも廊下を走り回るので、何度も看護師さんたちに叱られました。何度も強くです!

途中からリハビリも始まりました。慣れると自分がアスリートであったことを話し、少しずつ過激な方法をお願いして理学療法士の女性もそれに応えてくれました。そして私は目覚ましい効果があったとの確信を得ました。

そして3週間目の診察日、ドクターを5階の私の入院室の窓辺に誘いました。

「先生、外を見てください。景色のすべてがビルですよね。私は毎日これを眺めてると鬱になりそうで、治るものも治らないような気がするのです。私の家の周りは緑が一杯なんですよ。よかったら早めに退院をさせてくださいませんか?」

先生は、直立不動で答えに困っていらっしゃるようでした。

しばらく経って先生は、「分かりました。その代わり三つ約束をしてください。一つ目は無理をしないこと、二つ目はコルセットを残り1か月間はずさないこと、三っつ目は2か月目に必ず診察にくること!」

ということで、1か月で退院の運びとなりました。1か月を残してです。

義娘の迎えの車で無事我が家へ帰ることができました。

 


私が高齢者のスポーツ、グラウンドゴルフをするに至った経緯!

2021-10-18 15:51:01 | 日記

午後からグラウンドゴルフを楽しんで先ほど帰ってきました。

私は若い頃からテニスプレイヤーとして30数年のキャリアがあります。

テニスは非常に激しいスポーツです。故に現役の頃は、いくら歳をとっても高齢者のスポーツは絶対に行わないと決めておりました。でも、しかし、あろうことか、ある日、熊本市内の繁華街の地下のコンクリートの階段の8段上から靴のヒールをひっかけて後ろ向きにひっくり返り、気が付けば踊り場に叩きつけられて這いつくばっている私がいました。

見つけた人が救急車を呼び、私の意志などお構いなく大病院のベッドの上に寝かされてしまいました。

24歳の時のお産以来の入院です。

腰椎の圧迫骨折でした。私は87歳!

2か月間の入院が言い渡され、腰にはコルセットが逃げられそうもないほどに固く締め付けられておりました。

それ以後、私の肉体の関する自尊心は木っ端みじんに打ち砕かれてしまったのです。