あるがままに高齢を生きる! シャンソン、菜園とともに・・

予測不可能な未来のドラマに期待を寄せつつ、明日を見つめてまだまだ濃い時間を紡げたらとブログを書き続けます。

ふと思い出すこと

2017-08-30 08:47:11 | 日記
今朝のNHKのあさイチで、子供たちが{戦争は何年前に終わったと思う?」との質問に、「百年前、三百年前」などとと答えていました。

そうか、72年前は、百年前と28年しか違わないもんね。

しかし百年前という言葉が、遥か昔の響きとともに、異次元のゲームの中の世界のように軽く感じているのであれば、教育のありかたを再検討する必要があるのかも知れません。


日々耳にする北朝鮮についての報道を、少しばかり身近な物語として聞き流しているのだとしたら?


今の北朝鮮の現実は、72年前の日本の現実ですよ。

それはまだ戦争の真っ只中ではありましたが、兵器を作るために家庭の鉄の鍋釜まで供出させられ、食糧難のため餓死者もあふれていたのです。

景気のいい海軍の兵隊さんに憧れた女性がいっぱいいた時代です。


北朝鮮の現在と似てるでしょ?


その食糧難と、餓死者の増加は終戦後もずいぶん続きました。


戦争をしないための理由なんて必要ないのです。







環境も時とともに変化するのですね。

2017-08-28 14:03:08 | 日記
昨日は、葉祥明美術館にいるはずのブルービーに会いに、仲間と4人で出かけました。

美術館の中は何度も訪れているし、葉祥明の絵もさしたる変化もなかったので、ざっと見て扉の外の植え込みを覗きに行きました。

いました、いました! 

ほかの虫と一緒に、横じま模様のブルービーが、それはそれは元気よく何匹も飛び交っていました。

iphoneを構えての撮影にも、からかうかの如く一か所にとどまってくれず、写すには格闘の連続でした。

幸いカメラを修行中の仲間の男性が、上等のカメラで技術を駆使して撮った、なかなかの映像を見せてもらったので、後で引きのばしてくれるはず。


一つの目標が終わったので、昼食のため「ボンジュール・プロヴァンス」というレストランに寄ることになりました。

熊本地震によって崩壊した熊本市と阿蘇をつなぐ橋が、当日通れることになったというので、山間の道路は大渋滞!


やっと着いた例のレストランに、友人と昨年寄ったときは、地震の影響で客も友人と二人だけで、室内もすべて見せていただき、店の周りの山の敷地にご夫婦で1本ずつ植えたという樹や花が全て低くて全体を眺め渡せたし、外からの店の風景も樹や花が邪魔をしないで何ともフランスの風情(行ったことはないけど)をうかがわせるステキな絵になっていました。

しかしです。

樹々も花たちも、搔き分けるほどに大きく成長して、店の雰囲気を邪魔するほどでした。

店の全景を写そうにも、全体の風情は変わり果てて、しかも逆光で撮れないという時間帯。あぁ!

思い出したくないものを雷が...

2017-08-26 08:54:34 | 日記
雷が、我が家を狙い撃ちしてるかの如く、激しく断続的に鳴り響いています。

怖いですねぇ!

と恐れていたら、今、信じられないほどの静寂が私たちを包んでいます。不気味な静寂です。


テレビは、北朝鮮が日本海方面に向けて飛翔体を発射したと、何度も報道しています。

これを聞いている得体の知れない私のざわめきは、思春期になりかかった頃の、戦時中の現象の中での、矛盾に満ちた私の思いに近いものがあります。

あの頃、敵機が日本の上空を頻繁に襲うようになって、警戒警報の後に空襲警報のサイレンが鳴るのですが、敗戦前には敵機の襲来は日常になり、飛行機の音が聞こえず、サイレンの音も聞こえない静寂がむしろ恐ろしく...というのを思い出して、あまりにも激しかった雷の音が絶えた静あとの静寂が、あの頃と重なって思い出してしまいました。

いつも妹に癒されています

2017-08-25 13:47:22 | 日記
苦瓜が次々にオレンジに熟してしまいます。


妹から熟した苦瓜をバナナとジュースにしてみたら? とメールが来ました。

すぐに2階のベランダまで伸びて、熟れてしまったゴーヤ(これは苦みが少ない)を1個だけ収穫して、これも熟しすぎたバナナとジュースにしてみました。

品のいい甘さでおいしいのだけれど、これに酸味の強いリンゴを加えたら完璧だと思いながら、一気に飲んでしまいました。

すぐにリンゴは買いに行くつもり。


妹のメールは引き続き送られてきて、南瓜はコロッケに、蒸した方がおいしいよ、種は干して来年植えること、ゴーヤは種ごとお茶にする、などと指導が絶え間なく来るのです。

12歳も下なのに姉のようです。

田舎に住んでいて、周りが何かを作ったら差し入れがあったり、こちらもしたり、遠くに車で同伴させてもらったり、花を育てたり、ボランティアに頑張ったり、低い年金額でも幸せに穏やかに暮らしてる様子に、いつもほっとするのでです。

要は、信頼できる人との出会いに恵まれる、!ということにかかっている部分がいかに大きいか!と考えることしきりです。田舎の環境もいい!


いつも彼女には癒されています。

幸せな84歳です

2017-08-22 18:20:08 | 日記
私は84歳にして、年に2回のソロライブで20曲のシャンソンを歌っています。

40名ぐらいのお客様の前で歌います。

 
77歳でのソロコンサートの舞台を経て、もう7年目です。

大きな舞台を娘二人と華やかに終わり、満足の再スタートを小さなホールでのライブに切り替えて、現在の満足を得ています。


年齢で物事を図るのは、愚の骨頂です。

すでに私は今年の春のライブで、93歳までのライブの実践を宣言しています。


周りの同世代の人々は、早々に亡くなるか、老人ホームに入所するか、杖をつきながらの不自由な生活を強いられています。


シャンソンに「私は私」という歌があります。娼婦の歌で、私も歌っていますが、私は私で今後の人生を生きることを固く誓っているところです。

人を気にしたり、人の常識の中で生きることは私に合わないし、この百歳寿命のときをどう有効に利用するか、楽しくてドキドキの連続です。

私にとって最高のこの状況を、ないがしろにはできそうもないのです。私は!!


今、私は譜面台に文字を大きく引き伸ばした歌詞を載せて歌っています。

敢えて言いますが、歌いながら歌詞が飛ぶ心配がなくなったことで、その歌が熟成していく過程、結果を体感しています。
故に、私は93歳まで歌い続けることに、何の疑問も持ち合わせておりません。


幸せな84歳です。