あるがままに高齢を生きる! シャンソン、菜園とともに・・

予測不可能な未来のドラマに期待を寄せつつ、明日を見つめてまだまだ濃い時間を紡げたらとブログを書き続けます。

様々な葛藤のなかで高齢者が悩むのを、高齢者の私がどうして助けられようか?

2021-08-18 23:09:51 | 日記

毎日電話をかけてくる同じ歳の女性がいます。60歳の時に神戸での舞台出演で知り合ったシャンソンの仲間です。

20歳の時に産んだ息子のことで悩みを一人で抱え込んでの切羽詰まった相談ですが、88歳の私たち二人で共有できる内容ではないのです。

息子である彼は68歳のピアニストですが、躁鬱病で鬱の時は家にこもって問題はないのですが、躁に切り替わった時が手に負えないようなのです。兎を2匹買ってきて自室で放し飼いにして糞の後始末をしないので、その兎を処分するとすぐまた2匹放し飼いになっているということの繰り返し。

それが続いて一段落した後は、大量に物を買ってきてそのお金の出所を追求すると、家にあったものを売って得たものだとのこと! 何を売ったのかはわからずじまい。

お金がある間は、お酒を飲んだり出歩いたりで所在不明になるらしい。

現在は私の意見にも沿って、行政やプロの個人に相談しながら少しずつ方法が見えてきたようですが・・・。

 


私にとっての終戦は、思惑が外れて新しい人生の幕開けとなりました。

2021-08-17 22:22:25 | 日記

いつの間にか終戦記念日を通り過ごしていたことに今日気がつきました。

最近は雨ばかりで蝉の鳴き声を聞くこともないし、コロナ騒動でテレビから聞こえるのはコロナによる感染増大のニュースばかり!

 

昭和20年8月15日の暑いあの日の昼間、うるさい程の蝉の鳴き声と共に殆ど聞き取れないほどのガーガーというラジオの雑音の前で、家族全員が正座をして玉音(天皇陛下の声)放送を聞いていました。しかし暗い感じのその内容は理解できないままでした。

夕方になり町内会長からの伝達で、日本が戦争に負けたというあり得ない情報を耳にしました。

小学生時代、「鬼畜米英」という言葉を嫌というほど叩き込まれていた私は、すぐに毛むくじゃらの外国人が襲って来るのだと真剣に考えて、どんな明日が来るのだろうと恐れおののきながら、その夕方は、戦争(志那事変)に出征した折の軍服を着た馬上の凛凛しい父の数少ない写真を、五右衛門ぶろを薪で沸かすときのその火で燃やしたことが、鮮明に思い出されます。

多分、戦争にまつわるものを消し去ろうと考えたのでしょう。当時女学校(後の中学生)1年生でした。

 

その後は、当時の私の思惑とはかけ離れた新生の時代、私のキラキラした青春時代の幕開けとなったのです。