夫が亡くなって4か月が経ちました。それにも関わらず家の中ではいつも夫の気配を感じ声さえ聞こえたりしていましたが、この頃になってようやく落ち着いたようです。
私だけの生活に少し慣れてきたのかもしれません。
おまけにコロナウイルスの広がりで買い物以外は外出を控えているので、菜園に出て植物と会話をしながら、こんな生活も案外性に合ってるかも?と感じたりもしています。
状況が一変したことで、新しい明日に期待をしてみようかしら?
夫が亡くなって4か月が経ちました。それにも関わらず家の中ではいつも夫の気配を感じ声さえ聞こえたりしていましたが、この頃になってようやく落ち着いたようです。
私だけの生活に少し慣れてきたのかもしれません。
おまけにコロナウイルスの広がりで買い物以外は外出を控えているので、菜園に出て植物と会話をしながら、こんな生活も案外性に合ってるかも?と感じたりもしています。
状況が一変したことで、新しい明日に期待をしてみようかしら?
昨日夫の49日の法要を済ませて、納骨も終わりました。
これで、いつまでもソファーの端っこに座っている夫の気配から、脱することができるかしら?
完璧に私の24時間の日々を濃密に生きるために、のんびりなどしている暇はないのです。
夫より1か月前に亡くなった、夫の幼馴染であり私の親友のご主人でもある故人のマンションに、私の運転でもう一人の親友を連れて訪れました。
その車中での彼女の話を聞いていると、流れるようにしゃべっているのに聞き取りにくいその滑舌の悪さに、昔の面影は微塵もなく、しかも同じことを何度も何度も繰り返すのです。目的地に着くまで私の頭も体も重く疲れ果ててしまいました。
明らかに認知症の症状です。私の夫の認知症の介護を十数年続けてきた体験と、ほかの親しい同級生の認知症に出会ったことなどから間違いのない状況です。
目的の友人の家でも、人の話は耳に入らず自分の話だけをずーと続けるのです。
そして疲れた風で、先に帰っていきました。想像していた楽しいだけの時間はものの見事に打ち砕かれてしまいました。
頭もよく人の話をじっくり聞く彼女だったのに、その変わり果てた姿に接するのはとても哀しいです! 平均寿命が延びたことのむしろ弊害を目の当たりにして、これを反面教師として自分を律しながら、それでも充実した人生を生きようと強く心に決めて自宅に戻りました?!
今年最初のレッスン日です。
60歳代後半の男性のレッスン生から、マッカロンと晩白柚の差し入れをいただきました。いつもそうですが、彼は糖尿病の持病がありながら甘いものの差し入れを頻繁に持ってきます。それがいつも美味しい!
晩白柚は世界一大きな果物として有名ですが、彼の庭に成る晩白柚は小さめで皮も薄く食べやすいし、おまけにとても甘くて美味しいので、例年待ち遠しくてたまりません。
ついに一昨年、その晩白柚なるものを我が家の庭にも植えてしまいました。実がなって食べられるのは再来年かなぁ! そしてあろうことか、大秋柿、レモン、サクランボ、ゆすら梅も同時に植える始末。
更に昨年はキウイまで追加です。菜園の野菜たちが日陰にならなければいいのだけれど・・・。
それにね、ピアニストからビーズでできた派手なピアスもゲット! これは次のライブでの出演ね!!
長いことブログを休んでしまいましたが、これから再開します。
昨年の11月に夫が他界しました。自宅で数回倒れ、救急車で運ばれて後9月12日に最初の病院に入院しました。その後病変により、別の病院に転院して4日目の午後でした。
日本が戦争に負けた後、国レベルでの様々な改革がなされていましたが、そのなかで男女共学が実施されたのです。男女が手を振り合っただけで退学になる時代を経ての、大改革でした。高校2年の春のことです。
私たちは同級生として、更に軟式テニス部の部員として出会いました。
その後、物事がスムーズに運んだわけでもなく私はテニスの国体選手として熱中し、それと並行して演劇にも燃え上がるという、秒読みの時間に追われる日々を過ごしておりました。
そしてどういう訳か、23歳の時には彼と結婚をしておりました。
知り合って70年近く、結婚して23年です。
そして、最後の十数年は夫の老々介護が待っていました。
私はまだ現役で、シャンソンのライブを続けています。彼が家にいる間はデイケアに行っている時間を利用して~。
今年最後のライブを終えてあくる日の午後に、夫は亡くなったのです。 病室に顔を出して冗談を言って笑わせようとする私に、微かな笑顔を見せてくれました。穏やかな最後でしたよ。
昨日は夫の87歳の誕生日でした。
病院には急用で行けなかったので、今日は大目に時間をとっておやつ持参で行ってきました。
毎回のことだけど退院の日を聞くので、ちょっと前から退院しても足が弱ってて私では面倒を見るのが無理なので、施設にお世話になることを告げると、納得したかの如く「そうか」と答えます。
日を追うごとに、多くの施設を息子夫婦と一緒に訪問したこと。結果的に彼に合いそうな所を見つけたこと。そこは家にいるような温かい感じで我が家から近いこと。家族3人の思いが一致してること。近いことでしょっちゅう会いに行けること。などを何回も何回も話しているうちに、納得しているような表情を見せるようになりました。
私が帰るとき「そこにはいつ行くの?」との彼からの問いに、初めての彼の意思表示にびっくりしながらも、ほっとしながら帰ってきました。
明後日病院に行った時まで、憶えているかしら?
帰宅してすぐ、施設に今日のことを報告し近日中に夫を伴って、家族で訪問したい旨の手紙を書いて投函しました。