私は84歳のシャンソン歌手です。
56歳からレッスンを受け始めて、58歳からはシャンソニエで歌い始め、59歳と60歳でシャンソンコクールの全国大会に出場し、60歳で還暦のソロコンサートを、320人のお客様の前で行いました。
スタートから怒涛のようにシャンソンに明け暮れました。
今も年に2回のソロライブを続けています。
韓国では慰安婦問題を掲げ、慰安婦の像をあちこちに建てて日本の過去を攻め立てていますが、私はシャンソンで娼婦の歌を好んで数多く歌っています。
世界における過去の戦争での、慰安婦、娼婦問題は避けて通れない現実として、いつでも存在していたように思います。
フランスの文化の特異性があるのかもしれませんが、シャンソンの娼婦の歌は、どれをとっても楽しかったり、美しかったり、切なかったりを、フランスの文化、芸術性の高さ深さを感じるレベルにまで昇華されたものになっています。
戦後いち早く日本に上陸したフランス映画もそうでした。
84年も生きていると、いちいち取り沙汰していられないほどに、複雑な過去の時間の経過があるのですね。
出来るだけ早く重い過去は忘れて身軽になり、軽やかに100歳までの未来を夢見たいと考える今日この頃です。
56歳からレッスンを受け始めて、58歳からはシャンソニエで歌い始め、59歳と60歳でシャンソンコクールの全国大会に出場し、60歳で還暦のソロコンサートを、320人のお客様の前で行いました。
スタートから怒涛のようにシャンソンに明け暮れました。
今も年に2回のソロライブを続けています。
韓国では慰安婦問題を掲げ、慰安婦の像をあちこちに建てて日本の過去を攻め立てていますが、私はシャンソンで娼婦の歌を好んで数多く歌っています。
世界における過去の戦争での、慰安婦、娼婦問題は避けて通れない現実として、いつでも存在していたように思います。
フランスの文化の特異性があるのかもしれませんが、シャンソンの娼婦の歌は、どれをとっても楽しかったり、美しかったり、切なかったりを、フランスの文化、芸術性の高さ深さを感じるレベルにまで昇華されたものになっています。
戦後いち早く日本に上陸したフランス映画もそうでした。
84年も生きていると、いちいち取り沙汰していられないほどに、複雑な過去の時間の経過があるのですね。
出来るだけ早く重い過去は忘れて身軽になり、軽やかに100歳までの未来を夢見たいと考える今日この頃です。